昨日から画廊では「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより(入札式)」が始まりました。あいにくの雨でしたが、入札に来られる方がたえませんでした。
ここ一週間、スタッフの大半がシンガポールに出張し、社長は体調を崩してしまい、留守番の老いぼれ亭主はてんてこ舞いです。本日(日曜)も亭主がひとりで頑張っておりますので、どうぞお出かけください。
からだは疲れているのですが、嬉しいことが続いていてちょっとゴキゲンです。
一つは病気療養中のあるお客様から久しぶりに連絡があり、入札していただきました。おからだが悪いときは買う気もおこらない、きっと順調に回復なさっているのでしょう。とても嬉しいできごとでした。
そしてもう一つはシンガポールのアートフェアでスタッフと、同行してくれた作家たちが大健闘していることです。
可愛い子には旅をさせろ、今回はフェアの申し込みから全て大番頭尾立に任せて亭主も社長も言われるまんまに、ん百万円の経費を支出しただけ、あまりプレッシャーをかけるといけないので、「ゼロでもいいから、楽しんでおいで」と笑顔で送り出したのですが、内心では魔の年末を控えハラハラしておりました。最終日の今日の結果次第ですが、どうやら無事年の瀬を迎えられそうです。
さて、留守を預かる亭主も頑張らねば。
コレクションというのはそれを集めた方の「生き方」や「好み」が自然と反映されるものですが、さすが日本美術界の大物のお一人だったS氏だけあって、いずれも「筋がいい」粒ぞろいの作品群です。
先日は入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、漆原英子の作品をご紹介しましたが、本日も河原温など珍しいものを中心にご紹介します。
出品番号14 河原温 他ドローイング5点セット
未確認だった詳細が判明したので追記します(2014.12.2)

河原温
1958年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed

東俊二
1958年 紙にペン
25.5×35.8cm
Signed

建畠覚造
1958年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed

5人の寄書き(東俊二、瀬木慎一、河原温、建畠覚造、三井永一)
1958年 紙にペン
25.4×35.7cm
Signed

三井永一
1958年 原稿用紙にペン
25.0×35.8cm
Signed
今まで一度も額装されたことはなく、5点ともに同じサイズの紙に同じ材料を使って描かれ、厚紙に一緒にはさんで保管されていました。1958年のある日、集まった5人がその場で描いたものでしょう。
■河原温 On KAWARA(1933-2014)
愛知県生まれ。1952年上京、翌年からアンデパンダン展に出品し、「浴室」「物置小屋」シリーズで時代の閉塞感を表わし注目される。その後、メキシコ、パリなどを経て、65年より活動の拠点をニューヨーク へと移し、1966年1月4日より「日付絵画」(デイト・ペインティング)の制作を開始する。時間、空間、意識、存在といっ たコンセプチュアルアートにおける第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けている。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなった。2015年にはニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展が予定されている。
■建畠覚造 Kakuzo TATEHATA(1919-2006)
東京生まれ。彫刻家建畠大夢の長男。1941年東京美術学校彫刻科を卒業。1953年から1955年までフランスに留学。サロン・ド・メ(Salon de Mai)などに出品。帰国後に金属を利用した幾何学的な造形を追求、50年代の日本抽象彫刻のパイオニ アとして活躍した。1959年から多摩美術大学の教授として後進を指導。純粋で端正でありながらユーモアあふれる作品は高村光太郎賞、中原悌二郎賞、ヘンリー・ムーア大賞展特別賞等、国内外の賞を多数受賞し、2005年には文化功労者として顕彰された。長男の建畠朔弥も彫刻家、次男の建畠晢は詩人・美術評論家、京都市立芸術大学学長。

出品番号21
建畠覚造
「(作品)」
金属・立体
12.0×38.0×23.7cm
Signed
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出品番号18
菅木志雄
「(作品)」
1973年 和紙・シルクスクリーン
50.5×35.5cm
Ed.50
Signed
■菅木志雄 Kishio SUGA(1944-)
岩手県生まれ。多摩美術大学油画科で学ぶ。在学中に斎藤義重と高松次郎に影響を受け、「もの派」グループの中心メンバーとなる。視角を操作する絵や立体作品の制作と同時に素材を使った《積層空間(1968)》のような作品制作を始める。1967年第11回シェル美術賞展1等賞受賞。1968年椿近代画廊で初個展。1970年第5回ジャパン・アート・フェスティバル大賞を受賞。東京都現代美術館など各地の美術館で個展を開催、海外での発表(1973年パリビエンナーレ、1986年ポンピドゥー美術館、1994年グッゲ ンハイム美術館等)も多い。夫人は詩人・小説家の富岡多恵子。
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出品番号19
菅創吉
「魚洞」
1980年 ミクスドメディア(板・オブジェ)
26.7×65.6×3.0cm
Signed
■菅創吉 Sokichi SUGA(1905-1982)
兵庫県生まれ。家庭の事情から美術学校に進学できず日本画家の秋吉蘇月に師事する。20歳で上京し独学で制作を続ける。戦後、毎日新聞嘱託の画家として活動する。1963年から米国に渡り制作と発表を続け高い評価を得 る。美術団体に属さず個展を中心に日本画、油彩画、立体作品の制作、発表を続けてきた。1982年伊東の池田20世紀美術館での回顧展の会期中に死去。1996年3月NHKテレビの「日曜美術館」で放送された「菅創吉の世界」が多くの人々に強烈な印象を与え、再評価の気運が高まった。
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出品番号20
高山良策
「(作品)」
1951年 鉛筆・クレヨン
27.5×38.5cm
Signed
肝臓癌で死の床にあったとき輸血の提供に多くの高山怪獣のファンが名乗りをあげたというエピソードがあるとおり、画家としてより『ウルトラマン』などの映画の「怪獣の父」としての方が有名かもしれません。
■高山良策 Ryosaku TAKAYAMA(1917-1982)
山梨県生まれ。兄は日本画家の高山無双。1931年に上京し製本工場に勤めながら独学で絵を学 ぶ。1938年陸軍に徴兵され、過酷な状況下でも軍隊での生活を題材に鉛筆や水彩によるスケッチを描いた。1940年シュルレアリスム絵画を描く福沢一郎の絵画研究所で学び影響を受ける。1943年戦争中は東宝航空研究資料室に入り、国策映画の特撮用のミニチュアを製作する。多くの美術家が集まっており、山下菊二、難波田龍起らを知る。1945年戦争末期の3月「池袋モンパルナス」のアトリエつき住宅に転居。1946年山下菊二、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。1953年映画『ひろしま』のセットデザインをてがける。以後様々な映画のセット、ミニチュア、人形制作を行う。1967年『ウルトラマン』に続いて『ウルトラセブン』にも参加し、ほとんどの怪獣の造形を担当した。晩年はシュルレアリスムに立脚した土俗的な絵画作品を描く。2001年練馬区立美術館で「高山良策の世界展」が開催された。
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出品番号27
元永定正
「年賀状 A HAPPY NEW YEAR」
1961年 半光沢紙に油彩
9.0×14.32cm
Signed

「年賀状 A HAPPY NEW YEAR」
紙にペン
13.1×4.9cm
「具体」の評価の高騰はとどまることを知りません。元永先生の60年代のたらしこみ作品など大作は数千万円がざらです。
■元永定正 Sadamasa MOTONAGA(1922-2011)
三重県生まれ。1955年関西を拠点にする「具体美術協会」に参加、 吉原治良に師事する。絵具のたらし込みなど流動感ある絵画によって、折から世界を席巻したアンフォルメルの画家として一躍注目を浴びる。1964年現代日本美術展で受賞したのをはじめ、各種国際展などで活躍。1983年には日本芸術大賞を受賞し、名実共に日本を代表する抽象画家としての地位を確立した。
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出品番号33
吉村益信
「Cut Sea A」
1970年 リトグラフ
29.7×37.9cm
Ed.50
Signed
「具体」の国際的な評価が確立され、続いて「もの派」や「ネオダダ」「ハイレッドセンター」の作家たちの評価も高騰しています。ネオダダのリーダーが吉村益信、常に人々の先頭に立ってリーダーシップを発揮し、既成の枠にとらわれない自由な活動を展開しました。
■吉村益信 Masunobu YOSHIMURA(1932-2011)
大分県生まれ。高校時代は地元大分の美術サークル「新世紀群」で磯崎新、赤瀬川原平、風倉匠らと活動した。1951年武蔵野美術学校油絵科に入学。卒業後は読売アンデパンダン展に出品を始めた。1957年父の遺産を元に新宿区百人町に小さな土地を購入し磯崎新に設計を依頼、住居兼アトリエ「新宿ホワイトハウス」を建て後にネオ・ダダの拠点となる。1960年篠原有司男、荒川修作らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーを結成。1962年渡米。帰国後はネオン・アート、ライト・アート、発注芸術の第一人者として、テクノロジーに関心を寄せた作品が高く評価される。1970年の大阪万国博でも活躍し一躍注目され、その後エコロジーやインドへの接近など反文明的な姿勢を示したが、1970年代後半にはアーティスト・ユニオンの事務局長を務めアーティストの社会的自立に貢献した。
展示スナップ
右から、2番秋山静、1番赤瀬川原平、3番荒木哲夫、5番磯辺行久、6番入野忠芳、15番(上)斉藤吾朗、7番(下)岩中徳次郎
壁面(下)右から、29番吉田克郎、30番吉仲太造、31番吉仲太造、32番吉仲太造、44番モンドリアン
テーブルの上、右から28番山口健他詩画集、21番建畠覚造、35番アルマン
上段右から、15番斉藤吾朗、18番菅木志雄、20番高山良策、22番田淵安一、23番田淵安一、24番堂本尚郎、
下段右から、7番岩中徳次郎、9番内間安瑆、10漆原英子、11番岡本太郎、12番桂川寛、13番鴨居羊子
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
ここ一週間、スタッフの大半がシンガポールに出張し、社長は体調を崩してしまい、留守番の老いぼれ亭主はてんてこ舞いです。本日(日曜)も亭主がひとりで頑張っておりますので、どうぞお出かけください。
からだは疲れているのですが、嬉しいことが続いていてちょっとゴキゲンです。
一つは病気療養中のあるお客様から久しぶりに連絡があり、入札していただきました。おからだが悪いときは買う気もおこらない、きっと順調に回復なさっているのでしょう。とても嬉しいできごとでした。
そしてもう一つはシンガポールのアートフェアでスタッフと、同行してくれた作家たちが大健闘していることです。
可愛い子には旅をさせろ、今回はフェアの申し込みから全て大番頭尾立に任せて亭主も社長も言われるまんまに、ん百万円の経費を支出しただけ、あまりプレッシャーをかけるといけないので、「ゼロでもいいから、楽しんでおいで」と笑顔で送り出したのですが、内心では魔の年末を控えハラハラしておりました。最終日の今日の結果次第ですが、どうやら無事年の瀬を迎えられそうです。
さて、留守を預かる亭主も頑張らねば。
コレクションというのはそれを集めた方の「生き方」や「好み」が自然と反映されるものですが、さすが日本美術界の大物のお一人だったS氏だけあって、いずれも「筋がいい」粒ぞろいの作品群です。
先日は入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、漆原英子の作品をご紹介しましたが、本日も河原温など珍しいものを中心にご紹介します。
出品番号14 河原温 他ドローイング5点セット
未確認だった詳細が判明したので追記します(2014.12.2)

河原温
1958年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed

東俊二
1958年 紙にペン
25.5×35.8cm
Signed

建畠覚造
1958年 紙にペン
35.8×25.5cm
Signed

5人の寄書き(東俊二、瀬木慎一、河原温、建畠覚造、三井永一)
1958年 紙にペン
25.4×35.7cm
Signed

三井永一
1958年 原稿用紙にペン
25.0×35.8cm
Signed
今まで一度も額装されたことはなく、5点ともに同じサイズの紙に同じ材料を使って描かれ、厚紙に一緒にはさんで保管されていました。1958年のある日、集まった5人がその場で描いたものでしょう。
■河原温 On KAWARA(1933-2014)
愛知県生まれ。1952年上京、翌年からアンデパンダン展に出品し、「浴室」「物置小屋」シリーズで時代の閉塞感を表わし注目される。その後、メキシコ、パリなどを経て、65年より活動の拠点をニューヨーク へと移し、1966年1月4日より「日付絵画」(デイト・ペインティング)の制作を開始する。時間、空間、意識、存在といっ たコンセプチュアルアートにおける第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けている。後年の河原はインタビューや写真撮影に応じなくなり、自作について文章を書くこともなくなった。2015年にはニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展が予定されている。
■建畠覚造 Kakuzo TATEHATA(1919-2006)
東京生まれ。彫刻家建畠大夢の長男。1941年東京美術学校彫刻科を卒業。1953年から1955年までフランスに留学。サロン・ド・メ(Salon de Mai)などに出品。帰国後に金属を利用した幾何学的な造形を追求、50年代の日本抽象彫刻のパイオニ アとして活躍した。1959年から多摩美術大学の教授として後進を指導。純粋で端正でありながらユーモアあふれる作品は高村光太郎賞、中原悌二郎賞、ヘンリー・ムーア大賞展特別賞等、国内外の賞を多数受賞し、2005年には文化功労者として顕彰された。長男の建畠朔弥も彫刻家、次男の建畠晢は詩人・美術評論家、京都市立芸術大学学長。

出品番号21
建畠覚造
「(作品)」
金属・立体
12.0×38.0×23.7cm
Signed
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出品番号18
菅木志雄
「(作品)」
1973年 和紙・シルクスクリーン
50.5×35.5cm
Ed.50
Signed
■菅木志雄 Kishio SUGA(1944-)
岩手県生まれ。多摩美術大学油画科で学ぶ。在学中に斎藤義重と高松次郎に影響を受け、「もの派」グループの中心メンバーとなる。視角を操作する絵や立体作品の制作と同時に素材を使った《積層空間(1968)》のような作品制作を始める。1967年第11回シェル美術賞展1等賞受賞。1968年椿近代画廊で初個展。1970年第5回ジャパン・アート・フェスティバル大賞を受賞。東京都現代美術館など各地の美術館で個展を開催、海外での発表(1973年パリビエンナーレ、1986年ポンピドゥー美術館、1994年グッゲ ンハイム美術館等)も多い。夫人は詩人・小説家の富岡多恵子。
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出品番号19
菅創吉
「魚洞」
1980年 ミクスドメディア(板・オブジェ)
26.7×65.6×3.0cm
Signed
■菅創吉 Sokichi SUGA(1905-1982)
兵庫県生まれ。家庭の事情から美術学校に進学できず日本画家の秋吉蘇月に師事する。20歳で上京し独学で制作を続ける。戦後、毎日新聞嘱託の画家として活動する。1963年から米国に渡り制作と発表を続け高い評価を得 る。美術団体に属さず個展を中心に日本画、油彩画、立体作品の制作、発表を続けてきた。1982年伊東の池田20世紀美術館での回顧展の会期中に死去。1996年3月NHKテレビの「日曜美術館」で放送された「菅創吉の世界」が多くの人々に強烈な印象を与え、再評価の気運が高まった。
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出品番号20
高山良策
「(作品)」
1951年 鉛筆・クレヨン
27.5×38.5cm
Signed
肝臓癌で死の床にあったとき輸血の提供に多くの高山怪獣のファンが名乗りをあげたというエピソードがあるとおり、画家としてより『ウルトラマン』などの映画の「怪獣の父」としての方が有名かもしれません。
■高山良策 Ryosaku TAKAYAMA(1917-1982)
山梨県生まれ。兄は日本画家の高山無双。1931年に上京し製本工場に勤めながら独学で絵を学 ぶ。1938年陸軍に徴兵され、過酷な状況下でも軍隊での生活を題材に鉛筆や水彩によるスケッチを描いた。1940年シュルレアリスム絵画を描く福沢一郎の絵画研究所で学び影響を受ける。1943年戦争中は東宝航空研究資料室に入り、国策映画の特撮用のミニチュアを製作する。多くの美術家が集まっており、山下菊二、難波田龍起らを知る。1945年戦争末期の3月「池袋モンパルナス」のアトリエつき住宅に転居。1946年山下菊二、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。1953年映画『ひろしま』のセットデザインをてがける。以後様々な映画のセット、ミニチュア、人形制作を行う。1967年『ウルトラマン』に続いて『ウルトラセブン』にも参加し、ほとんどの怪獣の造形を担当した。晩年はシュルレアリスムに立脚した土俗的な絵画作品を描く。2001年練馬区立美術館で「高山良策の世界展」が開催された。
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出品番号27
元永定正
「年賀状 A HAPPY NEW YEAR」
1961年 半光沢紙に油彩
9.0×14.32cm
Signed

「年賀状 A HAPPY NEW YEAR」
紙にペン
13.1×4.9cm
「具体」の評価の高騰はとどまることを知りません。元永先生の60年代のたらしこみ作品など大作は数千万円がざらです。
■元永定正 Sadamasa MOTONAGA(1922-2011)
三重県生まれ。1955年関西を拠点にする「具体美術協会」に参加、 吉原治良に師事する。絵具のたらし込みなど流動感ある絵画によって、折から世界を席巻したアンフォルメルの画家として一躍注目を浴びる。1964年現代日本美術展で受賞したのをはじめ、各種国際展などで活躍。1983年には日本芸術大賞を受賞し、名実共に日本を代表する抽象画家としての地位を確立した。
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出品番号33
吉村益信
「Cut Sea A」
1970年 リトグラフ
29.7×37.9cm
Ed.50
Signed
「具体」の国際的な評価が確立され、続いて「もの派」や「ネオダダ」「ハイレッドセンター」の作家たちの評価も高騰しています。ネオダダのリーダーが吉村益信、常に人々の先頭に立ってリーダーシップを発揮し、既成の枠にとらわれない自由な活動を展開しました。
■吉村益信 Masunobu YOSHIMURA(1932-2011)
大分県生まれ。高校時代は地元大分の美術サークル「新世紀群」で磯崎新、赤瀬川原平、風倉匠らと活動した。1951年武蔵野美術学校油絵科に入学。卒業後は読売アンデパンダン展に出品を始めた。1957年父の遺産を元に新宿区百人町に小さな土地を購入し磯崎新に設計を依頼、住居兼アトリエ「新宿ホワイトハウス」を建て後にネオ・ダダの拠点となる。1960年篠原有司男、荒川修作らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーを結成。1962年渡米。帰国後はネオン・アート、ライト・アート、発注芸術の第一人者として、テクノロジーに関心を寄せた作品が高く評価される。1970年の大阪万国博でも活躍し一躍注目され、その後エコロジーやインドへの接近など反文明的な姿勢を示したが、1970年代後半にはアーティスト・ユニオンの事務局長を務めアーティストの社会的自立に貢献した。
展示スナップ
右から、2番秋山静、1番赤瀬川原平、3番荒木哲夫、5番磯辺行久、6番入野忠芳、15番(上)斉藤吾朗、7番(下)岩中徳次郎
壁面(下)右から、29番吉田克郎、30番吉仲太造、31番吉仲太造、32番吉仲太造、44番モンドリアンテーブルの上、右から28番山口健他詩画集、21番建畠覚造、35番アルマン
上段右から、15番斉藤吾朗、18番菅木志雄、20番高山良策、22番田淵安一、23番田淵安一、24番堂本尚郎、下段右から、7番岩中徳次郎、9番内間安瑆、10漆原英子、11番岡本太郎、12番桂川寛、13番鴨居羊子
画像をクリックすると大きくなります。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは2014年11月29日[土]―12月6日[土]「戦後の前衛美術'50~'70 S氏コレクションより」を開催します(*会期中無休)。

1950年代から前衛美術運動に参加、幅広い分野で半世紀にわたり活躍したS氏のコレクションより、45点を入札方式で頒布します。
出品:赤瀬川原平、秋山静、荒木哲夫、磯辺行久、入野忠芳、岩中徳次郎、因藤寿、内田豊清、内間安瑆、漆原英子、岡本太郎、桂川寛、鴨居羊子、河原温、斎藤吾朗、斎藤義重、坂本昌也、佐野儀雄、篠原有司男、菅木志雄、菅創吉、杉原清一、高山良策、建畠覚造、田淵安一、堂本尚郎、日和崎尊夫、三井永一、杢田たけを、元永定正、山口健、吉田克朗、吉仲太造、吉村益信、脇田愛二郎、アルマン、P.アレシンスキー、P.クレー、ケーニグ、P.スーラージュ、セザール、フェイト、フォートリエ、P.モンドリアン、他
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