○○様

今日、近美に行ってきました。
呆然としました。
20160113恩地孝四郎展
会場が閑散としていたのは残念でしたが、展示はすばらしいの一言で、生きている間にこれだけのボリュームのある展覧会を見られるとは夢にも思っていませんでした。
桑原規子さんの著書などから、アメリカのいくつかのコレクションには日本にはない大作が多数あることは想像してはいましたが、実際にそれを目にするまでは恥ずかしながら、恩地の到達点が理解できませんでした。

私が初めて恩地三保子さんを訪ね作品をお借りして恩地孝四郎展、月映展を飯田橋にあった憂陀というバーで開いたのは1975年の5月と6月のことでした(今思えばあんな大事な作品を29歳のどこの馬の骨ともわからない若造によくも貸してくれたものです)。
以来、オンチおんち恩地と叫び続けてきたわけですが、今日の竹橋の展示を見て自らの知見がいかに底の浅いものであったかを思い知らされ、打ちのめされました。
『恩地孝四郎版画集』(1975年 形象社)を出版するに際し、日本には実物が残されていないのでアメリカ各地のコレクターに手紙を出し、そのポジフィルムを高額な対価を支払って借り出したのは三保子さんでした。それを支援したのが私たちの師匠久保貞次郎先生でした。

恩地の晩年10年ほどに制作された大判の抽象作品を私たちは今日の今日までほとんど見ることはできませんでした。
私たち貧乏画商は一般に流通している平井刷り(後刷り)のいくつかの作品によってしか「恩地の抽象」を実感できなかった。画商なんて実物を触って(売買して)なんぼなので、大判で良質な実物(オリジナル)に触れられない以上、「抽象のパイオニア」といっても言葉が上滑りします。
2016展覧会カタログ_600(カタログ表紙)

今回のカタログには企画者である松本透さんと、上述の『恩地孝四郎研究』の著者桑原規子さんが巻頭に執筆されていますが、特に海外の美術館を訪ね歩き、そこに収蔵されている恩地の大作群を実見してきた桑原さんの論文『恩地孝四郎:戦後抽象版画の展開』には深く感銘を受けました。
日本の抽象美術史の基本文献になるに違いありません。
以下、<>内は桑原さんの論文の引用です。
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<抽象と具象の混在した戦前戦中期を通過し、完全な抽象時代へと入っ>た恩地が戦後(晩年の)10年間に制作した大型抽象作品の<大半が海外の美術館に収蔵されている>。だから今回の展覧会も海外の美術館(大英博物館・シカゴ美術館・ボストン美術館・ホノルル美術館)から借用しなければ実現は困難だったろう。
<では、いったいなぜ恩地の作品ーとりわけ戦後の抽象版画ーは海外へと渡ってしまったのか。この問題>に焦点をあてて桑原さんは論じています。
<占領期の在日アメリカ人と恩地><戦後抽象版画の展開:<フォルム>から<リリック>へ><版表現への挑戦:マルチブロックと「実材版画」><国際化の中の版画:創作版画から現代美術へ><おわりに>と章立てた上で、今回の出品作品に即して、丁寧に実に説得力ある筆致で恩地の孤立無援ともいえる創作の軌跡を追っています。
桑原さんは「創作版画から現代版画へ」ではなく、正当に<創作版画から現代美術へ>と指摘しているように恩地こそは現代美術の母なる作品を制作していたことを、同時代の人々はまったく無視していた。
瀧口修造は、このように国内で正当な評価を与えられなかった恩地に、日本の近代文化の過渡期に生きた芸術家の「悲しみ」と「近代形成へのノスタルジー」を見ると記している。
恩地自身は実際には、日本の画壇や観衆に自分の版画が理解されるなど期待していなかった。むしろ諦観していたというほうが正しいだろう。だからこそ1枚か2枚しか摺りのない戦後作品を理解者であるアメリカ人に惜しげもなく渡していたのである。つまり現在、恩地の戦後版画の多くが海外の美術館に所蔵され、日本で見ることが叶わないのは、作家自身の選択でもあったのだ。
桑原論文の結語を読むのは、日本人として、画商のはしくれとして実に忸怩たる思いです。
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ついに、こういう論考が出てきた、それも実作の「国内初の展示」とともに発表されたことを、神様に感謝したい気分です。
40年前から日本の美術館の展示は「月映の抒情の恩地」だけでした。
抽象のパイオニアとは言ったけれど、どのような経緯と方法で恩地が制作に向かい、どのような実作を生んだのか、私たちは漠然としか理解していなかった。
長年恩地を研究し、実作に触れてきた桑原さんしか書けない論考です。

戦後、現代美術を集めた大コレクターたち、ブリジストンの石橋さんも倉敷の大原さんも長岡の駒形さんも誰ひとり、今回展示された恩地の大作を買う人はいなかった。それらに作品を納めた伝説の大画商たちも恩地作品を一顧だにしなかった。
後年、そのことに気付いた久保先生の慙愧の言葉をいま思い出しています。
「ボクは西洋かぶれでしたから、恩地さんの木版なんて古臭いと思い一枚も買いませんでした。」

日本での知己を求めず、惜しげもなくアメリカ人に大作を売った「作家自身の選択」の結果を今日、私は竹橋の会場で衝撃をもって受け止めました。

カタログ重たくて5冊しか買えませんでしたが、あとでもっと買うつもりです。
今回の大展覧会、三保子さんが生きていたら、どんなに喜んだことでしょう。
久保先生が生きていてこの論文を読んだら、どんなにか驚き、女性研究者の出現を大いに称えたことでしょう。
お二人の笑顔が目に浮かぶようです。

これだけの大作群を一堂にあつめた展示は今回を逃せばもう二度と目にできないでしょう。会期中あと4~5回は行かねばと思っています。
今日の感動をお伝えしたく、メールしました。
おからだ大切に、ますますのご活躍を祈ります。

20160113恩地孝四郎展 裏
「恩地孝四郎展 形はひびき、色はうたう」
会期:2016年1月13日[水]~2月28日[日]
会場:東京国立近代美術館
時間:10:00~17:00 ※金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館:月曜日

日本における抽象美術の先駆者であり木版画近代化の立役者でもある恩地孝四郎の、20年ぶり3回目、当館では実に40年ぶりとなる回顧展です。
恩地は抽象美術がまだその名を持たなかった頃、心の内側を表現することに生涯をかけた人物です。彼の創作領域は一般に良く知られ評価の高い木版画のみならず、油彩、水彩・素描、写真、ブックデザイン、果ては詩作に及ぶ広大なもので、まるで現代のマルチクリエイターのような活躍がうかがえます。本展では恩地の領域横断的な活動を、木版画250点を中心に過去最大規模の出品点数396点でご紹介いたします。
また見逃せないのは、里帰り展示される62点。戦後、特に外国人からの評価が高かった恩地の作品は、その多くが海を渡っていきました。本展では海外所蔵館(大英博物館・シカゴ美術館・ボストン美術館・ホノルル美術館)の多大な協力のもと、現存作が一点しか確認されていない作品や摺りが最良の作品など恩地の重要作をご覧いただきます。(同展HPより転載)
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◆ときの忘れものは2016年2月6日[水]―2月20日[土]「恩地孝四郎展」を開催します(*会期中無休)。
恩地孝四郎展DM600繊細でシャープな抽象作品の数々が、日本における抽象表現の先駆として高く評価されている恩地孝四郎。ときの忘れものでは、木版画を中心に水彩、素描など約20点をご覧いただきます。


●イベントのご案内
2月12日(金)18時より西山純子さん(千葉市美術館主任学芸員)を講師に迎えてギャラリートークを開催します(要予約/参加費1,000円)。
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-mail. info@tokinowasuremono.com