「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第23回
Shuzo TAKIGUCHI and Marcel Duchamp Vol.23
土渕信彦
23-1.Personally Speaking
前回ご紹介した「ユリイカ」1977年10月号の「私製草子のための口上」の前後にも、瀧口はデュシャンに関する小論を2つ発表している。「マルセル・デュシャン:九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」および“Personally Speaking”である。
「マルセル・デュシャン:九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」は、デュシャンが1964年に製作した9部限定のマルチプル(図23-1)についての作品解説で、フジテレビギャラリーが発行していた“Gallery”誌の第6巻5号(1975年5月)に掲載された。このマルチプルの製作の契機や経緯が、「大ガラス」や「トランクの箱」に遡って簡潔に述べられているほか、デュシャン作品の蒐集や、ガラスのヒビ割れについても触れられている。マルチプルの版元について本文では「ニューヨークの前掲画廊から9部限定で発売されたが、そのうちの第1番がこれである」と記されているだけであるが、掲載されたカラー図版のキャプションにコルディエ&エクストローム画廊と明記されている(図23-1のキャプションのとおり。このカラー図版の他に、「大ガラス」のモノクロ図版も併載されている)。なお、この小論は「Gallery誌上展 フジテレビギャラリー所蔵作品を中心に」という題の連載記事に寄稿されており、同ギャラリーによる前書には「解説をとくにデュシャンと親交のあった滝口修造氏にお願いした」とある。
図23-1
デュシャン「九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」、1964年
ニューヨーク・コルディエ&エクストローム画廊発売
限定9部の内の1番
16.8×27.3㎝(ニューヨーク・メアリー・シスラー旧蔵)
“Personally Speaking” は、1972年に開催されたニューヨーク近代美術館・フィラデルフィア美術館のデュシャン回顧展の際に寄稿した英文によるカタログ・テキスト(図23-2,3)の和訳(自訳)で、掲載されたのは「エピステーメー」誌(編集:中野幹隆、発行:朝日出版社)の1977年11月号(「マルセル・デュシャン特集号」)である。掲載に際して次のように付記している。
「この小文は勝手な英文で書きおろしたもので、われながら訳しにくい。最初はここに掲げた題をつけておいたが、カタログではCollective Portrait of Marcel Duchampと題してアポリネールからabc順に古今の61人の文章や絵などをならべたセクションに含められたので無題で発表された。ここでは敢てもとの題名を英文そのまま復活させて頂いた。[後略]」
図23-2
ニューヨーク近代美術館・フィラデルフィア美術館「デュシャン回顧展」カタログ
1973年
図23-3
同上
瀧口のエッセイの頁
「エピステーメー」誌のこの特集は尋常の特集ではなく、連載記事まで休載して全頁をデュシャンに捧げるという力の入れようだった。執筆・寄稿者も豪華な面々で、瀧口のほか、東野芳明、荒川修作、柳瀬尚紀、海外ではミシェル・ビュトール、ジャン=フランソワ・リオタール、ジャン・クレール、オクタヴィオ・パス、ティエリ・ドゥ・デューヴ、ミシェル・カルージュなど。さらに磯崎新と中原佑介の対談、ジョン・ケージとアラン・ジュフロワの対談なども掲載されている。
図23-4
「エピステーメー」誌
1977年11月号
23-2.「檢眼圖」The Oculist Witnesses
この頃の瀧口のデュシャンに対する特別な関心は、マルチプル「檢眼圖」(図23-5)に凝縮されているかもしれない。デュシャン「大ガラス」の「眼科医の証人」The Oculist Witnessesの部分を三次元に立体化したもので、デュシャン「グリーン・ボックス」に納められたメモでは、この部分は”Tableaux d’oculiste”または”Tableaux oculistes”と表記されているので、その訳が日本語の名称とされた。
図23―5
瀧口修造・岡崎和郎「檢眼圖」、東京ローズ・セラヴィ、1977年
シルクスクリーン、アクリル板、レンズ、アルミニウム。26.0×26.0×26.0
内箱の内側に貼付された奥付ラベルに瀧口・岡崎のサイン入り。解説リーフレット別添。白厚紙の外箱入り。
「大ガラス」の「眼科医の証人」の部分は、ガラスの表面に透視図法によって描かれている(ガラス上の銀メッキを剥がして図柄が残してある)のに対して、「檢眼圖」では「グリーン・ボックス」所収の縮小図版(こちらは“Témoins Oculistes”と表記されている)から忠実に作製した平面図を、3枚のアクリル板の上にシルクスクリーンの手法で黄色のインクを定着し、見る角度を調節することによって「大ガラス」の「眼科医の証人」の部分の姿を再現できるようにしてある。「解説リーフレット」のなかで瀧口は「ブラック・ライトで眺めると、まったく別の様相をあらわすだろう」と述べているが、劣化の危険性を考慮すると、躊躇せざるをえない。
実際の製作に当たった岡崎和郎氏の証言によれば、本体だけでなく、内箱の緑色がかったグレーの色彩や眼の図柄、タイトルへの旧字体の使用など、製作のすべてにわたって瀧口の細かい指定・監修が及んだそうである。製作部数を数部の限定とする意向だったが、岡崎氏の進言に従って100部に変更された。ただし実際に製作されたのは、瀧口存命中に完成した60部のみで、しかも過半は海外に送られたそうで、国内に残っているのは30部に満たないようである。詳しくは次の文献をご参照いただきたい。岡崎和郎・空閑俊憲座談会(司会土渕信彦)「瀧口修造を語る 人差し指の方角」(「洪水」第6号、洪水企画、2010年7月。図23-6)
図23-6
「洪水」第6号(2010年7月)
76年末に出来上ったばかりの「檢眼圖」は、ポンピドゥー・センターで開催されたマルセル・デュシャン展の開会式に出席する東野芳明に託されて、フランスのティニー・デュシャンのもとに届けられた。ティニーから77年2月21日付けの、とても喜んだ様子の礼状が届き、“Regarding your very generous offer, it would mean a great deal to me if you could send one to my daughter”「お言葉に甘えて、娘にも一部いただけないかしら」[意訳:土渕]とのリクエストがあった。早速、追加して贈られ、6月27日付けで丁寧な礼状が届いた。
岡田隆彦の証言によれば、73年の訪米の際に世話をしてくれたロックフェラー三世財団のポーター・マックレイ氏と荒川修作の二人にも、この頃に渡米した岡田に託されて贈られたようである(大岡信・武満徹・岡田隆彦による座談会「〈絶対への眼差し〉 もう一つの物質=言葉を求めて」、「現代詩手帖」「特集 瀧口修造」、1979年10月。図23-7)。
図23-7
「現代詩手帖」1979年10月号
「檢眼圖」の製作に並行して書き溜められた瀧口の手稿が、手作り本「檢眼圖傍白」(図23-8,9)としてまとめられており、製作に当たってデュシャン「グリーン・ボックス」所収のメモをはじめ、さまざまな文献が参照されていたことが判る。(次号に続く)
図23-8
手作り本「檢眼圖傍白」表紙(千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログより転載)
図23-9
同上
内容頁(同上)
(つちぶちのぶひこ)
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造
「II-18」
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm
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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
Shuzo TAKIGUCHI and Marcel Duchamp Vol.23
土渕信彦
23-1.Personally Speaking
前回ご紹介した「ユリイカ」1977年10月号の「私製草子のための口上」の前後にも、瀧口はデュシャンに関する小論を2つ発表している。「マルセル・デュシャン:九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」および“Personally Speaking”である。
「マルセル・デュシャン:九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」は、デュシャンが1964年に製作した9部限定のマルチプル(図23-1)についての作品解説で、フジテレビギャラリーが発行していた“Gallery”誌の第6巻5号(1975年5月)に掲載された。このマルチプルの製作の契機や経緯が、「大ガラス」や「トランクの箱」に遡って簡潔に述べられているほか、デュシャン作品の蒐集や、ガラスのヒビ割れについても触れられている。マルチプルの版元について本文では「ニューヨークの前掲画廊から9部限定で発売されたが、そのうちの第1番がこれである」と記されているだけであるが、掲載されたカラー図版のキャプションにコルディエ&エクストローム画廊と明記されている(図23-1のキャプションのとおり。このカラー図版の他に、「大ガラス」のモノクロ図版も併載されている)。なお、この小論は「Gallery誌上展 フジテレビギャラリー所蔵作品を中心に」という題の連載記事に寄稿されており、同ギャラリーによる前書には「解説をとくにデュシャンと親交のあった滝口修造氏にお願いした」とある。
図23-1デュシャン「九箇の雄の鋳型 Nine Malic Moulds」、1964年
ニューヨーク・コルディエ&エクストローム画廊発売
限定9部の内の1番
16.8×27.3㎝(ニューヨーク・メアリー・シスラー旧蔵)
“Personally Speaking” は、1972年に開催されたニューヨーク近代美術館・フィラデルフィア美術館のデュシャン回顧展の際に寄稿した英文によるカタログ・テキスト(図23-2,3)の和訳(自訳)で、掲載されたのは「エピステーメー」誌(編集:中野幹隆、発行:朝日出版社)の1977年11月号(「マルセル・デュシャン特集号」)である。掲載に際して次のように付記している。
「この小文は勝手な英文で書きおろしたもので、われながら訳しにくい。最初はここに掲げた題をつけておいたが、カタログではCollective Portrait of Marcel Duchampと題してアポリネールからabc順に古今の61人の文章や絵などをならべたセクションに含められたので無題で発表された。ここでは敢てもとの題名を英文そのまま復活させて頂いた。[後略]」
図23-2ニューヨーク近代美術館・フィラデルフィア美術館「デュシャン回顧展」カタログ
1973年
図23-3同上
瀧口のエッセイの頁
「エピステーメー」誌のこの特集は尋常の特集ではなく、連載記事まで休載して全頁をデュシャンに捧げるという力の入れようだった。執筆・寄稿者も豪華な面々で、瀧口のほか、東野芳明、荒川修作、柳瀬尚紀、海外ではミシェル・ビュトール、ジャン=フランソワ・リオタール、ジャン・クレール、オクタヴィオ・パス、ティエリ・ドゥ・デューヴ、ミシェル・カルージュなど。さらに磯崎新と中原佑介の対談、ジョン・ケージとアラン・ジュフロワの対談なども掲載されている。
図23-4「エピステーメー」誌
1977年11月号
23-2.「檢眼圖」The Oculist Witnesses
この頃の瀧口のデュシャンに対する特別な関心は、マルチプル「檢眼圖」(図23-5)に凝縮されているかもしれない。デュシャン「大ガラス」の「眼科医の証人」The Oculist Witnessesの部分を三次元に立体化したもので、デュシャン「グリーン・ボックス」に納められたメモでは、この部分は”Tableaux d’oculiste”または”Tableaux oculistes”と表記されているので、その訳が日本語の名称とされた。
図23―5瀧口修造・岡崎和郎「檢眼圖」、東京ローズ・セラヴィ、1977年
シルクスクリーン、アクリル板、レンズ、アルミニウム。26.0×26.0×26.0
内箱の内側に貼付された奥付ラベルに瀧口・岡崎のサイン入り。解説リーフレット別添。白厚紙の外箱入り。
「大ガラス」の「眼科医の証人」の部分は、ガラスの表面に透視図法によって描かれている(ガラス上の銀メッキを剥がして図柄が残してある)のに対して、「檢眼圖」では「グリーン・ボックス」所収の縮小図版(こちらは“Témoins Oculistes”と表記されている)から忠実に作製した平面図を、3枚のアクリル板の上にシルクスクリーンの手法で黄色のインクを定着し、見る角度を調節することによって「大ガラス」の「眼科医の証人」の部分の姿を再現できるようにしてある。「解説リーフレット」のなかで瀧口は「ブラック・ライトで眺めると、まったく別の様相をあらわすだろう」と述べているが、劣化の危険性を考慮すると、躊躇せざるをえない。
実際の製作に当たった岡崎和郎氏の証言によれば、本体だけでなく、内箱の緑色がかったグレーの色彩や眼の図柄、タイトルへの旧字体の使用など、製作のすべてにわたって瀧口の細かい指定・監修が及んだそうである。製作部数を数部の限定とする意向だったが、岡崎氏の進言に従って100部に変更された。ただし実際に製作されたのは、瀧口存命中に完成した60部のみで、しかも過半は海外に送られたそうで、国内に残っているのは30部に満たないようである。詳しくは次の文献をご参照いただきたい。岡崎和郎・空閑俊憲座談会(司会土渕信彦)「瀧口修造を語る 人差し指の方角」(「洪水」第6号、洪水企画、2010年7月。図23-6)
図23-6「洪水」第6号(2010年7月)
76年末に出来上ったばかりの「檢眼圖」は、ポンピドゥー・センターで開催されたマルセル・デュシャン展の開会式に出席する東野芳明に託されて、フランスのティニー・デュシャンのもとに届けられた。ティニーから77年2月21日付けの、とても喜んだ様子の礼状が届き、“Regarding your very generous offer, it would mean a great deal to me if you could send one to my daughter”「お言葉に甘えて、娘にも一部いただけないかしら」[意訳:土渕]とのリクエストがあった。早速、追加して贈られ、6月27日付けで丁寧な礼状が届いた。
岡田隆彦の証言によれば、73年の訪米の際に世話をしてくれたロックフェラー三世財団のポーター・マックレイ氏と荒川修作の二人にも、この頃に渡米した岡田に託されて贈られたようである(大岡信・武満徹・岡田隆彦による座談会「〈絶対への眼差し〉 もう一つの物質=言葉を求めて」、「現代詩手帖」「特集 瀧口修造」、1979年10月。図23-7)。
図23-7「現代詩手帖」1979年10月号
「檢眼圖」の製作に並行して書き溜められた瀧口の手稿が、手作り本「檢眼圖傍白」(図23-8,9)としてまとめられており、製作に当たってデュシャン「グリーン・ボックス」所収のメモをはじめ、さまざまな文献が参照されていたことが判る。(次号に続く)
図23-8手作り本「檢眼圖傍白」表紙(千葉市美術館「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展カタログより転載)
図23-9同上
内容頁(同上)
(つちぶちのぶひこ)
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造「II-18」
デカルコマニー
イメージサイズ:15.7×9.0cm
シートサイズ :19.3×13.1cm
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