芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第16回
Japanese on 1600km pilgrimage to Santiago Vol.16

第16話 グレゴリオ聖歌とスペインで最も美しい回廊  ~サント・ドミンゴ・デ・シロス~


10/13(Sat) Burgos Santo domingo de Silos (0km)

先月の続き。
 アタプエルカの丘からブルゴスまでの道は長かった。最後の8kmに渡るコンクリートの道がとどめをさしたような気がする。そのうえ、ブルゴスの街は大きく、中心の旧市街に行くまでが遠い。新市街がスプロール状に広がっていて、ブルゴスについたはずなのに、いつまでたってもガイドブックにある町並みにはならない。一時間近く歩いてやっと旧市街にたどり着いた。旧市街に入るとシンボルの巨大なカテドラルが圧倒的な存在感を放っている。見事なゴシック建築である。
 今日はスペインの休日でほとんどの店は休みである。カトリック国であるスペインでは基本的に休日はキリスト教にまつわるものがほとんどなのだが、今日10月12日は、コロンブスがアメリカ大陸に「到達」したことを記念する「イスパニア・デー」。さすがはスペインである。日本に比べると祝日の少ない(代わりに州ごと、また町ごとに祝日がある)スペインでは珍しい「国民の祝日」で、毎年、首都マドリードでは盛大なイベントやパレードが行われる。その中には首相のスピーチや戦車や装甲車を連ねた軍事パレード(!)も含まれるために、この日を「スペイン建国記念日」として伝えているものも少なくない。

 アルベルゲはモダンな現代建築であった。内部もきれいである。ただ、体調はなかなか回復しない。2段ベッドの上でゆっくりと休む。

01ブルゴス カテドラル 


02アルベルゲ 外観


03アルベルゲ 階段


 朝、体調はすぐれない。朝の寒い中、今日の宿をポーとともに探す。アルベルゲは原則、連泊は禁止である。そのため、ホテルを見つける必要があるのだ。連休中のホテルの空き部屋を探すのは大変で、どこも満室である。5件ぐらいホテルを周り、やっとベッドを確保することができた。一泊45ユーロでアルベルゲの10倍近い値段であるが、ホテルとしては良心的な値段である。部屋も清潔でプライバシーが確保されているのがありがたい。リラックスできる。

 今日は巡礼路から離れ、ブルゴスから南へ60kmほど離れたサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院へ向かう。音楽好きな人ならCDにもなった「グレゴリオ聖歌」で、建築や美術に関心のある人なら、スペインで最も美しいと言われる回廊や美術性の高いロマネスクの柱頭彫刻でその名を聞いたことがあるのではないだろうか。
 しかし、修道院以外には本当に何もないところであり、恐ろしく交通の便が悪い。バスは週末にしか運行しないので、歩くかタクシーを使うほかない。レンタカーを借りての旅行やシロス修道院が組み込まれたツアーに参加するのなら簡単なのだろうが、巡礼の途中で寄り道をするのには無理がある。さすがに往復120㎞を歩く気力はないので、タクシーを使うことにする。ただ、多少無理をしてでも行く価値のある場所であったと私は思う。
 タクシーでサント・ドミンゴ・デ・シロスへ向かう。乗るときに運転手とシロスまで60ユーロ(ガイドブックに書いてあった相場である)で行ってくれと話をつける。長距離のタクシー移動では最終的にどんな金額になるか見当がつかない。ぼったくられることを防ぐ意味で大切なことである。
 ずっと何もない土地をひたすらタクシーは走って行く。シロスに着くと、やはり修道院のほかには何もない小さな村、むしろ集落である。

04サント・ドミンゴ・デ・シロス 地図


 受付は修道院の回廊の入り口にあり、チケットを購入する。一歩内部に足を踏み入れると、スペインらしく黄色い粗い石。見事な回廊空間がそこにある。

05サント・ドミンゴ・デ・シロス 受付


 回廊は修道院に不可欠の構造物である。古代ローマの柱廊を巡らせたアトリウム(前庭)に由来するが、12世紀に入ると柱頭などに大量の彫刻装飾が現れる。この巡礼でも訪れたフランスのモワサック修道院(1100年完成)の回廊が最初のものと言われている。
 修道院という物理的に閉ざされた空間において、回廊だけが外界とつながる通路である。空を見ることのできる唯一の場所と考えると、回廊は修道士にとって特別な意味を持つ。回廊を散歩することは思索と瞑想を行うことであり、回廊はそのための場所であった。そこには憩いと安らぎが求められた。また思索の手掛かりとなるものが必要であった。回廊の内庭はきれいに整えられ、回廊の柱頭には様々の意匠が施されたのはそのためである。したがって彫刻の題材は聖書、聖人伝はもとより、植物や動物、想像上の奇怪な生き物、世俗の日常生活の断片など、聖と俗との多彩な組み合わせとなっている。やはり、風と太陽を感じる場所は人間にとって必要であり、大切なのだと改めて思う。
 サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院の回廊は2層になっていることが特徴である。重量を支えるための柱はモワサックの修道院の回廊と同じぐらい繊細であり細い、この柱が過重を支えていることに驚く。その緊張感がスペインで最も美しい回廊と呼ばれる所以でもあるのだろう。また、よく見ると、一見整然と並んでいるように見える柱も、柱頭彫刻ばかりではなく、間隔や太さ、プロポーションが微妙に異なっていて、その多様性が心地よいリズム感を生み出している。特に、4面のそれぞれ中央に置かれた柱は、ねじれたり、太かったり、四角だったり、4本組みだったりと意識的に造形されている。そのちょっとした遊び心が楽しい。

06サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院 回廊


07修道院 回廊2


08柱頭彫刻


09修道院 回廊3


 イスラム美術の影響のもとで生まれたモサラベ様式でデザインされた松材の天井、石モザイクの床など細部まで美しい回廊であるが、この回廊を何よりも有名にしているのが廊下の四隅の内側を飾る計8枚の浮き彫りパネルである。
とくに「トマスの不信」は傑作と呼ばれる作品である。ヨハネによる福音書20章の、復活のキリストと弟子トマスとのエピソードが題材となっている。
 復活のキリストが弟子たちに現れた時、不在であったトマスは、弟子たちが「わたしたちは主にお目にかかった」と言っても、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」と信じようとしない。一週間後、今度は弟子たちと一緒にいたトマスに復活のキリストが現れる。そしてトマスに「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と語りかけ、トマスは「わが主よ、わが神よ」と答えて信じる者となるという話である。
 このエピソードの結びの言葉である「見ないで信ずる者は、さいわいである」(ヨハネによる福音書20章29節)とのキリストの言葉は、ヨハネによる福音書そのものの内容的な結びともなっていて、このパネルは信仰の奥義をあらわすものとして教義的な役割も果たしている。

10トマスの不信


 ミサにも出席し、グレゴリオ聖歌を聞く。じっさい、この修道院を世界的に有名にしているのは、回廊と彫刻だけではなく、この修道院で録音され1994年に発売されるや世界的なヒットとなったグレゴリオ聖歌でもある。現在も30人ほどの修道士がいて、祈祷7時間、労働7時間、睡眠7時間、食事や入浴など3時間という中世そのままの生活を続けている。その中でも特に重んじられているのが一日6回のグレゴリオ聖歌による祈祷、ミサの時間である。そのため、修道士が歌うグレゴリオ聖歌を一般の見学者も聞くことができる。修道院付属の礼拝堂に響く単旋律のグレゴリオ聖歌。聞き終わると心がスッと軽くなる感じがした。現在もCDとして発売されており、日本でも購入可能である。

11修道院 礼拝堂


 昼食を町の食堂のようなレストランで食べ、丘の上に登る。この丘は修道士たちの墓地のようである。無名であることをよしとする修道士たちにふさわしく墓石はないが、修道院の見えるこの丘に埋葬されるそうである。幾年月を超えてもこの丘からの景色はほとんど変わることがないだろう。古の修道士の気持ちを少し感じることができたように思う。

12


13サント・ドミンゴ・デ・シロス 全景


 帰りは行きのタクシーの運転手に帰る時間を伝えて、迎えに来てもらった。帰りはチップを含め70ユーロを渡し、名残惜しいがブルゴスへ帰る。
タクシー代は巡礼者にとっては大きな出費であるが、それ以上の価値があったと思う。
 時を数百年遡った1日であった。

総距離966.9km

(はがげんたろう)


コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第16回 サンダル
adidas アディダス Duramo Slide 2,200


 足にとって一番楽な状態とは何か。私は裸足だと思う。特に風呂上がり。裸足が理想だとすると、その理想に最も近い状態はサンダルではないだろうか。このアディダスのサンダルはとてもシンプルである。サンダルにはさまざまな形式のものがあるが、私は鼻緒のあるビーチサンダルタイプは苦手なので、このタイプが私には適している。近所の散歩やコンビニへの買い物に行くときにはこれを履く。
 巡礼で酷使した足からトレッキングブーツを脱ぎ、靴下を脱ぐ。この瞬間がたまらなく気持ち良い。シャワーを浴びた後は靴下なんて履きたくはない。足を解放させ、このサンダルを履いてアルベルゲの中を移動する。
 夏も近くなり、サンダルを履く機会も多くなる。たかがサンダルであるが、意識するとまた違うのではないだろうか。シャワーサンダルとしても重宝している。値段も手頃である。サンダルは思っている以上に履いている時間は長いものだ。理想の靴を探すのもいいが、自分にとっての理想のサンダルを探すというのもいいのではないだろうか。

14アディダス サンダル


芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2008年 芝浦工業大学工学部建築学科入学。
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了。
2013年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業。
2015年 立教大学大学院キリスト教学専攻キリスト教学研究科博士課程前期

2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行う。

●今日のお勧め作品は、植田実です。
20150711_ueda_02_ljubliana_slovenia植田実
「リュブリャナ Ljubljana, Slovenia」
1984年撮影(2010年プリント)
ラムダプリント
15.9x24.4cm Ed.7
サインあり


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