芳賀言太郎のエッセイ 特別編
~北北東に進路を取れ! 東京 ― 岩手540km自転車の旅~
東北の地に巡礼路をつくるために。
第1日目 東京 ― 栃木 ~北を目指して~
5月20日(木) 池袋 ― 所沢 ― 川越 ― 東大宮 ― 小山 ― 栃木
ツール・ド・フランスが始まった。世界最大の自転車ロードレース。イタリアにジロ・デ・イタリアがあり、スペインにブエルタ・ア・エスパーニャがあるといっても、やはりツール・ド・フランスは別格である。ロードレースの世界で審判長がコミッショナーではなくコミッセールと呼ばれ、集団がプロトン、補給食袋がサコッシュと呼ばれるのも、この世界におけるツール・ド・フランスの大きさを示している。今年は7月2日から2回の休養日を挟んで全21ステージ、7月24日にパリのシャンゼリゼにゴールするまでの23日間、4000kmを走り、フランスを一周する。今年のグランデパール、出発地は世界遺産のモン・サン・ミシェル。1日目のゴールのオマハ・ビーチはノルマンディ上陸作戦の激戦地である。古城や教会堂といった歴史遺産や美しいフランスの風景は自転車レースに興味のない人でも一見の価値はある。「J SPORTS」(衛星放送)で全レース生中継中である。
なぜ、東京から岩手まで自転車で行こうと思ったのか。もしくは、行けると思ったのか。正直なところわからない。ただ、新幹線で一気に目的地に行くのは何か違うような気がした。事の始まりは、私が岩手で開催される、ヒルクライムレースに参加することになったことである。
岩手県大槌町。ここで三陸海岸初のヒルクライムレースが開催されることになった。「第1回おおつち新山ヒルクライムレース」。なぜ、わざわざ遠く離れたレースに出場することに決めたのか。それは第一に初開催であったため、そして東北が開催地であったという点である。
私の父は福島県の福島市飯坂町、母も同じく福島県の双葉町出身である。子どもの頃は夏休みとなれば飯坂温泉の鯖子湯に温泉につかりに行ったり、双葉の海で海水浴をしていたのだが、福島第一原子力発電所の事故のため、母の実家は今も立ち入り禁止で、父の実家の近くの大好きだったニジマスの釣り堀は風評被害のため潰れてしまった。叔父が送ってくれていた双葉産のコシヒカリももう届くことはない。
東日本大震災の犠牲者をどのように悼み、被災地をどのようにして再生していくかを考えたとき、自分が経験したサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が一つのヒントになるように思われた。津波と原子力発電所の事故によって荒廃した東日本の太平洋岸地域に、鎮魂と再生のための巡礼路をつくることはできないだろうか。それを通して人を呼び、ものを集め、お金を循環させることができるのではないだろうか。そんなことは不可能だろうという声が聞こえてきそうではあるが、建築をつくるということ自体に大きな疑問が突きつけられている状況の中で、道を造るということは一つの別解になるような気がした。巡礼路を造るのにはダンプカーもショベルカーも必要ない。誰かがその道を「巡礼」として歩けば、もしくは自転車で走れば、その道が巡礼路となるのだ。一人二人ではどうにもならないのではあるが、それでも最初の一人が歩かないことには始まらない。まあ、今の自分にできることはそれぐらいしかないのである。
朝、6時。準備を始める。空気圧をチェックし、ネジを増し締めする。前輪のクイックレバーを確認し、ブレーキの効きを確かめる。自転車用のジャージに身を包み、ヘルメットをかぶる。
出発
いざロードバイクに乗り、出発と意気込んだ所、トラブル発生。ヘルメットにバックパックの上部が当たり、顔を上げることができない。徒歩での山行を想定したバックパックは自転車に乗ることを前提としているわけもなく、このままでは走れない。これは事前に試走しなかった私が悪い。家の前でパッキングのやり直しである。毎回のことながら準備が大切なのだと思うのである。
なんとか走り出す。今日の目的地は栃木なので、まずは青梅街道から所沢を目指し、川越、小山を経て栃木を目指すルートを考えた。距離的には100㎞ちょっと。平均時速20㎞で5時間。普通に走れば問題のない距離のはずだった。
が、走れない。まず自転車が重い。ロードバイクは軽さが命であるはずなのだが、いくら自転車が軽くても、そこに10㎞もの荷物を背負ったのではアドバンテージはゼロである。そして背中の荷物が重い。普段はサイクルジャージのポケット(これが本当に便利である)に補給食と財布とGRだけというスタイルであり、たまに軽いリュックを背負うぐらいである。こんな重いバックパックを背負わないし、長距離を走る時には物凄く重い。ロードバイクは基本的に前傾姿勢が通常のポジションだから、重さがダイレクトに体にかかる。ペダルも思うように回せないし、はっきり言ってこれは苦行である。ロードバイクには長距離ツーリング用にランドナーというキャリアバックを前後左右に4つも積めるタイプがあるのにはちゃんとした理由があるのだ。
そして道に迷う。県庁所在地を目指してそこそこ大きな町を国道伝いに走るのだから道路標識だけで辿り着けると思ったのが大間違いである。当然のことだが道路標識は自動車用なので、小回りが効いて自由度の高い自転車で走るには大雑把すぎる。そして自動車専用道路などというものがあると当然のことながら自転車は走ることができない。
走りなれた道ならなんということはないのだろうか、初めての道となると思うようには走れない。なにより、この道でよいのかどうか考えながら走るのは物凄いストレスである。そもそもルートを決めていないのが悪い。一人旅だから好き勝手に出来るのは良いのであるが。
所沢街道
所沢での初めての休憩。五月晴れの日差しは強く、体力を消耗する。
補給地点
所沢から川越を目指し走る。
川越駅
川越 お店
途中休憩
サイクルラックにかけられる。軽量化のためにスタンドのないロードバイクにとっては本当にありがたい。
昼食 うどん
自転車とうどんは相性がいい。
昼食後、疲れが一気に出たのか、モチベーションが低下した。もう走りたくないと体が訴えている。体は正直である。これは無理だと思い、行き先を東大宮に変更し、電車で栃木を目指すことにする。
東大宮は私が大学1~2年に通い詰めた駅であり、ホームに降り立つとなんだか懐かしかった。
東大宮駅 プラットフォーム
特別なイベントを除けば、日本ではまだ自転車で電車に乗ることはできない。それでも方法はある。専用の袋に入れて、外から見えないようになっていれば手荷物として持ち込むことができるのである。大変なことのように思われるかもしれないが、実は簡単である。パンク等のトラブルに対処するためロードバイクは前輪がワンタッチで外れるようになっているし、何より車体が軽い。エントリーグレードのアルミフレームのものでも10㎏程度だし、本格的なカーボンフレームのものだと7㎏を切るものまである。いわゆるママチャリが15㎏から20㎏程度だから、約半分である。輪行袋と呼ばれる専用の袋もいろいろな種類が売られている。
私が使っているのはいちばんポピュラーなOSTRICH(オーストリッチ) の輪行袋 でネットで6000円程度で購入した。バックパックから輪行袋を取り出し、前輪を外して専用の袋に納め、何箇所か付属のストラップで留めて、袋に入れる。後輪も外すタイプもあり、それだとサイズ的には半分ぐらいにまで小さくできるのだが、重さが減るわけではないし。やはり手間がかかる。土日に人気の観光地行きの私鉄に乗るわけではないので、サイズには目をつぶる。早朝や昼間の空いている時間帯であれば、それほど肩身の狭い思いをすることはない。
小山駅
栃木駅に着いた。地元の高校生に「日本一周頑張ってください」と言われたときはなんだか不思議な感じだった。
今日の目的地であり、宿泊場所である栃木教会に向かう。父の仕事の関係で宿泊場所を提供していただけることになったのだが、これは単に宿泊代を浮かそうとしてのことではない。これにはもう一つの目論みがある。教会のアルベルゲ化計画である。じっさい、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路が巡礼路たり得ているのは、一泊5ユーロ(500円!)程度で宿泊することのできるアルベルゲ(巡礼宿)の存在があるからである。1ヶ月もの長旅を毎日ホテル泊りで行ったらとんでもない費用がかかる。そこにはどうしてもボランティアベースで安価に宿泊を支えるシステムが必要なのだ。もちろん快適である必要はない。じっさい、仕切りもない大部屋に枕も布団もないマットだけの二段ベッドがずらりと並ぶだけの、鍵もかからなければプライバシーもない、でもオスピタレロ(世話人)の暖かな配慮だけはたっぷりあるアルベルゲがあるからこそ、巡礼路は巡礼路として機能するのである。だからジット(簡易ホテル)までしかないフランスの巡礼路は、どんなに道が整備されていても、やはり実際に歩く人は多くはない。東北に巡礼路をつくろうと思えば、やはりそこにはアルベルゲが必要なのである。
だからといってそのために土地を取得し、アルベルゲにふさわしい建物を設計し、運営の仕方をデザインするというのもすぐにはできない。まずは、すでにそこにある建物をアルベルゲとして使ってみるという試みをしてみようというのである。宿泊するとなると食事はもちろんのこと、布団や枕、シーツを用意してもらう手間がかかる。そして出立の後には洗濯や布団干しの手間が必要になる。だから、食事は外で済ませる。枕もシーツも不要。敷き布団だけ用意してもらえば、持参の寝袋を使うので大丈夫ということを前もって重々お伝えしておいた。この程度の事であればそれほどの手間ではないと思ってもらえれば成功である。そして次の《巡礼者》を迎えてもらえればと思う。
栃木教会 外観
アプローチ
内部
開口
那須ラーメン
自転車で走った後のラーメンは格別であった。
東京から103km(自転車での移動距離約55km)
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~自転車編~
第1回 ロードバイク TREK1.2 68.000円(中古品)
かつて、ツール・ド・フランスを7連覇した人間がいる。当時、神に最も近い男と言われたランス・アームストロングである。しかし、その後ドーピング問題で7連覇は剥奪され、自転車界を追放されている。 自伝、「ただ、マイヨジョーヌのためでなく」はアームストロングの自転車人生が描かれており、死の宣告を受けてなお、壮絶な癌を克服し、ツールを制覇した感動がある。さまざまな問題があることは確かだが、世界を変えた人間であることは間違いない。現在、ツール・ド・フランスのオフィシャルサイトでは、1999年から2005年までの優勝者は空欄となっているが、その間のことを「なかったこと」にしてしまおうという姿勢には疑問を感じる。人は起こってしまった「悪いこと」を「なかったこと」にすることはできない。むしろなぜそんなことが起こってしまったのかを-痛みを覚えながらでも-記憶し続け、考え続けることなしには、なかったことにされてしまったことはまた-こんどは別な形で-繰りかえされてしまうのではないだろうか。現在、このアームストロングをテーマにした映画「疑惑のチャンピオン」 (2015)が上映中である。また、彼のドーピング問題を扱った本「偽りのサイクル」も翻訳されている。ツールの休息日にでも足を運ぼうかと思っている。
重苦しい話になってしまった。ただ、トレックのことを話そうと思えば、やはりアームストロングについて触れないわけにはいかない。
トレックの歴史は、1976年にアメリカ・ウィスコンシン州の小さな赤いガレージから始まった。現在では自転車総合メーカーとして圧倒的な存在感を示している。1992年にトレックの代名詞となったOCLV「オプティマム・コンパクション・ローボイド」カーボンを開発し、カーボン内の空気含有率を極限まで低くする特殊な製造法で超高剛性のカーボンフレームを生み出した。これがランス・アームストロングに提供されてツール・ド・フランスを7連覇。高性能ロードバイクの代名詞的存在となり、それまではイタリアを中心としたヨーロッパブランドが中心であったロードバイク界に革命を起こした。
このTREK1.2はトップモデルのデザインを受けたエントリーグレードのアルミニウムフレームのモデルである。何よりこの色が気に入っている。現在のラインナップからは消えてしまったプラシッドブルーという鮮やかな青に惹かれて購入した。熊谷の中古自転車店に運よく残っていたものをネットで見つけて即電話を掛けて買ったものである。その帰り道、熊谷から東京まで70kmを自走して帰ってきた時に、このTREKは私の相棒になった。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
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●今日のお勧めは、森内敬子です。
森内敬子
「縷」
2015年
キャンバスに油彩
18.0×14.0cm(F0号)
左側面にペンサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
~北北東に進路を取れ! 東京 ― 岩手540km自転車の旅~
東北の地に巡礼路をつくるために。
第1日目 東京 ― 栃木 ~北を目指して~
5月20日(木) 池袋 ― 所沢 ― 川越 ― 東大宮 ― 小山 ― 栃木
ツール・ド・フランスが始まった。世界最大の自転車ロードレース。イタリアにジロ・デ・イタリアがあり、スペインにブエルタ・ア・エスパーニャがあるといっても、やはりツール・ド・フランスは別格である。ロードレースの世界で審判長がコミッショナーではなくコミッセールと呼ばれ、集団がプロトン、補給食袋がサコッシュと呼ばれるのも、この世界におけるツール・ド・フランスの大きさを示している。今年は7月2日から2回の休養日を挟んで全21ステージ、7月24日にパリのシャンゼリゼにゴールするまでの23日間、4000kmを走り、フランスを一周する。今年のグランデパール、出発地は世界遺産のモン・サン・ミシェル。1日目のゴールのオマハ・ビーチはノルマンディ上陸作戦の激戦地である。古城や教会堂といった歴史遺産や美しいフランスの風景は自転車レースに興味のない人でも一見の価値はある。「J SPORTS」(衛星放送)で全レース生中継中である。
なぜ、東京から岩手まで自転車で行こうと思ったのか。もしくは、行けると思ったのか。正直なところわからない。ただ、新幹線で一気に目的地に行くのは何か違うような気がした。事の始まりは、私が岩手で開催される、ヒルクライムレースに参加することになったことである。
岩手県大槌町。ここで三陸海岸初のヒルクライムレースが開催されることになった。「第1回おおつち新山ヒルクライムレース」。なぜ、わざわざ遠く離れたレースに出場することに決めたのか。それは第一に初開催であったため、そして東北が開催地であったという点である。
私の父は福島県の福島市飯坂町、母も同じく福島県の双葉町出身である。子どもの頃は夏休みとなれば飯坂温泉の鯖子湯に温泉につかりに行ったり、双葉の海で海水浴をしていたのだが、福島第一原子力発電所の事故のため、母の実家は今も立ち入り禁止で、父の実家の近くの大好きだったニジマスの釣り堀は風評被害のため潰れてしまった。叔父が送ってくれていた双葉産のコシヒカリももう届くことはない。
東日本大震災の犠牲者をどのように悼み、被災地をどのようにして再生していくかを考えたとき、自分が経験したサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が一つのヒントになるように思われた。津波と原子力発電所の事故によって荒廃した東日本の太平洋岸地域に、鎮魂と再生のための巡礼路をつくることはできないだろうか。それを通して人を呼び、ものを集め、お金を循環させることができるのではないだろうか。そんなことは不可能だろうという声が聞こえてきそうではあるが、建築をつくるということ自体に大きな疑問が突きつけられている状況の中で、道を造るということは一つの別解になるような気がした。巡礼路を造るのにはダンプカーもショベルカーも必要ない。誰かがその道を「巡礼」として歩けば、もしくは自転車で走れば、その道が巡礼路となるのだ。一人二人ではどうにもならないのではあるが、それでも最初の一人が歩かないことには始まらない。まあ、今の自分にできることはそれぐらいしかないのである。
朝、6時。準備を始める。空気圧をチェックし、ネジを増し締めする。前輪のクイックレバーを確認し、ブレーキの効きを確かめる。自転車用のジャージに身を包み、ヘルメットをかぶる。
出発いざロードバイクに乗り、出発と意気込んだ所、トラブル発生。ヘルメットにバックパックの上部が当たり、顔を上げることができない。徒歩での山行を想定したバックパックは自転車に乗ることを前提としているわけもなく、このままでは走れない。これは事前に試走しなかった私が悪い。家の前でパッキングのやり直しである。毎回のことながら準備が大切なのだと思うのである。
なんとか走り出す。今日の目的地は栃木なので、まずは青梅街道から所沢を目指し、川越、小山を経て栃木を目指すルートを考えた。距離的には100㎞ちょっと。平均時速20㎞で5時間。普通に走れば問題のない距離のはずだった。
が、走れない。まず自転車が重い。ロードバイクは軽さが命であるはずなのだが、いくら自転車が軽くても、そこに10㎞もの荷物を背負ったのではアドバンテージはゼロである。そして背中の荷物が重い。普段はサイクルジャージのポケット(これが本当に便利である)に補給食と財布とGRだけというスタイルであり、たまに軽いリュックを背負うぐらいである。こんな重いバックパックを背負わないし、長距離を走る時には物凄く重い。ロードバイクは基本的に前傾姿勢が通常のポジションだから、重さがダイレクトに体にかかる。ペダルも思うように回せないし、はっきり言ってこれは苦行である。ロードバイクには長距離ツーリング用にランドナーというキャリアバックを前後左右に4つも積めるタイプがあるのにはちゃんとした理由があるのだ。
そして道に迷う。県庁所在地を目指してそこそこ大きな町を国道伝いに走るのだから道路標識だけで辿り着けると思ったのが大間違いである。当然のことだが道路標識は自動車用なので、小回りが効いて自由度の高い自転車で走るには大雑把すぎる。そして自動車専用道路などというものがあると当然のことながら自転車は走ることができない。
走りなれた道ならなんということはないのだろうか、初めての道となると思うようには走れない。なにより、この道でよいのかどうか考えながら走るのは物凄いストレスである。そもそもルートを決めていないのが悪い。一人旅だから好き勝手に出来るのは良いのであるが。
所沢街道所沢での初めての休憩。五月晴れの日差しは強く、体力を消耗する。
補給地点所沢から川越を目指し走る。
川越駅
川越 お店
途中休憩サイクルラックにかけられる。軽量化のためにスタンドのないロードバイクにとっては本当にありがたい。
昼食 うどん自転車とうどんは相性がいい。
昼食後、疲れが一気に出たのか、モチベーションが低下した。もう走りたくないと体が訴えている。体は正直である。これは無理だと思い、行き先を東大宮に変更し、電車で栃木を目指すことにする。
東大宮は私が大学1~2年に通い詰めた駅であり、ホームに降り立つとなんだか懐かしかった。
東大宮駅 プラットフォーム特別なイベントを除けば、日本ではまだ自転車で電車に乗ることはできない。それでも方法はある。専用の袋に入れて、外から見えないようになっていれば手荷物として持ち込むことができるのである。大変なことのように思われるかもしれないが、実は簡単である。パンク等のトラブルに対処するためロードバイクは前輪がワンタッチで外れるようになっているし、何より車体が軽い。エントリーグレードのアルミフレームのものでも10㎏程度だし、本格的なカーボンフレームのものだと7㎏を切るものまである。いわゆるママチャリが15㎏から20㎏程度だから、約半分である。輪行袋と呼ばれる専用の袋もいろいろな種類が売られている。
私が使っているのはいちばんポピュラーなOSTRICH(オーストリッチ) の輪行袋 でネットで6000円程度で購入した。バックパックから輪行袋を取り出し、前輪を外して専用の袋に納め、何箇所か付属のストラップで留めて、袋に入れる。後輪も外すタイプもあり、それだとサイズ的には半分ぐらいにまで小さくできるのだが、重さが減るわけではないし。やはり手間がかかる。土日に人気の観光地行きの私鉄に乗るわけではないので、サイズには目をつぶる。早朝や昼間の空いている時間帯であれば、それほど肩身の狭い思いをすることはない。
小山駅 栃木駅に着いた。地元の高校生に「日本一周頑張ってください」と言われたときはなんだか不思議な感じだった。
今日の目的地であり、宿泊場所である栃木教会に向かう。父の仕事の関係で宿泊場所を提供していただけることになったのだが、これは単に宿泊代を浮かそうとしてのことではない。これにはもう一つの目論みがある。教会のアルベルゲ化計画である。じっさい、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路が巡礼路たり得ているのは、一泊5ユーロ(500円!)程度で宿泊することのできるアルベルゲ(巡礼宿)の存在があるからである。1ヶ月もの長旅を毎日ホテル泊りで行ったらとんでもない費用がかかる。そこにはどうしてもボランティアベースで安価に宿泊を支えるシステムが必要なのだ。もちろん快適である必要はない。じっさい、仕切りもない大部屋に枕も布団もないマットだけの二段ベッドがずらりと並ぶだけの、鍵もかからなければプライバシーもない、でもオスピタレロ(世話人)の暖かな配慮だけはたっぷりあるアルベルゲがあるからこそ、巡礼路は巡礼路として機能するのである。だからジット(簡易ホテル)までしかないフランスの巡礼路は、どんなに道が整備されていても、やはり実際に歩く人は多くはない。東北に巡礼路をつくろうと思えば、やはりそこにはアルベルゲが必要なのである。
だからといってそのために土地を取得し、アルベルゲにふさわしい建物を設計し、運営の仕方をデザインするというのもすぐにはできない。まずは、すでにそこにある建物をアルベルゲとして使ってみるという試みをしてみようというのである。宿泊するとなると食事はもちろんのこと、布団や枕、シーツを用意してもらう手間がかかる。そして出立の後には洗濯や布団干しの手間が必要になる。だから、食事は外で済ませる。枕もシーツも不要。敷き布団だけ用意してもらえば、持参の寝袋を使うので大丈夫ということを前もって重々お伝えしておいた。この程度の事であればそれほどの手間ではないと思ってもらえれば成功である。そして次の《巡礼者》を迎えてもらえればと思う。
栃木教会 外観
アプローチ
内部
開口
那須ラーメン自転車で走った後のラーメンは格別であった。
東京から103km(自転車での移動距離約55km)
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~自転車編~
第1回 ロードバイク TREK1.2 68.000円(中古品)
かつて、ツール・ド・フランスを7連覇した人間がいる。当時、神に最も近い男と言われたランス・アームストロングである。しかし、その後ドーピング問題で7連覇は剥奪され、自転車界を追放されている。 自伝、「ただ、マイヨジョーヌのためでなく」はアームストロングの自転車人生が描かれており、死の宣告を受けてなお、壮絶な癌を克服し、ツールを制覇した感動がある。さまざまな問題があることは確かだが、世界を変えた人間であることは間違いない。現在、ツール・ド・フランスのオフィシャルサイトでは、1999年から2005年までの優勝者は空欄となっているが、その間のことを「なかったこと」にしてしまおうという姿勢には疑問を感じる。人は起こってしまった「悪いこと」を「なかったこと」にすることはできない。むしろなぜそんなことが起こってしまったのかを-痛みを覚えながらでも-記憶し続け、考え続けることなしには、なかったことにされてしまったことはまた-こんどは別な形で-繰りかえされてしまうのではないだろうか。現在、このアームストロングをテーマにした映画「疑惑のチャンピオン」 (2015)が上映中である。また、彼のドーピング問題を扱った本「偽りのサイクル」も翻訳されている。ツールの休息日にでも足を運ぼうかと思っている。
重苦しい話になってしまった。ただ、トレックのことを話そうと思えば、やはりアームストロングについて触れないわけにはいかない。
トレックの歴史は、1976年にアメリカ・ウィスコンシン州の小さな赤いガレージから始まった。現在では自転車総合メーカーとして圧倒的な存在感を示している。1992年にトレックの代名詞となったOCLV「オプティマム・コンパクション・ローボイド」カーボンを開発し、カーボン内の空気含有率を極限まで低くする特殊な製造法で超高剛性のカーボンフレームを生み出した。これがランス・アームストロングに提供されてツール・ド・フランスを7連覇。高性能ロードバイクの代名詞的存在となり、それまではイタリアを中心としたヨーロッパブランドが中心であったロードバイク界に革命を起こした。
このTREK1.2はトップモデルのデザインを受けたエントリーグレードのアルミニウムフレームのモデルである。何よりこの色が気に入っている。現在のラインナップからは消えてしまったプラシッドブルーという鮮やかな青に惹かれて購入した。熊谷の中古自転車店に運よく残っていたものをネットで見つけて即電話を掛けて買ったものである。その帰り道、熊谷から東京まで70kmを自走して帰ってきた時に、このTREKは私の相棒になった。

■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
----------------
●今日のお勧めは、森内敬子です。
森内敬子「縷」
2015年
キャンバスに油彩
18.0×14.0cm(F0号)
左側面にペンサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
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