中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第10回
愛知県美術館
第1期コレクション展 出来事「いま、ここ」という経験
瑛九の作品が3点展示されていると綿貫さんから連絡を受けた。取材先は本企画のブログでぜひとも紹介したいと思っていた愛知県美術館。瑛九ファンにとっては聖地といえる場所のひとつである。
愛知県美術館がある愛知芸術文化センターの外観。美術館のほかに芸術劇場と文化情報センターが併置されている複合施設。美術館のスペースには、一般向けに常時開放されているギャラリーがある。地下5階から12階まであり、2階から天井を仰ぎ見ると巨大な作品が宙に浮いている。
美術館がある場所は10階で、瑛九の作品はコレクション展示室の方に展示されている。
展示は3つに分かれており、展示室1は「木村定三コレクション 生誕300年 蕪村・若冲と江戸時代絵画」、展示室2は「20世紀の美術」、展示室3は「出来事―いま、ここという経験」が開催されている。瑛九の作品は展示室3にあった。
与謝蕪村と伊藤若冲に焦点を当てた展示室1。
写真は向かって右から松村景文《三羽鶴図》、伊藤若冲《菊に双鶴図》、長沢芦雪《眼下千丈図》、伊藤若冲《三十六歌仙図》、伊藤若冲《伏見人形図》が展示されているケース。
蕪村と若冲は共に1716年生まれで、今年は生誕300年。なかでも、若冲の《三十六歌仙図》が今回の目玉であると担当学芸員の深山氏から紹介された。緻密な作風とは一転、漫画のキャラクターのような人物が豆腐料理や酒に興じている。深山氏は、さらに想像を膨らませ、描かれた人物にバンドメンバーの姿を重ねる。味付けされた豆腐はキーボードで皿は太鼓というように……あとは会場でご覧いただきたい。
こちらは「20世紀の美術」の展示室。
手前左の壁にはポール・デルヴォー《こだま(あるいは「街路の神秘」)》がある。奥の壁には左からフランティシェク・クプカ、ライオネル・ファイニンガー、ジョアン・ミロ、フェルナン・レジェ、ベン・ニコルソンの作品が展示されている。展示室2の見どころは、ジム・ダイン《芝刈機》。設置されている白い木製の台は作品の一部であり、芝刈機のハンドル部分と絵画の位置がピッタリ合う高さになっている。
ここから展示室3「出来事-いま、ここという経験」の第1章「痕跡に見る出来事」。
右の赤い作品は白髪一雄、その隣に元永定正、加納光於、田淵安一と作品が並ぶ。作家によって異なる奇抜な色と形を比較し、その制作過程を想像してみると面白い。
ところで、こちらの企画「出来事―いま、ここという経験」では、「国際展は日本でいつ始まったのか?」という問いかけを掲げている。島館長によれば、日本で初めて行われたといわれる大規模な国際展「第10回日本国際美術展 東京ビエンナーレʼ70」(1970年5月10日~30日)は、東京・京都・福岡の他、愛知に巡回したと言う。会場は愛知県美術館の前身である愛知県文化会館で7月15日~26日に開催されていた。横浜トリエンナーレをはじめ各地に広がりつつある国際展の出発点が、東京だけではなく地方に元々あったことを思うと感慨深い。
また、2016年は第3回目の「あいちトリエンナーレ」の開催年であり、愛知県美術館は2010年の第1回目から実行委員会に入り、国際芸術祭を支えてきたと島館長は語る。そのため、本展では「あいちトリエンナーレ」開催前に、1970年愛知県で繰り広げられた国際展を写真や新聞雑誌記事で振り返る目的があった。それに付け加えて、作家の経験した出来事が表現されているコレクションを展示することによって、鑑賞者にも追体験を促す狙いがある。
虫ピンで留められた厚紙だけのキャプションには、学芸員が展示に傾けるこだわりを感じる。額に入っている3点の素描は麻生三郎で、奥は設楽知昭《目の服・上衣》。人が衣服を着用して、ちょうど地に足が着く位置に展示してある。
瑛九《驚き》
1951年、フォト・デッサン(Q Ei 1951のサイン・年記あり)
瑛九《しゃがんで》
1951年、フォト・デッサン(Q Ei 1951のサイン・年記あり)
瑛九《作品》
制作年不詳、フォト・デッサン(裏に都夫人のサインあり)
《作品》に見られるメロンの皮に似た網目模様をもつ作例は、以前ときの忘れもので扱っていた《肖像》のように、1950年頃の作品にいくつか認められる。この網目は小さな破片にかたちを変えるなどして1952年頃までフォト・デッサンの画面を飾っている。
当時、瑛九が「ヒカリ染め」(『毎日グラフ』312号、1952年11月10日、毎日新聞社)で紹介したフォト・デッサンの作り方に、この網目模様を解くカギがあるため、以下に抜粋する。「僕は最初デッサンをかく、そしてきる。小さい調子をつかうときチュール、かなあみ、レース、模様ガラスなどをつかう」とある。恐らく瑛九は《作品》の背景に「模様ガラス(かすみガラス)」を使用していたのだろう。こちらの展示コーナーのなかでは瑛九の作品が一番古いが、表現は新しく、見劣りしない。そのとき身の回りにあった素材を用いて実験的に制作しているから、常に新しいイメージが形成されたのだ。他の作家と同様に、瑛九もまた印画紙というデリケートな素材と向き合って、試行錯誤を重ねる姿が目に浮かぶよう。
ここから「第2章 出来事を共有する」のコーナー。
「人間と物質」展のカタログとポスターが展示されている。
カタログは2冊組となっており、上巻は各作家が作品のコンセプトを書き、下巻は展覧会の記録集という構成で編集された。
安齊重男《The 10thTokyo Biennale, Tokyo Metropolitan Museum, May 1970》、大辻清司《eyewitness》が「第10回日本国際美術展 東京ビエンナーレʼ70」の出品作家や制作過程を捉えた写真。その他、覗きケースには関連雑誌を展示している。
当時の「人間と物質」展はアルテ・ポーヴェラ、もの派、コンセプチュアル・アート、パフォーマンス・アートなどで活躍していた作家が、その場に応じて作品制作を行うという展覧会スタイルであった。当時の参加作家は下記のとおり。庄司達は愛知の出身者。河原温は若いころ瑛九のアトリエに通っていた。
エドワルド・クラジンスキ/カール・アンドレ/クリスト/クラウス・リンケ/ジルベルト・ゾリオ/スタニラフ・コリバル/ディートリッヒ・アルブレヒト/ブゼム/ダニエル・ビュラン/スティーブン・カルテンバック/ジュゼッぺ・ペノーネ/バリー・フラナガン/ハンス・ハーケ/ソル・ルウィット/ジャン=フレデリック・シュ二―デル/リチャード・セラ/パナマレンコ/マリオ・メルツ/マルクス・レッツ/ヤン・ディベッツ/ライナー・ルッテンベック/ルチアーノ・ファブロ/ルロフ・ロウ/狗巻賢二/榎倉康二/河口龍夫/河原温/小池一誠/小清水漸/庄司達/高松次郎/田中信太郎/成田克彦/野村仁/堀川紀夫/松沢宥
(展示資料:阿谷俊也「日本国際美術展」毎日新聞夕刊、1970年7月13日より)
「第3章 記憶の中の出来事」のコーナー。
後方の壁には1970年に制作されたアラン・デュケと吉田克朗の作品があり、手前の平台には、須田剋太と浜田知明(木村定三コレクション)の書簡および北川民次のスケッチブック([株]日動画廊名古屋支店寄贈)が展示さている。北川民次は、1949年に「名古屋動物園児童美術学校」を開設していることから、名古屋で活動していたときのスケッチだろうか。
最後に、本展のコンセプトや作品理解に役立つ資料として、「あいちトリエンナーレ2016」の芸術監督港千尋が書いた『記憶「創造」と「想起」の力』(講談社、1996年12月、p.168)のうち「記憶と歴史の相互作用」を一部抜粋して終わりたい。
1.人間の記憶は個々の事柄の痕跡が保存されてできているのではなく、現在との関係においてつねに生成しているものである。それは一度に入力されれば消えないような静的イメージではなく、環境との物理的な関わりにおいてダイナミックに変化してゆくものである。この点で人間の記憶はコンピューターの記憶とは異なる。
2.したがって回想は、回想される事柄とのみ関わるものではなく、回想している個人の感情や感覚とも関わる。カスパロフにとっての手の記憶やプルーストにとっての味や香りの記憶がよく示しているように身体感覚は記憶が成立するための前提条件であり、身体イメージは絶えず生成変化する記憶にとっての、基本的な枠組みとなっている。絵画や彫刻だけではなく、写真や映像芸術などあらゆる芸術的創造にとって、身体感覚と記憶の動的な関係は本質的である。
***
ちょっと寄り道....
愛知芸術文化センター1階にあるアートライブラリー。
美術館付属の小規模な施設ではなく、芸術専門図書館として独立した施設。ライブラリーに配架されていた「資料収集方針」には、資料の収集方法として購入や寄贈の他に寄託があり、収集対象については、各分野の性格に合わせて具体的な資料形態を列挙している。その中には、一般の図書館では扱われないこともある「スライド」「美術館蔵品目録」「展覧会カタログ」「逐次刊行物」などを含む。芸術に特化した環境を整えるため、こうした規定を設けることは大変重要なことで、全国的に見ても貴重な例だと思う。
さて、冒頭で瑛九の「聖地」と書いたのは、『瑛九―評伝と作品』(青龍洞、1976年)の著者山田光春(こうしゅん)収集資料がこちらで管理されているためである。「山田光春アーカイヴ」のうち、瑛九の関連資料はなんと3825点。それも、今から12年前の2004年に公開したものというから驚くべきことである。アーカイヴの構築には少なくとも10年くらいは掛かるだろうから、かなり早い時期に高い目標をもって取り組んでいたことが想像できる。
美術館の裏手にある公園で休息をとる女性像。鳩たちは彼女にすっかりなついているようす。朝倉響子《ラケル》1995年
白い輪郭で縁取られた青い構造物は、ダリ風の時計や蜂などのイラストが施され、白字で「未来へ繋ぐ階段」と書いてある。二次元の空間に迷い込んだような錯覚に陥る。打開連合設計事務所《長者町ブループリント》2013年
アートラボあいち長者町の外観。「あいちトリエンナーレ実行委員会」が入って、展示事業や情報発信を行っている。
ボン靖二《ここにいる》
アートラボあいち大津町の外観。丸窓が印象的な建物。こちらも「あいちトリエンナーレ」の会場のひとつである。
情報コーナーには作家のポートフォリオやカタログなどを置いている。
西山弘洋《象徴》が正面にかかっている。3階の展示スペース
2階の堀田直輝の展示スペース。左《斜光》、右《through》
名古屋城。2016年6月1日から本丸御殿(対面所・下御膳所)の公開がはじまるよう。外では重機が音を立てて動いていた。
今回の取材では、お忙しい中、館長島敦彦氏と美術課長深山孝彰氏が丁寧に対応していただいた。この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
(なかむら まき)
●展覧会のご案内
愛知県美術館第1期コレクション展
出来事「いま、ここ」という経験
会期:2016年4月1日[金] ~ 2016年5月29日[日]
会場:愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間:10:00~18:00、金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館:毎週月曜日
主催:愛知県美術館
出品作家:
[展示室1 木村定三コレクション 生誕300年 蕪村・若冲と江戸時代絵画]
与謝蕪村/呉春/松村景文/長沢芦雪/伊藤若冲/西村清狂
[展示室2 20世紀の美術]
ポール・ゴーギャン/エドゥワール・ヴュイヤール/アルベール・マルケ/ラウル・デュフィ/ピエール・ボナール/アンリ・マティス/エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー/フランティシェク・クプカ/ライオネル・ファイニンガー/ジョアン・ミロ/フェルナン・レジェ/ベン・ニコルソン/ポール・デルヴォー/マックス・エルンスト/アド・ラインハート/サム・フランシス/ジム・ダイン
[展示室3 出来事―いま、ここという経験]
1970年に東京都美術館を会場に開かれた東京ビエンナーレ「人間と物質」が、その始まりです。正式には、第10回日本国際美術展ですが、隔年で国際的な美術動向を紹介する展覧会として、毎日新聞社主催で開かれてきました。実は、この国際展は、美術批評家の中原佑介をコミッショナーにそれまでの国別を廃し、「人間と物質」というテーマを掲げ、国内外の最も先鋭な美術家たち40名を紹介、その内17名の海外作家が来日、12名の国内作家も会場にかけつけ展示を行うという、日本では初めての画期的かつ先駆的な、今や伝説となった国際展でした。
しかも、東京だけでなく、京都、愛知、福岡にも巡回、実は愛知県美術館の前身である愛知県文化会館で開催されていたのです。あいちトリエンナーレの出発点はすでに40年前に用意されていたのです。
О第1章 痕跡に見る出来事 | 白髪一雄/元永定正/岡﨑乾二郎/加納光於/田淵安一/ルーチョ・フォンタナ/吉川民仁/デイヴィッド・スミス/荒川修作/瑛九/ロバート・ラウシェンバーグ/麻生三郎/設楽知昭/西村陽平/榎倉康二
О第2章 出来事を共有する | 安斎重男/大辻清司
О第3章 記憶の中の出来事 | パク・ヒョンギ/野田哲也/澤田知子/アラン・デュケ/浜田知明/須田剋太/北川民次/吉田克朗/野田弘志/設楽知昭/田中功起
※上記は愛知県美術館で作成された目録や展覧会要旨を抜粋したもの。
※企画展「黄金伝説―燦然と輝く遺宝 最高峰の文明展」も開催中。館蔵品のグスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》を公開している。
※「あいちトリエンナーレ2016」は愛知芸術文化センター他、名古屋市・豊橋市・岡崎市のまちなかで2016年8月11日(木・祝)~10月23日(日)に開催される。
●今日のお勧めは瑛九です。

瑛九《面影》
1936年
フォトデッサン
イメージサイズ:29.0x22.6cm
シートサイズ:30.2x25.0cm
作品裏面に都夫人の署名あり
※『瑛九作品集』(日本経済新聞社、1997年)140ページ所収
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆このブログで瑛九に関連する記事は「瑛九について」でカテゴリーを作成しています。
・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
愛知県美術館
第1期コレクション展 出来事「いま、ここ」という経験
瑛九の作品が3点展示されていると綿貫さんから連絡を受けた。取材先は本企画のブログでぜひとも紹介したいと思っていた愛知県美術館。瑛九ファンにとっては聖地といえる場所のひとつである。
愛知県美術館がある愛知芸術文化センターの外観。美術館のほかに芸術劇場と文化情報センターが併置されている複合施設。美術館のスペースには、一般向けに常時開放されているギャラリーがある。地下5階から12階まであり、2階から天井を仰ぎ見ると巨大な作品が宙に浮いている。美術館がある場所は10階で、瑛九の作品はコレクション展示室の方に展示されている。
展示は3つに分かれており、展示室1は「木村定三コレクション 生誕300年 蕪村・若冲と江戸時代絵画」、展示室2は「20世紀の美術」、展示室3は「出来事―いま、ここという経験」が開催されている。瑛九の作品は展示室3にあった。
与謝蕪村と伊藤若冲に焦点を当てた展示室1。写真は向かって右から松村景文《三羽鶴図》、伊藤若冲《菊に双鶴図》、長沢芦雪《眼下千丈図》、伊藤若冲《三十六歌仙図》、伊藤若冲《伏見人形図》が展示されているケース。
蕪村と若冲は共に1716年生まれで、今年は生誕300年。なかでも、若冲の《三十六歌仙図》が今回の目玉であると担当学芸員の深山氏から紹介された。緻密な作風とは一転、漫画のキャラクターのような人物が豆腐料理や酒に興じている。深山氏は、さらに想像を膨らませ、描かれた人物にバンドメンバーの姿を重ねる。味付けされた豆腐はキーボードで皿は太鼓というように……あとは会場でご覧いただきたい。
こちらは「20世紀の美術」の展示室。手前左の壁にはポール・デルヴォー《こだま(あるいは「街路の神秘」)》がある。奥の壁には左からフランティシェク・クプカ、ライオネル・ファイニンガー、ジョアン・ミロ、フェルナン・レジェ、ベン・ニコルソンの作品が展示されている。展示室2の見どころは、ジム・ダイン《芝刈機》。設置されている白い木製の台は作品の一部であり、芝刈機のハンドル部分と絵画の位置がピッタリ合う高さになっている。
ここから展示室3「出来事-いま、ここという経験」の第1章「痕跡に見る出来事」。右の赤い作品は白髪一雄、その隣に元永定正、加納光於、田淵安一と作品が並ぶ。作家によって異なる奇抜な色と形を比較し、その制作過程を想像してみると面白い。
ところで、こちらの企画「出来事―いま、ここという経験」では、「国際展は日本でいつ始まったのか?」という問いかけを掲げている。島館長によれば、日本で初めて行われたといわれる大規模な国際展「第10回日本国際美術展 東京ビエンナーレʼ70」(1970年5月10日~30日)は、東京・京都・福岡の他、愛知に巡回したと言う。会場は愛知県美術館の前身である愛知県文化会館で7月15日~26日に開催されていた。横浜トリエンナーレをはじめ各地に広がりつつある国際展の出発点が、東京だけではなく地方に元々あったことを思うと感慨深い。
また、2016年は第3回目の「あいちトリエンナーレ」の開催年であり、愛知県美術館は2010年の第1回目から実行委員会に入り、国際芸術祭を支えてきたと島館長は語る。そのため、本展では「あいちトリエンナーレ」開催前に、1970年愛知県で繰り広げられた国際展を写真や新聞雑誌記事で振り返る目的があった。それに付け加えて、作家の経験した出来事が表現されているコレクションを展示することによって、鑑賞者にも追体験を促す狙いがある。
虫ピンで留められた厚紙だけのキャプションには、学芸員が展示に傾けるこだわりを感じる。額に入っている3点の素描は麻生三郎で、奥は設楽知昭《目の服・上衣》。人が衣服を着用して、ちょうど地に足が着く位置に展示してある。
瑛九《驚き》1951年、フォト・デッサン(Q Ei 1951のサイン・年記あり)
瑛九《しゃがんで》1951年、フォト・デッサン(Q Ei 1951のサイン・年記あり)
瑛九《作品》制作年不詳、フォト・デッサン(裏に都夫人のサインあり)
《作品》に見られるメロンの皮に似た網目模様をもつ作例は、以前ときの忘れもので扱っていた《肖像》のように、1950年頃の作品にいくつか認められる。この網目は小さな破片にかたちを変えるなどして1952年頃までフォト・デッサンの画面を飾っている。
当時、瑛九が「ヒカリ染め」(『毎日グラフ』312号、1952年11月10日、毎日新聞社)で紹介したフォト・デッサンの作り方に、この網目模様を解くカギがあるため、以下に抜粋する。「僕は最初デッサンをかく、そしてきる。小さい調子をつかうときチュール、かなあみ、レース、模様ガラスなどをつかう」とある。恐らく瑛九は《作品》の背景に「模様ガラス(かすみガラス)」を使用していたのだろう。こちらの展示コーナーのなかでは瑛九の作品が一番古いが、表現は新しく、見劣りしない。そのとき身の回りにあった素材を用いて実験的に制作しているから、常に新しいイメージが形成されたのだ。他の作家と同様に、瑛九もまた印画紙というデリケートな素材と向き合って、試行錯誤を重ねる姿が目に浮かぶよう。
ここから「第2章 出来事を共有する」のコーナー。「人間と物質」展のカタログとポスターが展示されている。
カタログは2冊組となっており、上巻は各作家が作品のコンセプトを書き、下巻は展覧会の記録集という構成で編集された。
安齊重男《The 10thTokyo Biennale, Tokyo Metropolitan Museum, May 1970》、大辻清司《eyewitness》が「第10回日本国際美術展 東京ビエンナーレʼ70」の出品作家や制作過程を捉えた写真。その他、覗きケースには関連雑誌を展示している。当時の「人間と物質」展はアルテ・ポーヴェラ、もの派、コンセプチュアル・アート、パフォーマンス・アートなどで活躍していた作家が、その場に応じて作品制作を行うという展覧会スタイルであった。当時の参加作家は下記のとおり。庄司達は愛知の出身者。河原温は若いころ瑛九のアトリエに通っていた。
エドワルド・クラジンスキ/カール・アンドレ/クリスト/クラウス・リンケ/ジルベルト・ゾリオ/スタニラフ・コリバル/ディートリッヒ・アルブレヒト/ブゼム/ダニエル・ビュラン/スティーブン・カルテンバック/ジュゼッぺ・ペノーネ/バリー・フラナガン/ハンス・ハーケ/ソル・ルウィット/ジャン=フレデリック・シュ二―デル/リチャード・セラ/パナマレンコ/マリオ・メルツ/マルクス・レッツ/ヤン・ディベッツ/ライナー・ルッテンベック/ルチアーノ・ファブロ/ルロフ・ロウ/狗巻賢二/榎倉康二/河口龍夫/河原温/小池一誠/小清水漸/庄司達/高松次郎/田中信太郎/成田克彦/野村仁/堀川紀夫/松沢宥
(展示資料:阿谷俊也「日本国際美術展」毎日新聞夕刊、1970年7月13日より)
「第3章 記憶の中の出来事」のコーナー。後方の壁には1970年に制作されたアラン・デュケと吉田克朗の作品があり、手前の平台には、須田剋太と浜田知明(木村定三コレクション)の書簡および北川民次のスケッチブック([株]日動画廊名古屋支店寄贈)が展示さている。北川民次は、1949年に「名古屋動物園児童美術学校」を開設していることから、名古屋で活動していたときのスケッチだろうか。
最後に、本展のコンセプトや作品理解に役立つ資料として、「あいちトリエンナーレ2016」の芸術監督港千尋が書いた『記憶「創造」と「想起」の力』(講談社、1996年12月、p.168)のうち「記憶と歴史の相互作用」を一部抜粋して終わりたい。
1.人間の記憶は個々の事柄の痕跡が保存されてできているのではなく、現在との関係においてつねに生成しているものである。それは一度に入力されれば消えないような静的イメージではなく、環境との物理的な関わりにおいてダイナミックに変化してゆくものである。この点で人間の記憶はコンピューターの記憶とは異なる。
2.したがって回想は、回想される事柄とのみ関わるものではなく、回想している個人の感情や感覚とも関わる。カスパロフにとっての手の記憶やプルーストにとっての味や香りの記憶がよく示しているように身体感覚は記憶が成立するための前提条件であり、身体イメージは絶えず生成変化する記憶にとっての、基本的な枠組みとなっている。絵画や彫刻だけではなく、写真や映像芸術などあらゆる芸術的創造にとって、身体感覚と記憶の動的な関係は本質的である。
***
ちょっと寄り道....
愛知芸術文化センター1階にあるアートライブラリー。美術館付属の小規模な施設ではなく、芸術専門図書館として独立した施設。ライブラリーに配架されていた「資料収集方針」には、資料の収集方法として購入や寄贈の他に寄託があり、収集対象については、各分野の性格に合わせて具体的な資料形態を列挙している。その中には、一般の図書館では扱われないこともある「スライド」「美術館蔵品目録」「展覧会カタログ」「逐次刊行物」などを含む。芸術に特化した環境を整えるため、こうした規定を設けることは大変重要なことで、全国的に見ても貴重な例だと思う。
さて、冒頭で瑛九の「聖地」と書いたのは、『瑛九―評伝と作品』(青龍洞、1976年)の著者山田光春(こうしゅん)収集資料がこちらで管理されているためである。「山田光春アーカイヴ」のうち、瑛九の関連資料はなんと3825点。それも、今から12年前の2004年に公開したものというから驚くべきことである。アーカイヴの構築には少なくとも10年くらいは掛かるだろうから、かなり早い時期に高い目標をもって取り組んでいたことが想像できる。
美術館の裏手にある公園で休息をとる女性像。鳩たちは彼女にすっかりなついているようす。朝倉響子《ラケル》1995年
白い輪郭で縁取られた青い構造物は、ダリ風の時計や蜂などのイラストが施され、白字で「未来へ繋ぐ階段」と書いてある。二次元の空間に迷い込んだような錯覚に陥る。打開連合設計事務所《長者町ブループリント》2013年
アートラボあいち長者町の外観。「あいちトリエンナーレ実行委員会」が入って、展示事業や情報発信を行っている。
ボン靖二《ここにいる》
アートラボあいち大津町の外観。丸窓が印象的な建物。こちらも「あいちトリエンナーレ」の会場のひとつである。
情報コーナーには作家のポートフォリオやカタログなどを置いている。
西山弘洋《象徴》が正面にかかっている。3階の展示スペース
2階の堀田直輝の展示スペース。左《斜光》、右《through》
名古屋城。2016年6月1日から本丸御殿(対面所・下御膳所)の公開がはじまるよう。外では重機が音を立てて動いていた。今回の取材では、お忙しい中、館長島敦彦氏と美術課長深山孝彰氏が丁寧に対応していただいた。この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
(なかむら まき)
●展覧会のご案内
愛知県美術館第1期コレクション展
出来事「いま、ここ」という経験
会期:2016年4月1日[金] ~ 2016年5月29日[日]
会場:愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
時間:10:00~18:00、金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休館:毎週月曜日
主催:愛知県美術館
出品作家:
[展示室1 木村定三コレクション 生誕300年 蕪村・若冲と江戸時代絵画]
与謝蕪村/呉春/松村景文/長沢芦雪/伊藤若冲/西村清狂
[展示室2 20世紀の美術]
ポール・ゴーギャン/エドゥワール・ヴュイヤール/アルベール・マルケ/ラウル・デュフィ/ピエール・ボナール/アンリ・マティス/エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー/フランティシェク・クプカ/ライオネル・ファイニンガー/ジョアン・ミロ/フェルナン・レジェ/ベン・ニコルソン/ポール・デルヴォー/マックス・エルンスト/アド・ラインハート/サム・フランシス/ジム・ダイン
[展示室3 出来事―いま、ここという経験]
1970年に東京都美術館を会場に開かれた東京ビエンナーレ「人間と物質」が、その始まりです。正式には、第10回日本国際美術展ですが、隔年で国際的な美術動向を紹介する展覧会として、毎日新聞社主催で開かれてきました。実は、この国際展は、美術批評家の中原佑介をコミッショナーにそれまでの国別を廃し、「人間と物質」というテーマを掲げ、国内外の最も先鋭な美術家たち40名を紹介、その内17名の海外作家が来日、12名の国内作家も会場にかけつけ展示を行うという、日本では初めての画期的かつ先駆的な、今や伝説となった国際展でした。
しかも、東京だけでなく、京都、愛知、福岡にも巡回、実は愛知県美術館の前身である愛知県文化会館で開催されていたのです。あいちトリエンナーレの出発点はすでに40年前に用意されていたのです。
О第1章 痕跡に見る出来事 | 白髪一雄/元永定正/岡﨑乾二郎/加納光於/田淵安一/ルーチョ・フォンタナ/吉川民仁/デイヴィッド・スミス/荒川修作/瑛九/ロバート・ラウシェンバーグ/麻生三郎/設楽知昭/西村陽平/榎倉康二
О第2章 出来事を共有する | 安斎重男/大辻清司
О第3章 記憶の中の出来事 | パク・ヒョンギ/野田哲也/澤田知子/アラン・デュケ/浜田知明/須田剋太/北川民次/吉田克朗/野田弘志/設楽知昭/田中功起
※上記は愛知県美術館で作成された目録や展覧会要旨を抜粋したもの。
※企画展「黄金伝説―燦然と輝く遺宝 最高峰の文明展」も開催中。館蔵品のグスタフ・クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》を公開している。
※「あいちトリエンナーレ2016」は愛知芸術文化センター他、名古屋市・豊橋市・岡崎市のまちなかで2016年8月11日(木・祝)~10月23日(日)に開催される。
●今日のお勧めは瑛九です。

瑛九《面影》
1936年
フォトデッサン
イメージサイズ:29.0x22.6cm
シートサイズ:30.2x25.0cm
作品裏面に都夫人の署名あり
※『瑛九作品集』(日本経済新聞社、1997年)140ページ所収
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆このブログで瑛九に関連する記事は「瑛九について」でカテゴリーを作成しています。
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