Make use of museums

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第11回

「美術館を利用して―1」


 自分にとって、美術館は重要な機能を持っていた。いつも、三つのテーマを抱えて美術館を訪問していた。それらは……。
〔1〕:コレクションをしようと思う作家やその作家のどの時代の作品を選択するか?、を調べる。
〔2〕:好みの作家の“特性”をより深く把握する。
〔3〕:作品購入後、その作品の“質”の事後検証をする。
 特定の関心のある企画展を見るため、あるいは、自分の解決しなければならないテーマを持って、美術館訪問をする前夜には、必ず行うことがあった。調査したい事項や課題を≪専用ノート≫に書き留めることだ。さらに、作品を見て、新たに感知した事、閃いた事を記述する欄もつくる。
 これらのチェック項目の調査結果や印象は、必ず現場で、そのノートの定められた記述箇所に書き留めた。どんな細かな事でも忘れないうちに、又、雑念が入らないうちに、書き留めておくことが大切のように思えたからだ。
 そして、この部分を必ず、1ヶ月後、6ヶ月後、1年後と読み返すのが習性になっていた。これは作品選定などの決断現場での反射運動的な勘をささえるのに寄与したように思えてならない。何回も、作品購入時に助けられたことを思いだす。
 さて、このような調査を行うのは、自分が選定した≪超一流の美術館≫に限った。例えば、主要なものを挙げると、アメリカでは、ディア・ファウンデーション、ニューヨーク近代美術館、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館。ヨーロッパでは、パリ市立美術館、ポンピドゥー・センター、テート・モダン……。例外的だが、ヴェニスのグッゲンハイム・コレクション。ここでは、そうそうたるブレーンに囲まれていたにせよ、偉大なコレクター、ペギー・グッゲンハイムのあの洗練された感性に触れ、それを吸収しようと思い、近くに行った時は必ず立ち寄るようにした。
 なぜ、このような方向性を採るようになったのか?
 まず、その美術館の歴史を証明するような高度な内容に引き付けられた。又、眼力や鋭敏な感性、そして企画への独創的な切り口や視角、多様な面で、頭抜けた能力を持つ機能集団、優秀なキュレーターの存在を感じた。あわせて、美術館の運営組織もしっかりしている。これらの相乗効果が表出したのがハイグレードな展示作品のように思えてならなかった。これを参考にして、自分の感性を磨きたかった。

■  ■

 〔1〕について、一例を記述すると……。
 1993年6月13日、ニューヨークのホイットニー美術館訪問。“ホイットニー・ビエンナーレが開かれていた。世界のコレクター達が作家探しで、当時注目し、参考にしていた美術展でもあった。
 一つの展示室に入り、「ギョッ」とした。力なくうなだれ、手足をダラッと下げている等身大ぐらいの女性のヌードの立像、ワックスで制作された立体作品が天井近い壁面に固定されている。一瞬、処刑されたキリスト像を連想。その下に視線を移すと、床にはやはりヌードの女性が足を腹部の方に折り曲げ、「く」の字のようになり横たわっている。奇妙なことにも、それら二体が太く長い縄のような“ヘソの緒”でつながっている。
「なんでこんなにも奇怪な表現を、キキ・スミスはするのだろうか……?」
 別の展示室に入ると、妙に魅力を感じる斬新な作品が視界に入ってきた。
 けっこう広い面積の床に、“涙”のような形状をした無色透明のガラス玉が大小とりまぜ、かなりの数、乱雑にばらまかれ、キラキラと輝いている。ガラス玉の大きいものは長さが20cmもあった。その背後の壁面、床から50cm程のところに金属板でできたヒサシのようなものが設けられ、その上に、無色透明ガラスの足〔足首から下〕が二つ、人間が立っているようなポーズで置かれている。
「いったい、作家は誰?」
壁面のキャプション・プレートを見ると、“Kiki Smith”。
 前室で見たグロテスクな雰囲気は消え、この展示空間は、詩的で乾いたクールな雰囲気に包まれていた。
 この二種の表現力の落差のすごさにショックをうけた。並みの作家ではないと思った。このあと何日かは、ガラスの作品の清冽な残像が脳裏から消えなかった。
 キキ・スミスへの関心は、このあたりから始まった。当時、キキは39歳。まだ若手である。名もあまり知られてなかった。

■  ■

 キキ・スミスの作品集をニューヨークとパリで購入、ついでに古書店に立ち寄り、画廊での個展のカタログも入手。これらを、時間をかけ何回も隅々まで細心の注意を払い見てみた。本格的な調査の開始である。
 同時平行して、若手作家の動向や体質に詳しいジャック・ティルトン〔ニューヨークの有力一流画廊、ベティ・パースンの元ディレクター:現在はジャック・ティルトン画廊主〕に面会し、キキ・スミスについて、書籍からでは感知しえない事や曖昧な点を問いただし、知識の欠落部分の補強に入った。
 さらに、実践も加え、キキ・スミスの作品を、契約画廊のペース・ウィルデンスタインで何点も見せてもらった。実作品に対面した時の印象やどのようなスタイルの作品が自分の好みか……、確認作業も始めた。
 このような三種の行動を、繰り返し行い、約2年
 1995年9月16日~10月21日、ペース・ウィルデンスタインでキキ・スミスの新作展が開かれた。そこには、ホイットニーで見たような、異和感をいだかせたボディ・アートと、詩的でクールな雰囲気をかもし出すタイプの作品が展示されていた。ここでも、両者に対して感じたものはホイットニーの時と変らなかった。自分の好みは後者であると確信した。
 作品の中で、柔らかな輝きを発している24金で制作された≪ホタテ貝≫の形をした手の平にのるほどの立体作品〔8x8x1.6cm〕、タイトルは≪貝≫が目にとまった。直感的にこれだと思った。キキ・スミスに関しての初めてのコレクションである。
 作家やその作品に対して、相当に慎重に、かつ念を入れ、あらゆる要素を調べて購入に入った。
 これも、ニューヨーク在住の日本人現代美術作家、河原温からの再三にわたるサゼスチョンが、自分のはやる行動に制動作用をきかせていたように思えてならない。
「若い作家については、キラッとした良い面を感じても、すぐに手を出すな。3年間、冷静に観察してからでも遅くない。今の若手作家には、持続力に欠ける人が多く、永続性もあまりない。注意しなさい」とつぶやいていたのを思い出す。

■  ■

次回は〔2〕と〔3〕について記述してみたい。

(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

*画廊亭主敬白
笹沼さんの連載が11回目を迎えました。この間、取り上げた作家を列挙すれば、山口長男、オノサト・トシノブ、アグネス・マーティン、ジャン・デュビュッフェ、ジョエル・シャピロ、リチャード・タトル、白髪一雄、ジュールズ・オリツキー、菅木志雄、テリー・ウインタース、エリック・フィッシェル、ブライス・マーデン、ソール・スタインバーグ、エルズワース・ケリー、ヨーゼフ・ボイス、キキ・スミス、河原温、etc.,
誰が見ても第一級のセレクションです。彼らの作品との出会いを克明な日記の記述をもとに淡々と綴る笹沼さんの静かな情熱を感じないわけにはいきません。
上掲の通り、笹沼さんはコレクターとして読者の皆さんからの質問、希望を望んでおられますが、いまのところ具体的な反応が乏しいのが亭主としては残念でなりません。皆さんのご投稿をお待ちしています。

*2015年3月11日追記(水戸野孝宣さんのfacebookより)
笹沼さんの著作・エッセイを読んで感じることは、笹沼さんは間違いなく一流のコレクターであり、そうなるためには、作品に対する愛情・対価に見合った美術史上の位置づけを見極めるたゆまない努力が必要であると感じます。著作・エッセイに表れているのはエッセンスであり、その背後には膨大な量の蓄積と時間が隠れており、同じ土俵に立つためには、少なくとも鋭い感性と寛容さが必要だと思います。自伝や合格体験記を読んだ時の憧れに似たものを感じます。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う

◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
 ・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
 ・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
 ・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
 ・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
 ・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
 ・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
 ・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
 ・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
 ・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
 ・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
 ・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
  同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
  「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
 ・新連載「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
 ・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」英文版とともに随時更新します。
 ・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
 ・深野一朗のエッセイは随時更新します。
 ・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
 ・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
 ・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
 ・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
 ・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
 ・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
 ・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
今までのバックナンバーはコチラをクリックしてください。

●今日のお勧め作品は、小野隆生です。
20150308_onotakao_zanzo_600小野隆生
「残像図」
1976年
油彩
23.0x16.2cm(SM号)
サインあり

こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください