リレー連載
建築家のドローイング 第4回
ジョセフ・マイケル・ガンディー(Joseph Michael Gandy)〔1771―1843〕
八束はじめ
T・S・エリオットに「マイナー詩人について」という一文がある。文学史に大書されているビッグ・ネームでなくとも、それなりの捨て難さをもっているという話であったと記憶している。建築家にあっても事情は同じである。前回とりあげたルクーにしても、現世的な建築家としてのキャリアとしたら、マイナーもマイナーという所で、歴史家カウマンによってその有名な著書に「三人の幻想的建築家ブレ、ルドゥ、ルクー」と語呂合せよく並べられてしまったが、実の所は他の二人に到底肩を並べられる盛名をはせていたわけでは全くない。三人が同じレヴェルに連ねられ得たのはドローイングという、建築本来からすればマージナルな領域において(それも後世からの見直しによって)でしかなかったのである。マージナルな領域とマイナーなステータスとの関連性という結びつきは、必ずしも因縁のないことではなさそうだ。
ルクーよりも十二、三年ほど後にイギリスに生を享けたジョセフ・マイケル・ガンディーもまたこのような世界の住人であった。ルクーが遅く来すぎたように、ガンディーもまた時機を逸した人物である。イギリスはドーバー海峡を隔てた隣国フランスのような激動を経験したわけではなかったが、平穏無事な時代が世俗的な栄達を狙う人々にとっていつでも都合がよいとは限らないのは、建築の世界だけの話ではない。このころのイギリスに建築家にとってのメジャーな仕事に欠けていたわけではないが、それらはガンディーよりも二世代ほど上の建築家に握られていた。ガンディーと彼の同世代の建築家たちには、はやくいえば、出る幕がなかったのである。機会の問題だけではなかったかもしれない。上の世代にはジョン・ナッシュ、サミュエル・コッカレル、そしてジョン・ソーンなど才能ある建築家たちがいた。フランスにおけるブレやルドゥと同世代人であった彼らは、フランス人たちのようには―如何にもイギリスらしく―ファナティックでも独創的でもなかったが、それなりの確固たるスタイルをつくり上げることに成功した。ワーズワースやウォルター・スコット、コールリッジらとほぼ同年のガンディーの才能は、しかし、一時代を画すには必ずしも充分な容量をもったものとはいえなかった。いくつか、といっても決して多い数ではない。彼の実現した建物はさほど見るべきものではない。実務的な建築家としてのガンディーは全くマイナーな存在にすぎず、それのみでは歴史的に名を残し得なかったであろうことは間違いない。
J・M・ガンディー Joseph Michael Gandy
「ジョン・ソーン邸インテリア」
しかしよくしたもので、ガンディーにもとるべきものは備っていた。ドローイングの才能である。ガンディーは己れのマイナーな才能をこのマージナルな分野で生かしていくことで糊口を得ていた。こうしたドローイング・アーキテクトの伝統の源はローマに、とりわけ本連載の第一回でとりあげられたピラネージにある。フランスからもイギリスからも若い芸術家たちは、この古代の栄華の都に研修に赴き、ピラネージを中心とするサークルの色に染まった。ロマン主義の発生の一つの源がここにあったことは疑いがない。ガンディーもまたイタリア遊学をしたが、ここでも運のないこの人物が行った頃のローマは昔日の面影も翳りつつあって、ピラネージはとうに没し、あげくはフランス軍が革命の余勢をかってイタリア侵攻を行うという具合でガンディーはほうほうの態でイギリスに戻った。しかし帰った祖国でも仕事が待ち受けていたわけではない。若いガンディーに仕事を与えてくれたのはジョン・ソーンである。当時のイギリスの建築家の中で間違いなく最も独創的であったソーンは、いわばルドゥのイギリス版といってよい人物であったが、ガンディーはソーンのデザインした建物のレンダリングをすることで日々の糧を得ていた。ガンディーもこの、収入からいっても名誉からいっても得られる所の少ない―ドラフトマンはせいぜい徒弟の一種にすぎなかったから―仕事に打ち込んだ。貧窮のあげくに禁治産となり刑務所に収監されさえしながらも、ガンディーは「機械のごとくに描きつづけた」(J・サマーソン)彼はこのドローイングに、ソーンのドラフトマンとしてだけでなく己れの建築的ファンタジーを盛り込む途を見出した。それらのファンタジーには同時代の詩人たちのロマン的な夢想と共通するものが多い。彼が二つの著書「コテイジの設計」、「田園建築家」にまとめたスケッチ群は、当時の一般の田園生活への憧憬と対応したものだが、デザインとしては「あまりに風変りなので、この作者は建築家などではまったくなく、奇矯な素人か、独学の百姓なのではなかろうかと思わせるほどである。」(サマーソン)多分これらにはルドゥの影響が見てとることができるかもしれない。このフランスの幻想的建築家は、自分がかつて造営した王立製塩所に様々の施設を接ぎ木し、現実と想像の入り混った理想都市を計画し、晩年を費した作品の版画集の核としたのだが、その理想都市の効外にも多数の風変りな形をした田園住宅がふりまかれていたからである。そしてルドゥの作品集はソーンのコレクションにあったから、ガンディーがそれにヒントを得たことはおおいにありそうなこと、というより間違いなさそうなことである。とはいえ、ガンディーの田園住宅がルドゥのそれよりも一層つつましい規模で、表現もおとなしい所は如何にもイギリスらしく、またマイナー建築家らしい。
J・M・ガンディー Joseph Michael Gandy
「新議会」
ガンディーの真骨頂は、しかし、より多く水彩による幻想的なレンダリングにある。これらは厳密な意味では建築のドローイング、つまりデザイン行為のプレゼンテーションというよりは、むしろ絵として完結している。ルクーの幻想的プロジェクトもまた画布の上にしか留まり得ないものであったが、それでもプロジェクトとしての、つまり特定の建築的要素を選択し、配列するというデザイン行為としての意味に欠けていたわけではない。ガンディーの場合、それはさほど問題にならない。先に書いたように、彼のはあくまでレンダリングであり、しばしばソーンのプロジェクトのためのものであるか、またはそれから派生したものである。むしろそれは舞台的なものを想起させる情景図(シェノグラフィー)に近い。この意味で彼は、やはりピラネージや、ユヴァーラ・ビビエナ一族、そしてフランスのローマ・アカデミーの人々に連っている。最高作のひとつにサマーソンがあげている「英国皇帝の王国のための皇帝の宮殿」や「新議会」はその例である。よく見ると個々の部分が全体から奇妙に独立的なこの時代の様式上の特徴は伺えるが、むしろ印象的なのは霧の中からバロック風宮殿が湧き上ったようにしてふいに現われてきたというような風情である。つまりそれはデザインとしてというよりは情景としてより印象的なのである。ガンディーのとりあげる主題には、この時代の廃墟趣味と平行的なものではあるが、洞窟や墳墓があった。ブレをはじめとするフランスのヴィジオネールも多く墳墓をとりあげたが、それは超時代的な不変性の象徴としてである。ガンディーのそれは、もっとゴシック・ロマン的な暗い隠微な光と影の幻想的情景を演出するための手立てとしてとりあげられている。ブレのように初源的な幾何学の力強さによる建築的偉容ではなく、様々の小道具や情景描写がガンディーの幻想画のすべてである。その意味でガンディーの建築史上に占める位置は、同じく幻想的ではあってもフランスのヴィジオネールたちよりもずっとマイナーなものとならざるを得ない。そこには建築としてのオーセンティックなものが欠けていたし、結局彼は先の世代のエピゴーン以上ではなく、ただその粉飾のこらし方にちょっとばかり小才があったというにすぎないのかもしれない。しかしマイナーなものにもレゾン・デートルはある。ソーンの最高傑作の一つである自邸は古代エジプトのセティ一世の石棺を中心とする様々の考古学的オブジェの集塊による一種の墳墓空間となっているが、これがガンディーの絵に触発されたものだというのはありそうなことである。そしてこの印象的な吹きぬけのスペースをガンディーはやはりレンダリングしているのだが、それは現実よりも一層印象的な、殆んど非現実的とすら思わせる出来映えである。
J・M・ガンディー Joseph Michael Gandy
「コッテージ」
(やつか はじめ)
*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.93』(1983年6月1日発行 )より再録
*作品画像は下記より転載
「ジョン・ソーン邸 インテリア」
IAR1411-Commuincation and media S2 2015
「新議会」
wikigallery.org
「コッテージ」
onlinegalleries
■八束 はじめ Hajime Yatsuka
建築家・建築批評家
1948年山形県生れ。72年東京大学工学部都市工学科卒業、78年同博士課程中退。
磯崎新アトリエを経て、I983年(株)UPM設立。2003年から芝浦工業大学教授。2014年退職、同名誉教授。
代表作に白石市情報センターATHENS,
主要著書に『思想としての日本近代建築』。
●今日のお勧め作品は、磯崎新です。
磯崎新
「TSUKUBA III」
1985年
シルクスクリーン
イメージサイズ:56.0×56.0cm
シートサイズ:76.0×61.5cm
Ed.75
サインあり
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◆八束はじめ・彦坂裕のエッセイ「建築家のドローイング」(再録)は毎月24日の更新です。
建築家のドローイング 第4回
ジョセフ・マイケル・ガンディー(Joseph Michael Gandy)〔1771―1843〕
八束はじめ
T・S・エリオットに「マイナー詩人について」という一文がある。文学史に大書されているビッグ・ネームでなくとも、それなりの捨て難さをもっているという話であったと記憶している。建築家にあっても事情は同じである。前回とりあげたルクーにしても、現世的な建築家としてのキャリアとしたら、マイナーもマイナーという所で、歴史家カウマンによってその有名な著書に「三人の幻想的建築家ブレ、ルドゥ、ルクー」と語呂合せよく並べられてしまったが、実の所は他の二人に到底肩を並べられる盛名をはせていたわけでは全くない。三人が同じレヴェルに連ねられ得たのはドローイングという、建築本来からすればマージナルな領域において(それも後世からの見直しによって)でしかなかったのである。マージナルな領域とマイナーなステータスとの関連性という結びつきは、必ずしも因縁のないことではなさそうだ。
ルクーよりも十二、三年ほど後にイギリスに生を享けたジョセフ・マイケル・ガンディーもまたこのような世界の住人であった。ルクーが遅く来すぎたように、ガンディーもまた時機を逸した人物である。イギリスはドーバー海峡を隔てた隣国フランスのような激動を経験したわけではなかったが、平穏無事な時代が世俗的な栄達を狙う人々にとっていつでも都合がよいとは限らないのは、建築の世界だけの話ではない。このころのイギリスに建築家にとってのメジャーな仕事に欠けていたわけではないが、それらはガンディーよりも二世代ほど上の建築家に握られていた。ガンディーと彼の同世代の建築家たちには、はやくいえば、出る幕がなかったのである。機会の問題だけではなかったかもしれない。上の世代にはジョン・ナッシュ、サミュエル・コッカレル、そしてジョン・ソーンなど才能ある建築家たちがいた。フランスにおけるブレやルドゥと同世代人であった彼らは、フランス人たちのようには―如何にもイギリスらしく―ファナティックでも独創的でもなかったが、それなりの確固たるスタイルをつくり上げることに成功した。ワーズワースやウォルター・スコット、コールリッジらとほぼ同年のガンディーの才能は、しかし、一時代を画すには必ずしも充分な容量をもったものとはいえなかった。いくつか、といっても決して多い数ではない。彼の実現した建物はさほど見るべきものではない。実務的な建築家としてのガンディーは全くマイナーな存在にすぎず、それのみでは歴史的に名を残し得なかったであろうことは間違いない。
J・M・ガンディー Joseph Michael Gandy「ジョン・ソーン邸インテリア」
しかしよくしたもので、ガンディーにもとるべきものは備っていた。ドローイングの才能である。ガンディーは己れのマイナーな才能をこのマージナルな分野で生かしていくことで糊口を得ていた。こうしたドローイング・アーキテクトの伝統の源はローマに、とりわけ本連載の第一回でとりあげられたピラネージにある。フランスからもイギリスからも若い芸術家たちは、この古代の栄華の都に研修に赴き、ピラネージを中心とするサークルの色に染まった。ロマン主義の発生の一つの源がここにあったことは疑いがない。ガンディーもまたイタリア遊学をしたが、ここでも運のないこの人物が行った頃のローマは昔日の面影も翳りつつあって、ピラネージはとうに没し、あげくはフランス軍が革命の余勢をかってイタリア侵攻を行うという具合でガンディーはほうほうの態でイギリスに戻った。しかし帰った祖国でも仕事が待ち受けていたわけではない。若いガンディーに仕事を与えてくれたのはジョン・ソーンである。当時のイギリスの建築家の中で間違いなく最も独創的であったソーンは、いわばルドゥのイギリス版といってよい人物であったが、ガンディーはソーンのデザインした建物のレンダリングをすることで日々の糧を得ていた。ガンディーもこの、収入からいっても名誉からいっても得られる所の少ない―ドラフトマンはせいぜい徒弟の一種にすぎなかったから―仕事に打ち込んだ。貧窮のあげくに禁治産となり刑務所に収監されさえしながらも、ガンディーは「機械のごとくに描きつづけた」(J・サマーソン)彼はこのドローイングに、ソーンのドラフトマンとしてだけでなく己れの建築的ファンタジーを盛り込む途を見出した。それらのファンタジーには同時代の詩人たちのロマン的な夢想と共通するものが多い。彼が二つの著書「コテイジの設計」、「田園建築家」にまとめたスケッチ群は、当時の一般の田園生活への憧憬と対応したものだが、デザインとしては「あまりに風変りなので、この作者は建築家などではまったくなく、奇矯な素人か、独学の百姓なのではなかろうかと思わせるほどである。」(サマーソン)多分これらにはルドゥの影響が見てとることができるかもしれない。このフランスの幻想的建築家は、自分がかつて造営した王立製塩所に様々の施設を接ぎ木し、現実と想像の入り混った理想都市を計画し、晩年を費した作品の版画集の核としたのだが、その理想都市の効外にも多数の風変りな形をした田園住宅がふりまかれていたからである。そしてルドゥの作品集はソーンのコレクションにあったから、ガンディーがそれにヒントを得たことはおおいにありそうなこと、というより間違いなさそうなことである。とはいえ、ガンディーの田園住宅がルドゥのそれよりも一層つつましい規模で、表現もおとなしい所は如何にもイギリスらしく、またマイナー建築家らしい。
J・M・ガンディー Joseph Michael Gandy「新議会」
ガンディーの真骨頂は、しかし、より多く水彩による幻想的なレンダリングにある。これらは厳密な意味では建築のドローイング、つまりデザイン行為のプレゼンテーションというよりは、むしろ絵として完結している。ルクーの幻想的プロジェクトもまた画布の上にしか留まり得ないものであったが、それでもプロジェクトとしての、つまり特定の建築的要素を選択し、配列するというデザイン行為としての意味に欠けていたわけではない。ガンディーの場合、それはさほど問題にならない。先に書いたように、彼のはあくまでレンダリングであり、しばしばソーンのプロジェクトのためのものであるか、またはそれから派生したものである。むしろそれは舞台的なものを想起させる情景図(シェノグラフィー)に近い。この意味で彼は、やはりピラネージや、ユヴァーラ・ビビエナ一族、そしてフランスのローマ・アカデミーの人々に連っている。最高作のひとつにサマーソンがあげている「英国皇帝の王国のための皇帝の宮殿」や「新議会」はその例である。よく見ると個々の部分が全体から奇妙に独立的なこの時代の様式上の特徴は伺えるが、むしろ印象的なのは霧の中からバロック風宮殿が湧き上ったようにしてふいに現われてきたというような風情である。つまりそれはデザインとしてというよりは情景としてより印象的なのである。ガンディーのとりあげる主題には、この時代の廃墟趣味と平行的なものではあるが、洞窟や墳墓があった。ブレをはじめとするフランスのヴィジオネールも多く墳墓をとりあげたが、それは超時代的な不変性の象徴としてである。ガンディーのそれは、もっとゴシック・ロマン的な暗い隠微な光と影の幻想的情景を演出するための手立てとしてとりあげられている。ブレのように初源的な幾何学の力強さによる建築的偉容ではなく、様々の小道具や情景描写がガンディーの幻想画のすべてである。その意味でガンディーの建築史上に占める位置は、同じく幻想的ではあってもフランスのヴィジオネールたちよりもずっとマイナーなものとならざるを得ない。そこには建築としてのオーセンティックなものが欠けていたし、結局彼は先の世代のエピゴーン以上ではなく、ただその粉飾のこらし方にちょっとばかり小才があったというにすぎないのかもしれない。しかしマイナーなものにもレゾン・デートルはある。ソーンの最高傑作の一つである自邸は古代エジプトのセティ一世の石棺を中心とする様々の考古学的オブジェの集塊による一種の墳墓空間となっているが、これがガンディーの絵に触発されたものだというのはありそうなことである。そしてこの印象的な吹きぬけのスペースをガンディーはやはりレンダリングしているのだが、それは現実よりも一層印象的な、殆んど非現実的とすら思わせる出来映えである。
J・M・ガンディー Joseph Michael Gandy「コッテージ」
(やつか はじめ)
*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.93』(1983年6月1日発行 )より再録
*作品画像は下記より転載
「ジョン・ソーン邸 インテリア」
IAR1411-Commuincation and media S2 2015
「新議会」
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「コッテージ」
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■八束 はじめ Hajime Yatsuka
建築家・建築批評家
1948年山形県生れ。72年東京大学工学部都市工学科卒業、78年同博士課程中退。
磯崎新アトリエを経て、I983年(株)UPM設立。2003年から芝浦工業大学教授。2014年退職、同名誉教授。
代表作に白石市情報センターATHENS,
主要著書に『思想としての日本近代建築』。
●今日のお勧め作品は、磯崎新です。
磯崎新「TSUKUBA III」
1985年
シルクスクリーン
イメージサイズ:56.0×56.0cm
シートサイズ:76.0×61.5cm
Ed.75
サインあり
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