普後均のエッセイ「写真という海」第2回

「FLYING FRYNG PAN」

 「FLYING FRYING PAN」を最初に発表したのが1984年。その後も撮り続けそれをまとめて写真集として写像工房から出版したのが1997年である。
 「FLYING FRYING PAN」以前の作品に「遊泳」「暗転」というシリーズがある。この二つのシリーズは、ストレートに撮ったモノクロームの作品で構成したものであるが、外の世界の記録ではなく僕自身の内なる世界を表現しようとした抽象的な作品だった。
 「遊泳」「暗転」の作品を発表した時に感じたことは、いわゆる写真はいつどこで何を撮ったのかが明確でないと見る側に不安を与えるということである。
どこで撮ったのか何を撮ったのかという質問が多かったのは、見る側の苛立たしさを物語っているようだった。
 現前に展開する心動かされた光景を明確に美しく写すことが写真家にとっての使命と思っている人や写真は写す人が今立ち会って見ている物事の記録と考えている人にとっては、場所を否定し、モノと場所との関係を無視しながら撮った「遊泳」や「暗転」は受け入れがたいものだったに違いない。

 この時の体験が「FLYING FRYING PAN」を作るきっかけになった。モノをモノとして撮ることだけが写真というメディアに与えられた役目ではない。対象をどこで撮影したかということだけが写真に問われることではない。そういう思いを持ちながら、モノと場所との関係を解体し、モノそのものの属性を消去することとはどういうことなのかを身近なフライパンを使いながら試みたかった。多くの人が考えているような写真的概念から自分自身を解放したかった。
 もしフライパンをチラシやパンフレット用に撮るのであれば、形や色、素材の質感など損ねてはならない。もし、あるホテルの厨房でフライパンをドキュメントとして撮影するのであれば、フライパンがどこで使われているかを意識しない訳にはいかない。
 「FLYING FRYING PAN」の場合は、スポンサーから依頼された仕事でもなく、長い間愛用してきたフライパンを記録として残すために撮ろうとしたわけでもなく、コンセプトを具現化するために、身近なフライパンを撮影対象に選んだだけなのだ。
 属性を剥ぎ取る、それがどういうことなのかを示すためには、選んだ対象が、日常的なものであることが必要だった。

FLYING FRYING PAN-15_600普後均
「FLYING FRYING PAN-15」
1997年プリント
Image size: 36.2×54.3cm
Sheet size: 20×24inch (50.8×61cm)
Ed.10


FLYING FRYING PAN-16_600普後均
「FLYING FRYING PAN-16」
1990年プリント
Image size: 36.2×54.3cm
Sheet size: 20×24inch (50.8×61cm)
Ed.10


FLYING FRYING PAN-46_600普後均
「FLYING FRYING PAN-46」
1983年プリント
Image size: 36.2×54.3cm
Sheet size: 20×24inch (50.8×61cm)
Ed.10


 百聞は一見に如かずとは言え、見る対象が初めて目にするものであれば見ただけではわからないということも多い。目の延長線上にカメラそして写真があるという位置づけに慣れてしまったこともあり、写真は物事を明確に伝えることができるメディアと思っている人も多いけれども、写真では伝えられないことがたくさんあることも事実だ。例えば、記念写真の人物のそれぞれの名前や年齢は言葉の力を借りなければ伝えることが無理なように。写されたものが、一度も目にしたことのない対象物の場合、体験的におおよそ想像できるものもあれば、中にはどのようなものなのか全くわからないことがあるように。
 だからこそ、身近にあるフライパン。誰もが知っているような道具であるフライパンを思い浮かべながら、属性が消失していく過程で新たに生まれたイメージを見る時、写真というメディアの奥の深さそして広がりを感じとってもらえると考えた。

 細江英公のスタジオから1973年に独立してからもしばらく狭い流しとガスコンロ一つの4畳半のアパートに住んでいた。電話を受けるときは大家さんの取次、掛けるときは外の公衆電話、そんな時代だった。
 ある日、コンロ上の油汚れのフライパンに冬の透明な西日が差し込んだ瞬間、乱舞する光の中に実在から離れたまるで違う世界を、そのフライパンに見た。その日から、フライパンの状態や光の変化によって表情を変えるフライパンを見ることが、ひもじい日々の楽しみになったのを覚えている。コンセプトを形にするためにそのフライパンを撮りだしたのは、それから何年か経ったときだった。
 集中力の欠如からこのシリーズをまとめるのに何年もかかってしまったけれども、形や質感や重さからようやく解放された鉄のフライパンは、ついに光になり宇宙の彼方に飛び去ってしまった。
ふご ひとし

普後均 Hitoshi FUGO(1947-)
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。

●本日のお勧め作品は、白髪一雄です。
20160914_shiraga_06白髪一雄
「作品1966」
1966年 水彩・紙
9.0×14.0cm サインあり

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