石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第15回
Man Ray and his Indestructible Object


破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク

15-1 勝手に作ってはいけません。

京都市内の骨董店で、マン・レイがオブジェの再制作に使ったメトロノームを見かけたのは、バブル景気の終わった頃だった。見覚えのあるドイツの老舗ウィットナーのマークが付いた木製の黒塗光沢仕上げで、値段も手頃。「眼」の写真の方はシュワルツのマン・レイ個展カタログ(1964年)の裏表紙を切り抜いて作れるし、ゼムクリップは机の引き出しに沢山あったはずだし── 購入して再制作(?) したいと心が騒いだが、これに手を染めたら「『おしゃれ泥棒』のパパ、シャルル・ボネになってしまうぞ」と踏みとどまった。

manray15-1『破壊されざるオブジェ』


 メトロノームを使ったオブジェは、以前に紹介したアイロンに鋲を貼り付けた『贈り物』と双璧をなす、マン・レイの重要作品で、コレクションに加えたいと希望してきた。1980年代に西武百貨店のNさんから照会を受けた事もあったが、価格面で対応できず、バブル景気の時代には銀座の佐谷画廊で再び売り物と対面するも、さらに「ごめんなさい」の価格帯にあがっていたりして、諦めの気分となっていた。


15-2 ニューヨークから

マン・レイの展覧会資料収集に関しては、資金面での「諦め」が無いものの、海外の古書店目録を確認してからの注文では、先陣争いに勝機はなく(先着順の場合)、「目録に載せる前に、石原に教えてやろう」と言ってくれる古書店主と知り合う方法を模索した。店主と仲良くなる最善策は、購入する事であるけれど、売れてしまっていたのでは、いかんともしがたい。その為ではないけれど、毎日新聞社等が主催した生誕100年を記念する『マン・レイ展』が横浜美術館へ巡回した折、特別展示された展覧会資料を紹介する『封印された指先』(銀紙書房、1993年刊、限定20部)を上梓したので、数冊を欧州と米国へ送った。わたしの情熱を伝えるのは、このやり方だと考えたのである。

manray15-2エクス・リブリス 手紙


 2週間程して、ニューヨークの古書店エクス・リブリスのマイケル・シーハ氏から「この素晴らしいカタログは、革命といってもいい」と感謝され、「マン・レイに関係する展覧会資料が見付かったら連絡します。しかし、貴方もご存じのように。こうしたものを入手できる機会は極めて少ないのです。」との返信を受け取った。そして、5点の在庫品を知らせてくれたのだが、そこに、メトロノームが含まれていたので驚いた。

 同封された写真コピーの下段記述は、── マン・レイ『破壊されざるオブジェ』1922年のオリジナルを基に、1965年にダニエル・スポエリのエディション・MATが100個限定で制作したマルチプル作品。オブジェの高さ21.59cm、内部を深赤色の布貼りにした黒い木製箱入り。オブジェ表面に「破壊されざるオブジェ 1923 ─ 1965」と刻んだ金属プレート留め、裏面にマン・レイの鉛筆サインと64/100の限定番号を記した証明書貼付。

 表示価格には国内と比較すると割安感があり、1ドルが106.50円だったので、なんとかなりそうと興奮が止まらなかった。それで状態の確認をした後、10月13日に注文の手紙を書き、返信を待って、海外送金を行った。品物は1993年11月10日(現地発4日)、ヤマト運輸のUPS宅急便で無事に京都へ到着。さっそく、家族全員で開封した。── というのも、家計から資金援助をしてもらったのである。有難う、そしてゴメンなさい。まだ全額返済しておりません。

manray15-3荷物到着


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manray15-4子供部屋での撮影


manray15-5『破壊されざるオブジェ』



15-3 破壊のオブジェ

マン・レイのメトロノームを取り出して、「眼」の写真を振り子にセットしながら、マン・レイの気持ちになった。マン・レイほど、作品と人生が一致する美術家は珍しく、『自伝』の記述やシュワルツ氏との対談などを思い出しながら、動かしてみると、素敵に「イライラ」させる音楽だと判る。美術館で対面する場合は、静止したままなので、この臨場感は持ち主だけに許される楽しみである。

 部屋にあったメトロノームの振り子に「眼」の写真をセットするアイデアが最初に生まれたのは、1923年と云うから、カンパーニュ・プルミエール街に住み始めた頃で、描くテンポと観客を意識し、自由を求めて『破壊するべきオブジェ』と題したのは、モンパルナスの歌姫キキの帰宅を待っていた時間だったのだろうか? その後、キキとの6年間の愛が終わり、マン・レイの前に現れた(1929年7月)リー・ミラーとの関係が絡んで、メトロノームは様々に表情を変えていく。モデルで、助手で、愛人。そして、ソラリゼーションの共同発見者にして、シュルレアリスム精神の体現者。さらに、写真のライバルとなり、マン・レイの許から離れてニューヨークに行ってしまったミューズ。失恋の悲しみをマン・レイは、油彩『天文台の時刻に──恋人たち』と共に、メトロノームでも現した。

 それは、ニューヨークで発行された雑誌に『ジス・クォーター』(1932年9月号)に掲載した『破壊のオブジェ』と題する素描で、下段に「愛していたのにもう会うことの出来ない人の写真から、その眼を切り抜く。メトロノームの振り子にこの眼を取り付け、思い通りのテンポになるように重りを調整する。そして、忍耐の限度まで鳴らし続ける。ハンマーで狙い定め。そのすべてを破壊する。」(55頁)と怒りの指示をしている。メトロノームの現物は、翌年6月にピエール・コル画廊で開かれた『シュルレアリスム展』に、『眼 ─ メトロノーム』(出品番号61)』と題して出品、『マン・レイの写真集 1920 ─ 1934 巴里』の表紙習作でも確認できる。マン・レイの友人たちは、雑誌での「指示」を知っていただろうから、テーブルに置かれたメトロノームを前にして、彼の気持ちを察していただろう。──現物を手にしているわたしも、そんな気持ちになってしまうのである。

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manray15-6『ジス・クォーター』
(シュルレアリスム特集号)


 リー・ミラーとの関係が修復されたころに準備された写真アルバム『我が愛しのオブジェ』(1944年)の最終頁には、機械部分が露出したメトロノームが貼り付けられて『最後のオブジェ。あるいは、破壊のオブジェ』と題されている。この題名には、翌年4月にニューヨークのジュリアン・レビュー画廊で開かれた個展での「Lost」と「Last」の活字違いの挿話があるけれど、裏付けをわたしは見付けていない。マン・レイは気楽にと云うか、オリジナルに拘束される事なく、幾つものメトロノームを制作した。── そのすべてを追跡するのは不可能である。マン・レイの人生の様々な局面で用意され、その都度、なるほどと思わせる題名を付して、観客の前に押し出されたオブジェ。リー・ミラーは「いつも、わたしの「眼」が使われていた。」と回想しているが、40個作った最後のバージョンでは「眼」をウインクするタイプに変へ『永遠のモチーフ』と題している。

manray15-7『我が愛しのオブジェ』
ハルムスタード美術館カタログ(2013)より



15-4 破壊されざるオブジェ

手許にあるメトロノームは、1957年3月にランスティチェ画廊(パリ)で開かれた『ダダの冒険展』(連載第5回参照)に出品されたオリジナル(?) が、無政府主義者の若者たちによって題名通り破壊された際、マン・レイが「一枚の絵にたいして、絵筆や絵具や画布でもって弁償したりしない」と保険会社と交渉し、オブジェをメトロノームの代金ではなく芸術作品と認めさせた成果に由来している。マン・レイは『自伝』で保険会社の専門家の発言と返答について書いている「このお金で、メトロノームの在庫品全部を買えそうですね、と意見を言った。それこそわたしがしようとおもっていることなんですよと答えてやった。それでも、ひとつだけ彼に請合ってやった──つまり題名を変えるのだ」(千葉成夫訳、美術公論社、1981年刊、392頁)。ウィキによると共感して100個のメトロノームを準備したダニエル・スポエリは、1930年生まれの芸術家で当時35歳。彼が始めたエディション・MAT(Multiplication d’art Transformable)は、マルチプル作品に価値を見出す先駆的事業であり、デュシャン、ティンゲリー、ヴァザレリなどの作品を制作している。マン・レイのメトロノームには三種類のエディション版があると思うが、1923年の原作に近いのは、この『破壊されざるオブジェ 1923 ─ 1965』ではないかと自画自賛している。

manray15-8名古屋市美術館


manray15-9名古屋市美術館



15-5 有難うマイケル

ニューヨークのマイケル・シーハ氏は、この後も親切にしてくれて、前述の雑誌『ジス・クォーター』の状態の良い一冊を見付けてくれたし、名古屋市美術館で開催したわたしのコレクション展『我が愛しのマン・レイ』の折には、氏のコレクションから雑誌『ニューヨーク・ダダ』を貸し出すから展示品に加えたらと積極的な提案をしてくれた。シュルレアリスム画廊(1926年)やハンフリーズ画廊(1935年)などのマン・レイ展カタログを世話してくれたマイケル。氏もわたしのようにアバンギャルド芸術に魅せられてしまった人なんだと思う。住んでいる場所は遠く離れても、心は通じるのだと、手紙をもらう度に感じた。しかし、1998年の12月初めに新年カードをお送りした後、書店のオーナー、エレーヌ・ルスティング氏からの返信を受け取った。──「遅くなってしまったけれど、貴方にとても悲しいお知らせをしなければなりません。マイケルは一年前に結腸癌にかかり、この5月に亡くなりました。私は彼が貴方の手紙やカードを評価していたのを知っています。」 そして、書店は閉めるとあった。マン・レイを介してニューヨークとつながった自由への道、お会いした事はなかったけれど、氏の冥福を心から願った。

manray15-10エレーナ 手紙


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manray15-11ニューヨーク3番街東7丁目
(グーグル・ストリートビューより)



 それから17年が経過し、本稿執筆の準備に、エクス・リブリスの住所をストリービューで検索しながら、メトロノームを荷造りしてくれたであろう街の様子を想像した。すると、その場所に、東松照明、森山大道、荒木経惟、石内都などの日本の写真家も紹介するアンドリュー・ロスの画廊が開かれているのを知って不思議な繋がりだと思った。これなら、ニューヨークに行った時に訪ねていけるではないかと心が騒ぐのだった。

続く

(いしはらてるお)

■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。

石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、マン・レイです。
20150605_ray_42_seifportrait1972マン・レイ
「自画像」
1972年
リトグラフ
19.7x15.6cm
Ed.100 (E.A.)
サインあり


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●臨時ニュース
ときの忘れものは、本日開廊20周年を迎えることができました。
RIMG011820年間同じ場所で営業を続けることができたのはお客様のおかげです。ありがとうございます。
3日から始まった「元永定正 もこもこワールド」も好評です。初日に赤丸が50もつくなんて久しぶりの快挙! 朝日新聞に掲載されたこともあって若い女性の来廊が目立ちます。13日(土)まで無休で開催していますので、ぜひお出かけください。

◆ときの忘れものは2015年6月3日[水]―6月13日[土]「元永定正 もこもこワールド」を開催しています(*会期中無休)。
263_motonaga01具体グループで活躍した元永定正は1970年代から本格的に版画制作に取り組みます。本展では1977~1984年に制作された版画代表作30点をご紹介します。
出品リストは既にホームページに掲載しました。価格リストをご希望の方は、「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください
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