芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第15回
Japanese on 1600km pilgrimage to Santiago Vol.15

第15話 古の場所と体調不良  ~サント・ドミンゴ・デ・カルサーダの伝説かつての難所を越えてブルゴスへ~


10/10(Wed) Santo Domingo de la Calzada ~ Belorado (25.1km)
10/11(Thu) Belorado ~ San Juan de Ortega (24.4km)
10/12(Fri) San Juan de Ortega ~ Burgos (28.8km)

 TA(ティーチング・アシスタント)の徒然なる一日。
 先週、授業のラスト15分でミニレポートの課題を出した。出席を確認する意味もあり、代返対策でもある。200枚以上のレポートを学年、学部、学科順に揃えるだけで一苦労である。もちろん、これだけで仕事は終わらない。最初ということもあり、学生たちに、ちゃんとチェックしているということを示すために、教授と相談してコメントを書いて返却することにした。最初は、フレッシュなつまりまだ学術的な文章を書き慣れていない1年生のレポート、というか感想文に一言ずつコメントをそれでも楽しみながら書いていた。しかし、20枚を過ぎたあたりから、次第に苦痛になってきた。基本的にしっかり書けているものは10枚中1枚あればいいほうである。そして7,8枚は普通のもので、残り1枚は数行で終わりというものだ。きちんと書いているものにはこちらも誠意を持ってコメントを書きたいと思っているから、スラスラと書ける。逆に2、3行のレポートは「しっかり書きなさい」と書くだけで十分である。問題は残りの、つまり大部分のレポートである。基本的に感想や意見を求めてはいないので、授業のプリントを読めば書けるタイプのレポートである。授業の要約なので、こちらとしては「そうですね」としか書きようがない。大変に困った事態である。ただ、やるからにはしっかりとしたものを書きたい。そして、大いに悩みながら一言をひねり出すのである。

 パラドールのフカフカのベッドから起き、食堂に向かう。朝からビュッフェ形式の美味しそうな料理が並んでいる。パン、サラダ、スクランブルエッグ、オレンジジュースにヨーグルト。朝からなんとも優雅な食事である。
 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダの町を出て、オハ川にかかるドミンゴ橋へと向かう。ラ・リオハの名前はこのオハ川(リオ・オハ)が由来である。由緒ある橋を渡っているが、昨日からの喉の痛みに加え、体のだるさを感じる。聖ドミンゴの加護も私にはなかったのか、体調はすぐれない。歩くペースも上がらない。
 でも、人は何か行動することによって気持ちが乗ってくるのだろう。モチベーションが上がらないときは考える必要のない単純な作業が適している。歩くこともその一つなのだろう。だんだん調子が上がり、お昼頃になると、心は元気になってきた。午後は何もないド平坦な道をただ、ひたすら歩く。

01ドミンゴ橋


02


03高架橋


04差し込む光


Belorado(ベロラード)は静かな町であり、私営のアルベルゲが数多くある。この町ではアルベルゲには困らないだろう。ただ、これといったものもなく、巡礼者にとってはただ泊まるための町といった感じである。宿場町とも言えるだろうか。私が宿泊したアルベルゲにアジア系の青年がいた。日本人かとも思ったが自信がなかったので声を掛けるのがためらわれた。
 夕食はアルベルゲの食堂で食べる。前菜にパエリアがあったので注文したのだが、リゾットみたいだった。スペインにおいて日本で食べるような本格的なパエリアが食べたければ、パエリアをメインにメニューに載せる専門店で食べるべきである。

05ベロラド 救護院
コウノトリの巣があるアルベルゲは14世紀に建てられた救護院である。


06岩窟住居


07アルベルゲ 寝室
屋根裏部屋はなんだか落ち着く


 昨日の青年と巡礼路で会い、挨拶をすると日本人ということがわかった。三重県出身で私の一つ年上である。去年から大学を休学し、昨年はオーストラリアに留学して、今年はこのサンティアゴ巡礼を行っているのだと言っていた。就活を前にするといろいろと考えるのだろう。そのまま就職活動をし、社会に出ていく人がほとんどであるが、それに違和感を覚える人がいるのも確かである。人生は一本道ではないはずだし、歩幅も違えば歩く速度も違うのだから、軍隊の行進のようには行かない。色々試行錯誤する時間、寄り道をしたり回り道をしたりする時間も必要なのではないだろうか。わたしが偉そうに言える立場ではないのはもちろんではあるが。

08青年


09


 青年と共に歩き、そうこうしているうちに、いよいよ、「オカの山越え」である。古くから難所と言われたこの「山越え」は、ビジャフランカ・モンテ・デ・オカからサン・ファン・デ・オルテガまでの12.2km。かつてはうっそうとした森林に覆われた標高1162mのオカの山は強盗・盗賊の巣窟であり、多くの巡礼者がその被害を受けていた。どちらの村も巡礼者の救護のためにできた村だという。
 この「オカの山越え」は普通の山のようにつづら折りの道を登っていくのではなく、ほぼまっすぐに西に伸びた広い道を歩く。あまり風情のある道ではないが、これは山火事の延焼を防ぐためなのだという。そう言われると反論のしようもないし、命がけで山越えをした昔の巡礼者たちに怒られそうであるが、安全第一というのも味気ない。人間というものは欲の深いものだと思う。頂上までは比較的楽に登れるが、あとはオルテガまでは登ったり下ったりの繰り返しで距離も長いのでそれなりにハードではある。
 その頂上のペドラハ峠にはモニュメントがある。上が大きく下が小さいテーパーのかかった石の四角柱にピカソのハトをあしらった祈念碑に刻まれた1936年は、数十万人の死者を出したとされるスペイン内戦が始まった年である。ここでフランコ政権時代に殺害された人々が発掘され、その跡地に祈念碑が建てられたものである。
 
10坂への入り口
ここからオカの山越えが始まる


11モニュメント


12道2
切り開かれた森の中を歩く


 途中、雨に降られて大変であったが、なんとか目的の村までたどり着いた。San juan de Ortega(サン・ファン・デ・オルテガ)は教会と付属の宿しかない、本当に小さな町である。というか話は逆で、オカの山越えをする巡礼者たちのために何もないところに教会と宿を作ったのがこの町なのだ。それを作ったのが町の名前となっているサン・ファン・デ・オルテガ。聖ファンは1080年の生まれで、聖ドミンゴの姿に心を動かされ、助手として働き、ドミンゴの死後もその志を受け継ぎ、当時、道のなかったオカの森に道を開くことを決意した。道路と救護院の建設に力を尽くして1152年にナヘラで死去したという。
 この志は今もなお受け継がれている。2008年に亡くなったホセ・マリア・アロンソ神父は、中世から続く巡礼者のための奉仕の一環として、修道院を訪れる人には誰でも無料で「ソパ・デ・アホ」(にんにくスープ)を振る舞っていた。宿泊料は巡礼者たちの寄付であり、古くは路銀の尽きた巡礼者はそこから好きな額を取っていってよいとされたこともあったようだ。
 一般のアルベルゲと比べても快適さでは敵わないし、定員の60名を越えるとあとは野宿するしかない(他に宿泊できる施設がない)ので、ガイドブックの中には、この村は見学だけして宿泊は一つ手前のビジャフランカか次のアタプエルカにするように勧めているものさえある。しかし、お金がないと何もできない(と考えられている)この現代に、まったくの善意からこれだけの働きがなされてきたのは、やはり一つの奇跡なのではないかと思う。
 聖ファンによって造られたロマネスク様式の教会堂は、質朴で深い精神性を湛える柱頭彫刻と三つのアプシス(後陣)を残して後の時代に拡張され、彼の生涯の奇跡を6枚のレリーフで表した地上の祠は15世紀の彫刻家ヒル・デ・シロエによるイサベル様式のものである。
 特にロマネスク様式のアプシスが素晴らしく、正面のアプシスの窓が大変印象的であった。しかし、内陣で区切られており、鍵がかかっていて近くまで行くことができない。そこでアルベルゲのオスピタレロのお姉さんに、自分は建築を学んでいる学生で、どうしてもこの貴重なロマネスク様式の後陣が見たいのだと無理を言って中に入れてもらった。正面の窓は11重にも重なるリブが美しく、繊細さが際立っている。そして同時に力強さを感じさせる。

13オルテガの村
正面が教会である


14教会 内部


15


16教会 アプシス


 アタプエルカの考古遺跡は世界遺産にもなっている貴重な先史時代の遺跡である。約80万年前にアフリカから渡ってきたとされるアタプエルカ猿人の骨がおよそ30体もまとまって発掘された。アタプエルカ猿人はヨーロッパ最古の人類と言われ、彼らがかつて暮らした場所がここである。洞窟内の発掘場所は巡礼路から3km離れたところに建てられており、ビジターセンターもある。研究者の中は、この穴に人骨が集中しているのはここが墓地であったためで、すでにこの時期から埋葬行為が行われていた可能性があるという。

17アタプエルカ


 丘を登ると、頂上には木の十字架が立っている。そしてストーンサークル。もちろん古代の遺跡などではなく、誰かが意図的に作ったもの。デザインも現代的である。古代遺跡に十字架に現代のストーンサークル。なんとも不思議な場所である。眼下にはカスティージャの平野が広がっている。
 ブルゴスはもう目の前である。

18ストーンサークル


19ストーンサークル ハート形


20木の十字架


21丘の上
遠くにブルゴスの街が見える


歩いた総距離1045.2km

(はがげんたろう)


コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第15回 ヘッドライト
Black Diamond(ブラックダイヤモンド) ギズモ 2,700


 巡礼は基本的には野外活動である。その性質上、天候に左右されるし、時に危険な状況に陥ることが起こり得る。だから基本的には移動は明るいうちに行うのが鉄則である。しかし、道に迷うこともあれば足の痛みで距離が稼げない時もある。予定していた町のアルベルゲが満員で、次の町まで歩くことを余儀なくされることもある。ヘッドライトは、予想外のアクシデントによって暗闇の中での行動を強いられた際に、目的地までの歩行を可能にする。また、アルベルゲ内での明かりとしても必要不可欠な装備である。
 懐中電灯で間に合うのでは、と思うかも知れないが、身体一つで済む警備員の夜間のパトロールならともかく、長時間重いリュックを背って歩く巡礼では手が疲れるし何より荷物になる。両手が使えないというのも困る。靴紐を結ぶのだって片手ではできない。どう考えてもファッショナブルとは言えないアイテムではあるが、絶対の必需品である。
 実際に使用したのは、夜、みんなが寝静まった時間にトイレに行くときが最も多かった。一度だけ、その日はどうしても長い距離を歩く必要があり、早朝の日の出前に歩き始めなければならないことがあったのだが、それはこのギズモがあったからこそ可能であった。
 ブラックダイヤモンドのヘッドライトにはさまざまなモデルがある。照度320ルーメン、照射距離100mといったハイエンドのモデルもあるが、自分には必要最低限の機能を持ったギズモで十分であった。何より軽量(電池込みで58g)でコンパクトであり、照度は35ルーメン、照射距離は10m(現在は60ルーメン、15mにアップ)の性能を備えている。必要な光量を確保できるのでさえあれば、「軽くて小さい」というのは実に大切な「性能」である。
 光量の2段階調節に加え、無段階に調整できるのも利点である。光量を落とすほど、電池の寿命が延びるからであり、その時々に最適な光量を選択できる。
 電源が単4電池2本なのは魅力的であり、電池が切れても現地ですぐに補充できる。(日本を出発する際に新しい電池に交換しておこう。個人的には現地での充電が可能なエネループがオススメである)。そして、私にとっては単4電池というのが高ポイントであった。いざというときには前に紹介したリコーのGRの予備電池としても使えるからである。
 また、日常生活においても災害時等の停電に備え、寝る前に枕元に置いておけば防災対策にも役立つことだろう。巡礼で活躍するアイテムというのは、基本的に災害などの緊急時にも効果的なものである。何もない荒野を歩くということは極端に言えば遭難している状況であり、まさに緊急事態そのものだからである。

22ブラックダイヤモンド ギズモ


芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2008年 芝浦工業大学工学部建築学科入学。
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了。
2013年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業。
2015年 立教大学大学院キリスト教学専攻キリスト教学研究科博士課程前期

2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行う。

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 ・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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 ・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1983年6月23日<元永定正さんの「日本芸術大賞」受賞を祝う会>を掲載しました。
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