昨日終了した「ルリユール 書物への偏愛―テクストを変換するもの―展」にはたくさんの皆さんにご来廊いただきありがとうございました。
初めての試みでしたが、羽田野麻吏さん、市田文子さん、平まどかさん、中村美奈子さんの参加作家たちの協力で、とても親密な感じの展示ができたと思っています。
作品の一部はときの忘れもののコレクションとしていつでも画廊でご覧になれます。またご希望の書物についての注文製作についても承りますので遠慮なくお問合せください。
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一昨日11月18日はマン・レイの命日でしたが、その二日後に東京藝術大学教授の現職のまま、56歳で逝ったのが駒井哲郎先生でした。
本日11月20日は駒井哲郎先生の命日です。マン・レイと同じく没後40年になります。
1920年(大正9年)6月14日生まれ - 1976年(昭和51年)11月20日没
久しぶりに駒井作品をご紹介します。
慶應義塾普通部に在学中の15歳の頃から西田武雄のもとで銅版画を制作し始めた駒井先生は根っからの「銅版の子」でした。
その初期を代表する作品として必ずといっていいほど紹介されるのが「丸の内風景」です。

先日私たちが入手した作品の実物画像です。

作品左下に鉛筆で<rue en hiver 1937>と記載。

作品右下には同じく鉛筆で<冬の丸ノ内風景>と記載。
駒井先生が生前刊行した『駒井哲郎銅版画作品集』(1973年 美術出版社)に収録された227点(その他に賀状、案内状など10点を所収)のうち、一ページ大の口絵には56点が選ばれていますが(つまり自選の代表作)、そのトップを飾ったのがこの「丸の内風景」で、戦前の作品で掲載されたのはこの作品のみです。
先生ご自身がはがき半分ほどのこの小品をいかに重視していたかがわかります。
原版もずっと保存され、後年になってご自身も刷るし(セカンドエディション)、お弟子さんたちにも刷らせているので、部数は相当あります。私たちも今までにずいぶんと扱ってきました。
ところが今回入手した作品は以前に扱ったものとは少々異なる点がありました。
上に掲載したとおり、この作品には自筆サインと限定番号の他に余白に二つの書き込みがありました(書き込み自体が珍しい)。
さて、弱った。
駒井ファンなら今回の作品に書き込まれた駒井先生自筆のデータに「?」と思ったはず。
詳しく論じる前に、先ずは関連資料にあたりましょう。
亭主の本棚の駒井コーナーにはいろいろな文献がありますが、必ず目を通す三種の神器ならぬ5冊の基本資料があります。
1)『駒井哲郎銅版画作品集』(1973年 美術出版社)
2)『駒井哲郎版画作品集』(1979年 美術出版社)
3)『駒井哲郎展』カタログ(1980年 東京都美術館 発行は東京新聞)
4)『駒井哲郎ブックワーク』(1982年 形象社)
5)『駒井哲郎 1920-1976』カタログ(2011年 世田谷美術館他で開催 発行は東京新聞)
1)は駒井先生が生前自ら手がけた唯一の作品集です。
2)はそれを基本に漏れていたものや誤記を修正した没後刊行の作品集で、通常私たちがレゾネといっているのはこの本です。
3)は没後に開催された大回顧展のカタログで、東京都美術館(現在は東京都現代美術館に移管)が収蔵する大コレクションが基本になっています。
4)は駒井先生のブックワークに限っての詳細な書誌で、銅版画の全てを網羅しているわけではないのですが、書誌的正確さでは一頭抜きん出ており、とても重宝しています。
5)はいまや質量ともに最大の福原コレクション(世田谷美術館)の展覧会カタログで、駒井先生が密かに作り続けたモノタイプ(1点しかない版画)に関しては最も充実しており、モノタイプについて語るにはこのカタログが基本文献になります。
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今回の駒井先生の初期作品について、上掲1)2)3)の文献を参照すると、すべて生前刊行の1)を踏襲したデータが記載されています。
丸の内風景
エッチング
9.0×5.0cm 1938
限定30部 E.A.

『駒井哲郎版画作品集』(美術出版社、1979年刊)の表記

同奥付
この本を通常「レゾネ」としています。
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しかるにですね、今回私たちが某家から入手した作品(上掲画像参照)を素直に見て、作品のデータを記載すると、以下のようになります。
駒井哲郎
「冬の丸ノ内風景 rue en hiver 」
1937年
エッチング
Image size: 9.2x5.1cm
Sheet size: 24.7x18.6cm
限定25部(9/25) サインあり
レゾネ類の記述と大きく異なる点が三つあります。
先ず、タイトル「冬の丸ノ内風景」とありますが、まあこれは誤差のうち(笑)。
フランス語のrue en hiver を直訳すると 「冬の道」です。
次に、制作年が1937年と記載されています。これは大問題ですね。
三番目に、限定部数が25部です。これは駒井作品によくあることなので・・・・
有名な作品なので、「丸の内風景」を所蔵する美術館はたくさんあります。
主要美術館の目録から確認すると、
東京都現代美術館には同じものが2点あり(ともにEp.d'artiste)
世田谷美術館の福原コレクションにも2点あり(ともにEp.d'artiste)
町田市立国際版画美術館に1点(Ep.d'artiste)
いかに駒井先生がセカンドエディションが多かったか、EAという番外作品を多数刷ったかがわかります。
ところが埼玉県立近代美術館の所蔵作品にはきちんと限定番号が入っています。

『果実の受胎 駒井哲郎と現代版画家群像』図録41ページ(1994年 埼玉県立近代美術館)より
16/25
これで、「丸の内風景」には少なくとも限定30部と限定25部の二つのエディションがあることが確認できますね。
EAを加えれば100部近い部数が生前刷られたのではないでしょうか。
先日ご紹介した「夜の中の女」や「悪僧」の入手困難さと比べてください。
問題は私たちが入手した9/25に記載された「1937」の数字です。
駒井先生の書き間違いなのか、それとも文献が間違っているのか。
私達は今まで名作「丸の内風景」は駒井先生18歳のときの制作と思ってきましたが、もし1937年だとすると17歳のときになる。
実物(の記述)が正しいのか、文献が正しいのか。
草間彌生先生の作品にもこういう実物情報と文献記述の食い違いがあることを以前書きましたが、まことに悩ましい。
初めての試みでしたが、羽田野麻吏さん、市田文子さん、平まどかさん、中村美奈子さんの参加作家たちの協力で、とても親密な感じの展示ができたと思っています。
作品の一部はときの忘れもののコレクションとしていつでも画廊でご覧になれます。またご希望の書物についての注文製作についても承りますので遠慮なくお問合せください。
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一昨日11月18日はマン・レイの命日でしたが、その二日後に東京藝術大学教授の現職のまま、56歳で逝ったのが駒井哲郎先生でした。
本日11月20日は駒井哲郎先生の命日です。マン・レイと同じく没後40年になります。
1920年(大正9年)6月14日生まれ - 1976年(昭和51年)11月20日没
久しぶりに駒井作品をご紹介します。
慶應義塾普通部に在学中の15歳の頃から西田武雄のもとで銅版画を制作し始めた駒井先生は根っからの「銅版の子」でした。
その初期を代表する作品として必ずといっていいほど紹介されるのが「丸の内風景」です。

先日私たちが入手した作品の実物画像です。

作品左下に鉛筆で<rue en hiver 1937>と記載。

作品右下には同じく鉛筆で<冬の丸ノ内風景>と記載。
駒井先生が生前刊行した『駒井哲郎銅版画作品集』(1973年 美術出版社)に収録された227点(その他に賀状、案内状など10点を所収)のうち、一ページ大の口絵には56点が選ばれていますが(つまり自選の代表作)、そのトップを飾ったのがこの「丸の内風景」で、戦前の作品で掲載されたのはこの作品のみです。
先生ご自身がはがき半分ほどのこの小品をいかに重視していたかがわかります。
原版もずっと保存され、後年になってご自身も刷るし(セカンドエディション)、お弟子さんたちにも刷らせているので、部数は相当あります。私たちも今までにずいぶんと扱ってきました。
ところが今回入手した作品は以前に扱ったものとは少々異なる点がありました。
上に掲載したとおり、この作品には自筆サインと限定番号の他に余白に二つの書き込みがありました(書き込み自体が珍しい)。
さて、弱った。
駒井ファンなら今回の作品に書き込まれた駒井先生自筆のデータに「?」と思ったはず。
詳しく論じる前に、先ずは関連資料にあたりましょう。
亭主の本棚の駒井コーナーにはいろいろな文献がありますが、必ず目を通す三種の神器ならぬ5冊の基本資料があります。
1)『駒井哲郎銅版画作品集』(1973年 美術出版社)
2)『駒井哲郎版画作品集』(1979年 美術出版社)
3)『駒井哲郎展』カタログ(1980年 東京都美術館 発行は東京新聞)
4)『駒井哲郎ブックワーク』(1982年 形象社)
5)『駒井哲郎 1920-1976』カタログ(2011年 世田谷美術館他で開催 発行は東京新聞)
1)は駒井先生が生前自ら手がけた唯一の作品集です。
2)はそれを基本に漏れていたものや誤記を修正した没後刊行の作品集で、通常私たちがレゾネといっているのはこの本です。
3)は没後に開催された大回顧展のカタログで、東京都美術館(現在は東京都現代美術館に移管)が収蔵する大コレクションが基本になっています。
4)は駒井先生のブックワークに限っての詳細な書誌で、銅版画の全てを網羅しているわけではないのですが、書誌的正確さでは一頭抜きん出ており、とても重宝しています。
5)はいまや質量ともに最大の福原コレクション(世田谷美術館)の展覧会カタログで、駒井先生が密かに作り続けたモノタイプ(1点しかない版画)に関しては最も充実しており、モノタイプについて語るにはこのカタログが基本文献になります。
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今回の駒井先生の初期作品について、上掲1)2)3)の文献を参照すると、すべて生前刊行の1)を踏襲したデータが記載されています。
丸の内風景
エッチング
9.0×5.0cm 1938
限定30部 E.A.

『駒井哲郎版画作品集』(美術出版社、1979年刊)の表記

同奥付
この本を通常「レゾネ」としています。
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しかるにですね、今回私たちが某家から入手した作品(上掲画像参照)を素直に見て、作品のデータを記載すると、以下のようになります。
駒井哲郎
「冬の丸ノ内風景 rue en hiver 」
1937年
エッチング
Image size: 9.2x5.1cm
Sheet size: 24.7x18.6cm
限定25部(9/25) サインあり
レゾネ類の記述と大きく異なる点が三つあります。
先ず、タイトル「冬の丸ノ内風景」とありますが、まあこれは誤差のうち(笑)。
フランス語のrue en hiver を直訳すると 「冬の道」です。
次に、制作年が1937年と記載されています。これは大問題ですね。
三番目に、限定部数が25部です。これは駒井作品によくあることなので・・・・
有名な作品なので、「丸の内風景」を所蔵する美術館はたくさんあります。
主要美術館の目録から確認すると、
東京都現代美術館には同じものが2点あり(ともにEp.d'artiste)
世田谷美術館の福原コレクションにも2点あり(ともにEp.d'artiste)
町田市立国際版画美術館に1点(Ep.d'artiste)
いかに駒井先生がセカンドエディションが多かったか、EAという番外作品を多数刷ったかがわかります。
ところが埼玉県立近代美術館の所蔵作品にはきちんと限定番号が入っています。

『果実の受胎 駒井哲郎と現代版画家群像』図録41ページ(1994年 埼玉県立近代美術館)より
これで、「丸の内風景」には少なくとも限定30部と限定25部の二つのエディションがあることが確認できますね。
EAを加えれば100部近い部数が生前刷られたのではないでしょうか。
先日ご紹介した「夜の中の女」や「悪僧」の入手困難さと比べてください。
問題は私たちが入手した9/25に記載された「1937」の数字です。
駒井先生の書き間違いなのか、それとも文献が間違っているのか。
私達は今まで名作「丸の内風景」は駒井先生18歳のときの制作と思ってきましたが、もし1937年だとすると17歳のときになる。
実物(の記述)が正しいのか、文献が正しいのか。
草間彌生先生の作品にもこういう実物情報と文献記述の食い違いがあることを以前書きましたが、まことに悩ましい。
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