芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第8回
第8話 ヘミングウェイの縁の地へ
~ロンセスバージェスからパンプローナまで~
9/29(Sat) Roncesvalles ~ Zubiri (21.5km)
9/30(Sun) Zubiri ~ Pamplona (21.7km)
10/1(Mon) Pamplona (0km)
私はヘミングウェイが好きである。大学に入ったばかりの頃読んだ雑誌の中で安藤忠雄が「老人と海」について語っていた。巨大な敵に戦いを挑む海の男を描き、ノーベル文学賞を受賞したアメリカ文学の傑作は、世界と戦うANDOの意志の強さの一片なのだろう。私もすぐに近所の本屋に走り、夢中になって読んだ。私のお気に入りの一冊となったのは言うまでもない。また、今回登場するパンプローナはヘミングウェイの小説「日はまた昇る」の舞台となった場所である。
パンプローナ市庁舎
17世紀末のバロック様式のファサードを再建
7月6日の正午、このバルコニーにパンプローナ市長が立ち、「サン・フェルミン」(牛追い祭)の開始を宣言する。
翌日は雨。様子を見るため出発の時間を遅らせる。しかし、雨は止みそうにないので、仕方なく歩き始める。今日から新たな仲間が加わった。昨夜、アルベルゲで知り合ったスウェーデン人のTonny(トニー)とカナダ・ケベック出身のKebin(ケビン)である。トニーは30歳ぐらい。背が高くまさしく北欧出身のイメージである。10年以上も使っているというホグロフスの80ℓのバックパックを楽々と背負っていた。やはり体力がある。そもそもアジアとヨーロッパ、特に北欧の民族とは骨格そのものが違うのだということをまざまざと見せつけられた思いである。私が着ているTシャツはホグロフスなのだと教えるとスウェーデンでアウトドアをする人なら、ホグロフスのアイテムは必ず1つは持っていると話してくれた。ケビンは60歳前後、カナダということもあり、私のもっとも憧れるブランドのアークテリクスのレインウェアを着込んでいた。その話をすると海外でもやっぱり人気なのだと感心した様子だった。私が大学で建築を学んでいると話すと、アメリカで安藤忠雄のフォートワース美術館を見たと言ってくれた。やはり世界のANDO。現代の日本建築界の代表だということを実感する。
雨と風が強い。ケビンの高性能のジャケットとは違い私の防水透湿性がいまいちなレインジャケットでは内側がひどく蒸れる。ぐっしょりと濡れたTシャツが体に張り付き体力が奪われるだけでなく実に不快である。それでも一歩ずつ巡礼路を進んでいく。
霧の中を進む
歩き始めて約3km。白壁に茶色い窓枠が特徴的な家が続くBurguete(ブルゲーテ)に到着。ここはヘミングウェイがマス釣りのため滞在した町である。彼の常宿であったオスタル・ブルゲーテも巡礼路沿いにある。小説『日はまた昇る』の中で主人公が友人とマス釣りに行く場面で登場する。巡礼路沿いにあるため、難なく見つけることはできた。
「部屋には、ベッドが二つ、洗面台、たんす、ロンセスバーリュスの聖母の銅版画が大きな額があった。……天井が低く、腰板は樫材だった。鎧戸は全部しまっていて、自分の吐く息が白く見えるほど寒かった」
と小説の中で描かれている安宿の面影は小綺麗になった外観からはもう感じられないが、内部は昔のままの部分が沢山残されているらしい。
「『こうでもしないと寒くてやりきれないよ』」
と言って主人公の友人が弾くピアノがヘミングウェイの落書きと共に今も残されているという。落書きも偉人がすればサインに変わるというわけである。ちなみにレストランには今の主人の友人という、ツール・ド・フランス5連覇の英雄ミゲル・インデュラインのジャージが飾られているそうだ。残念ながら朝早いため閉まっていたが、今度来る機会があれば泊まってみたいものだ。
オスタル・ブルゲーテ
フランスのカフェからスペインのバルに変わり、食事も変わる。そこで国の違いを実感する。カフェでクロワッサンとカフェラテを注文していたのが、今度はバルでボカディージョとカフェ・コン・レチェを注文することになる。バルは巡礼者に優しい。日本のカフェとはまた異なった場と空間である。
巡礼路沿い 小さな村のバル
ピョンピョン橋
本日の宿はzubiri(ズビリ)ここの宿は快適だった。シャワーもお湯が出るし、ベッドも清潔。夜はトニーとケビンと共に食事のため町のレストランへ。今日もナバーラ風マス料理。確かにおいしいのだが、あと何日つづくのだろうか・・・。
ズビリ アルベルゲ
入り口には水晶などの鉱石の原石がならびスピリチュアルなイメージを受けた
ズビリを出発してすぐ、工場が見えた。マグネシウムの工場だとガイドブックに記載してある。
町の小さな教会には鍵がかかっている。やはり治安の問題なのだろうか。フランスではこのようなことは無かったので非常に残念である。探せば誰かカギを持っている人がいるはずなのだが、すぐには見つかりそうもない。あきらめて先を急ぐことにする。入り口に庇がかかり、椅子が置いてある。巡礼者に対するせめてもの気遣いなのだろうか。
Iroz(イロズ)の村を越えた少し先には巡礼者向けにピザを焼いている青年がいた。彼も旅を愛する人物なのだろう。世界を旅し、今は巡礼者のためにピザを焼き、次の旅に出る。そんな雰囲気を感じた。専用の釜で一枚ずつ丁寧に焼き上げたマルゲリータ。忘れがたい味だった。
マグネシウム工場
土埃の舞う裏道を進む
教会前の庇
ピザ
釜で一枚ずつ焼き上げる
パンプローナの手前、小高い丘の上に小さな教会があった。入り口はロマネスク様式の三重アーチ。ここは運良く開いている。中に入ると巡礼者のための覚え書きがプリントされた紙が置かれていた。スペイン語、英語などいくつかの言語の中で珍しく日本語があった。スペインに入ると日本人が多くなるということだろう。表には「巡礼」(El・Camino)、裏には巡礼者の教訓が書かれていた。
1.巡礼者は幸いである。巡礼が見えないものにあなたの目を開くならば。
2.巡礼者は幸いである。あなたが最も気にしていることが、ただたどり着くことではなく、他の人と一緒に目的地に到着することであるならば。
3.巡礼者は幸いである。巡礼を観想し、それが名前と何か新しいものの始まりで満たされていることを見出すならば。
4.巡礼者は幸いである。あなたのリュックが空っぽになり、心が静けさと生命に満たされるならば。
5.巡礼者は幸いである。一歩戻って誰かを助けることの方が、わき目をふらずにただ前進することよりも、はるかに価値あることだということを見出すならば。
6.巡礼者は幸いである。全ての予想外の驚きに対して深い感謝の気持ちを表現する言葉を持たないとき。
7.巡礼者は幸いである。ただあなたが巡礼をするのではなく、巡礼にあなたを変えさせるならば。
8.巡礼者は幸いである。道々、真の自分に出会い、立ち止まり、見つめ、聴き、自分の心を大切にすることを知るならば。
9.巡礼者は幸いである。真理を求めて、巡礼を、道であり、真理であり、生命である方を求める、「生命の道」にするならば。
10.巡礼者は幸いである。あなたは巡礼が終わった時に本当の巡礼が始まることを知るのだから。
3重アーチ エントランス
半円アーチはロマネスク様式の特徴である
教会 正面祭壇
多くの聖人たちの像が並ぶ
Pamplona(パンプローナ)はナバーラ州の州都。人口20万人の都会である。
古代ローマの植民都市として始まり、その名前は将軍ポンペイウスがこの地に軍事拠点を築いたことに由来している。毎年7月6日から14日まで開催される「サン・フェルミン」と呼ばれる牛追い祭りはスペイン三大祭りの一つで、世界的にも有名である。ヘミングウェイの『日はまた昇る』の主な舞台になった町でもある。今もあるカフェ・イルーニャは彼のお気に入りだった。フランス国境から歩き出して最初の大きな町である。
パンプローナの城壁
要塞のようである
城壁の門をくぐり旧市街へ入る。しかし、ここからが大変であった。大きな街に入ると、道しるべの黄色い矢印を見失いやすい。今までのような単調な一本道の巡礼路ではなく、街には多くの道路があり、街の路地は入り組んでいる。もともとが軍事都市のため、日本の城下町と同じようにわざと道を分かりにくくしているらしい。案の定、今日泊まる予定のアルベルゲに向かっている最中に迷子になった。仕方がないので街のインフォメーションを探すことにする。しかしそのインフォメーションを探すのが一苦労である。30分かけて街を歩き回り、やっと見つけたところで今日が日曜日であることに気がつく。街のインフォメーションは完全に休みである。結局、その後さらに一時間街をさまよった果てにようやくパンプローナのアルベルゲを発見した。
ここのアルベルゲ(巡礼宿)は公営で、かつての学校を改装しているためとても大きい。ベッドが大空間にずらっと並ぶ。ベッドを確保してパンプローナを散策。牛追い祭りが行われるルートを歩く。
パンプローナ アルベルゲ
2階にも二段ベッドが並んでいる
平面図
断面図
軍事拠点となるだけあって、旧市街地は30~40メートルほどもある断崖の上の台地にあり、下に流れるアルガ川が堀の役目を果たしている。まさに天然の城である。
「川の向こうに町の台地が見えた。その古い城壁や防塁の上に、ずらりと人が並んでいた。三列の防塁が、そのまま三列の黒い人垣をつくっていた。城壁よりもさらに高いところには、家々の窓から人の顔がのぞいていた。台地のはずれのほうでは、木にのぼっている子供の姿が見えた」
台地の上の旧市街から、アルガ川のほとりまで下る坂道はいくつかあるが、ひときわ勾配のきつい坂道が牛追いのスタート地点となるサント・ドミンゴ坂である。
坂を登り、旧市街に入る。旧市街は細い道をはさんで古い建物がひしめき合い、王都時代の雰囲気がただよっている。一番古い地区にあるサンタ・マリア大聖堂は11世紀にロマネスク様式で建てられ、その後2度の大きな改築を経て今の形になったものである。
大聖堂の前の路地を下ると17世紀に建てられたバロック様式の市庁舎がある。サン・フェルミン祭の開会が宣言されるのもこの市庁舎前広場である。
「7月6日、日曜日の正午、祝祭は爆発した。爆発したとしか書きようのないものだった。……いよいよお祭りは本格的にはじまった。お祭りは、7日間、昼も夜もぶっ通しにつづくのである。踊りもつづき、飲むこともつづき、騒がしさもつづく。……急に、通りを駆けてくる人の群れが見えた。人々は、ひとかたまりになって走ってきた。その一団が闘牛場のほうへ走りすぎていったかと思うと、そのあとから、さらに大勢の人々が、もっとはやい速度で走ってきた。さらにそのあとから、遅れた連中が、夢中になって走ってきた。そして、そのあとから、ほんのすこし間をおいて、闘牛が、頭を上下に振立てながら、まっしぐらに駆けてきた。それらがみな角を曲がって見えなくなった。一人の男が倒れ、溝にころがりこんで動かなくなった。だが牛は、そのまま気がつかずに、まっすぐに走りつづけた。誰もが走っていた。」
この牛追い祭は古くはキリスト教伝来以前のイベリア半島の雄牛信仰に起源を持つといわれ、パンプローナの最初の司教であり町の守護聖人である聖フェルミンを記念する祭と結びつけられて今の形になったとされている。毎年、聖フェルミンの記念日である7月7日をメインの日とし、7月6日の正午から7月14日の24時(15日の0時)までの9日間開催される。参加者が首に赤いスカーフを巻くのも、斬首刑となったフェルミンの受難を思い出すためと言われている。
本来、牛追いは、「コンシエロ」(囲いに入れること)という言葉通りに、その日の午後の闘牛で使われる牛を闘牛場まで安全に移動させるためのものなのだが、19世紀後半に市民たちが「勇気を示すため」に牛の前を走り始め、今では祭りの期間中、毎日1,000人近くの人が参加するという。18歳以上であれば国籍、性別不問。事前の登録なども不要で、開始30分前までにスタート地点にスタンバイすればいいことになっている。とはいえ命の危険があることに変わりはなく、1925年以来、15人もの人が命を落としている。
サント・ドミンゴ通りの急坂を駆け上がり、大きくカーブしながら市庁舎前を抜け、メルカデレス通りから急角度で曲がってエスタフェタ通りに入る。このカーブで転倒して群れからはぐれ、落ち着きを失った牛に襲われ、ケガ人や死者を出すことも多い。エスタフェタ通りはゆるやかな登りの400メートル近い直線で、牛のスピードも上がる。道幅が広いので多くのランナーが脇にそれて牛をやり過ごす。ただし集団からはぐれた危険な牛がそのまま一頭で走ってくる可能性も高いので、安心は禁物である。
電話局の前を曲がると目の前に闘牛場。ゲートをくぐればゴールであるが、ここが最も多くの死者を出している場所である。道幅が一気に狭くなるため、ランナーが殺到して身動きが取れなくなったところに牛が突っ込むという最悪の状況をまねく可能性がある。牛と接触しなくても、ランナーが将棋倒しを起こす危険性も高い。
ゲートを無事に通り過ぎても、まだ安心はできない。急に闘牛場の広い空間に入った牛が方向感覚を失い、目についたランナーに襲いかかることがある。ランナーたちは場内に設置された囲い場に闘牛たちが入るまでは、バレラと呼ばれる退避塀の内側で待機。12頭全部が囲い場に入ると花火が打ち上げられ、コンシエロが終わる。
牛
マタドール(闘牛士)はこの雄々しい牛を相手に戦う
サン・フェルミン祭公式ショップ
Tシャツなど多くのグッズが並ぶ
牛追いのロゴ
闘牛場の前にヘミングウェイの像がある。2メートルを越す立派な像の胴部には、次のような言葉が刻まれている。
彼がサン・フェルミン祭を最初に訪れたのは1923年。当時23歳のヘミングウェイは、その年の終わりにトロント・スター紙との特派員契約を解除。専業作家として歩み出す。以来、1927年までに5年続けて、さらに1929と1931年にこの祭を訪れている。その経験を基にして執筆された「日はまた昇る」は1926年に出版され、彼の作家としての地位を確立することになる。
ヘミングウェイの像
後ろは闘牛場である
夕食へ向かう。ヘミングウェイがよく訪れたというカフェ・イルーニャで食事を取る。イルーニャとはバスク語で「パンプローナ」の意味で、カスティーリョ広場に面する1888年創業の老舗のカフェ。アールデコの店内は広くて豪華。料理はメヌー・デル・ディア(二品とデザート、ミネラルウオーターかワイン)で13.5ユーロ。
カフェ・イルーニャ 立て看板
ヘミングウェイの名前がある
入り口
重厚な看板からはカフェの歴史を感じる
店内
多くの人で賑わっている
メニュー
やはりヘミングウェイ
ステーキ
パンプローナ2日目、8:00起床。カフェ・イルーニャで朝食。パンを食べ、コーヒーを片手に今日のプランを考える。アルベルゲは病気やケガといった特別の理由が無い限り連泊は出来ないので安い宿を探す。アルベルゲは何より安いし(5~10ユーロ程度、寄付のみのところとか無料のところもある)、自炊の設備のあるところも多いので、長期にわたる巡礼には本当に有り難い。そのかわり大部屋にずらっと二段ベットが並んでいるだけなので、自由に使える空間はベットの上だけであり、プライバシーは全くない。夜はイビキで寝られないということもあり、これが続くとストレスも溜まってくる。贅沢ではあるがここパンプローナでは宿の部屋を取ることにする。日本から持ってきた自家製の冊子(『「地球の歩きかた スペイン』から巡礼路沿いの街の部分だけを切り取ってホッチキスで止めたもの)を取り出し、パンプローナの宿泊ガイドを参考にホテルを探す。シングル一泊38ユーロからと、掲載されている中で一番安い「ホテル・ベアラン」に決める。祭りの時期さえ外せば基本的にはのんびりした町なので部屋は予約なしでも大丈夫だった。個室の快適さを満喫。自分だけの空間で寝たのはこの巡礼で初めてであった。
ホテル・ベアラン
中心広場から少し路地裏に入ったところにある。
ベッド
一番古い地区にあるサンタ・マリア大聖堂は11世紀にロマネスク様式で建てられ、14世紀から15世紀にかけてゴシック様式で再建、さらに18世紀に新古典様式で改築されている。正面入口の円柱はそのときのものである。もとの教会にあったロマネスクの柱頭彫刻が現在のファサードや回廊の柱頭に一部使われている。ナバーラ国王のカルロス3世と王妃レオノール・デ・トラスタマラの棺が主祭壇の前に置かれている。
大聖堂の北側と西側には、ナバーラ王国時代の城壁と稜堡が残されていて、その下をアルガ川が流れている。アルガ川には中世の石橋、マグダレーナ橋がかかり、たもとには巡礼路を示す十字架が立っている。峠から下って来た巡礼者たちは、アルガ川沿いに下ってこの橋を渡り、フランス門から旧市街に入った。
カテドラル
カテドラル 回廊
お昼もランチを食べにカフェ・イルーニャに向かう。食事を終え、コーヒーを飲みイルーニャを出る。宿に戻りシエスタ。なんとも幸せな時間である。夕方、だいぶ気温が下がってきたのを見計らいパンプローナを散歩する。
カフェ・イルーニャ テラス
心地よい天気にバスクの風か吹く
パエリア
白身魚のフリット
パンプローナの路地
夜のパンプローナへ繰り出し、バルを2件はしごする。特に2件目のお店が印象的でたくさんのハモン(スペイン語でハムの意味)がぶら下がっている。スペイン名物の小皿料理タパスをつまみながらナバーラワインを共にする。パンプローナの夜は更けていった。
バル
多くのハモンが吊り下げられている
ハモンのタパス
歩いた総距離809.7km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第8回 水筒
LAKEN(ラーケン) PL-33 クラシック1.0ℓ ¥2,200
巡礼者の象徴は杖とひょうたんである。ひょうたんは水を入れる容器として使用していた。現在のようにペットボトルなどない時代である。水を漏らさずに運ぶことすら大変なことであったに違いない。今日においても巡礼において水筒は必需品である。
正直な話、水筒はペットボトルで十分である。現在のペットボトルは丈夫で水が漏れることはほぼないだろう。でも、それは日常生活での話。私の巡礼は約3ヶ月に渡り、ハードに使う。リュックの中で水漏れはやはり避けたいところである。やはり、丈夫な水筒が欲しい。巡礼を共にできる道具として軽くて丈夫な素材のアルミでつくった水筒を選んだ。
ラーケンはスペイン南部のムルシアで1912年に生まれたアルミボトルメーカーである。この丸筒水筒は、多くの工程を経て製品となっている。引き出し一体型という、アルミの塊を金型で引き抜き、その後少しずつ形を整えて一つのアルミボトルとなる。この製法は継ぎ目が無いため非常に強度が高く、軽量なのが特徴である。
このアルミボトルが生まれた背景にはスペインの気候が大きく関係している。アフリカに近いムルシアは降水量が東京の1/5程度であり、真夏では気温が40℃を超える非常に乾燥したところである。「水を運ぶこと」この単純な行為がこうした地域に暮らす人々にとっては命に関わる大切なこと。そういった背景をこのラーケンのアルミボトルから感じ取ることができる。スペインのメーカーという点も私の巡礼アイテムとしてふさわしいと感じた一つの理由である。
マイボトルという言葉が広がっている。学校や職場、外出先に自分用の水筒やタンブラーを持参して飲み物を入れて持ち歩く。リサイクルよりもさらに環境負荷の低いリユース(繰り返し使用)やリデュース(廃棄抑制)の手法である。経済的にも出先の自販機で500ミリリットルのペットボトルを買うより、自宅近くのスーパーで買った2リットルのペットボトルから詰めていった方が安く済むのは自明の理だし、コーヒーショップやコンビニカフェの中には、マイボトルを使うと割引をしてくれるところもある。その際には一般的なペットボトルの容量に近い0.6ℓのモデルがあるので、そちらをオススメする。
アルミボトルは落としたらへこむ。しかし、それも一つの味ではないだろうか。なにも新品が一番というわけではない。傷やへこみと共に自分だけのマイボトルに仕上げていくのはどうだろうか。リサイクルのさらに一歩先にいくことが必要である。いくらリサイクルができると言っても、そのためには電力も手間もかかる。そのまま埋め立てた方が環境負荷は少なくてすむという主張さえある。綺麗事になるが、東京に住む人間がそれぞれ1日1本ペットボトルで飲み物を飲み、ゴミに捨てていたら埋立地のある東京湾がどうなるか意識してみてはどうだろうか。
アルミボトルはペットボトルとは違い長く使える。それは巡礼でハードに使用した私が保証する。ペットボトルを外出先で購入するのではなく、家でこのラーケンのボトルに水を入れ、持っていこう! カラーリングも豊富で芸術の国スペインのこだわりを感じるアイテムである。
もし、私が再度、巡礼に行くことがあったとしたら、迷わずこのラーケンのボトルを相棒として持っていく。現代の巡礼者の姿を描くとすれば、杖の先には瓢箪ではなく、ラーケンのアルミボトルがくくりつけてあることだろう。
ラーケン アルミボトル
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」は毎月17日に再録掲載します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」は毎月23日に再録掲載します。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第8回
第8話 ヘミングウェイの縁の地へ
~ロンセスバージェスからパンプローナまで~
9/29(Sat) Roncesvalles ~ Zubiri (21.5km)
9/30(Sun) Zubiri ~ Pamplona (21.7km)
10/1(Mon) Pamplona (0km)
私はヘミングウェイが好きである。大学に入ったばかりの頃読んだ雑誌の中で安藤忠雄が「老人と海」について語っていた。巨大な敵に戦いを挑む海の男を描き、ノーベル文学賞を受賞したアメリカ文学の傑作は、世界と戦うANDOの意志の強さの一片なのだろう。私もすぐに近所の本屋に走り、夢中になって読んだ。私のお気に入りの一冊となったのは言うまでもない。また、今回登場するパンプローナはヘミングウェイの小説「日はまた昇る」の舞台となった場所である。
パンプローナ市庁舎17世紀末のバロック様式のファサードを再建
7月6日の正午、このバルコニーにパンプローナ市長が立ち、「サン・フェルミン」(牛追い祭)の開始を宣言する。
翌日は雨。様子を見るため出発の時間を遅らせる。しかし、雨は止みそうにないので、仕方なく歩き始める。今日から新たな仲間が加わった。昨夜、アルベルゲで知り合ったスウェーデン人のTonny(トニー)とカナダ・ケベック出身のKebin(ケビン)である。トニーは30歳ぐらい。背が高くまさしく北欧出身のイメージである。10年以上も使っているというホグロフスの80ℓのバックパックを楽々と背負っていた。やはり体力がある。そもそもアジアとヨーロッパ、特に北欧の民族とは骨格そのものが違うのだということをまざまざと見せつけられた思いである。私が着ているTシャツはホグロフスなのだと教えるとスウェーデンでアウトドアをする人なら、ホグロフスのアイテムは必ず1つは持っていると話してくれた。ケビンは60歳前後、カナダということもあり、私のもっとも憧れるブランドのアークテリクスのレインウェアを着込んでいた。その話をすると海外でもやっぱり人気なのだと感心した様子だった。私が大学で建築を学んでいると話すと、アメリカで安藤忠雄のフォートワース美術館を見たと言ってくれた。やはり世界のANDO。現代の日本建築界の代表だということを実感する。
雨と風が強い。ケビンの高性能のジャケットとは違い私の防水透湿性がいまいちなレインジャケットでは内側がひどく蒸れる。ぐっしょりと濡れたTシャツが体に張り付き体力が奪われるだけでなく実に不快である。それでも一歩ずつ巡礼路を進んでいく。
霧の中を進む歩き始めて約3km。白壁に茶色い窓枠が特徴的な家が続くBurguete(ブルゲーテ)に到着。ここはヘミングウェイがマス釣りのため滞在した町である。彼の常宿であったオスタル・ブルゲーテも巡礼路沿いにある。小説『日はまた昇る』の中で主人公が友人とマス釣りに行く場面で登場する。巡礼路沿いにあるため、難なく見つけることはできた。
「部屋には、ベッドが二つ、洗面台、たんす、ロンセスバーリュスの聖母の銅版画が大きな額があった。……天井が低く、腰板は樫材だった。鎧戸は全部しまっていて、自分の吐く息が白く見えるほど寒かった」
と小説の中で描かれている安宿の面影は小綺麗になった外観からはもう感じられないが、内部は昔のままの部分が沢山残されているらしい。
「『こうでもしないと寒くてやりきれないよ』」
と言って主人公の友人が弾くピアノがヘミングウェイの落書きと共に今も残されているという。落書きも偉人がすればサインに変わるというわけである。ちなみにレストランには今の主人の友人という、ツール・ド・フランス5連覇の英雄ミゲル・インデュラインのジャージが飾られているそうだ。残念ながら朝早いため閉まっていたが、今度来る機会があれば泊まってみたいものだ。
オスタル・ブルゲーテフランスのカフェからスペインのバルに変わり、食事も変わる。そこで国の違いを実感する。カフェでクロワッサンとカフェラテを注文していたのが、今度はバルでボカディージョとカフェ・コン・レチェを注文することになる。バルは巡礼者に優しい。日本のカフェとはまた異なった場と空間である。
巡礼路沿い 小さな村のバル
ピョンピョン橋本日の宿はzubiri(ズビリ)ここの宿は快適だった。シャワーもお湯が出るし、ベッドも清潔。夜はトニーとケビンと共に食事のため町のレストランへ。今日もナバーラ風マス料理。確かにおいしいのだが、あと何日つづくのだろうか・・・。
ズビリ アルベルゲ入り口には水晶などの鉱石の原石がならびスピリチュアルなイメージを受けた
ズビリを出発してすぐ、工場が見えた。マグネシウムの工場だとガイドブックに記載してある。
町の小さな教会には鍵がかかっている。やはり治安の問題なのだろうか。フランスではこのようなことは無かったので非常に残念である。探せば誰かカギを持っている人がいるはずなのだが、すぐには見つかりそうもない。あきらめて先を急ぐことにする。入り口に庇がかかり、椅子が置いてある。巡礼者に対するせめてもの気遣いなのだろうか。
Iroz(イロズ)の村を越えた少し先には巡礼者向けにピザを焼いている青年がいた。彼も旅を愛する人物なのだろう。世界を旅し、今は巡礼者のためにピザを焼き、次の旅に出る。そんな雰囲気を感じた。専用の釜で一枚ずつ丁寧に焼き上げたマルゲリータ。忘れがたい味だった。
マグネシウム工場土埃の舞う裏道を進む
教会前の庇
ピザ釜で一枚ずつ焼き上げる
パンプローナの手前、小高い丘の上に小さな教会があった。入り口はロマネスク様式の三重アーチ。ここは運良く開いている。中に入ると巡礼者のための覚え書きがプリントされた紙が置かれていた。スペイン語、英語などいくつかの言語の中で珍しく日本語があった。スペインに入ると日本人が多くなるということだろう。表には「巡礼」(El・Camino)、裏には巡礼者の教訓が書かれていた。
巡礼者の垂訓
(The Beatitudes of the Pilgrim)
(The Beatitudes of the Pilgrim)
1.巡礼者は幸いである。巡礼が見えないものにあなたの目を開くならば。
2.巡礼者は幸いである。あなたが最も気にしていることが、ただたどり着くことではなく、他の人と一緒に目的地に到着することであるならば。
3.巡礼者は幸いである。巡礼を観想し、それが名前と何か新しいものの始まりで満たされていることを見出すならば。
4.巡礼者は幸いである。あなたのリュックが空っぽになり、心が静けさと生命に満たされるならば。
5.巡礼者は幸いである。一歩戻って誰かを助けることの方が、わき目をふらずにただ前進することよりも、はるかに価値あることだということを見出すならば。
6.巡礼者は幸いである。全ての予想外の驚きに対して深い感謝の気持ちを表現する言葉を持たないとき。
7.巡礼者は幸いである。ただあなたが巡礼をするのではなく、巡礼にあなたを変えさせるならば。
8.巡礼者は幸いである。道々、真の自分に出会い、立ち止まり、見つめ、聴き、自分の心を大切にすることを知るならば。
9.巡礼者は幸いである。真理を求めて、巡礼を、道であり、真理であり、生命である方を求める、「生命の道」にするならば。
10.巡礼者は幸いである。あなたは巡礼が終わった時に本当の巡礼が始まることを知るのだから。
3重アーチ エントランス半円アーチはロマネスク様式の特徴である
教会 正面祭壇多くの聖人たちの像が並ぶ
Pamplona(パンプローナ)はナバーラ州の州都。人口20万人の都会である。
古代ローマの植民都市として始まり、その名前は将軍ポンペイウスがこの地に軍事拠点を築いたことに由来している。毎年7月6日から14日まで開催される「サン・フェルミン」と呼ばれる牛追い祭りはスペイン三大祭りの一つで、世界的にも有名である。ヘミングウェイの『日はまた昇る』の主な舞台になった町でもある。今もあるカフェ・イルーニャは彼のお気に入りだった。フランス国境から歩き出して最初の大きな町である。
パンプローナの城壁要塞のようである
城壁の門をくぐり旧市街へ入る。しかし、ここからが大変であった。大きな街に入ると、道しるべの黄色い矢印を見失いやすい。今までのような単調な一本道の巡礼路ではなく、街には多くの道路があり、街の路地は入り組んでいる。もともとが軍事都市のため、日本の城下町と同じようにわざと道を分かりにくくしているらしい。案の定、今日泊まる予定のアルベルゲに向かっている最中に迷子になった。仕方がないので街のインフォメーションを探すことにする。しかしそのインフォメーションを探すのが一苦労である。30分かけて街を歩き回り、やっと見つけたところで今日が日曜日であることに気がつく。街のインフォメーションは完全に休みである。結局、その後さらに一時間街をさまよった果てにようやくパンプローナのアルベルゲを発見した。
ここのアルベルゲ(巡礼宿)は公営で、かつての学校を改装しているためとても大きい。ベッドが大空間にずらっと並ぶ。ベッドを確保してパンプローナを散策。牛追い祭りが行われるルートを歩く。
パンプローナ アルベルゲ2階にも二段ベッドが並んでいる
平面図
断面図軍事拠点となるだけあって、旧市街地は30~40メートルほどもある断崖の上の台地にあり、下に流れるアルガ川が堀の役目を果たしている。まさに天然の城である。
「川の向こうに町の台地が見えた。その古い城壁や防塁の上に、ずらりと人が並んでいた。三列の防塁が、そのまま三列の黒い人垣をつくっていた。城壁よりもさらに高いところには、家々の窓から人の顔がのぞいていた。台地のはずれのほうでは、木にのぼっている子供の姿が見えた」
台地の上の旧市街から、アルガ川のほとりまで下る坂道はいくつかあるが、ひときわ勾配のきつい坂道が牛追いのスタート地点となるサント・ドミンゴ坂である。
坂を登り、旧市街に入る。旧市街は細い道をはさんで古い建物がひしめき合い、王都時代の雰囲気がただよっている。一番古い地区にあるサンタ・マリア大聖堂は11世紀にロマネスク様式で建てられ、その後2度の大きな改築を経て今の形になったものである。
大聖堂の前の路地を下ると17世紀に建てられたバロック様式の市庁舎がある。サン・フェルミン祭の開会が宣言されるのもこの市庁舎前広場である。
「7月6日、日曜日の正午、祝祭は爆発した。爆発したとしか書きようのないものだった。……いよいよお祭りは本格的にはじまった。お祭りは、7日間、昼も夜もぶっ通しにつづくのである。踊りもつづき、飲むこともつづき、騒がしさもつづく。……急に、通りを駆けてくる人の群れが見えた。人々は、ひとかたまりになって走ってきた。その一団が闘牛場のほうへ走りすぎていったかと思うと、そのあとから、さらに大勢の人々が、もっとはやい速度で走ってきた。さらにそのあとから、遅れた連中が、夢中になって走ってきた。そして、そのあとから、ほんのすこし間をおいて、闘牛が、頭を上下に振立てながら、まっしぐらに駆けてきた。それらがみな角を曲がって見えなくなった。一人の男が倒れ、溝にころがりこんで動かなくなった。だが牛は、そのまま気がつかずに、まっすぐに走りつづけた。誰もが走っていた。」
この牛追い祭は古くはキリスト教伝来以前のイベリア半島の雄牛信仰に起源を持つといわれ、パンプローナの最初の司教であり町の守護聖人である聖フェルミンを記念する祭と結びつけられて今の形になったとされている。毎年、聖フェルミンの記念日である7月7日をメインの日とし、7月6日の正午から7月14日の24時(15日の0時)までの9日間開催される。参加者が首に赤いスカーフを巻くのも、斬首刑となったフェルミンの受難を思い出すためと言われている。
本来、牛追いは、「コンシエロ」(囲いに入れること)という言葉通りに、その日の午後の闘牛で使われる牛を闘牛場まで安全に移動させるためのものなのだが、19世紀後半に市民たちが「勇気を示すため」に牛の前を走り始め、今では祭りの期間中、毎日1,000人近くの人が参加するという。18歳以上であれば国籍、性別不問。事前の登録なども不要で、開始30分前までにスタート地点にスタンバイすればいいことになっている。とはいえ命の危険があることに変わりはなく、1925年以来、15人もの人が命を落としている。
サント・ドミンゴ通りの急坂を駆け上がり、大きくカーブしながら市庁舎前を抜け、メルカデレス通りから急角度で曲がってエスタフェタ通りに入る。このカーブで転倒して群れからはぐれ、落ち着きを失った牛に襲われ、ケガ人や死者を出すことも多い。エスタフェタ通りはゆるやかな登りの400メートル近い直線で、牛のスピードも上がる。道幅が広いので多くのランナーが脇にそれて牛をやり過ごす。ただし集団からはぐれた危険な牛がそのまま一頭で走ってくる可能性も高いので、安心は禁物である。
電話局の前を曲がると目の前に闘牛場。ゲートをくぐればゴールであるが、ここが最も多くの死者を出している場所である。道幅が一気に狭くなるため、ランナーが殺到して身動きが取れなくなったところに牛が突っ込むという最悪の状況をまねく可能性がある。牛と接触しなくても、ランナーが将棋倒しを起こす危険性も高い。
ゲートを無事に通り過ぎても、まだ安心はできない。急に闘牛場の広い空間に入った牛が方向感覚を失い、目についたランナーに襲いかかることがある。ランナーたちは場内に設置された囲い場に闘牛たちが入るまでは、バレラと呼ばれる退避塀の内側で待機。12頭全部が囲い場に入ると花火が打ち上げられ、コンシエロが終わる。
牛マタドール(闘牛士)はこの雄々しい牛を相手に戦う
サン・フェルミン祭公式ショップTシャツなど多くのグッズが並ぶ
牛追いのロゴ闘牛場の前にヘミングウェイの像がある。2メートルを越す立派な像の胴部には、次のような言葉が刻まれている。
アーネスト・ヘミングウェイ
ノーベル文学賞作家
この町の友人であり
その祭りの崇拝者
パンプローナと
サン・フェルミンを描き
その名を広めた功績を讃えて
1968年
ノーベル文学賞作家
この町の友人であり
その祭りの崇拝者
パンプローナと
サン・フェルミンを描き
その名を広めた功績を讃えて
1968年
彼がサン・フェルミン祭を最初に訪れたのは1923年。当時23歳のヘミングウェイは、その年の終わりにトロント・スター紙との特派員契約を解除。専業作家として歩み出す。以来、1927年までに5年続けて、さらに1929と1931年にこの祭を訪れている。その経験を基にして執筆された「日はまた昇る」は1926年に出版され、彼の作家としての地位を確立することになる。
ヘミングウェイの像後ろは闘牛場である
夕食へ向かう。ヘミングウェイがよく訪れたというカフェ・イルーニャで食事を取る。イルーニャとはバスク語で「パンプローナ」の意味で、カスティーリョ広場に面する1888年創業の老舗のカフェ。アールデコの店内は広くて豪華。料理はメヌー・デル・ディア(二品とデザート、ミネラルウオーターかワイン)で13.5ユーロ。
カフェ・イルーニャ 立て看板ヘミングウェイの名前がある
入り口重厚な看板からはカフェの歴史を感じる
店内多くの人で賑わっている
メニューやはりヘミングウェイ
ステーキパンプローナ2日目、8:00起床。カフェ・イルーニャで朝食。パンを食べ、コーヒーを片手に今日のプランを考える。アルベルゲは病気やケガといった特別の理由が無い限り連泊は出来ないので安い宿を探す。アルベルゲは何より安いし(5~10ユーロ程度、寄付のみのところとか無料のところもある)、自炊の設備のあるところも多いので、長期にわたる巡礼には本当に有り難い。そのかわり大部屋にずらっと二段ベットが並んでいるだけなので、自由に使える空間はベットの上だけであり、プライバシーは全くない。夜はイビキで寝られないということもあり、これが続くとストレスも溜まってくる。贅沢ではあるがここパンプローナでは宿の部屋を取ることにする。日本から持ってきた自家製の冊子(『「地球の歩きかた スペイン』から巡礼路沿いの街の部分だけを切り取ってホッチキスで止めたもの)を取り出し、パンプローナの宿泊ガイドを参考にホテルを探す。シングル一泊38ユーロからと、掲載されている中で一番安い「ホテル・ベアラン」に決める。祭りの時期さえ外せば基本的にはのんびりした町なので部屋は予約なしでも大丈夫だった。個室の快適さを満喫。自分だけの空間で寝たのはこの巡礼で初めてであった。
ホテル・ベアラン中心広場から少し路地裏に入ったところにある。
ベッド一番古い地区にあるサンタ・マリア大聖堂は11世紀にロマネスク様式で建てられ、14世紀から15世紀にかけてゴシック様式で再建、さらに18世紀に新古典様式で改築されている。正面入口の円柱はそのときのものである。もとの教会にあったロマネスクの柱頭彫刻が現在のファサードや回廊の柱頭に一部使われている。ナバーラ国王のカルロス3世と王妃レオノール・デ・トラスタマラの棺が主祭壇の前に置かれている。
大聖堂の北側と西側には、ナバーラ王国時代の城壁と稜堡が残されていて、その下をアルガ川が流れている。アルガ川には中世の石橋、マグダレーナ橋がかかり、たもとには巡礼路を示す十字架が立っている。峠から下って来た巡礼者たちは、アルガ川沿いに下ってこの橋を渡り、フランス門から旧市街に入った。
カテドラル
カテドラル 回廊お昼もランチを食べにカフェ・イルーニャに向かう。食事を終え、コーヒーを飲みイルーニャを出る。宿に戻りシエスタ。なんとも幸せな時間である。夕方、だいぶ気温が下がってきたのを見計らいパンプローナを散歩する。
カフェ・イルーニャ テラス心地よい天気にバスクの風か吹く
パエリア
白身魚のフリット
パンプローナの路地夜のパンプローナへ繰り出し、バルを2件はしごする。特に2件目のお店が印象的でたくさんのハモン(スペイン語でハムの意味)がぶら下がっている。スペイン名物の小皿料理タパスをつまみながらナバーラワインを共にする。パンプローナの夜は更けていった。
バル多くのハモンが吊り下げられている
ハモンのタパス歩いた総距離809.7km
(はがげんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第8回 水筒
LAKEN(ラーケン) PL-33 クラシック1.0ℓ ¥2,200
巡礼者の象徴は杖とひょうたんである。ひょうたんは水を入れる容器として使用していた。現在のようにペットボトルなどない時代である。水を漏らさずに運ぶことすら大変なことであったに違いない。今日においても巡礼において水筒は必需品である。
正直な話、水筒はペットボトルで十分である。現在のペットボトルは丈夫で水が漏れることはほぼないだろう。でも、それは日常生活での話。私の巡礼は約3ヶ月に渡り、ハードに使う。リュックの中で水漏れはやはり避けたいところである。やはり、丈夫な水筒が欲しい。巡礼を共にできる道具として軽くて丈夫な素材のアルミでつくった水筒を選んだ。
ラーケンはスペイン南部のムルシアで1912年に生まれたアルミボトルメーカーである。この丸筒水筒は、多くの工程を経て製品となっている。引き出し一体型という、アルミの塊を金型で引き抜き、その後少しずつ形を整えて一つのアルミボトルとなる。この製法は継ぎ目が無いため非常に強度が高く、軽量なのが特徴である。
このアルミボトルが生まれた背景にはスペインの気候が大きく関係している。アフリカに近いムルシアは降水量が東京の1/5程度であり、真夏では気温が40℃を超える非常に乾燥したところである。「水を運ぶこと」この単純な行為がこうした地域に暮らす人々にとっては命に関わる大切なこと。そういった背景をこのラーケンのアルミボトルから感じ取ることができる。スペインのメーカーという点も私の巡礼アイテムとしてふさわしいと感じた一つの理由である。
マイボトルという言葉が広がっている。学校や職場、外出先に自分用の水筒やタンブラーを持参して飲み物を入れて持ち歩く。リサイクルよりもさらに環境負荷の低いリユース(繰り返し使用)やリデュース(廃棄抑制)の手法である。経済的にも出先の自販機で500ミリリットルのペットボトルを買うより、自宅近くのスーパーで買った2リットルのペットボトルから詰めていった方が安く済むのは自明の理だし、コーヒーショップやコンビニカフェの中には、マイボトルを使うと割引をしてくれるところもある。その際には一般的なペットボトルの容量に近い0.6ℓのモデルがあるので、そちらをオススメする。
アルミボトルは落としたらへこむ。しかし、それも一つの味ではないだろうか。なにも新品が一番というわけではない。傷やへこみと共に自分だけのマイボトルに仕上げていくのはどうだろうか。リサイクルのさらに一歩先にいくことが必要である。いくらリサイクルができると言っても、そのためには電力も手間もかかる。そのまま埋め立てた方が環境負荷は少なくてすむという主張さえある。綺麗事になるが、東京に住む人間がそれぞれ1日1本ペットボトルで飲み物を飲み、ゴミに捨てていたら埋立地のある東京湾がどうなるか意識してみてはどうだろうか。
アルミボトルはペットボトルとは違い長く使える。それは巡礼でハードに使用した私が保証する。ペットボトルを外出先で購入するのではなく、家でこのラーケンのボトルに水を入れ、持っていこう! カラーリングも豊富で芸術の国スペインのこだわりを感じるアイテムである。
もし、私が再度、巡礼に行くことがあったとしたら、迷わずこのラーケンのボトルを相棒として持っていく。現代の巡礼者の姿を描くとすれば、杖の先には瓢箪ではなく、ラーケンのアルミボトルがくくりつけてあることだろう。
ラーケン アルミボトル■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」は毎月17日に再録掲載します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」は毎月23日に再録掲載します。
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・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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