可愛い子には旅をさせろ・・・・といいますが。
昨日のブログで尾立がご報告した通り、アメリカ初出展のアート・サンタフェは今までに無い壊滅的惨敗でした。甲子園初出場でコールドゲーム負けしたようなショックを受けたスタッフはやつれ果てて帰国しました(半分冗談ですが、食が合わなくて痩せたのは事実です)。
海外への出展にはブース代はじめ輸送費、スタッフの旅費、滞在費などなど数百万円があっという間に消えて行きます。今回はロスの港湾ストの影響で本来なら船便ですむところを、やむなく航空便に切り替えたためゼロが一つ違う高額な輸送費となったことも痛手でした。
ただの一点も売れなかったのですから、私たちの出品作品とアートフェアの内容そのものに大きな落差があり、事前のリサーチがまったくできていなかったことを深く反省しています。
さて次のソウルやシンガポールをどういう戦略で攻めるか。思案のしどころです。
捨てる神あれば拾う神あり、先月久しぶりに開催した(というか30数年ぶり)「元永定正 もこもこワールド」が好評で、その後も海外からまとめて注文が来るなど、よい反応が連鎖的に続いています。
1977~1984年にかけて亭主がエディションし、長年眠っていた作品群がやっと日の目を見たわけですが、お買い上げいただいたお客様には感謝の言葉もありません。
先週末に開催された某オークションでは「具体以後の元永」作品が10数点出品されたようですが、参加されたお客に聞いたところでは軒並み超高額での落札となり会場がわいたらしい。
今までは「具体時代の元永はいいけれど、それ以降のマンガみたいのはちょっと」というのが通り相場でしたが、今回は具体以後にもかかわらずほとんどがエスティメートの倍以上、1977年(亭主が初めて元永版画をエディションした年)のマンガみたいな30号の油彩(エスティメートは500万円~700万円)にいたっては17,250,000円で落札されたというから驚きです。
版画も何点か出品されましたが今までの記録を大幅に更新する高額落札でした。
社長は「私たちが生きてる間に再評価されるかしら」と案じていましたが、亭主はこの日が来るのを確信していました。
なぜなら「具体」に所属した数十人の作家たちの中で200種類以上、それも限定100部以上の版画作品を継続的に制作したのは元永定正先生ただ一人だからです。
版画家の吉原英雄先生でさえ、刷られた総点数では元永先生にははるかに及ばない。
ピカソでもマチスでも、近くはウォーホル、草間彌生にいたるまでファン(コレクター)を広げるのに最大の貢献をしたのが複数オリジナルの版画であることは歴史が証明しています。
タブローが高騰し一般の人に手が届かなくなっても版画ならば多くの人たちの需要に応えられる。しかし吉原治良、白髪一雄、田中敦子らの「具体」トップランナーたちにはそれほど多くの版画はありません。
元永先生だけが数多くの版画作品を残してくれた。
なぜか。
ほとんどの方がご存知ないでしょうが、専門の版画家以外の作家が版画工房や刷り師と協働して版画をつくるのには、実は膨大な制作資金がかかります。
亭主は1977~1984年にかけて元永先生の版画作品60数種類を「版元」としてエディションしましたが、元永先生に支払ったサイン料、刷り師への刷り代、紙代、製版代は当時でも数千万円かかりました。
(参考までに1983年に亭主が「KIKU」「LOVE」シリーズ6点のエディションのためにウォーホルに支払ったのは他の作品購入を含めて総額7,000万円。日本での刷り代は別です。版画制作にはお金がかかるのです。)
一点あたりの単価は低くても、総体ではとても一個人でまかなえる金額ではありません。
吉原治良は別格として当時は全く売れなかった「具体」の作家たちに版画制作をもちかけ制作資金を負担する版元はほとんどありませんでした。
亭主は軍師・関根伸夫先生の推薦により元永先生に初めて会い、版元として元永版画のエディションに取り組みました。それを支持してくださり、多額の制作資金を分担してくれた当時の現代版画センターの会員、支部の方たちには心から感謝しています。
その一人、神戸の平田和子さんのことを懐かしく思い出しています。
バブル崩壊、リーマンショックの後、市場を支えていたのは草間彌生作品だったというのは市場の常識です。その後の欧米での「具体」のフィーバーがようやく日本にも押し寄せてきましたが元永版画がその一翼を担うであろうことは間違いないでしょう。
~~~~~~~~~~~
展覧会をすると「売る」ばかりでなく、こういう作品を持っていて「売りたい」のだがという話が持ち込まれるのが嬉しいですね。
先日、元永先生のドローイング小品を4点ご紹介しましたが、あれからまた新たな作品が入ってきました。
1964年、「具体」時代の元永定正作品です。
元永定正
ドローイング・紙
1964年
14.0×9.1cm
signed
元永定正 Sadamasa MTONAGA
(作品1973)
1973年
ドローイング+コラージュ・紙
14.8×9.9cm
signed
~~~~~~~~~
●新着版画のご案内
元永定正
「い」
1979年
シルクスクリーン
Image size: 44.8x60.2cm
Sheet size: 50.1x65.7cm
Ed.150
サインあり
元永定正
「すこしゆれてる」
1985年
シルクスクリーンン
Image size: 46.0x65.0cm
Sheet size: 56.0x75.8cm
Ed.100
サインあり
元永定正
「ぐりんがひとつ」
1985年
シルクスクリーン
Image size: 10.0x10.0cm
Sheet size: 25.0x18.4cm
Ed.500
サインあり
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昨日のブログで尾立がご報告した通り、アメリカ初出展のアート・サンタフェは今までに無い壊滅的惨敗でした。甲子園初出場でコールドゲーム負けしたようなショックを受けたスタッフはやつれ果てて帰国しました(半分冗談ですが、食が合わなくて痩せたのは事実です)。
海外への出展にはブース代はじめ輸送費、スタッフの旅費、滞在費などなど数百万円があっという間に消えて行きます。今回はロスの港湾ストの影響で本来なら船便ですむところを、やむなく航空便に切り替えたためゼロが一つ違う高額な輸送費となったことも痛手でした。
ただの一点も売れなかったのですから、私たちの出品作品とアートフェアの内容そのものに大きな落差があり、事前のリサーチがまったくできていなかったことを深く反省しています。
さて次のソウルやシンガポールをどういう戦略で攻めるか。思案のしどころです。
捨てる神あれば拾う神あり、先月久しぶりに開催した(というか30数年ぶり)「元永定正 もこもこワールド」が好評で、その後も海外からまとめて注文が来るなど、よい反応が連鎖的に続いています。
1977~1984年にかけて亭主がエディションし、長年眠っていた作品群がやっと日の目を見たわけですが、お買い上げいただいたお客様には感謝の言葉もありません。
先週末に開催された某オークションでは「具体以後の元永」作品が10数点出品されたようですが、参加されたお客に聞いたところでは軒並み超高額での落札となり会場がわいたらしい。
今までは「具体時代の元永はいいけれど、それ以降のマンガみたいのはちょっと」というのが通り相場でしたが、今回は具体以後にもかかわらずほとんどがエスティメートの倍以上、1977年(亭主が初めて元永版画をエディションした年)のマンガみたいな30号の油彩(エスティメートは500万円~700万円)にいたっては17,250,000円で落札されたというから驚きです。
版画も何点か出品されましたが今までの記録を大幅に更新する高額落札でした。
社長は「私たちが生きてる間に再評価されるかしら」と案じていましたが、亭主はこの日が来るのを確信していました。
なぜなら「具体」に所属した数十人の作家たちの中で200種類以上、それも限定100部以上の版画作品を継続的に制作したのは元永定正先生ただ一人だからです。
版画家の吉原英雄先生でさえ、刷られた総点数では元永先生にははるかに及ばない。
ピカソでもマチスでも、近くはウォーホル、草間彌生にいたるまでファン(コレクター)を広げるのに最大の貢献をしたのが複数オリジナルの版画であることは歴史が証明しています。
タブローが高騰し一般の人に手が届かなくなっても版画ならば多くの人たちの需要に応えられる。しかし吉原治良、白髪一雄、田中敦子らの「具体」トップランナーたちにはそれほど多くの版画はありません。
元永先生だけが数多くの版画作品を残してくれた。
なぜか。
ほとんどの方がご存知ないでしょうが、専門の版画家以外の作家が版画工房や刷り師と協働して版画をつくるのには、実は膨大な制作資金がかかります。
亭主は1977~1984年にかけて元永先生の版画作品60数種類を「版元」としてエディションしましたが、元永先生に支払ったサイン料、刷り師への刷り代、紙代、製版代は当時でも数千万円かかりました。
(参考までに1983年に亭主が「KIKU」「LOVE」シリーズ6点のエディションのためにウォーホルに支払ったのは他の作品購入を含めて総額7,000万円。日本での刷り代は別です。版画制作にはお金がかかるのです。)
一点あたりの単価は低くても、総体ではとても一個人でまかなえる金額ではありません。
吉原治良は別格として当時は全く売れなかった「具体」の作家たちに版画制作をもちかけ制作資金を負担する版元はほとんどありませんでした。
亭主は軍師・関根伸夫先生の推薦により元永先生に初めて会い、版元として元永版画のエディションに取り組みました。それを支持してくださり、多額の制作資金を分担してくれた当時の現代版画センターの会員、支部の方たちには心から感謝しています。
その一人、神戸の平田和子さんのことを懐かしく思い出しています。
バブル崩壊、リーマンショックの後、市場を支えていたのは草間彌生作品だったというのは市場の常識です。その後の欧米での「具体」のフィーバーがようやく日本にも押し寄せてきましたが元永版画がその一翼を担うであろうことは間違いないでしょう。
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展覧会をすると「売る」ばかりでなく、こういう作品を持っていて「売りたい」のだがという話が持ち込まれるのが嬉しいですね。
先日、元永先生のドローイング小品を4点ご紹介しましたが、あれからまた新たな作品が入ってきました。
1964年、「具体」時代の元永定正作品です。
元永定正ドローイング・紙
1964年
14.0×9.1cm
signed
元永定正 Sadamasa MTONAGA(作品1973)
1973年
ドローイング+コラージュ・紙
14.8×9.9cm
signed
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●新着版画のご案内
元永定正「い」
1979年
シルクスクリーン
Image size: 44.8x60.2cm
Sheet size: 50.1x65.7cm
Ed.150
サインあり
元永定正「すこしゆれてる」
1985年
シルクスクリーンン
Image size: 46.0x65.0cm
Sheet size: 56.0x75.8cm
Ed.100
サインあり
元永定正「ぐりんがひとつ」
1985年
シルクスクリーン
Image size: 10.0x10.0cm
Sheet size: 25.0x18.4cm
Ed.500
サインあり
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