石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」第22回
マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都
22-1 頌春
拙宅 2009年元旦
---
皆さま明けましておめでとうございます。旧年中は、小生のつたない思い出話にお付き合い下さり有難うございました。綿貫さんと約束したこの連載も第四コーナーを回って最後の直線に入り、御神酒で麻痺したボケ頭に鞭を打ちつつゴールを目指しますので、いましばらくのご辛抱を宜しくお願いいたします。
これまで作品収集や展覧会開催について書いてきましたが、今回は銀紙書房の本作りについて触れたいと思います。連載第1回で『時間光』(1975年刊)を上梓したのは「マン・レイへのラブレターを書きたい、本のような形、オブジェのようなものにしたい」からと報告したように、収集の喜びを率直に表現してきた。その一方で、マン・レイ作品入手の対価を、自己表現への投資に割り振りたいとする思いも持った。マン・レイを受け入れるだけではなくて、世の中に返したいとする動機は、「わたしとは誰か?」の問いに答えようとする、10代後半に写真表現に目覚めた時からのライフスタイルだったと言えよう。
本の形に固守したのは、高校生で手にした写真集、東松照明『日本』、森山大道『にっぽん劇場写真帖』、細江英公『おとこと女』からの影響であり、決定的に魅せられたのは連盟の先輩である杉山茂太氏の写真集『SUD』だった。本文頁はオリジナル写真に薄布を噛ませての張り合わせ、ボール紙を心にして布をくるんだ外見。手製本であり、自分の写真集を作りたいと思う者の入門コースとしては最適だった。撮影、レイアウト、印画焼き付け、製本と熱中し、短期間の間に3種類(5冊)を作ったものの、接着の有機溶剤によって身体を壊してしまった。
---
社会人となってからも、本に対する関心を強く持ち続けたが、印画紙裏面全体への接着剤塗布は断念して、手書き原稿や湿式コピーによる本文に、簡易な表紙を付けると云うスタイルに変えていたが、和綴じで外見洋装と云うのは落ち着きがなく、模索。そうした時に、栃折久美子さんの著作『モロッコ革の本』(筑摩書房、1975年刊)と『製本工房から』(冬樹社、1978年刊)を読んだ。欧州での製本技術習得の興味深い話しに惹きつけられ、丸背上製本を作ったが、わたしには知識がなく糸縢りが出来なくて不満が残った。しかし、彼女が考案された「パピヨン縢り」を『手製本を楽しむ』(大月書店、1984年刊)で知るに至って、わたしの世界はしっかりしたものとなった。糸の両端に針を付け交互に折帖を綴じ重ねて本にするやり方の詳細は、前揚書を見ていただくとして、後年、栃折久美子さんが振り返った思いを転記しておきたい。「伝統のない国であること、住宅事情などを考えて、伝統的なルリュールの技術のうち、省いてはいけないことを残し、実際には十分の一くらいの手間でできる製本方法を考案した。パピヨンと名付けたこの方法は、道具も身の回りにあるものだけでほとんどのことができる早製本なので、今ではラ・カンプルはむろんのこと、他のヨーロッパの国の会ったことのない人にまで、知られている。」(『森有正先生のこと』筑摩書房、2003年刊、203-204頁)。
22-2 エフェメラ
マン・レイの初個展カタログなど
1950-60年代、パリでのマン・レイ個展ポスター
ここでは、銀紙書房の手作り本として18冊目となる『マン・レイ展のエフェメラ』(邦題)を例にとって、話を進めたい。「エフェメラ(ephemera)」と云うのは耳慣れない言葉と思うが、ギリシャ語や近代ラテン語で1日しか存在しえないものを指す言葉「epi=on hemera=day」を起源に、転じて蜻蛉などの短命な虫や花、ないし短期のみ存在するものを意味しており、欧米では一般的に長期使用や保存を意図しない一枚だけの印刷物を呼ぶ。マン・レイの人生に寄り添って生きていきたいと願っている筆者としては、売れない画家(?)が開いた展覧会に関係するカタログ、ポスター、案内状等を手許に置いて、会場の様子や売れ行きに悩む作者の心情を思いやり、過去に遡って「これ好きです、買いましょう。」と言っている自分を夢想するのである。展覧会が終われば捨てられてしまう運命の「エフェメラ」を探し求めて34年。質・量ともに「世の中に返す」程となったと思ったので刊行を準備した。恐らく、この時点で画家の展覧会資料だけに絞った書籍は無いだろうから、世界的にみても先験的仕事、本人は焦りながらの作業開始だった。
読者を海外と想定した、200頁程のボリューム感ある書籍。マン・レイの展覧会を個展とグループ展に別け、年代順・都市別に並べる事によって、仕事の変遷と各国の受容史をとらえるよう意図した。諸般の事情から図版は厳選。文字情報の客観的表記だけでは辞書のようになって楽しみに欠けるが、情報に恣意的要素が入りすぎると古書目録と同じになってしまう。わたしの後に続く、若い研究者の為にも「エフェメラ」愛の情熱を伝える本でなくてはならない。コレクションについては、京大カード方式で整理しているものの、入場券や新聞や出品リストに加えて会場写真など展覧会に関係する全ての物品、およそ800点を規則に従ってデータ化し、判りやすく記述するのに頭を使った。原物確認を初めてみると、二転三転と方針を変える必要にせまられ、手戻りが続出したのには参った(変えるのが本人だから、嘆くのは間違いだけど)。
校正
木屋町御池上ル、メリー・アイランド
2007.10.23
物差し片手にデータを打ち込むのに半年近くはかかったろうか、連日深夜までモニターを凝視しているとドライアイが進行して吐き気に襲われる。本文レイアウトにはインデザインを使い、バランスを考えながら字数を調整。基本項目は、都市、画廊、展覧会名、会期、形式、サイズ、出品様式と点数、テキスト執筆者と表題、出版部数。原物の前所有者名と展示歴を加える事により、「エフェメラ」個々のオリジナル性も示すように努めた。ここで悩んだのが欧文表記──イタリックとゴシックの使い方は判っても、展覧会会期によってスペースの開け方を調整しなければならないなど、日本人の筆者には細かい規則までは判らない。これに不備があると、刊行本自体の信憑性が揺らぐので、切実な問題であった。
---
高橋善丸氏
烏丸通二条上ル、松栄堂
2007.9.22
須川まきこ氏
出版記念パーティ、2008.2.1
古くからの友人であるデザイナーの高橋善丸氏が、同じデザイナーの杉崎真之助氏と組んでドイツ・ハンブルグ美術工芸博物館で開催した展覧会「真 善 美」の報告をかねた展覧会カタログ(作品集)の出版記念パーティー(2008年2月15日)へ参加した折、翻訳家のディビット・アレン氏を紹介してもらった。アメリカ生まれのイギリス育ち、話をするとマン・レイにも関心をお持ちで、「エフェメラ」本への協力もその場で快諾いただいた。嬉しい出会いである。テキスト5,000字の英訳をお願いしたのは7月、『マン・レイ展のエフェメラ』とする邦題を、どう置き換えるかディビットの意見をお聞した。氏はわたしの行為を、マン・レイの生涯を追跡するものと捉え、読者には「エフェメラ」そのもののインパクトを与え、副題で説明する戦略を導き出した。題して『Ephemerons: Traces of Man Ray』。三条堺町下ルのイノダコーヒ本店で、情緒にとらわれすぎる筆者の「マン・レイ狂い」が、論理的な氏の考えで修正されるのを、感激しながら受け入れた。書体をCourierからTimes New Romanに変更したのも氏の助言によるものだった。
ディビット・アレン氏
堺町三条下ル、イノダコーヒ本店
2008.7.5
同上
---
22-3 銀紙書房
こうして内容を整えた後は、ソフトを使っての具体的なレイアウト作業となる。活字を組む訳ではないので簡単だと思われるかも知れないが、一切合切を自分でやらないと気の済まない性格、廉価で仕上げなければならない制約もあった。家庭用プリンターのエプソンPX-A650は、顔料インク使用なので、書籍印刷に適していると思うが、印刷効果と手触りの良い用紙を選ぶのが最初の関門だった。用紙はA4二つ折の横目(通常は縦目)、この為、別途発註、裁断が伴うのだった。幸い勤務先の関係で用紙問屋との付き合いがあり、サンプル用紙も提供してもらい試行錯誤(画像印字など、紙とインクの相性があるのです)、最終的に平和紙業のエコラシャきぬ70Kgを採用した。両面印刷をすると用紙のくわえもあり微妙に表裏がずれるので、インデザインで調整(1-2ミリの誤差は機械の個体差でもある)、一冊、208頁となったのでインクパックも大量使用、エプソンの機械は給紙機構が弱いので苦労。75部製作としたので、単純計算でA4印刷15,600回、時間が恐ろしくかかった。
製本作業の工程は、縮小した案内状複製2種と資生堂での展覧会で配付したリーフレット2枚、探求書リストの別紙を差し込んで折帖は8、各冊毎にカッターナイフで切り落とし前小口を揃える事から開始。8丁を合わせるとなると、0.5ミリ単位のズレでも品質を落とすので苦労。刃を常に新しくして対応した。続いてのパピヨン縢りは、糸鋸と千枚通しで位置を決めるも、針先が別の糸をひろって難儀するが、お針子になっているようで楽しい事柄だった。そして、工程で最も気をつけなければならないのは、背固めの方法だった。わたしの場合は、在パリのチサト(連載第20回参照)さんからレミの製本用糊を別けてもらい使用。4回塗ると丁度良い弾力となるのだが、部屋の換気には注意が必要である。これらの作業については、写真を掲載するので参考にしていただきたい。
エプソンPX-A650
パピヨン縢り
同上
背固め
---
今回の表紙デザインは、ドイツの古い小口木版からの引用。本人としては会心の作だと思う。本の売れ行きは表紙次第と云うから期待が持てる(ハハ)。表紙に使った用紙も平和紙業で、ケンラン モスグレー265kg、カバーはキュリアスIRパール103kg。ここで、苦労したのが帯の色である。A3プリンターを持っていないので、手許のPX-A650でテストした後、ゼロックス機で出力するも、イメージする色は、簡単には再現できなかった。PDFファイルを数種作って検討、何とか妥協点を導いた。
本の構想から、資料の整理、データの抽出、写真撮影。テキストの執筆と英訳、製本工程を経てやっと、最初の一冊ができたのが2008年12月20日だった。手作業の限界かと思う75部製作は、凡そ1か月で15冊仕上げるペース、本業との兼ね合いもあり、全数を納品出来たのは、翌年の6月17日だった。量産工程に入って続く単調作業の苦痛は、やった人にしか判らないだろうね(誰もやらないか)。
さて、『マン・レイ展のエフェメラ』を上梓し、ホームページなどで告知させていただいたところ、多くの方々から注文をいただいた。刊行者としては望外の喜びである。押し売りはしていないつもりだけど、そう感じられた友人、知人には、この場を借りてお詫びしておきたい。──「ゴメンナサイ」。でも、買っていただけると、勇気付けられるんです。世の中に受け入れられた気持ちと云うか、マン・レイも喜んでくれただろう、一人ではないのだと安心出来るのです。
イノダコーヒ本店で最終確認
仕上がりました
---
海外送付
本書の刊行は海外の読者を想定したと既に書いたように、お世話になっている古書店主の他にパリやニューヨークの知人に送った。また、研究者の利用に供する事も目的の一つであり、いくつかの図書館に寄贈した。海外の公的機関における受け入れ体制を知らないが、パリのポンピドゥセンターにあるカンディンスキー図書館(限定番号59)、ロサンジェルスのゲッティ美術館(限定番号65)、ニューヨーク近代美術館(限定番号67)が蔵書に加えてくれたのは、有り難い事だった。日本の公共機関にも寄贈しておけば良かったと、今になって思う。ささやかに綴じられた紙の束が、本の形となって表紙が付けられ、美しい帯で化粧されて海外の図書館の閲覧室で頁が開かれる。マン・レイ研究の基礎資料、以前に作った油彩のレゾネと同じように、マン・レイへの愛に満ち満ちていると、本人は思ってしまうのだった(手前味噌でした)。
続く
(いしはらてるお)
■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。
◆石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
-----------------------------------
●今日のお勧め作品はパウル・クレー Paul Kleeです。
パウル・クレー
「Three Heads」
1919年
リトグラフ
Image size: 12.1x14.8cm
Sheet size: 19.7x23.4cm
版上サイン
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都
22-1 頌春
拙宅 2009年元旦---
皆さま明けましておめでとうございます。旧年中は、小生のつたない思い出話にお付き合い下さり有難うございました。綿貫さんと約束したこの連載も第四コーナーを回って最後の直線に入り、御神酒で麻痺したボケ頭に鞭を打ちつつゴールを目指しますので、いましばらくのご辛抱を宜しくお願いいたします。
これまで作品収集や展覧会開催について書いてきましたが、今回は銀紙書房の本作りについて触れたいと思います。連載第1回で『時間光』(1975年刊)を上梓したのは「マン・レイへのラブレターを書きたい、本のような形、オブジェのようなものにしたい」からと報告したように、収集の喜びを率直に表現してきた。その一方で、マン・レイ作品入手の対価を、自己表現への投資に割り振りたいとする思いも持った。マン・レイを受け入れるだけではなくて、世の中に返したいとする動機は、「わたしとは誰か?」の問いに答えようとする、10代後半に写真表現に目覚めた時からのライフスタイルだったと言えよう。
本の形に固守したのは、高校生で手にした写真集、東松照明『日本』、森山大道『にっぽん劇場写真帖』、細江英公『おとこと女』からの影響であり、決定的に魅せられたのは連盟の先輩である杉山茂太氏の写真集『SUD』だった。本文頁はオリジナル写真に薄布を噛ませての張り合わせ、ボール紙を心にして布をくるんだ外見。手製本であり、自分の写真集を作りたいと思う者の入門コースとしては最適だった。撮影、レイアウト、印画焼き付け、製本と熱中し、短期間の間に3種類(5冊)を作ったものの、接着の有機溶剤によって身体を壊してしまった。
---
社会人となってからも、本に対する関心を強く持ち続けたが、印画紙裏面全体への接着剤塗布は断念して、手書き原稿や湿式コピーによる本文に、簡易な表紙を付けると云うスタイルに変えていたが、和綴じで外見洋装と云うのは落ち着きがなく、模索。そうした時に、栃折久美子さんの著作『モロッコ革の本』(筑摩書房、1975年刊)と『製本工房から』(冬樹社、1978年刊)を読んだ。欧州での製本技術習得の興味深い話しに惹きつけられ、丸背上製本を作ったが、わたしには知識がなく糸縢りが出来なくて不満が残った。しかし、彼女が考案された「パピヨン縢り」を『手製本を楽しむ』(大月書店、1984年刊)で知るに至って、わたしの世界はしっかりしたものとなった。糸の両端に針を付け交互に折帖を綴じ重ねて本にするやり方の詳細は、前揚書を見ていただくとして、後年、栃折久美子さんが振り返った思いを転記しておきたい。「伝統のない国であること、住宅事情などを考えて、伝統的なルリュールの技術のうち、省いてはいけないことを残し、実際には十分の一くらいの手間でできる製本方法を考案した。パピヨンと名付けたこの方法は、道具も身の回りにあるものだけでほとんどのことができる早製本なので、今ではラ・カンプルはむろんのこと、他のヨーロッパの国の会ったことのない人にまで、知られている。」(『森有正先生のこと』筑摩書房、2003年刊、203-204頁)。
22-2 エフェメラ
マン・レイの初個展カタログなど
1950-60年代、パリでのマン・レイ個展ポスターここでは、銀紙書房の手作り本として18冊目となる『マン・レイ展のエフェメラ』(邦題)を例にとって、話を進めたい。「エフェメラ(ephemera)」と云うのは耳慣れない言葉と思うが、ギリシャ語や近代ラテン語で1日しか存在しえないものを指す言葉「epi=on hemera=day」を起源に、転じて蜻蛉などの短命な虫や花、ないし短期のみ存在するものを意味しており、欧米では一般的に長期使用や保存を意図しない一枚だけの印刷物を呼ぶ。マン・レイの人生に寄り添って生きていきたいと願っている筆者としては、売れない画家(?)が開いた展覧会に関係するカタログ、ポスター、案内状等を手許に置いて、会場の様子や売れ行きに悩む作者の心情を思いやり、過去に遡って「これ好きです、買いましょう。」と言っている自分を夢想するのである。展覧会が終われば捨てられてしまう運命の「エフェメラ」を探し求めて34年。質・量ともに「世の中に返す」程となったと思ったので刊行を準備した。恐らく、この時点で画家の展覧会資料だけに絞った書籍は無いだろうから、世界的にみても先験的仕事、本人は焦りながらの作業開始だった。
読者を海外と想定した、200頁程のボリューム感ある書籍。マン・レイの展覧会を個展とグループ展に別け、年代順・都市別に並べる事によって、仕事の変遷と各国の受容史をとらえるよう意図した。諸般の事情から図版は厳選。文字情報の客観的表記だけでは辞書のようになって楽しみに欠けるが、情報に恣意的要素が入りすぎると古書目録と同じになってしまう。わたしの後に続く、若い研究者の為にも「エフェメラ」愛の情熱を伝える本でなくてはならない。コレクションについては、京大カード方式で整理しているものの、入場券や新聞や出品リストに加えて会場写真など展覧会に関係する全ての物品、およそ800点を規則に従ってデータ化し、判りやすく記述するのに頭を使った。原物確認を初めてみると、二転三転と方針を変える必要にせまられ、手戻りが続出したのには参った(変えるのが本人だから、嘆くのは間違いだけど)。
校正木屋町御池上ル、メリー・アイランド
2007.10.23
物差し片手にデータを打ち込むのに半年近くはかかったろうか、連日深夜までモニターを凝視しているとドライアイが進行して吐き気に襲われる。本文レイアウトにはインデザインを使い、バランスを考えながら字数を調整。基本項目は、都市、画廊、展覧会名、会期、形式、サイズ、出品様式と点数、テキスト執筆者と表題、出版部数。原物の前所有者名と展示歴を加える事により、「エフェメラ」個々のオリジナル性も示すように努めた。ここで悩んだのが欧文表記──イタリックとゴシックの使い方は判っても、展覧会会期によってスペースの開け方を調整しなければならないなど、日本人の筆者には細かい規則までは判らない。これに不備があると、刊行本自体の信憑性が揺らぐので、切実な問題であった。
---
高橋善丸氏烏丸通二条上ル、松栄堂
2007.9.22
須川まきこ氏出版記念パーティ、2008.2.1
古くからの友人であるデザイナーの高橋善丸氏が、同じデザイナーの杉崎真之助氏と組んでドイツ・ハンブルグ美術工芸博物館で開催した展覧会「真 善 美」の報告をかねた展覧会カタログ(作品集)の出版記念パーティー(2008年2月15日)へ参加した折、翻訳家のディビット・アレン氏を紹介してもらった。アメリカ生まれのイギリス育ち、話をするとマン・レイにも関心をお持ちで、「エフェメラ」本への協力もその場で快諾いただいた。嬉しい出会いである。テキスト5,000字の英訳をお願いしたのは7月、『マン・レイ展のエフェメラ』とする邦題を、どう置き換えるかディビットの意見をお聞した。氏はわたしの行為を、マン・レイの生涯を追跡するものと捉え、読者には「エフェメラ」そのもののインパクトを与え、副題で説明する戦略を導き出した。題して『Ephemerons: Traces of Man Ray』。三条堺町下ルのイノダコーヒ本店で、情緒にとらわれすぎる筆者の「マン・レイ狂い」が、論理的な氏の考えで修正されるのを、感激しながら受け入れた。書体をCourierからTimes New Romanに変更したのも氏の助言によるものだった。
ディビット・アレン氏堺町三条下ル、イノダコーヒ本店
2008.7.5
同上---
22-3 銀紙書房
こうして内容を整えた後は、ソフトを使っての具体的なレイアウト作業となる。活字を組む訳ではないので簡単だと思われるかも知れないが、一切合切を自分でやらないと気の済まない性格、廉価で仕上げなければならない制約もあった。家庭用プリンターのエプソンPX-A650は、顔料インク使用なので、書籍印刷に適していると思うが、印刷効果と手触りの良い用紙を選ぶのが最初の関門だった。用紙はA4二つ折の横目(通常は縦目)、この為、別途発註、裁断が伴うのだった。幸い勤務先の関係で用紙問屋との付き合いがあり、サンプル用紙も提供してもらい試行錯誤(画像印字など、紙とインクの相性があるのです)、最終的に平和紙業のエコラシャきぬ70Kgを採用した。両面印刷をすると用紙のくわえもあり微妙に表裏がずれるので、インデザインで調整(1-2ミリの誤差は機械の個体差でもある)、一冊、208頁となったのでインクパックも大量使用、エプソンの機械は給紙機構が弱いので苦労。75部製作としたので、単純計算でA4印刷15,600回、時間が恐ろしくかかった。
製本作業の工程は、縮小した案内状複製2種と資生堂での展覧会で配付したリーフレット2枚、探求書リストの別紙を差し込んで折帖は8、各冊毎にカッターナイフで切り落とし前小口を揃える事から開始。8丁を合わせるとなると、0.5ミリ単位のズレでも品質を落とすので苦労。刃を常に新しくして対応した。続いてのパピヨン縢りは、糸鋸と千枚通しで位置を決めるも、針先が別の糸をひろって難儀するが、お針子になっているようで楽しい事柄だった。そして、工程で最も気をつけなければならないのは、背固めの方法だった。わたしの場合は、在パリのチサト(連載第20回参照)さんからレミの製本用糊を別けてもらい使用。4回塗ると丁度良い弾力となるのだが、部屋の換気には注意が必要である。これらの作業については、写真を掲載するので参考にしていただきたい。
エプソンPX-A650
パピヨン縢り
同上
背固め---
今回の表紙デザインは、ドイツの古い小口木版からの引用。本人としては会心の作だと思う。本の売れ行きは表紙次第と云うから期待が持てる(ハハ)。表紙に使った用紙も平和紙業で、ケンラン モスグレー265kg、カバーはキュリアスIRパール103kg。ここで、苦労したのが帯の色である。A3プリンターを持っていないので、手許のPX-A650でテストした後、ゼロックス機で出力するも、イメージする色は、簡単には再現できなかった。PDFファイルを数種作って検討、何とか妥協点を導いた。
本の構想から、資料の整理、データの抽出、写真撮影。テキストの執筆と英訳、製本工程を経てやっと、最初の一冊ができたのが2008年12月20日だった。手作業の限界かと思う75部製作は、凡そ1か月で15冊仕上げるペース、本業との兼ね合いもあり、全数を納品出来たのは、翌年の6月17日だった。量産工程に入って続く単調作業の苦痛は、やった人にしか判らないだろうね(誰もやらないか)。
さて、『マン・レイ展のエフェメラ』を上梓し、ホームページなどで告知させていただいたところ、多くの方々から注文をいただいた。刊行者としては望外の喜びである。押し売りはしていないつもりだけど、そう感じられた友人、知人には、この場を借りてお詫びしておきたい。──「ゴメンナサイ」。でも、買っていただけると、勇気付けられるんです。世の中に受け入れられた気持ちと云うか、マン・レイも喜んでくれただろう、一人ではないのだと安心出来るのです。
イノダコーヒ本店で最終確認
仕上がりました---
海外送付本書の刊行は海外の読者を想定したと既に書いたように、お世話になっている古書店主の他にパリやニューヨークの知人に送った。また、研究者の利用に供する事も目的の一つであり、いくつかの図書館に寄贈した。海外の公的機関における受け入れ体制を知らないが、パリのポンピドゥセンターにあるカンディンスキー図書館(限定番号59)、ロサンジェルスのゲッティ美術館(限定番号65)、ニューヨーク近代美術館(限定番号67)が蔵書に加えてくれたのは、有り難い事だった。日本の公共機関にも寄贈しておけば良かったと、今になって思う。ささやかに綴じられた紙の束が、本の形となって表紙が付けられ、美しい帯で化粧されて海外の図書館の閲覧室で頁が開かれる。マン・レイ研究の基礎資料、以前に作った油彩のレゾネと同じように、マン・レイへの愛に満ち満ちていると、本人は思ってしまうのだった(手前味噌でした)。
続く
(いしはらてるお)
■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。
◆石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
-----------------------------------
●今日のお勧め作品はパウル・クレー Paul Kleeです。
パウル・クレー「Three Heads」
1919年
リトグラフ
Image size: 12.1x14.8cm
Sheet size: 19.7x23.4cm
版上サイン
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
コメント