芳賀言太郎のエッセイ
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」 第22回
第22話 ガウディになる前のガウディ ~カサ・ボティネス~
10/22(Mon) Leon (0km)
パリ~ルーベは人生である。
クラシックの女王、北の地獄とも呼ばれるこのレースは、自転車ロードレースの中で最も格式あるモニュメントと呼ばれる5つのワンデーレースの中の一つである。パリ郊外からベルギーの国境沿いの町ルーベまでの約250キロを一日で走る。そのコースは普段はトラクターが通る未舗装の農道であり、セクターと呼ばれる石畳の道は荒れ具合によって、まるでミシュランのレストランガイドのように一つ星から五つ星に分けられている。雨が降れば泥道となり、晴れれば土埃が舞い上がる。
このレースではトラブルが起こることを前提にして選手が走る。舗装路を走ることを前提にしたロードバイクでわざわざ悪路を走るという、理不尽とも言えるこのレースで勝つことができるのは本当に強い人間だけである。全てが順調ということはありえない。パンクが起こる。ブレーキに泥が詰まる。ぬかるみにハンドルが取られてコースアウトする。落車に巻き込まれる。それでもなお走り続ける者だけがゴールに辿り着くことができる。
人生ではうまくいかないことの方が多い。それと同じである。全てが順調などということは決してないのだ。その中で、向かい風でもぬかるみでも、たとえどんなに理不尽なことが起こっても、それでもなおゴールを目指し、どこまでも一位を目指す。勝者には栄光がある。しかし、表彰台の一番高い場所に乗る選手だけが勝者ではない。「パリ~ルーベ」は、完走者であるということだけで敬意が払われる。優勝が勝利ではなく、完走が勝利なのである。地獄を走りきった人全てが勝者なのだ。
レオンにはアントニ・ガウディが残した建築がある。ガウディの作品をマッピングした地図で、アストルガ司教館とともにいわば飛び地をなしているのがこのカサ・ボティネスである。生粋のカタルーニャ人であったガウディがなぜこのアストゥリアス地方で設計活動を行ったのかといえば、このカサ・ボティネスの施主がカタルーニャ人で、グエルと仕事上の付き合いのある商社のオーナーであったためである。建築年代は1891年から92年。建築様式はネオゴシック様式である。バルセロナを中心としたカタルーニャのガウディ建築とは様式や素材が異なり、興味深い。外壁には地元の花崗岩を使用している。不揃いな大きさの石をランダムに使い、バランスをとりながらも時に荒々しいこの灰色のファサードには素材の力を感じる。
カサ・ボティネス 外観
とはいえその中身は地上5階地下1階の事務兼住宅、つまりマンションである。マンション建築は典型的な都市建築である。土地に限りがある中で人口が増加すれば、都市は上に向かって伸びていく。それは古今東西共通である。100年前のレオンでも事情は同じであり、これはスペインの主要都市ではどの地方であれ、ごく一般的な建築のタイプである。地階と一階を事務所や店舗とし、プライバシーを確保出来る二階を主階として、オーナーの住居に当てている。そして、3、4階を賃貸マンションとし、最上部の5階は屋根裏部屋である。現在であればマンションの最上階はペントハウスとしてプレミアムな部屋を設けるのだろうが、エレベーターがない時代は上階に行くのは一苦労であるため、2階が主室、最上階は屋根裏部屋として使われるのが普通であった。
入り口
現在は銀行として使われている1階を見てみよう。広くて明るいフラットな空間がそこにはあり、間仕切りが自由なユニバーサル・スペースを目的としているのがわかる。鋳鉄製の円柱独立柱と鉄骨梁で構成されている。それは石に代わる建材として登場した鉄によって可能となった構造合理主義の商業スペースである。土地と空間の有効活用。単位面積当たりの収益の最大化。これがゆくゆくはライトのジョンソン・ワックス本社やミースのシーグラム・ビル、そしてついにはニューヨークのツインタワーにまで行き着くのだろうが、ガウディは「自然に直線はない」と、つるつるぴかぴかのユニバーサルスタイルに背を向けるようにして独自の道を歩むことになる。だからこの経済合理主義に基づく近代建築に片足を突っ込んだ感のあるボティネス邸には、まるでガウディを感じない。何も知らない状況でこの建築を誰が設計したか当ててみろと言われてもガウディとは答えられないだろう。これはガウディがガウディになる前の建築と言える。カサ・ミラやグエル教会、そしてサグラダ・ファミリアとはその向きが大きく異なる。これはガウディが時代の要請に合わせた建築と言えるかもしれない。
列柱
コルビュジエは近代建築の五原則を提げてサヴォア邸を完成させた。しかしそれを越えてロンシャンの教会を生み出した。この時代のガウディには、ネオゴシックという時代の様式を当時の現代的な様式とすべく、モダンに仕上げようとするモーメントが存在していたのではないだろうか。シャープなステンドグラスに細い柱、中世から続く城をモダナイズした結果がこのカサ・ボティネスだと言える。しかし、ガウディは、そこに見て取れる効率化・平準化・規格化といった近代合理主義(功利主義)と決別してガウディとなる。
逆説的ではあるが、サヴォア邸があったからこそロンシャンの教会が生まれたと言えると仮定するならば、カサ・ボティネスがあったからこそサグラダ・ファミリアが生まれたと言えることになるであろう。様式からの脱却、それがコルビュジエとガウディという2人の巨匠の共通項なのかもしれない。
カサ・ボティネス 内部
ステンドグラス
歩いた総距離1028.8km
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第22回 サングラス
ZEROrh+ Metheo ゼロアールエイチプラス メテオ ダークブルー 22,890円
スペインの日差しは強い。そのため巡礼においてサングラスは必需品である。私は巡礼ではadidasのサングラスを使用した。これはこれで問題なかったのであるが昨年の夏、イスラエルの旅行中に真ん中から真っ二つに割れてしまった。肩掛けポーチにそのまま入れておいたらいつのまにかそうなっていたのである。もちろんadidasが悪いのではない。どう考えても私の不注意であったのだが、結果としては壊れてしまったのである。(サングラスにはケースが付属している。面倒くさがらずにきちんとしまおう)
ブランド名のZEROrh+は、zero(ゼロ)= アルファベットのO(オー)にrh+(アールエイチプラス)つまり血液型のO型rh+を意味している。言うまでもなくO型の血液は特殊な型でありO型以外の血液型(A.B.AB)を含む全ての血液型の人に輸血することができる。(実際には戦争とか大規模災害といった非常事態以外では行われることはない)。年齢・性別・ジャンル・シーンを特定することなく全ての人々にあらゆる場面で使ってもらいたいという想いが込められている。
イタリアのメーカーということもあり、デザインも秀逸である。流れるようなラインはプロダクトとして美しい。Made in Italyは伊達ではないのだ。デザイン、カラー、素材、全てにおいて美しさを表現することのできるものが追求され、開発されている。サングラスは机の上にディスプレイするものではない。それは千差万別のヒトの顔に掛けられて初めて完成する。それ自体のデザインがどんなに優れていたとしても、また遮光性のカタログスペックがどれほど高くても、掛け心地が良くなければそれはサングラスとしては不良品である。フレームをかけた時に自分の顔にフィットしていると感じられる形状にできてこそ、初めてデザインされたと言えるのだ。優れたデザインは機能を内包する。このサングラスにはプロダクトデザインの本質が詰まっている。細部に神は宿るのだ。
このサングラスはロードバイクに乗る際に使用している。某自転車ショップで、もうすぐ新しいモデルが入荷するとのことで、いくらか割り引いた価格で購入した。
メガネやサングラスは単体でどうこうというよりも、むしろどれだけフィットするかが大事である。人それぞれ顔の形は違うのだから、お店で試しに掛けてみて、フィッティングを行った上で購入することをお勧めする。
サングラスは別に高価なものでなくてもいい。ただ、遮光という基本性能まで犠牲にした安物は避けたいところである。強い紫外線は眼にダメージを与える。それは目だけではなく、体のパフォーマンス全体を低下させてしまう。毎日6時間歩くことを考えても、できるだけ眼精疲労は低減したいところである。ダメージは筋肉疲労だけで十分なのだから…。
巡礼中のサングラスはファッションアイテムではない。装備(エクイップメント)である。基本的に常時、身に付けるものであるという意味では、靴やバックパックに匹敵するぐらい重要なアイテムだと私は思う。スポーツサングラスは軽く、かけ心地も良いため巡礼向きだと私は考える。実際、巡礼と言ってもトレッキングというアクティビティなのである。とはいえ、機能本位でチョイスすれば良いというわけではない。私がこのzerorh+のサングラスを使う一番の理由は、アスリートになった気分を味わうことができることだ。モチベーションの向上、それはスポーツサングラスを名乗る以上、一番に考慮されてしかるべきものではないだろうか。もちろんそんなものは数値でカタログデータには出てこないのであるが…。
‘In you, not on you’
この言葉にZEROrh+の理想を見て取れる。かけるのではなく、顔と一体になるのだと。
自分自身がやる気になるというだけでも、かっこいいサングラスをする意味があると私は思うのだ。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧め作品は、秋葉シスイです。
秋葉シスイ
「次の嵐を用意している」(15)
2015年
カンバスに油彩
91.0x73.0cm(F30号)
サインあり
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◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」 第22回
第22話 ガウディになる前のガウディ ~カサ・ボティネス~
10/22(Mon) Leon (0km)
パリ~ルーベは人生である。
クラシックの女王、北の地獄とも呼ばれるこのレースは、自転車ロードレースの中で最も格式あるモニュメントと呼ばれる5つのワンデーレースの中の一つである。パリ郊外からベルギーの国境沿いの町ルーベまでの約250キロを一日で走る。そのコースは普段はトラクターが通る未舗装の農道であり、セクターと呼ばれる石畳の道は荒れ具合によって、まるでミシュランのレストランガイドのように一つ星から五つ星に分けられている。雨が降れば泥道となり、晴れれば土埃が舞い上がる。
このレースではトラブルが起こることを前提にして選手が走る。舗装路を走ることを前提にしたロードバイクでわざわざ悪路を走るという、理不尽とも言えるこのレースで勝つことができるのは本当に強い人間だけである。全てが順調ということはありえない。パンクが起こる。ブレーキに泥が詰まる。ぬかるみにハンドルが取られてコースアウトする。落車に巻き込まれる。それでもなお走り続ける者だけがゴールに辿り着くことができる。
人生ではうまくいかないことの方が多い。それと同じである。全てが順調などということは決してないのだ。その中で、向かい風でもぬかるみでも、たとえどんなに理不尽なことが起こっても、それでもなおゴールを目指し、どこまでも一位を目指す。勝者には栄光がある。しかし、表彰台の一番高い場所に乗る選手だけが勝者ではない。「パリ~ルーベ」は、完走者であるということだけで敬意が払われる。優勝が勝利ではなく、完走が勝利なのである。地獄を走りきった人全てが勝者なのだ。
レオンにはアントニ・ガウディが残した建築がある。ガウディの作品をマッピングした地図で、アストルガ司教館とともにいわば飛び地をなしているのがこのカサ・ボティネスである。生粋のカタルーニャ人であったガウディがなぜこのアストゥリアス地方で設計活動を行ったのかといえば、このカサ・ボティネスの施主がカタルーニャ人で、グエルと仕事上の付き合いのある商社のオーナーであったためである。建築年代は1891年から92年。建築様式はネオゴシック様式である。バルセロナを中心としたカタルーニャのガウディ建築とは様式や素材が異なり、興味深い。外壁には地元の花崗岩を使用している。不揃いな大きさの石をランダムに使い、バランスをとりながらも時に荒々しいこの灰色のファサードには素材の力を感じる。
カサ・ボティネス 外観とはいえその中身は地上5階地下1階の事務兼住宅、つまりマンションである。マンション建築は典型的な都市建築である。土地に限りがある中で人口が増加すれば、都市は上に向かって伸びていく。それは古今東西共通である。100年前のレオンでも事情は同じであり、これはスペインの主要都市ではどの地方であれ、ごく一般的な建築のタイプである。地階と一階を事務所や店舗とし、プライバシーを確保出来る二階を主階として、オーナーの住居に当てている。そして、3、4階を賃貸マンションとし、最上部の5階は屋根裏部屋である。現在であればマンションの最上階はペントハウスとしてプレミアムな部屋を設けるのだろうが、エレベーターがない時代は上階に行くのは一苦労であるため、2階が主室、最上階は屋根裏部屋として使われるのが普通であった。
入り口現在は銀行として使われている1階を見てみよう。広くて明るいフラットな空間がそこにはあり、間仕切りが自由なユニバーサル・スペースを目的としているのがわかる。鋳鉄製の円柱独立柱と鉄骨梁で構成されている。それは石に代わる建材として登場した鉄によって可能となった構造合理主義の商業スペースである。土地と空間の有効活用。単位面積当たりの収益の最大化。これがゆくゆくはライトのジョンソン・ワックス本社やミースのシーグラム・ビル、そしてついにはニューヨークのツインタワーにまで行き着くのだろうが、ガウディは「自然に直線はない」と、つるつるぴかぴかのユニバーサルスタイルに背を向けるようにして独自の道を歩むことになる。だからこの経済合理主義に基づく近代建築に片足を突っ込んだ感のあるボティネス邸には、まるでガウディを感じない。何も知らない状況でこの建築を誰が設計したか当ててみろと言われてもガウディとは答えられないだろう。これはガウディがガウディになる前の建築と言える。カサ・ミラやグエル教会、そしてサグラダ・ファミリアとはその向きが大きく異なる。これはガウディが時代の要請に合わせた建築と言えるかもしれない。
列柱コルビュジエは近代建築の五原則を提げてサヴォア邸を完成させた。しかしそれを越えてロンシャンの教会を生み出した。この時代のガウディには、ネオゴシックという時代の様式を当時の現代的な様式とすべく、モダンに仕上げようとするモーメントが存在していたのではないだろうか。シャープなステンドグラスに細い柱、中世から続く城をモダナイズした結果がこのカサ・ボティネスだと言える。しかし、ガウディは、そこに見て取れる効率化・平準化・規格化といった近代合理主義(功利主義)と決別してガウディとなる。
逆説的ではあるが、サヴォア邸があったからこそロンシャンの教会が生まれたと言えると仮定するならば、カサ・ボティネスがあったからこそサグラダ・ファミリアが生まれたと言えることになるであろう。様式からの脱却、それがコルビュジエとガウディという2人の巨匠の共通項なのかもしれない。
カサ・ボティネス 内部
ステンドグラス歩いた総距離1028.8km
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~
第22回 サングラス
ZEROrh+ Metheo ゼロアールエイチプラス メテオ ダークブルー 22,890円
スペインの日差しは強い。そのため巡礼においてサングラスは必需品である。私は巡礼ではadidasのサングラスを使用した。これはこれで問題なかったのであるが昨年の夏、イスラエルの旅行中に真ん中から真っ二つに割れてしまった。肩掛けポーチにそのまま入れておいたらいつのまにかそうなっていたのである。もちろんadidasが悪いのではない。どう考えても私の不注意であったのだが、結果としては壊れてしまったのである。(サングラスにはケースが付属している。面倒くさがらずにきちんとしまおう)
ブランド名のZEROrh+は、zero(ゼロ)= アルファベットのO(オー)にrh+(アールエイチプラス)つまり血液型のO型rh+を意味している。言うまでもなくO型の血液は特殊な型でありO型以外の血液型(A.B.AB)を含む全ての血液型の人に輸血することができる。(実際には戦争とか大規模災害といった非常事態以外では行われることはない)。年齢・性別・ジャンル・シーンを特定することなく全ての人々にあらゆる場面で使ってもらいたいという想いが込められている。
イタリアのメーカーということもあり、デザインも秀逸である。流れるようなラインはプロダクトとして美しい。Made in Italyは伊達ではないのだ。デザイン、カラー、素材、全てにおいて美しさを表現することのできるものが追求され、開発されている。サングラスは机の上にディスプレイするものではない。それは千差万別のヒトの顔に掛けられて初めて完成する。それ自体のデザインがどんなに優れていたとしても、また遮光性のカタログスペックがどれほど高くても、掛け心地が良くなければそれはサングラスとしては不良品である。フレームをかけた時に自分の顔にフィットしていると感じられる形状にできてこそ、初めてデザインされたと言えるのだ。優れたデザインは機能を内包する。このサングラスにはプロダクトデザインの本質が詰まっている。細部に神は宿るのだ。
このサングラスはロードバイクに乗る際に使用している。某自転車ショップで、もうすぐ新しいモデルが入荷するとのことで、いくらか割り引いた価格で購入した。
メガネやサングラスは単体でどうこうというよりも、むしろどれだけフィットするかが大事である。人それぞれ顔の形は違うのだから、お店で試しに掛けてみて、フィッティングを行った上で購入することをお勧めする。
サングラスは別に高価なものでなくてもいい。ただ、遮光という基本性能まで犠牲にした安物は避けたいところである。強い紫外線は眼にダメージを与える。それは目だけではなく、体のパフォーマンス全体を低下させてしまう。毎日6時間歩くことを考えても、できるだけ眼精疲労は低減したいところである。ダメージは筋肉疲労だけで十分なのだから…。
巡礼中のサングラスはファッションアイテムではない。装備(エクイップメント)である。基本的に常時、身に付けるものであるという意味では、靴やバックパックに匹敵するぐらい重要なアイテムだと私は思う。スポーツサングラスは軽く、かけ心地も良いため巡礼向きだと私は考える。実際、巡礼と言ってもトレッキングというアクティビティなのである。とはいえ、機能本位でチョイスすれば良いというわけではない。私がこのzerorh+のサングラスを使う一番の理由は、アスリートになった気分を味わうことができることだ。モチベーションの向上、それはスポーツサングラスを名乗る以上、一番に考慮されてしかるべきものではないだろうか。もちろんそんなものは数値でカタログデータには出てこないのであるが…。
‘In you, not on you’
この言葉にZEROrh+の理想を見て取れる。かけるのではなく、顔と一体になるのだと。
自分自身がやる気になるというだけでも、かっこいいサングラスをする意味があると私は思うのだ。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧め作品は、秋葉シスイです。
秋葉シスイ「次の嵐を用意している」(15)
2015年
カンバスに油彩
91.0x73.0cm(F30号)
サインあり
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