What is "Provenance"?
笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第8回
「“プロヴィナンス”とは何?」
今迄、めったに耳にしなかった言葉を近頃よく聞くようになった。東京での事だ。
「プロヴィナンス〔Provenance:出所(来歴)〕がよい」
コレクターや画商がこれをつぶやき始めた。「どうして、この言葉が使われだしたのか?」、注意深く、この言葉の使われ方を聞いていると、その主要な理由が分った。
フェイク〔Fake:贋作〕が現代美術の作品に出始めたからのようだ。今迄、欧米では相手にされず、日本国内のみで売買されていた作品で、特定の作家のそれが、最近、欧米やアジアでも支持され始め、需要が以前と比べ激増している。従って、作品価格が高騰するので、フェイクを製作しても、「割りに合う」ような状況が発生したのだ。
現在、これが1人や2人の作家の作品だけではない。そこで、作品を買う側のコレクターは、大切な金子(キンス)を無駄にしたくないため、その作家を長年扱った信頼できるプライマリー・ギャラリーや信頼できる目利きの画商が所有していた作品を「プロヴィナンスがよい」と言っているようだ。これが確認されると、多少安心して作品を購入する習性が出始めているのではないか……。
今迄たいして気にしてなかった、上記のような特定の画廊のシールやサーティフィケーション(証明書)などを神経質に気にする人が多くなっている。
売る側の画商も客に安心感を与える為に、これを語り始めた。
しかし、<Provenance>という単語には、もっと深い、含蓄ある意味が込められているように思えてならない。
日本でシッカリとした“意向”や“好み”をもって、美術品を収集したコレクターが、今から約600年程前に存在していた。
足利義満〔室町幕府3代将軍:1358~1408〕、義教〔6代:1394~1441〕、義政〔8代:1436~1490〕。
中国史上、最大の書・画のコレクターだった北宋の8代皇帝、徽宗〔キソウ:1082~1135〕の“好み”や“コレクションしたもの”、“徽宗の描いた水墨画”などに注目し参考にして収集を進めている。
その中で、自分の好みを固め、眼を鍛錬していたようだ。やはり、≪手本≫としたものは最高のものに眼をつけている。しかし、それらにあまり引きづられることもなく、自分を見失ってない。
鹿苑寺(金閣寺)を建立した義満は中国の南宋末、元初の禅画僧、牧谿〔モッケイ:1210~1269〕の水墨画を集めている。この僧の作品は中国に存在しない。おそらく、中国人の眼にはとまらず、日本人の好みにはあったものだったのでは……。この一例を見ても、足利3代はかなりシッカリと独自の“嗜好”を固めていたと思える。
後世になり、はじめて“東山御物”として足利3代のコレクションに眼をつけたのは戦国大名達だった。例えば、牧谿の≪叭々鳥図(ハハチョウズ)≫の一作品は義満が入手した後、織田信長が手に入れ、その後、稲葉一鉄にわたっている。
どうやら戦国大名達は並々ならぬ関心をもって、これらのものを追っていたようだ。16世紀に勢力争いに明け暮れた戦国大名のルーツは、良くても土豪や家臣、ややもすると貧農や放浪者。旧体制から権力をもぎとり成り上ってゆく。このバイタリティのなかに向上心もあったのではないか。先立つこと、150年程前に高い教養ときらびやかな公的地位を得ていた将軍家に、彼等は自分達にないものを感知したに違いない。
教養に裏打ちされた“美の見方”など、出世して、一国を支配した時、それにふさわしいものを身につけることを切望してたようにも思える。
こう見てくると、何か、収集に対する思考パターンは差こそあれ、徽宗を手本にした足利3代と足利3代にあこがれた戦国大名に類似したものを感じる。戦国大名達にとって、「最上のプロヴィナンス」は3代のコレクションだったようだ。
なにか、プロヴィナンスの意味するものがここにあるように思えてならない。
美術館に行く時、よく呪文をつぶやいた。「くれるとすれば、今日は何をもらおうかな」
ニューヨーク、シカゴ、ミネアポリス、ロスアンジェルス……の一流美術館で、「もらいたいな」と思った作品があった。ジャン・デュビュッフェ、ジョエル・シャピロ、アグネス・マーティン、ブライス・マーデン、キキ・スミス、クリストファー・ウールの作品だ。
これらの作家の個展を開いた美術館のその作家のカタログを入手し、その中で特に、“出品者リスト”をつぶさに見る。一番多くの作品を貸し出している画廊名をひろいだす。そして、そこに立ち寄る。このようなことをよく行なった。
デュビュッフェはピエール・マティス画廊、シャピロはポーラ・クーパー画廊、マーティンはペース画廊、マーデンはマシュー・マークス画廊、K・スミスはペース画廊。
ここに列挙した作家別の画廊は、やはり、無名の頃からその作家を扱い、育て上げたプライマリー画廊だ。
このような画廊の良い点は、その作家の沢山の作品を見ることができ、かつその中で、自分の好みの作品を探すことができることだ。次に、このような画廊の主あるいは番頭に、必ず頭抜けた≪目利き≫がいて、所有している作品の質のグレードが非常に高いという利点もある。
その他については、その作家について自分の知らなかった情報を与えてくれる。さらには、その作家が将来に対して、どのような構想や意図を持っているか、を漏らしてもくれるケースがある。そして、ある時は、作品に対する見方や注意点も、それとなく教示してくれる。
例えば、アグネス・マーティンのフェイクの出現をいち早く教えてくれたのはペース画廊だった。しかもその見分け方までも。
多様な面で自分の視野を広げてくれ、さらには、未知の世界に導いてくれるようなこともあった。
このような環境に浸ると不思議なもので、作品に対する見方も厳しくなり、自分の好みも深くなって行く。
今、市場では、これらの画廊は、その作家に関して、「最高のプロヴィナンス」と言われるようになった。
自分が夢中になって作家・作品を追っている中で、思い抱いた理想を辿って行って突き当たった画廊が、やがて「最高のプロヴィナンス」と言われるようになっていったのだ。
今迄の記述から分るように、ここには、“Fake”という単語は影も形もない。
ニューヨークやパリの市場で、超一流の画商がつぶやいていた。
「デュビュッフェの作品で、ピエール・マティスから出た作品は市場で、黙って、通常の市場価格より、30%程高い値がつく」
「プロヴィナンス」に付随して、このような状況も発生する。真の「プロヴィナンス」という単語には重みがある。
(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
●書籍のご紹介
笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』
2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円
舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)
目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」は毎月17日に再録掲載します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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●今日のお勧め作品は「色彩の魔術師」といわれたエルンスト・ハースのモノクローム写真。渋いです。
エルンスト・ハース
"SEA FOAM"
ゼラチンシルバープリント
Image size: 34.2x50.8cm
Sheet size: 37.3x50.8cm
Ed.99 Signed
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笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第8回
「“プロヴィナンス”とは何?」
今迄、めったに耳にしなかった言葉を近頃よく聞くようになった。東京での事だ。
「プロヴィナンス〔Provenance:出所(来歴)〕がよい」
コレクターや画商がこれをつぶやき始めた。「どうして、この言葉が使われだしたのか?」、注意深く、この言葉の使われ方を聞いていると、その主要な理由が分った。
フェイク〔Fake:贋作〕が現代美術の作品に出始めたからのようだ。今迄、欧米では相手にされず、日本国内のみで売買されていた作品で、特定の作家のそれが、最近、欧米やアジアでも支持され始め、需要が以前と比べ激増している。従って、作品価格が高騰するので、フェイクを製作しても、「割りに合う」ような状況が発生したのだ。
現在、これが1人や2人の作家の作品だけではない。そこで、作品を買う側のコレクターは、大切な金子(キンス)を無駄にしたくないため、その作家を長年扱った信頼できるプライマリー・ギャラリーや信頼できる目利きの画商が所有していた作品を「プロヴィナンスがよい」と言っているようだ。これが確認されると、多少安心して作品を購入する習性が出始めているのではないか……。
今迄たいして気にしてなかった、上記のような特定の画廊のシールやサーティフィケーション(証明書)などを神経質に気にする人が多くなっている。
売る側の画商も客に安心感を与える為に、これを語り始めた。
しかし、<Provenance>という単語には、もっと深い、含蓄ある意味が込められているように思えてならない。
■ ■
日本でシッカリとした“意向”や“好み”をもって、美術品を収集したコレクターが、今から約600年程前に存在していた。
足利義満〔室町幕府3代将軍:1358~1408〕、義教〔6代:1394~1441〕、義政〔8代:1436~1490〕。
中国史上、最大の書・画のコレクターだった北宋の8代皇帝、徽宗〔キソウ:1082~1135〕の“好み”や“コレクションしたもの”、“徽宗の描いた水墨画”などに注目し参考にして収集を進めている。
その中で、自分の好みを固め、眼を鍛錬していたようだ。やはり、≪手本≫としたものは最高のものに眼をつけている。しかし、それらにあまり引きづられることもなく、自分を見失ってない。
鹿苑寺(金閣寺)を建立した義満は中国の南宋末、元初の禅画僧、牧谿〔モッケイ:1210~1269〕の水墨画を集めている。この僧の作品は中国に存在しない。おそらく、中国人の眼にはとまらず、日本人の好みにはあったものだったのでは……。この一例を見ても、足利3代はかなりシッカリと独自の“嗜好”を固めていたと思える。
後世になり、はじめて“東山御物”として足利3代のコレクションに眼をつけたのは戦国大名達だった。例えば、牧谿の≪叭々鳥図(ハハチョウズ)≫の一作品は義満が入手した後、織田信長が手に入れ、その後、稲葉一鉄にわたっている。
どうやら戦国大名達は並々ならぬ関心をもって、これらのものを追っていたようだ。16世紀に勢力争いに明け暮れた戦国大名のルーツは、良くても土豪や家臣、ややもすると貧農や放浪者。旧体制から権力をもぎとり成り上ってゆく。このバイタリティのなかに向上心もあったのではないか。先立つこと、150年程前に高い教養ときらびやかな公的地位を得ていた将軍家に、彼等は自分達にないものを感知したに違いない。
教養に裏打ちされた“美の見方”など、出世して、一国を支配した時、それにふさわしいものを身につけることを切望してたようにも思える。
こう見てくると、何か、収集に対する思考パターンは差こそあれ、徽宗を手本にした足利3代と足利3代にあこがれた戦国大名に類似したものを感じる。戦国大名達にとって、「最上のプロヴィナンス」は3代のコレクションだったようだ。
なにか、プロヴィナンスの意味するものがここにあるように思えてならない。
■ ■
美術館に行く時、よく呪文をつぶやいた。「くれるとすれば、今日は何をもらおうかな」
ニューヨーク、シカゴ、ミネアポリス、ロスアンジェルス……の一流美術館で、「もらいたいな」と思った作品があった。ジャン・デュビュッフェ、ジョエル・シャピロ、アグネス・マーティン、ブライス・マーデン、キキ・スミス、クリストファー・ウールの作品だ。
これらの作家の個展を開いた美術館のその作家のカタログを入手し、その中で特に、“出品者リスト”をつぶさに見る。一番多くの作品を貸し出している画廊名をひろいだす。そして、そこに立ち寄る。このようなことをよく行なった。
デュビュッフェはピエール・マティス画廊、シャピロはポーラ・クーパー画廊、マーティンはペース画廊、マーデンはマシュー・マークス画廊、K・スミスはペース画廊。
ここに列挙した作家別の画廊は、やはり、無名の頃からその作家を扱い、育て上げたプライマリー画廊だ。
このような画廊の良い点は、その作家の沢山の作品を見ることができ、かつその中で、自分の好みの作品を探すことができることだ。次に、このような画廊の主あるいは番頭に、必ず頭抜けた≪目利き≫がいて、所有している作品の質のグレードが非常に高いという利点もある。
その他については、その作家について自分の知らなかった情報を与えてくれる。さらには、その作家が将来に対して、どのような構想や意図を持っているか、を漏らしてもくれるケースがある。そして、ある時は、作品に対する見方や注意点も、それとなく教示してくれる。
例えば、アグネス・マーティンのフェイクの出現をいち早く教えてくれたのはペース画廊だった。しかもその見分け方までも。
多様な面で自分の視野を広げてくれ、さらには、未知の世界に導いてくれるようなこともあった。
このような環境に浸ると不思議なもので、作品に対する見方も厳しくなり、自分の好みも深くなって行く。
今、市場では、これらの画廊は、その作家に関して、「最高のプロヴィナンス」と言われるようになった。
自分が夢中になって作家・作品を追っている中で、思い抱いた理想を辿って行って突き当たった画廊が、やがて「最高のプロヴィナンス」と言われるようになっていったのだ。
今迄の記述から分るように、ここには、“Fake”という単語は影も形もない。
ニューヨークやパリの市場で、超一流の画商がつぶやいていた。
「デュビュッフェの作品で、ピエール・マティスから出た作品は市場で、黙って、通常の市場価格より、30%程高い値がつく」
「プロヴィナンス」に付随して、このような状況も発生する。真の「プロヴィナンス」という単語には重みがある。
(ささぬまとしき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』
2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円
舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)
目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・新連載frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
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・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」は毎月17日に再録掲載します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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・深野一朗のエッセイは随時更新します。
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・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
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エルンスト・ハース"SEA FOAM"
ゼラチンシルバープリント
Image size: 34.2x50.8cm
Sheet size: 37.3x50.8cm
Ed.99 Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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