難波田龍起「絵画への道(5)」
(1978年執筆)
「昇天する詩魂」を描いた一九五六年の十一月には、朝日新聞社主催の画期的な「世界・今日の美術展」が高島屋で開催された。それには欧米の前衛の作家達と共に日本の作家達が選ばれた。このような展示は、戦前には全く考えられないことだった。またこれが刺戟になったのだと思うが、後に海外の具象の作家達と日本の作家達を集めた国際形象展が三越で開催されるようになった。
われわれは、戦後の欧米の新しい絵画の動向に目を見張った。すなわち一見下塗のように見えるサム・フランシスの大画面をはじめとして、位相数学的空間をあらわすセルパンの抽象絵画。またフォートリエの「人質」やデュブュッフェの「赤い人」などの、戦争への抵抗と人間性に密着する原始的情感につよく打たれたのである。われわれはそこに戦後絵画の力強い結実を見て、動揺しないではいられなかった。またこの年より六〇年代にかけて日本の画壇にも変調が起きて、いわゆる熱い抽象といわれるアンフォルメル旋風に吹きまくられ、公募展には一頃表現主義的抽象絵画が氾濫した。具象の作家にもその勢に同調せずにいられなかった人もあった。評論家で画商のタビエや画家のマチューが来日して、その歓迎会が盛大に行われたのも「世界・今日の美術展」が契機であった。マチューは白木屋のショーウィンドウの中で、横長い大作を一気に制作するという果敢なアンフォルメルの行動を展開した。それが報道機関を賑わせたのはいうまでもなかった。
同展に出品した私の「軌跡」(六〇号)は、未だ幾何学的抽象の直線的要素から成り立っていた。しかし、やがて私の画面にも直線よりもむしろ有機的な曲線の操作が多くなり、黒のエナメルをペンティグ・ナイフでとばす手法によるオートマチックな線の運動にも入っていった。その前にはマチエルカラーを使用した、やはりオートマチックな線によるデッサンもたくさん試み、現代画廊で個展を催した。そうすることで、内的生命がつよく画面にこめられると私は思った。また別の言葉の表現をとれば、私の内の詩魂がうづいて、おのずから詩魂表現となって、風景的なあるいは生物的なイメージが画面にあらわれたというべきであろう。一九六一年の南画廊の個展に出品した「青の陽」(国立近代美術館蔵)や「創生」は、そうした作品であって、表現主義的抽象に傾斜したものであったことは疑えない。私は再び新しい絵画空間の創造に意欲を燃やさざるを得なかった。
私自身の身辺については、一九五九年に日本抽象作家協会の構想があって、五名の同志と共に自由美術家協会を退会するという事態も起ったが、機が熟さず結成に至らなかったのは残念であった。その頃の前衛美術の運動としては、アバンギャルト・クラブやアート・クラブの活動があった。そこには既成の団体展に対する批判がもちろんこめられていた。私も自由美術結成以来とってきた団体展の行動に対して疑問を抱きはじめたのは事実であった。そして多くの団体展はすでに芸術運動としての使命を失っていたように思った。そういったところで、日本における前衛美術の運動も、ヒュザン会以来幾多の盛衰の歴史をけみして今日に及んでいるけれども、それが大きな力に結集して、画壇をうごかすには至らなかった。そこに日本の社会的事情も潜在していたのにちがいない。そして現在は、抽象具象を問わず、個々の作家の制作に問題が集中しているのであろう。
(了)
『版画センターニュース』(No.41)1978年11月1日号より
現代版画センター刊
難波田龍起「絵画への道(1)」
難波田龍起「絵画への道(2)」
難波田龍起「絵画への道(3)」
難波田龍起「絵画への道(4)」
難波田龍起「絵画への道(5)」
●難波田龍起画集のご案内
『難波田龍起画集』
1992年 用美社 発行
221ページ 34.7x26.6cm
執筆:難波田龍起、浅野徹、佐藤友哉、正木基
図版:191点
価格20,000円(税別)
『難波田龍起画集 1927~1983』
1984年 講談社 発行
189ページ 32.5x32.5cm
限定600部
執筆:岡本謙次郎
対談:難波田龍起×針生一郎
図版:148点
装幀:難波田龍起、山崎登
価格25,000円(税別)
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■難波田龍起 Tatsuoki NAMBATA(1905-1997)
1905年北海道旭川生まれ。23年高村光太郎を知り生涯私淑する。27年早稲田大学中退。太平洋画会研究所、本郷絵画研究所に学ぶ。川島理一郎主宰の金曜会に入り、仲間と[フォルム]を結成。37年自由美術家協会の創立に参加。78年現代版画センターより銅版画集『街と人』『海辺の詩』を刊行。87年東京国立近代美術館で回顧展を開催。88年毎日芸術賞を受賞。96年文化功労者。97年永逝(享年92)。
ただいま群馬県桐生市の大川美術館で「難波田龍起展~Tコレクションを中心に~」が開催されています(2014年10月4日~ 12月14日)。
●今日のお勧めは、難波田龍起詩画集『蒼』です。
難波田龍起詩画集『蒼』
1981年
アトリエ・楡 発行
詩10編、版画12点
各作品に鉛筆サインあり
製版・刷り:木村茂
函サイズ:24.8x19.3cm
限定50部
限定番号入り

遠い地平線に
人のむれが
影絵のように
ゆらぐ
境界線を
踏みこえて
漸く線がはしり
稲妻となる
少年が手招きしている
少年のつくる輪は
空間に
無限にひろがる
線は生きかえり
生命あるもののごとく
見えざる
形象をつくる
この世にはない
けがれなき
別の世界へ飛翔する
清浄無垢の裸身
稲妻は消え
少年は
海の彼方へ
去ってゆく
忘れていたわけではない
天然の摂理が
別離の悲しみを
忘れさせようとするのだ
少年の海は平静にもどり
何ごともなかったように
太陽はかがやいている
おお 太陽の賛歌
夕ぐれ時になっても
私の旅路は
終らない
未だ終らない
画面には決定的な
最後の線をひこう
これは生きている
私のあかしである
奥付
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」は毎月17日に再録掲載します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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(1978年執筆)
「昇天する詩魂」を描いた一九五六年の十一月には、朝日新聞社主催の画期的な「世界・今日の美術展」が高島屋で開催された。それには欧米の前衛の作家達と共に日本の作家達が選ばれた。このような展示は、戦前には全く考えられないことだった。またこれが刺戟になったのだと思うが、後に海外の具象の作家達と日本の作家達を集めた国際形象展が三越で開催されるようになった。
われわれは、戦後の欧米の新しい絵画の動向に目を見張った。すなわち一見下塗のように見えるサム・フランシスの大画面をはじめとして、位相数学的空間をあらわすセルパンの抽象絵画。またフォートリエの「人質」やデュブュッフェの「赤い人」などの、戦争への抵抗と人間性に密着する原始的情感につよく打たれたのである。われわれはそこに戦後絵画の力強い結実を見て、動揺しないではいられなかった。またこの年より六〇年代にかけて日本の画壇にも変調が起きて、いわゆる熱い抽象といわれるアンフォルメル旋風に吹きまくられ、公募展には一頃表現主義的抽象絵画が氾濫した。具象の作家にもその勢に同調せずにいられなかった人もあった。評論家で画商のタビエや画家のマチューが来日して、その歓迎会が盛大に行われたのも「世界・今日の美術展」が契機であった。マチューは白木屋のショーウィンドウの中で、横長い大作を一気に制作するという果敢なアンフォルメルの行動を展開した。それが報道機関を賑わせたのはいうまでもなかった。
同展に出品した私の「軌跡」(六〇号)は、未だ幾何学的抽象の直線的要素から成り立っていた。しかし、やがて私の画面にも直線よりもむしろ有機的な曲線の操作が多くなり、黒のエナメルをペンティグ・ナイフでとばす手法によるオートマチックな線の運動にも入っていった。その前にはマチエルカラーを使用した、やはりオートマチックな線によるデッサンもたくさん試み、現代画廊で個展を催した。そうすることで、内的生命がつよく画面にこめられると私は思った。また別の言葉の表現をとれば、私の内の詩魂がうづいて、おのずから詩魂表現となって、風景的なあるいは生物的なイメージが画面にあらわれたというべきであろう。一九六一年の南画廊の個展に出品した「青の陽」(国立近代美術館蔵)や「創生」は、そうした作品であって、表現主義的抽象に傾斜したものであったことは疑えない。私は再び新しい絵画空間の創造に意欲を燃やさざるを得なかった。
私自身の身辺については、一九五九年に日本抽象作家協会の構想があって、五名の同志と共に自由美術家協会を退会するという事態も起ったが、機が熟さず結成に至らなかったのは残念であった。その頃の前衛美術の運動としては、アバンギャルト・クラブやアート・クラブの活動があった。そこには既成の団体展に対する批判がもちろんこめられていた。私も自由美術結成以来とってきた団体展の行動に対して疑問を抱きはじめたのは事実であった。そして多くの団体展はすでに芸術運動としての使命を失っていたように思った。そういったところで、日本における前衛美術の運動も、ヒュザン会以来幾多の盛衰の歴史をけみして今日に及んでいるけれども、それが大きな力に結集して、画壇をうごかすには至らなかった。そこに日本の社会的事情も潜在していたのにちがいない。そして現在は、抽象具象を問わず、個々の作家の制作に問題が集中しているのであろう。
(了)
『版画センターニュース』(No.41)1978年11月1日号より
現代版画センター刊
難波田龍起「絵画への道(1)」
難波田龍起「絵画への道(2)」
難波田龍起「絵画への道(3)」
難波田龍起「絵画への道(4)」
難波田龍起「絵画への道(5)」
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『難波田龍起画集』1992年 用美社 発行
221ページ 34.7x26.6cm
執筆:難波田龍起、浅野徹、佐藤友哉、正木基
図版:191点
価格20,000円(税別)
『難波田龍起画集 1927~1983』1984年 講談社 発行
189ページ 32.5x32.5cm
限定600部
執筆:岡本謙次郎
対談:難波田龍起×針生一郎
図版:148点
装幀:難波田龍起、山崎登
価格25,000円(税別)
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■難波田龍起 Tatsuoki NAMBATA(1905-1997)
1905年北海道旭川生まれ。23年高村光太郎を知り生涯私淑する。27年早稲田大学中退。太平洋画会研究所、本郷絵画研究所に学ぶ。川島理一郎主宰の金曜会に入り、仲間と[フォルム]を結成。37年自由美術家協会の創立に参加。78年現代版画センターより銅版画集『街と人』『海辺の詩』を刊行。87年東京国立近代美術館で回顧展を開催。88年毎日芸術賞を受賞。96年文化功労者。97年永逝(享年92)。
ただいま群馬県桐生市の大川美術館で「難波田龍起展~Tコレクションを中心に~」が開催されています(2014年10月4日~ 12月14日)。
●今日のお勧めは、難波田龍起詩画集『蒼』です。
難波田龍起詩画集『蒼』1981年
アトリエ・楡 発行
詩10編、版画12点
各作品に鉛筆サインあり
製版・刷り:木村茂
函サイズ:24.8x19.3cm
限定50部
限定番号入り

遠い地平線に人のむれが
影絵のように
ゆらぐ
境界線を踏みこえて
漸く線がはしり
稲妻となる
少年が手招きしている少年のつくる輪は
空間に
無限にひろがる
線は生きかえり生命あるもののごとく
見えざる
形象をつくる
この世にはないけがれなき
別の世界へ飛翔する
清浄無垢の裸身
稲妻は消え少年は
海の彼方へ
去ってゆく
忘れていたわけではない天然の摂理が
別離の悲しみを
忘れさせようとするのだ
少年の海は平静にもどり何ごともなかったように
太陽はかがやいている
おお 太陽の賛歌
夕ぐれ時になっても私の旅路は
終らない
未だ終らない
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・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
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・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
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・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
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・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
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・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日に更新します。
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・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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