Conversation with emerging female collectors

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第9回

「動き始めた女性コレクターとの対話」


 「変わりだしたんですかねえ。近頃、店に若い女性がよく入ってくるんですよ。話してみると、絵画コレクターのようですよ」
 京橋や銀座の画廊で、こんな話が耳に入るようになった。そう言われれば、確かに、画廊で若い女性をよく見かける。美術館でも、同様な傾向を感じる。しかも、作品を見る眼差しは同世代の男性より真剣なのが、強く印象に残っている。
 最近、絵画好きが集まった“女子会”にゲストとして招かれた。その折、30才ぐらいのOLのつぶやきが印象的だった。
「この間、なにげなく銀座の画廊に入ったら、小さな油彩作品だが、気に入ったので、チョット背伸びして思わず買ってしまったの。今、部屋に飾っていて、絵のある生活って、『いいな』って初めて思ったわ。会社で嫌なことがあった時でも、家に戻って、それを見ていると、何か行き場のない気分が吸い取られてゆくように思うの……」
 コレクターとしての第一歩を踏み出してまもない人だった。さらに、笑いながら、現実的な今様な言葉を漏らした。
「見ているうちに、年月が経ち、その作品の価値が上ってくれると、言うことがないのよね」
 この会で、グループの対話を聞いていて、感じたことがあった。話の端々に、「なんとなく将来への不安」をにじませていたことだった。あのOLが“価値”を口にしたのは、この心理の一端が表出したのではないか。
「趣味も自分の補助戦力にできるものなら、してみたい」この世代特有の視角を垣間みたような気がした。

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 女性には特有の習性がある。外出する時、行く場所に合せて、着用する衣装のスタイルやその色彩を選択し、さらに、その日の衣装と化粧とのバランスも考える。負担も感じず、これを毎日のように行うのは、男性から見ると、“並の努力”ではすまされないものを感じる。この行為の核をなすものは、≪自分の好み≫の細かな確認作業であり、色彩へのバランス感覚の反復学習でもある。
 これらの一連の行為は、ある意味では、無意識のうちに、≪絵画コレクション≫への感性のトレーニングや作品選定での決断力のウォーム・アップを重ねているようなものだ。これを長年続けている女性達は、男性よりはるかに、“コレクターとしての適性”を身につけているように思えてならない。これをさらに磨けば、男性と異った視点を持った絵画コレクターが出現するのではないか……。
 ニューヨークで出会った40歳ぐらいの女性コレクター、男性ではなかなか真似のできない木目の細かさ、独特の視角を持っていた。マンハッタンのイースト地区の高級邸街に住む、レバノン系アメリカ人だった。
 当時、デュビュッフェを追っていて、1940年代後半から50年代前半の10年間に制作された作品に限って、しかも良質の≪小品≫に的をしぼって集めていた。この10年間こそ、作品内容から判断して、デュビュッフェが全盛を極めた時期である。美味しい所のツマミ食いとも言える動き、シタタカとしか言いようがない。
 この頃、80年代半ば、未だデュビュッフェの作品を注目する人は少なく、安値に放置されたままだった。この状況に目をつけるなど、隅に置けないはしっこさも具えていた。
 話をしてみると、市場の状況に始まり、あらゆることについてのデュビュッフェの知識はすごかった。良く研究をしている。しかも、デュビュッフェの作品が好みにあっているのか、ゾッコン惚れ込んでいたのが印象的だった。
 出没するのは、「眼が極めて良い、マニア的な性格を持つ」と市場で言われている画廊主のいる小さな画廊だった。どうやら、こうゆう所から情報や凝った作品を引き出しているようだ。いかにも女性らしい着眼を感じた。「個性的な玄人好みの作品を狙っている」のがよく分った。
 近頃、ニューヨークの美術館や画廊で開かれるデュビュッフェ展のカタログを見ると、作品の貸し出し人リストのなかに、彼女の名前をよく見かける。洗練された、味のあるコレクターになっていた。

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 前述の“会”で、何人もの女性から聞かれたことがあった。
「どのような作家の作品を買えば良いのですか?」
 “趣味の補助戦力化”が頭の隅にあるのか、プロセスをはしょり、結論だけを望むような現代特有の質問が出た。が、この世の常だが、楽して実を取ることは続かない。従って、このような事を考える前に、「行う」ことがある。これをシッカリと固めておかないと、作品を選定する時の判断力や眼力がつかない。自分で一人歩きをすることができない。いつも他人の言葉や動きが気になる。作品を眼で買うのでなく、耳で買うようになる。挙句の果てに、コレクションは藻屑の山。
「あなた方の望む回答にはならないと思いますが、まず、自分の衣装をデパートやブティックで購入する時のことを頭に思い浮かべて下さい。ある時は、その衣装の色彩や柄が決め手になったり、ある時はそのデザインが気に入ったり……、要するに、≪自分の好み≫でそれを選ぶのではないでしょうか……。絵画作品を選ぶ時も同じですよ」
 そして、「どのようなものを買いたいか、日頃から十分に時間をかけて、ファッション誌を見たり、多様な店を見て歩き、ある時はインターネットをチェックしたりしませんか? 努力を惜しみませんよね。より良い気に入ったものを買いたいから、このような事をするのじゃないですか……。高価な衣装を買う時などは、なおさらですよね。 絵の場合も同じです」
 大切な金子(キンス)を払って、作品を入手するのだから、無駄になってしまうような買物を次々とし、後に後悔の溜め息が出ないように、日頃から、眼力や感性を磨く努力を積み重ねることが重要なのだ。
 この手段として、日常生活の中で、身辺で発生した事象に全力をあげ対応した時、得た自分の体験なり、対応した過程で何をしたか、は極めて貴重で、自分のスタイルとしてこれらを絵画コレクションの過程で応用し、利用しないことはない。そうすれば、絵画コレクションも非常に身近なものになるのではないか。
 努力次第では、前出のニューヨークのスマートな女性コレクターの後を追ってゆけるのでは……。
 今後、数回、自分がコレクションへの入口で体験したことを記述してみたい。

(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う

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