朝日新聞の朝刊に今年これから来年の主な芸術祭が掲載されている。あいちや瀬戸内に続いて茨城県北、岡山、さいたま、北アルプス、宮城、奥能登などでトリエンナーレなどが開催される。アーティストは大忙しのようだが、作品がコレクションされる訳では無く、地域振興の為に消費されている。
私は日本各地で開催中の芸術祭やトリエンナーレの多さに辟易としている…見に行く前から既に疲れてしまっている。現代アートが相手にされていなかった時代を知っているので、この隆盛を歓迎すべきなのだろうが、アートが地域振興の道具箱にされている現状に強い違和感がある。アートは人寄せパンダでは無い❗
それでも自分のギャラリーの作家が参加している芸術祭などには出かけて行くのだが…

(Mizuma Sueoさんのfacebookより)

同業の三潴末雄さんとは先日も福岡のアートフェアでお会いしたのですが、亭主と同世代とは思えぬバイタリティで東京、シンガポール、世界中を駆け回りながらネットで歯に衣着せぬ発言を続けています。
内外の有力アーティストが集って力作を展示することにはそれなりに意義があると思いますが、問題は各地に雨後の筍のように続々と誕生するアートフェスティバルに、かなりの額の税金が使われていることです。
理屈に弱い(非論理的思考の)亭主の違和感は、単に感覚的なものですが、
・そもそも税金を使ってやるべきことなのか。地域振興というけれど、既にある美術館や大学など教育機関との連携もあまりないようだし・・・
・アートは本来「個」のものであるはずで、どこかにコレクションされるわけでもないのに(おそらく)自腹をきって、お祭りに参加するアーティストは消耗しないのだろうか。
・画商の立場からいえば、アートの評価は流通によってなされることが重要だと思っています(市場万能主義ではありません、念のため)。観光の人寄せ材料としてアートが消費されるだけで、画商もコレクターも関わらない(市場が関与しない)=お金がまわらない(ただ一方的に消費されるだけ)アートフェスティバルに、(画商としては)積極的な意義を見出せません。

はなはだ乱暴な感想ですが、林立する地方アートフェスティバルについては貞包 英之山形大学准教授による「アートと地方の危険な関係~「アートフェス」はいつまで続くのか? 「地域おこし」に潜む政治力学」という問題提起があるので、お読みください。

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次世代のためにも、本屋と映画館、残したいですよねぇ。
(河内タカさんのfacebookより)

いまや本屋と映画館は絶滅危惧種になりつつあります。
明日はわが身で「画廊」もそうなりかねない。
先日久しぶりに銀座というか京橋に出て、ツァイトフォトサロンの石原悦郎追悼展に行ってきました。石原さんの訃報については、このブログでも再三触れましたが(3月2日4月4日)、日本で初めてコマーシャルの写真ギャラリーを設立し、遂に「写真をアートにした」(飯沢耕太郎)わけですから、石原さん本望だったろうと思います。

帰路、ついでにLIXIL BOOK GALLERYに寄りました。
建築、美術、音楽、etc., etc., やっぱりリアル書店はいいなあ。
亭主の住むひばりが丘、画廊のある青山から次々と書店が消えて行くので、ついついアマゾン依存症になってしまうところでした。
知らない本がいっぱいあり、あれも欲しい、これも買っとかなきゃあと、ついつい・・・・背中のリュックが重くなりました。歳をとると雑誌の一冊でもこたえます。

歳をとると嗜好が変わるということも実感するようになりました。
ただし酒好き、甘いもの好きというのは変更なし。
何が変わってきたかというと、小難しい理屈ぬきにほっとするようなものがだんだん心にしみるようになりました。

本日ご紹介するのは港町神戸の作家・川西英(かわにしひで)の木版画です。
鮮やかでくっきりした色面構成、黒い線の巧みな使用により、都会的なまさに港町神戸のお洒落な雰囲気を描き出した川西の作品は、いまあらためて見ると、数多くの創作版画の作家たちの中で、断然光っています。
いい作家ですね。
でも若い頃はそのよさがわかりませんでした。
川西英メリケン波止場
川西英
「メリケン波止場」
木版  28×25cm
版上サイン Sign on the plate

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青い空と入道雲、後ろには六甲の山なみ、海辺を歩く人たちの服装もハイカラですね。
戦前もうそろそろ息苦しくなる昭和12~15年(1937~1940)にかけて加藤版画研究所から刊行された「川西英 版画集」(4枚組)の中の一点です。

川西英(かわにしひで 1894~1965)
神戸出身の木版画家。本名・川西善右衛門ということからうかがえるように神戸に代々続く回船・穀物問屋の七男として生まれる。幼名英雄。神戸商業学校を卒業。1925年(大正14)、父親の死去により家業を継ぎ、七代目善右衛門となる。1922年(大正11)から1960年(昭和35)に退職するまで、兵庫(のち神戸)東出郵便局長をつとめた。
山本鼎らが唱導した創作版画運動に共鳴し大正から昭和にかけて木版画をはじめた、当時は全国に数多く輩出した版画家の一人。日本創作版画協会展、国画会展、日本版画協会展などで活躍。
代表作「神戸百景」(1933~36)、「兵庫百景」(1939年)など、生地神戸に取材した風俗や風景、またサーカスを描いた異国趣味的な作品を数多く制作した。

この版画の版元となった加藤版画研究所は、加藤潤二(後に加藤順造に改名、1976年没)によって昭和9年に東京市四ツ谷区右京町11番地に設立されました。浮世絵版画の伝統的システムによりながら、創作版画の革新性をも取りこんだ当時としては現代的なセンスにより、坂本繁二郎、富本憲吉、竹久夢二、伊東深水、川瀬巴水、岸田劉生、梅原龍三郎、熊谷守一、東山魁夷、小磯良平、岡鹿之助、牛島憲之らの木版画(職人彫り)を多く世に送り出しました。
版木の状態を保つために小数ずつに分け、全体として100 から150枚を刷り上げた時点で、どの作品も廃版とし版木は廃棄されたため、後摺りはなく、従って市場では「加藤版画」として一定のグレードを保っています。