小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第17回

時空を超えて旅するカメラ デヴィッド・ウィーズナー「Flotsam(漂流物)」

_SL1500_(図1)
デヴィッド・ウィーズナー
『Flosam』(2006)


brownie(図2)
コダック・ブローニー
ボックス型カメラ


先日、娘を連れて板橋区立美術館で開催されている絵本作家のイエラ・マリ展を見に行った折に、ミュージアムショップで、鮮やかな赤い表紙の絵本(図1)に眼を惹きつけられました。手に取ってみると、真ん中の黒い丸の周りに魚が泳いて、その黒い丸が大きな魚の眼であることがわかりました。その大きな眼を覗き込むと、何やら箱のようなものが歪んで映っています。「FLOTSAM(漂流物)」という題名が示すように、海の中をたゆたい、魚の眼に映し出されているものが、この絵本の主題のようです。さらによく見てみると、その箱のようなものは、古いカメラ、おそらく20世紀初頭に販売されていたコダック・ブローニーのボックス型カメラのように見えます。(図2)カメラが漂流する話であること、また、画面の真ん中に魚の眼が描かれているために、表紙そのものがカメラを正面から捉えたもののようにも見えたことに興味を持ち、早速手に取って読んでみました。
作者は、デヴィッド・ウィーズナー(David Wiesner, 1956-)。児童文学者、イラストレーターとして知られ、『FLOTSAM』は2006年に発表され、2007年にコールデコット賞(優れた子ども向け絵本に毎年授与される賞)を受賞しています。この本には、タイトルや扉、本の見返し以外は全く文章がなく、コマ割りされたページと、パノラマ画面のように広がる見開きのページが交互にあらわれるようにして展開してゆきます。コマ割りされた画面のシークエンスは、映画のように時間の経過や視点の変化、場面の転換を効果的に表していて、このような構成そのものが物語の展開に絡み合っています。

318637c17b19d55787dd41604705e2f2(図3)
男の子が拾った古い水中カメラ 


Flotsam_02(図4)
街のDPEショップにフィルムを持って行き、プリントができるのを待つ。


あらすじは次のようなものです。(YouTubeでもあらすじを紹介している動画があります。
ある少年が、海辺で打ち上げられる生き物や漂流物を拾い集めて観察をしていました。その少年は波に打ち上げられた古いカメラを見つけます(図3)。フジツボや海藻が貼りついたカメラには蛸の絵と「Melville Underwater Camera(メルヴィル水中カメラ)」と書かれています(『白鯨』(1851)を著したハーマン・メルヴィルへのオマージュとしても読み取れます)。少年はカメラの中に入っていたフィルムを取り出し、町のDPEショップに持って行って現像してもらいました。(図4)

flotsam-fish(図5)
機械仕掛けの魚(見開きページ)


thumbnailImage(図6)
海底のエイリアンとタツノオトシゴ
現像された写真を見ると、カメラが水中を漂ううちに捉えたと思しき吃驚するような情景―――機械じかけの魚が泳いでいたり(図5)、蛸が海底の家で寛いでいたり、海底で円盤から出てきたエイリアンたちが探察をしていたりしています(図6)―――が映っていました。

Flotsam-inside2(図7)
写真を手に持って写る子どもたち(虫眼鏡で覗いた画面)


thumbnailImage-2(図8)
写真を手に持って写る子どもたち(顕微鏡で覗いた画面)


男の子がら驚嘆し写真を見て行くと、最後の一枚には海を背景に女の子が手に写真を持って写っていました。その女の子が持っている写真の中には、別の子がまた別の写真を手に持って写っていて、さらにその写真には別の子が写っています。少年は、虫眼鏡や顕微鏡を使ってその写真をさらに画面を拡大して覗き込んでいきます。(図7)(図8)顕微鏡で写真を拡大して、写真の奥へ奥へと覗き込んで行くと、カラーの画面が白黒の画面に変わり、最後には、コダック・ブローニーが発売された頃すなわち、20世紀初頭に写真に撮られた少年の姿が表れます。つまり、この水中カメラは一世紀近くの時間をかけて海の中を旅してきたのです。時代を超えて海を漂流してきたカメラを、さまざまな土地の海辺で子どもたちが拾い、カメラの中のフィルムを現像して写真を見た後に、新たにフィルムをカメラに装填してから写真を撮り、再び海にカメラを放つ、ということを繰り返してきたのです。子どもたちは、前にそのカメラを拾った子どもが写っている写真を手に写真を撮ることで、時空を超えてカメラを受け取り、写真を見た証を残しているのです。

Flotsam_04(図9)
写真を手に写真を撮る少年 


ikaのコピー(図10)
海底を旅するカメラ(見開き)


写真をしばらく見つめていた少年は、DPEショップで新しく買ったフィルムをカメラに装填し、女の子が写っている写真を手にして自分も写真を撮ります。シャッターが切れる時に、大きな波が打ち寄せて、写真のプリントが散らばってしまいます。(図9)少年は、自分を撮影した後、そのカメラを再び海へと放り投げます。カメラは再び海の中を漂い続け(図10)、また別の子どもが浜辺でカメラを拾い上げるところで絵本は終わります。

この絵本では、漂流する水中カメラが、未知の世界の断片を収めた秘密の箱として、カメラの中に収められたフィルムが、瓶の中に封入された手紙のような、見知らぬ誰かに宛てられたメッセージとして描き出されています。時空を超えてカメラを受け取った子どもたちが、写真を通して未知の世界を発見したり、さらに自分の写真を撮ることで新たなメッセージを書き加えて、そのメッセージを見知らぬ誰かに託したりしていることに、コミュニケーションの手段としての写真の原初的な喜びが感じられます。
デジタル写真全盛で、モニタやタブレット端末で画像を見ることが当たり前になった現状から見ると、フィルムをカメラに装填して撮影すること、DPEショップでフィルムを現像してプリントしてもらうこと、プリントを手に持って写真を見るということ、こういった以前は当たり前だった写真にかかわる行為の一つ一つが丁寧に描き出されていること自体が新鮮に映ります。この絵本が出版されたのが2006年のことですから、デジタルカメラやインターネットが普及し、フィルムを用いるカメラが日常的には使われなくなっていった時期にあって、子どもたちに写真とはどのようなものなのか、ということを伝えたいという意図も、作者デヴィッド・ウィーズナーの中にあったのではないでしょうか。
また、スマートフォンの普及で「自撮り(selfie)」をインターネット上で公開することが日常的な営みになっている近年の状況に照らし合わせてみると、『FLOTSAM』に描かれている「他の子が写っている写真を持って自分の写真を撮る」という子どもたちの行為は、写真を介したコミュニケーションのありかたの違いにも思いを巡らさずにはいられません。

娘も『FLOTSAM』を気に入ったらしく「赤いお魚の本」と呼んでいて、寝る前に時々読み聞かせています。文章がない絵本なので、絵を見ながら物語を説明するのですが、(図5、6、10)のような不思議な海中の世界だけではなく、カメラやフィルムにも興味を示しています。デジタルネイティヴに属する娘にとって、 (図3) のような古いカメラやフィルム、(図4)のようなDPEショップは遠い過去のものであり、この先実際に接する機会は殆どないのかもしれませんが、ものとしての写真のあり方やその魅力に惹きつけられることは、今も昔もそう変わらないのかもしれない、とも感じます。

こばやしみか

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●今日のお勧め作品はロバート・メープルソープです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第15回をご覧ください。
20141225_mapplethorpe_04_helmutロバート・メープルソープ
「Helmut」
1978年
ゼラチンシルバープリント・ドライマウント
19.5x19.5cm
Ed.25
サインあり


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