藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第16回

 筆者が勤務する近現代建築資料館で開催中の展覧会「建築と社会を結ぶ―大髙正人の方法」展の関連シンポジウム「大髙正人と三春のまちづくり」が、12/10(土)に大髙出身地である福島県三春町で開催されました。
 三春町には大髙が設計した4つの建築(三春町民体育館、三春町歴史民俗資料館、三春ダム資料館、三春交流館/まほらホール)があります。当日はこれらの建物の見学会を行い、大髙最晩年の作であるまほらホールでシンポジウム開催となりました。見学会では大髙事務所OBの担当者の方々が全国から駆けつけ、それぞれの建物の解説をしてくださいました。
 大髙は三春のまちづくりに30年余にわたって関わりました。大髙没後も三春のまちづくりは継続されています。これだけの長期にわたってまちづくりが継続されている例は、全国でも稀だそうです。大髙は、「三春町建築賞」、「学校建築研究会」、「地域住宅計画」などの事業を通じ、友人の専門家たちを三春のまちづくりに呼び込みました。自らが信頼する知人に仕事を任せることができたために、持続的な仕事が可能だったのでしょう。登壇者からは「マスターアーキテクトのいないまちづくり」という言葉がありました。スター建築家を複数呼んで個別の建物の設計を任せるタイプのプロデュースもありますが、大髙流プロデュースは、コーディネーター役が2歩も3歩も後ろに下がり、町民たちが主役になるお膳立てをした、と言えそうです。大髙が設計した歴史民俗資料館をみると、その建築も大髙のまちづくりの意図そのもののようです。瓦棒葺きの屋根と土色のタイル壁の建物が、起伏のある丘の中腹に埋め込むように設計されており、まるで三春の土地と一体になったような建築です。無遠慮な造成で三春の土地を破壊することないように考えられたこの計画で、大髙が三春町に提案したというまちづくりの指針の見本を見せようとしたのかもしれません。

DSC05876_s大髙正人による三春町への指導・助言、近現代建築資料館にて展示中
筆者撮影


 今回は通常のシンポジウムとはちょっと違った企画で、大髙正人ご息女であるバイオリニストの山田実紀子氏が、ピアニストの東郷まどか氏と共に演奏をしてくださいました。シンポジウムから続けての企画のため、観客は普段見られない音響反射板の組立をそのまま見ることができました。山田氏は「父との勝負ですので」と前置きされ、ベートーヴェンのクロイツェルソナタを演奏されました。勝負だけあって気迫溢れ、どこか大髙正人の骨太な建築を思わせるような演奏でした。音響可変装置を作動させ、バッハの無伴奏ソナタ1番で残響時間の違いを体感する、というめったにない演出もありました。お父様設計のホールのうち、山田氏が演奏していないのはこのまほらホールだけだとのことでしたが、演奏されて「東京文化会館小ホールととてもよく似ている!」とのご感想。実はホールの音響は東京文化会館と同じ、石井聖光氏が担当されていたのです。ここにも、息の長い付き合いがみられます。
 このようなシンポジウム企画が実現したのも、顔の見える町ならではでした。小さな町に東京文化会館と同じ質のホールがある贅沢さに、アルヴァ・アアルトが幼少から青年時代を過ごした小さな町ユヴァスキュラを思い出しました。ユヴァスキュラにも町の中心にアアルトが設計した素敵なホールがありました。しかし、人口13万のユヴァスキュラに比べて三春町は約十分の一。大髙と共に長年まちづくりに尽力された伊藤寛元町長さんが、「三春の宝」と呼ぶ意味がよく分かります。
 帰り際に三春駅で売店を冷やかしていると、新鮮な野菜が並んでいるのが目に入りました。それらには、自主的に放射能検査が行われている旨の注意書きがついています。そういえば筆者が宿泊した施設の一角にも、放射能測定ができるベクレルセンターという検査所が設置されていました。大髙が丁寧に考えたまちでも、今もなお人々の暮らしが脅かされている。これは悲しい現実です。

文化庁国立近現代建築資料館で、「建築と社会を結ぶ―大髙正人の方法」展開催中(~2017.2.5)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/

次回シンポジウムは1/21(土)、大髙の初期作品である六本木の全日本海員組合本部にて。資料館でのギャラリートークは1/7(土)、藤本昌也氏×西村浩氏、司会は松隈洋京都工芸繊維大学教授。↓
http://nama.bunka.go.jp/kikak/kikak/1609/notice.html

展覧会ツイッター↓
https://twitter.com/otakamasato2016/

ふじもと たかこ

藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
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本日の瑛九情報!
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瑛九の浦和のアトリエに集まった若い芸術家たち、昨日は細江英公を紹介しましたが、最年少が磯辺行久でした。高校時代にデモクラート美術家協会に入会、リトグラフの制作を始めます。1959年東京芸術大学絵画科卒業。1962年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリーフ作品を出品し注目を集め、翌年の日本国際美術展で優秀賞を受賞しました。1966年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニングを手掛ける。1991年目黒区美術館で個展を開催し、再び美術家として制作活動を再開しました。
20160128_isobe_04_relief磯辺行久
「ワッペン」
1962年
レリーフ、木
28.1x40.4x4.6cm
サインあり

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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

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◆藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。