芳賀言太郎 エッセイ 特別編
~北北東に進路を取れ! 東京 ― 岩手540kmの旅~
東北の地に巡礼路をつくるために
第3話 仙台 ― 大槌 ~三陸海岸をめぐって~
5月22日(金) 仙台 ― 気仙沼 ― 大船渡 ― 釜石 ― 大槌
5:00に目が覚める。眠れそうにないので散歩を兼ねて、仙台市内を朝ランすることにする。仙台は坂が多く、アップダウンのある道が続く。
丘の上の大観音
仙台には有名なロードバイクのショップがある。仙台市の郊外、地下鉄南北線の終点泉中央駅からほど近くにある「ベルエキップ」はスイスのプロチーム「ポストスイス」のメカニックとして、現 BMCカーボンバイク開発責任者のヘールマンと共に腕を振るった遠藤徹さんのショップである。自転車店というよりはファクトリーという言葉の方がしっくりくる大きな倉庫のような建物であり、大きな空間を確保している。メカニックコーナーも広々としていて作業のための充実したスペースが用意されている。
変速器の調子が思わしくないので、見てもらうことにする。ディレイラーハンガーが曲がっており、本来は交換するべきであると言われたが、明日がレースのため、チェーンが当たらないように調整のみしてもらう。最も軽いギアであるインナーローが使えないとヒルクライムレースでは致命的なため本当に助かった。
遅い朝食をとり、出発の準備をしていると雨が降り出した。今日は自走は無理だろう。元々、明日がレースのため前日の今日は走らないようにスケジュールを組んでいたのも幸いした。仙台から一ノ関を経由し、大船渡線で気仙沼に向かう。新幹線を使い、盛岡を経由して山田線で釜石まで行くこともできるが、時間がかかってもここはやはり海岸線を通りたいと思った。
駅にて
線路
気仙沼
気仙沼駅
気仙沼には東日本大震災が起こった2011年の5月に訪れたことがある。その時の状況は文字通りに壊滅的で、漁船が陸に乗り上げ、無残な状態だった。それから5年、復興がどのぐらい進んでいるのか自分の目で確かめたかった。
正直なところ、まだこれしか進んでいないのかと思わされた。もちろん、状況は確かに良くなってはいる。瓦礫は撤去され、町に活気が戻っているようには感じた。ただ、砂とショベルカーによる土地の整地が精一杯であり、住宅や商店が建設されるめどは立ってないように思われた。
大きな理由は自治体による建築制限だろう。震災後、住民らがばらばらに新築や増改築ができないように建築制限がかけられた。かさ上げ工事と土地区画整理事業が終わらないと建物を建てることができない。もちろん「災害に強いまちづくり」は必須であろうが、復興は時間との戦いでもある。そしてどんな地震でも壊れない建物とか、1000年に一度の津波でも被害を受けない街などというものがあり得ない以上、(もちろん巨大な鉄とコンクリートの要塞にでもすれば別だろうが、費用は別にしてもそれはもはや人がそこに住みたいと思うような街ではないだろう。巨大な防潮堤を見た時に思わず、壁で囲われた都市で巨人と戦うとある漫画が思い浮かんでしまった)、避難路を確保した上であとは住民の創意工夫に任せたまち作りをしてもよいのではとも思う。何から何まで計画するよりもある程度の余白を残しておく方が結果的に良いこともあるのではないだろうか。
気仙沼 復興
気仙沼 復興2
気仙沼 復興3
気仙沼 復興4
気仙沼 復興5
唯一の救いは仮設の商店街があり、人々の声が聞こえてきたことである。そこで食べたふかひれラーメンには心が救われた気がした。聞くと2017年春にはかさ上げ地の造成と区画整理とが一段落し、本格的な復興が始まるということである。さらに2018年にはかつての繁華街に新しい商業施設がオープンするらしい。その頃にもう一度この地を訪れたいと思った。
気仙沼 ラーメン屋
ラーメン屋 ふかひれラーメン
ラーメン屋 テーブル
たくさんをお客さんが残したコメント
ラーメン屋 内部
壁一面に応援のメッセージが書かれている。
気仙沼 市場
輸送バス
気仙沼を後にし、大船渡へ。バスから見える景色はまだまだ復興途上の光景であった。しかし、リアス式の海岸線から青い海を見ているとその美しさには心を奪われた。この景色と共存していた町の姿を取り戻したいと勝手ながら思った。
大船渡
三陸鉄道
案内板
高架橋
三陸鉄道で釜石へ向かう。小さな駅ばかりであるが、それぞれに趣がある駅が多く、なんともいい雰囲気の鉄道だと感じた。
さんりく駅
釜石駅についた時にはすでに夜の8時を過ぎており、あたりは真っ暗であった。時間も時間なので駅前のタクシーに乗り、大槌町まで向かう。
釜石
大槌町には着いたがここからが大変であった。本日の宿泊所のホワイトベースは吉里吉里という隣町である。ここに来るまでにきちんと場所の確認をしていなかったのは失敗であった。大槌町の役場からロードバイクで真っ暗な道をヘロヘロになりながら走ることになってしまった。約1時間走り、無事にたどり着いた時にはほっとした。シャワーを浴び、明日のレースに向けて就寝。
大槌町
東京から572.9km
走った総距離125.4km
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~自転車編~
第3回 輪行袋
オーストリッチ 超速FIVE輪行袋 ネイビーブルー 7,109円
自転車を電車で運べると聞いて驚く人も多いと思う。鉄の塊にしか思えないママチャリを運ぶことを考えたらもちろん無理だが、ロードバイクはフレームとホイールを簡単に取り外すことができるため、実際にはコンパクトに収納することができる(もちろんある程度に大きさにはなるのであるが)。そして想像以上に軽いのである。感覚的にはママチャリの半分である。日本だと自転車のままで電車に乗ることは一部の路線を除いてはできないが、それを可能にするのが輪行袋(りんこうぶくろ)である。
「輪行(りんこう)」とは、「自転車を分解して専用の袋に入れて、交通機関に乗せて移動する」こと。厳密には、縦横高さの3辺の合計が250cm以内(ただし長さは200mm以内)で重量が30kg以下のものを2個まで車内に無料で持ち込める。ただし、自転車カバーやゴミ袋、ウィンドブレーカー等で自転車を梱包するのは駄目であり、ハンドルやサドル、転がすためのキャスターなど一部でもはみ出ているものもアウトである。これはもちろん一般の乗客の方に危険を及ぼすからであり、このための専用のアイテムが輪行袋である。化学繊維で作られ軽くて丈夫、安全かつコンパクトに自転車を収納するための工夫があちこちになされていて、慣れれば5分!(アイテムの名称の由来にもなっている)で収納が可能である。自動車がなくても遠くに行けるのが魅力であり、行動範囲が格段と広がる。また自動車だと自動車を置いたところまで戻らなければならないが、輪行だとその必要がないので行動範囲が格段と広がる。
その最大手が「オーストリッチ」ブランドで知られるアズマ産業である。1970年創業で、当初は自転車用バッグなどを生産していた中、「輪行」というスタイルをいち早く打ち出したパイオニアである。車種に合わせ、サイズや素材、収納方法の異なる様々なタイプがリリースされている。
輪行袋には全後輪とも外すタイプと前輪だけ外すタイプがあり、これは前輪だけを外すタイプ。分解と収納は簡単だがその分サイズが大きい。もちろん制限はクリアしているものの、満員電車に持ち込むことなどは考えられないサイズである。しかし、手間と時間がセーブできるのは何物にも代えがたい。ここは時間と区間に十分気をつけることにして、前輪だけをはずすタイプを購入した。
品質第一を旨として、海外生産は行わず、現在でも工場で一つ一つミシンで手縫いされているオーストリッチの輪行袋は丈夫であり、破れたり縫い目が広がったりといったトラブルは一切なかった。もっとも、今一つパッキングの才能のない自分の腕ではいくら頑張っても最初のサイズにまで畳むことができず、不格好なナイロン生地のカタマリとしてバックにしまい込まれることになったのは輪行袋としてはきっと不本意であったに違いない。
輪行袋
■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧め作品は、百瀬寿です。
百瀬寿
「Square lame' -
G, Y, R, V around White」
2009年
シルクスクリーン
42.5x42.5cm
Ed.90
サインあり
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◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
~北北東に進路を取れ! 東京 ― 岩手540kmの旅~
東北の地に巡礼路をつくるために
第3話 仙台 ― 大槌 ~三陸海岸をめぐって~
5月22日(金) 仙台 ― 気仙沼 ― 大船渡 ― 釜石 ― 大槌
5:00に目が覚める。眠れそうにないので散歩を兼ねて、仙台市内を朝ランすることにする。仙台は坂が多く、アップダウンのある道が続く。
丘の上の大観音仙台には有名なロードバイクのショップがある。仙台市の郊外、地下鉄南北線の終点泉中央駅からほど近くにある「ベルエキップ」はスイスのプロチーム「ポストスイス」のメカニックとして、現 BMCカーボンバイク開発責任者のヘールマンと共に腕を振るった遠藤徹さんのショップである。自転車店というよりはファクトリーという言葉の方がしっくりくる大きな倉庫のような建物であり、大きな空間を確保している。メカニックコーナーも広々としていて作業のための充実したスペースが用意されている。
変速器の調子が思わしくないので、見てもらうことにする。ディレイラーハンガーが曲がっており、本来は交換するべきであると言われたが、明日がレースのため、チェーンが当たらないように調整のみしてもらう。最も軽いギアであるインナーローが使えないとヒルクライムレースでは致命的なため本当に助かった。
遅い朝食をとり、出発の準備をしていると雨が降り出した。今日は自走は無理だろう。元々、明日がレースのため前日の今日は走らないようにスケジュールを組んでいたのも幸いした。仙台から一ノ関を経由し、大船渡線で気仙沼に向かう。新幹線を使い、盛岡を経由して山田線で釜石まで行くこともできるが、時間がかかってもここはやはり海岸線を通りたいと思った。
駅にて
線路
気仙沼
気仙沼駅気仙沼には東日本大震災が起こった2011年の5月に訪れたことがある。その時の状況は文字通りに壊滅的で、漁船が陸に乗り上げ、無残な状態だった。それから5年、復興がどのぐらい進んでいるのか自分の目で確かめたかった。
正直なところ、まだこれしか進んでいないのかと思わされた。もちろん、状況は確かに良くなってはいる。瓦礫は撤去され、町に活気が戻っているようには感じた。ただ、砂とショベルカーによる土地の整地が精一杯であり、住宅や商店が建設されるめどは立ってないように思われた。
大きな理由は自治体による建築制限だろう。震災後、住民らがばらばらに新築や増改築ができないように建築制限がかけられた。かさ上げ工事と土地区画整理事業が終わらないと建物を建てることができない。もちろん「災害に強いまちづくり」は必須であろうが、復興は時間との戦いでもある。そしてどんな地震でも壊れない建物とか、1000年に一度の津波でも被害を受けない街などというものがあり得ない以上、(もちろん巨大な鉄とコンクリートの要塞にでもすれば別だろうが、費用は別にしてもそれはもはや人がそこに住みたいと思うような街ではないだろう。巨大な防潮堤を見た時に思わず、壁で囲われた都市で巨人と戦うとある漫画が思い浮かんでしまった)、避難路を確保した上であとは住民の創意工夫に任せたまち作りをしてもよいのではとも思う。何から何まで計画するよりもある程度の余白を残しておく方が結果的に良いこともあるのではないだろうか。
気仙沼 復興
気仙沼 復興2
気仙沼 復興3
気仙沼 復興4
気仙沼 復興5唯一の救いは仮設の商店街があり、人々の声が聞こえてきたことである。そこで食べたふかひれラーメンには心が救われた気がした。聞くと2017年春にはかさ上げ地の造成と区画整理とが一段落し、本格的な復興が始まるということである。さらに2018年にはかつての繁華街に新しい商業施設がオープンするらしい。その頃にもう一度この地を訪れたいと思った。
気仙沼 ラーメン屋
ラーメン屋 ふかひれラーメン
ラーメン屋 テーブルたくさんをお客さんが残したコメント
ラーメン屋 内部壁一面に応援のメッセージが書かれている。
気仙沼 市場
輸送バス気仙沼を後にし、大船渡へ。バスから見える景色はまだまだ復興途上の光景であった。しかし、リアス式の海岸線から青い海を見ているとその美しさには心を奪われた。この景色と共存していた町の姿を取り戻したいと勝手ながら思った。
大船渡
三陸鉄道
案内板
高架橋三陸鉄道で釜石へ向かう。小さな駅ばかりであるが、それぞれに趣がある駅が多く、なんともいい雰囲気の鉄道だと感じた。
さんりく駅釜石駅についた時にはすでに夜の8時を過ぎており、あたりは真っ暗であった。時間も時間なので駅前のタクシーに乗り、大槌町まで向かう。
釜石大槌町には着いたがここからが大変であった。本日の宿泊所のホワイトベースは吉里吉里という隣町である。ここに来るまでにきちんと場所の確認をしていなかったのは失敗であった。大槌町の役場からロードバイクで真っ暗な道をヘロヘロになりながら走ることになってしまった。約1時間走り、無事にたどり着いた時にはほっとした。シャワーを浴び、明日のレースに向けて就寝。
大槌町東京から572.9km
走った総距離125.4km
(はが げんたろう)
コラム 僕の愛用品 ~自転車編~
第3回 輪行袋
オーストリッチ 超速FIVE輪行袋 ネイビーブルー 7,109円
自転車を電車で運べると聞いて驚く人も多いと思う。鉄の塊にしか思えないママチャリを運ぶことを考えたらもちろん無理だが、ロードバイクはフレームとホイールを簡単に取り外すことができるため、実際にはコンパクトに収納することができる(もちろんある程度に大きさにはなるのであるが)。そして想像以上に軽いのである。感覚的にはママチャリの半分である。日本だと自転車のままで電車に乗ることは一部の路線を除いてはできないが、それを可能にするのが輪行袋(りんこうぶくろ)である。
「輪行(りんこう)」とは、「自転車を分解して専用の袋に入れて、交通機関に乗せて移動する」こと。厳密には、縦横高さの3辺の合計が250cm以内(ただし長さは200mm以内)で重量が30kg以下のものを2個まで車内に無料で持ち込める。ただし、自転車カバーやゴミ袋、ウィンドブレーカー等で自転車を梱包するのは駄目であり、ハンドルやサドル、転がすためのキャスターなど一部でもはみ出ているものもアウトである。これはもちろん一般の乗客の方に危険を及ぼすからであり、このための専用のアイテムが輪行袋である。化学繊維で作られ軽くて丈夫、安全かつコンパクトに自転車を収納するための工夫があちこちになされていて、慣れれば5分!(アイテムの名称の由来にもなっている)で収納が可能である。自動車がなくても遠くに行けるのが魅力であり、行動範囲が格段と広がる。また自動車だと自動車を置いたところまで戻らなければならないが、輪行だとその必要がないので行動範囲が格段と広がる。
その最大手が「オーストリッチ」ブランドで知られるアズマ産業である。1970年創業で、当初は自転車用バッグなどを生産していた中、「輪行」というスタイルをいち早く打ち出したパイオニアである。車種に合わせ、サイズや素材、収納方法の異なる様々なタイプがリリースされている。
輪行袋には全後輪とも外すタイプと前輪だけ外すタイプがあり、これは前輪だけを外すタイプ。分解と収納は簡単だがその分サイズが大きい。もちろん制限はクリアしているものの、満員電車に持ち込むことなどは考えられないサイズである。しかし、手間と時間がセーブできるのは何物にも代えがたい。ここは時間と区間に十分気をつけることにして、前輪だけをはずすタイプを購入した。
品質第一を旨として、海外生産は行わず、現在でも工場で一つ一つミシンで手縫いされているオーストリッチの輪行袋は丈夫であり、破れたり縫い目が広がったりといったトラブルは一切なかった。もっとも、今一つパッキングの才能のない自分の腕ではいくら頑張っても最初のサイズにまで畳むことができず、不格好なナイロン生地のカタマリとしてバックにしまい込まれることになったのは輪行袋としてはきっと不本意であったに違いない。
輪行袋■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業
2015年 立教大学大学院キリスト教学研究科博士前期課程所属
2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂の計画案を作成。
大学院ではサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあるロマネスク教会の研究を行っている。
●今日のお勧め作品は、百瀬寿です。
百瀬寿「Square lame' -
G, Y, R, V around White」
2009年
シルクスクリーン
42.5x42.5cm
Ed.90
サインあり
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◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
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