Being a collector is no easy business

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第10回

「コレクターも気楽な稼業とはいかない」


 銀座の画廊で、コレクションについて話をしてみると、若いコレクターからよく聞く言葉がある。「いいんですよ。自分の好きなものを買っているんですから……」と胸をはる。確かにその通りで、この言葉にはある程度の説得力がある。
 しかし、作品選定の仕方などを聞いてみると、その購入した作品の作家についてすら研究もあまりしてない。ただ感情にまかせて行き当たりばったりで作品を購入しているケースが多い。
 コレクションには色々な見方がある。この場合、ある一面しか見てない単純さを感じる。世が世なので、大切な金子〔キンス〕をドブに捨てるようなことはしたくないものだ。
 「日本の幸福度」調査をまとめた、大阪大学社会経済研究所の大竹文雄教授が語っている。「日本人は、20代から60代まで、年齢が高くなる程、幸福度が低くなる。欧米では、30代を底にして上昇してゆき、U字カーブを描く。幸福感には所得や健康、年齢などが影響する」 さらに、日本の現状を見ると、「今の財政状況では、高齢者への社会保障の支出を減らさざるを得ない方向に向っている。中高年は思い描いていた生活水準が達成できなくなれば、さらに不幸度が増してくる」
 ニューヨークで親しくしていた、巨大金融機関の中心部門に在籍するアメリカ人の若手超エリート金融マンのコレクターがつぶやいていた。
「自分の身に、いつ何が起るか分らない。自分のことは自分で守らないと……。趣味のコレクション〔現代美術〕も“補助戦力”のひとつと考えざるをえない。しかし、絵画コレクションは、ただそれだけでなく、自分にとって教養も十分に満してくれる数少ないもののひとつなのだ」
 彼は日本の一流企業の給与から考えると、想像を絶するような巨額の報酬をとっていた。しかし、これに甘んじていない。さらに、行く先のことまでも多様に配慮をめぐらせていた。
 自分の業務で経済や多様な企業の分析を行うように、自分がコレクションする作家のことその作品の質、そして美術市場のことなどを緻密に多面的に調査分析をしていたのが強く印象に残っている。
 アメリカのドライでクールな雇用関係を背景にすれば、当然出てくる思考であり、行動でもある。銭の使い方も良く知っていた。
 一方、日本の企業も、国際化、世界的な競合の激化に巻き込まれ、今や、アメリカと類似した雇用関係に入りだしている。

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 銀座で知りあった電気メーカーの一流企業に勤める日本人コレクターは、“真性”の“行き当たりばったりタイプ”のコレクターだった。そちこちで耳にする、俗に言う“有望作家”なるものの作品や、気分にまかせて海のものとも山のものとも分らない若手作家の作品を購入してゆく。
「その作家、多様な面、チェックしている?」 「いや。重荷になる程の金額でもないしね。それに、なんとなく綺麗でいいじゃない。引きつけられちゃったよ」
 それからかなりの年月が経った。彼はその企業を定年で卒業。しかし、思わぬことが起るものだ。最近、何かまとまったお金が必要なこと発生。それを捻出しようと、画商のところにコレクションの一部を持ち込むと、価値がつかない。
「オレのコレクションて、何だったのか?」悲痛な声で、正気にかえったようなことをつぶやいた。これでは遅いのだ。
 前出の大竹教授が語っていた。
「サラリーマンの定年後の幸福度を調べたことがある。在職時から貯蓄や資産運用、人脈作り、健康維持を工夫していた人の幸福感が高い。そうでない人とはぜんぜん違った。長期展望を持つことが重要だ
 前述のアメリカ人の若手バンカー・コレクターの思考・行動が頭をよぎっていった。

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 高校に入学した頃から、好みの作家捜しに、東京の色々な画廊や美術館に所かまわず、気楽に、立ち寄るようになった。これを繰り返し、大学に入った頃、どうしたことか奇妙な現象が出てきた。「見る作品、どれもこれも良く見える」 何かおかしいと、薄々気づいていた。しかし、当時、この状況を壊すための手立ても思いつかず、ただ漫然とこれを繰返すのみ。
 今思うと、おそらく、自分の眼の未熟さや作家に対する知識の浅さ、そして美術に対する狭い視野などから、この特異な事象が発生していたのでは……。
 一方、こんなことで、コレクションへの意識は遅々として熟成してこなかった。
 それでも、高校生の頃、「これを自分の部屋に飾ってみたい」と思って、なけなしの貯金をはたいて買ったものがあった。棟方志功の手彩色版画、≪弘仁の柵≫。丸窓に女性の肖像を描き、その和紙の裏から水彩で手彩色をしたものだった。これに、何んの理論的な根拠もなく、何かホッとするものを感じ買ってしまった。白木屋百貨店〔後の東急百貨店日本橋店:現在は存在せず〕で、7千円の価格だった。今思うと、これがコレクション第1号にあたるものになった。
 大学3年の時、それ迄に家庭教師をして稼いだ金をはたいて、ヨーロッパへの一人旅に出た。その折、パリのポンピドゥー・センターやパリ市立美術館を見て、「このままではいけない。今迄、何を見ていたのか……」と強烈なショックをうけた。恥ずかしい事にも、大学3年で、キラキラとした未知の世界を初めて知った。「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉の真の意味が、この時分った。
 商社に入り、アタッシュ・ケース片手に、世界を飛び回りだし、出張の中で時間に余裕ができると、それを余すことなく有効利用し、アメリカ各地、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、オランダ……で、名だたる画廊や有名美術館に立ち寄り、自分の磨き直しに入ると共に、コレクション感覚をどのようにして鍛えてゆくか、考え始めるようになった。
 そして、コレクターとして、シッカリとした“型”を造りあげたのは、≪ニューヨークへの駐在≫に入ってからだった。
 ディア・ファウンデーション、ニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館、グッゲンハイム美術館、ウォーカー・アートセンター……のような超一流美術館の企画展をジックリと見てみると、自分の眼や作品に対する知識では、まったく通用しないことを知った。やり直しである。
 このような半端でない“迷いと戸惑い”でお先真暗な時期に、手を差し伸べてくれた画廊があった。
 “1970年代の世界的な有力作家”を沢山育てあげて名を馳せたポーラ・クーパー画廊や世界の画商界の最高峰のひとつ、ピエール・マティス画廊には、感謝してもしきれない程に沢山のことを教えてもらった。
 作家では、ジョエル・シャピロ〔ポーラ・クーパーから出た’70年代の世界的な現代美術作家〕や河原温〔ニューヨーク在住の世界的な現代美術作家〕からも、多様な作家の体質や将来性、そして特定の画廊の性格などにつき、沢山のアドヴァイスをうけた。ここでは、作家の眼と観察力は画商のそれらとは異なることも知った。
 そして、この地での決定的な自分へのインパクトは、沢山の正統派の優秀なコレクターと知りあったことだった。自分のコレクション体質と類似性あるコレクターを選び、彼等から、コレクションの多様な手法や着眼点を学べたことが基礎を造る土台となった。
 学んだ多種の要素を自分の体質に合うように、長い時間をかけて組みたてなおしていった。これによって、自分のコレクション・スタイルが少しずつ固まっていった。自分の体質改善が徐々に軌道にのり始めたのだ。そして、以前の自分では考えられないような動きも出てきた。

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(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う

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●今日のお勧め作品はオノサト・トシノブです。
20150208_onosato_futamaru_1958_600オノサト・トシノブ
「二つの丸」
1958年
水彩
28.2x37.8cm
サインあり


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福井県立美術館では2月8日まで『福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―』が開催されています。ときの忘れものが編集を担当したカタログと、同展記念の特別頒布作品(オノサト・トシノブ、吉原英雄、靉嘔)のご案内はコチラをご覧ください。

◆1月24日~25日に開催した「現代美術と磯崎建築~北陸の冬を楽しむツアー」には各地から15名が参加されました。参加された皆さんの体験記をお読みください。
石原輝雄さんの体験記
浜田宏司さんの体験記
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◆福井県勝山の磯崎新設計「中上邸イソザキホール」については亭主の回想「台所なんか要りませんから」をお読みください。