<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第35回

01
(画像をクリックすると拡大します)

インドには行ったことがないが、またこの先も行くことはないだろうけれど、行ってみたいといううっすらとした欲望が、この写真を見ていると芽生えてくる。
この世ではめったに得ることのできない豪華な時間が、そこに待っているような気がしてならない。

河のほうに突き出している八角形の建造物がある。
写真を見たとき、最初に目がいったのはそれだった。
手でなぞりたいような魅力的な形状をしていて、棚の上などに置かれている容れ物が連想された。トップの八角形の蓋を開けると、なかには茶っ葉が入っている。代々その家に引き継がれてきた細工の美しい茶筒。

八角形のなかはきっと部屋になっている。そこには窓がない。瞑想をする場なのだ(という想像が働く)。湿ったひんやりした空気がこもり、黴臭く、壁の外にある広々した世界とは遮断されている。むろん前に流れている大きな河は見えず、半身でそれを感じながら、その密閉された空間で瞑想する(かもしれない)。

その背後にはもっと大きな建物が控えている。回廊でつながっていて、母屋から離れが飛び出している格好だ。回廊のアーチ型の窓の下には男の姿が見える。写真を見たとき、八角部分のつぎに惹きつけられたのは、この人影だった。腰布だけを巻いた上半身裸の男が台座の縁に座って外に目をやっている。もう一方の男は手にした物を腹にあてて力いっぱい引っぱっている(固くなった茶筒の蓋を開けているのかもしれない!)。

八角形の物体はサイズ感が曖昧なような印象を受ける。大きいようにも、小さいようにも見えるのだ。精緻な形のせいだろうか。それもあるかもしれない。でも、もっと関係しているのは彼らの姿なのではないか。手でそれを隠してみるとわかる。ふたりが消えると意外にも建物らしさが際立ち、大きさにも納得がいく。

ふつうは建物に人が居ればサイズの目安になる。でもこの写真では人の居るせいでそれが不明瞭になっている。物体の意味不明さも彼らの姿により強まっているように思う。つまり、用途のわからない建造物がただあるだけならまだよいが、そこに当たり前のように振る舞っている人間が居るがために、この世にあらざるような謎めいた世界が蓋を開けてしまったのだ。

ふと影絵の劇場のようだと思った。彼らの背後が吹き抜けになっていて、差し込む光がふたりをシルエットにしている。手前には二匹の猿がいて、腰をかがめてなにか拾っている。男たちが食べ物をやったのかもしれず、なにやら物語めいたものが動きだす。

八角の台座は五つ写っていて、奥から二番目のものには立ったり座ったりしている男たちがいる。そこだけ人数が多い。しかもみんなが河のほうを向いている。何か重要なものが、そこからだとよく見えるのだろうか。

手前から二番目の台座には猿が座っている。一匹は河に背を向け、もう一匹は河を眺めている。人間もひとりいて、空には鳩が群らがっている。

統合すると、この写真には人間と猿と鳩の三種の生き物が写っている。探せばネズミなんかもいるかもしれないが、肉眼で認められるのはこの三つだ。生きて呼吸しているものが、等しく、同じ時間のなかに身を置いている。餌を拾う猿なら猿の、茶筒の蓋を開ける男なら男の、立ち上がって遠く眺めている男なら男の、群れをなして舞う鳩なら鳩の事情というものがあるはずだが、この場にいて感じとっていることには大差がない。複雑な事情を手放してみんなが無心になっている。豪華な時間とはこういう時間のことを言うのだ。

~~~~
●紹介作品データ:
井津建郎
「EL294#2 Vrindavan 2014, India」
2014年
ゼラチンシルバープリント
Image size: 38.0x38.1cm
Sheet size: 50.8x40.6
Ed.20
サインあり

井津建郎 Kenro IZU
1949年 大阪に生まれる
1969-1970年 日本大学、芸術学部写真科在学
1970年 ニューヨークへ移住
1974年 ニューヨークにてKenro Izu Studio を設立
1979年 最初のエジプトでの撮影を通じて『聖地』に興味をもち、以後ライフワークとして撮影を世界30カ国以上において続けている。
1983年 14x20インチのフィルムを使った密着プラチナ・プリント技法を開始する。
1993年 初めてカンボジアを訪れ強い感銘を受ける。その後アジアの『聖地』の撮影を始める。同時に病気や地雷による怪我をおっても病院で治療を受けられないカンボジアの子供たちの姿を目の当たりにしたことからチ ャリティー活動を開始し、1999年に子供のための病院をカンボジアに設立した。その後も現在にいたるまで制作の傍らチャリティー活動にも尽力している。
2013年 インドにおいての人間の尊厳と生命のドキュメント作品『永遠の光』の開始

●展覧会のお知らせ
京橋のツァイト・フォト・サロンで、井津建郎さんの展覧会が開催されています。上掲の作品も出品されています。

井津建郎写真展「 Eternal Light - 永遠の光 」
会期:2015年11月18日[水]~12月19日[土]
会場:ツァイト・フォト・サロン
   〒104-0031 東京都中央区京橋3-5-3 京栄ビル1F
時間:10:30~18:30(土曜日は17:30まで)
※日・月・祝日休廊

鮭は川で孵化して稚魚となり、海を目指して長い旅に出る。やがて海で大きく成長した鮭は漁師の網や大型魚の攻撃をかいくぐり再び何千キロもの旅を続け生まれ故郷の川を目指す。そして必死の力を振り絞って川を遡り、ようやく産卵を終えたのちその生命の円を閉じるという。
インドで出会った人々、その多くはカースト制度の外あるいはその末端近くで信心深く日々を生きる人たちだった。そして生命の最後の数日を家族とともに解脱を信じて聖なるガンジスの畔で過ごし、河畔で荼毘に付されることを彼らは願う。孤児、寡婦、あるいは旅立ち近い老人、その境遇にもかかわらず信仰深く生きる人々に生命の尊厳を感じて、私は私自身にとって初めての人間ドキュメントと言えるこの作品を制作した。
夜明け前に見た荼毘跡に残る熾火の微かな瞬きが、あたかも生命を輝かせる永遠の光のように見えた。
井津建郎

プラチナプリントの美しさに定評のある井津建郎ですが、2年以上の歳月をかけてインドで撮影を行った本作は銀塩写真で制作されました。プラチナプリントとはまたちがったモノクロームの味わいのある深みと、井津ならではの雄弁な表現力は観る者を圧倒します。是非ご高覧ください。
(ツァイト・フォト・サロンHPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。