東京都現代美術館で開催中の「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」については先日少し書きましたが、続報として担当学芸員のYさんのfacebookから転載させていただきます。
美術の力を信じようとする企画者の思いが伝わってきます。
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今日、会田家の展示室で、ある同級生に再会した。今朝、ニュースサイトのイジメに関する記事を読んで彼女のことを思い出していたのだった(そういうことってたまにありますよね)。思い起こすと、この展覧会の準備中から、彼女のことを何度も考えてたように思う。どういう巡り合わせかと声をかけると、もともと美術館が好きなのだけど、ネットなどで私の名前を見かけて、気になって見に来てくれたのだという。彼女が具体的にイジメられてる場面の記憶はないけれど、いつもひとりで、学校に来ない日も多く、みんな遠巻きに見てた。そんな彼女が卒業文集に、同級生全員に向けた呪詛のような「檄文」を書いたとき、「不満があったなら直接みんなに言えばいいのに」と友達と話したのを覚えている。彼女には、発言する場所がなかったのだという想像力が、その時の私には欠けていた。今回の展覧会は、彼女のような子供たちのための展覧会だというイメージが、私の中にずっとあった。会田さんや岡田さんの作品を、中学生の時に知ってたら、どんなに生きやすくなるだろう。「はじまるよ、びじゅつかん」での、もうひとつの自由な場所の経験があったなら。中学生くらいだと、みんなそのハケ口を音楽に求めるけれど、美術だっておんなじ可能性を持ってる…などなど、展示室のなかで、自分の中学時代の生き辛かった思い出話とともに、そんなことも彼女に話したけれど、途中で恥ずかしくなってやめた。私は明らかに、かつての彼女に向けて、自分の罪悪感を消したいばかりに話していた。彼女は笑って共感してくれたけれど、ほんとはどう思ってただろうか。
別れたあと、随分長く展示を見てくれていた。早くに家を出ちゃったからと、今の連絡先ももらった。同級生のみんな、これからは同窓会なんかも誘ってって言ってたよ。
(Yさんのfacebookから)
美術の力を信じようとする企画者の思いが伝わってきます。
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今日、会田家の展示室で、ある同級生に再会した。今朝、ニュースサイトのイジメに関する記事を読んで彼女のことを思い出していたのだった(そういうことってたまにありますよね)。思い起こすと、この展覧会の準備中から、彼女のことを何度も考えてたように思う。どういう巡り合わせかと声をかけると、もともと美術館が好きなのだけど、ネットなどで私の名前を見かけて、気になって見に来てくれたのだという。彼女が具体的にイジメられてる場面の記憶はないけれど、いつもひとりで、学校に来ない日も多く、みんな遠巻きに見てた。そんな彼女が卒業文集に、同級生全員に向けた呪詛のような「檄文」を書いたとき、「不満があったなら直接みんなに言えばいいのに」と友達と話したのを覚えている。彼女には、発言する場所がなかったのだという想像力が、その時の私には欠けていた。今回の展覧会は、彼女のような子供たちのための展覧会だというイメージが、私の中にずっとあった。会田さんや岡田さんの作品を、中学生の時に知ってたら、どんなに生きやすくなるだろう。「はじまるよ、びじゅつかん」での、もうひとつの自由な場所の経験があったなら。中学生くらいだと、みんなそのハケ口を音楽に求めるけれど、美術だっておんなじ可能性を持ってる…などなど、展示室のなかで、自分の中学時代の生き辛かった思い出話とともに、そんなことも彼女に話したけれど、途中で恥ずかしくなってやめた。私は明らかに、かつての彼女に向けて、自分の罪悪感を消したいばかりに話していた。彼女は笑って共感してくれたけれど、ほんとはどう思ってただろうか。
別れたあと、随分長く展示を見てくれていた。早くに家を出ちゃったからと、今の連絡先ももらった。同級生のみんな、これからは同窓会なんかも誘ってって言ってたよ。
(Yさんのfacebookから)
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