亭主が尊敬してやまない高村光太郎研究の北川太一先生がつねづねおっしゃっています。
「優れたものはほっておいても必ず評価される、なんてのは嘘です。誰かが、これは美しい、大切なものなのだと言い続けなければ、あっという間に忘れ去られ、<なかった>ことになってしまいます。」

英語で「記録保管所」の意味を持つarchive(アーカイブ)
重要なモノや記録を保存・活用し、未来に伝達することの重要性(記憶し、記録し、遺す)はいくら強調してもしすぎることはありません。
ひろく言えば、私たち画商の仕事も、ほっとけばゴミとなって捨てられてしまうかも知れないモノを美術品として選び、評価し、売ることによって次代に手渡して行くことだと思っています。

アートアーカイブの重要性については、以前竹本清香さんに寄稿していただきました。
2013年09月29日:竹本清香「アートアーカイブ 未来遺産をつくる」

建築アーカイブについては藤本貴子さんが「建築圏外通信」を連載中です。

「貸し画廊」というのは日本独特のシステムですが、既成の美術市場ではなかなか評価されない(売れない)作家・作品の発表場所として重要な位置を占めてきたことは事実です。
『ときわ画廊』、『秋山画廊』、『日辰画廊』、『靭画廊』など、現代美術の重要な発表場所として機能し、既になくなってしまった画廊などの資料を執念深く掘り返し、「街の画廊史」としてまとめ続けているのが和光大学教授の三上豊さんです。
2012年10月23日:三上豊の街の画廊史「ギャラリー葉 1980-1988」

2016年10月04日:三上豊編・著『ヨシダ・ヨシエへの手がかり』

今まで紹介してきたものはすべて三上さんの手弁当で刊行してきたもので非売でしたが(和光大学三上豊研究室に問い合わせれば在庫のあるものはわけてくれます)、今回ご紹介する『麻生三郎アトリエ』は、せりか書房から刊行されて一般の書店でも入手可能です。

20161107三上豊 編・著『麻生三郎アトリエ』
2016年
せりか書房 発行
135ページ
21.5x15.4cm
撮影:桜井ただひさ
価格:3,240円(税込み)


仕事場の内部は変わっていない。
戦前からすこしもかわらない。
リンゴのあき箱がいくつかあって、
その組み方で用がたり
絵は壁にかけて描いている。
大小どの絵も壁をうしろにして
仕事をする。
麻生三郎(本書帯より)
画家・麻生三郎のアトリエを、主なき後に残された「物」に焦点をあて、写真で詳細に記録する。
目次:
一 資料からアトリエへ
二 麻生三郎アトリエ
三 アトリエを記述する
四 図版構成
五 発掘現場から
六 謝辞
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三上豊(みかみ ゆたか)
1951 年東京生まれ。和光大学人文学部芸術学科卒。映画業界での仕事を経て、美術出版社『美術手帖』編集部に11 年間勤務後、フリーのエディターとして過ごす。スカイドアの美術書、季刊美術雑誌『CAR』の編集を担当。小学館で『世界美術大全集西洋篇』、『日本美術館』、『西洋美術館』、『週刊美術館』などの編集に関わる。一方、画廊史のドキュメンテーションを手掛け『資生堂ギャラリー七十五年史』の編集に参加。並行して貸画廊の記録集を作成、これまでに『ときわ画廊1964-1998』、『秋山画廊1963-1970』、『日辰画廊1979-2002』、『靭ギャラリー1978-1985』を制作発行している。08 年は『キース・ヘリング/ぼくが信じるアート。ぼくが生きたライフ』(中村キース・ヘリング美術館)、「横浜トリエンナーレ2008」のガイドブック、カタログの編集などに携わった。2000 年和光大学表現学部芸術学科教授に就任。

●今日のお勧め作品は麻生三郎の銅版画です。
RIMG0300_限定特装本『麻生三郎デッサン集』
1973年
南天子画廊 発行
36.3x29.2cm
限定45/95
銅版画3点入り


RIMG0295_麻生三郎
「作品」
銅版
Image size: 15.7x21.8cm
Sheet size: 26.0x32.0cm
Ed.95
サインあり


RIMG0296_麻生三郎
「作品」
銅版
Image size: 21.8x15.7cm
Sheet size: 32.0x26.0cm
Ed.95
サインあり


RIMG0297_麻生三郎
「作品」
銅版
Image size: 21.8x15.7cm
Sheet size: 32.0x26.0cm
Ed.95
サインあり


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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。

本日の瑛九情報!
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瑛九のもとに集まった多くの若者たちは早くから国際的な舞台を目指し、海外をめざします。そのひとり靉嘔(本名・飯島孝雄)はデモクラート解散後(解散声明は靉嘔が執筆しました)の1958年に渡米し、以後はニューヨークと日本を往来しながら制作を続けました。ハプニングを中心とする前衛芸術グループ「フルクサス」に参加。1971年のサンパウロ・ビエンナーレはじめ多くの国際展で受賞する。全ての物体、イメージを虹色で分解し再構築した虹の作品で世界的な評価を受けます。
海外に拠点を移した作家の中にはそれまで彼らを支援していた人々と疎遠になったりする者も少なくなかったのですが、靉嘔はニューヨークを拠点にしながら日本の支援者たちとも親密な関係を崩さず、瑛九顕彰の事業にも物心ともに協力を惜しみませんでした。
ayo_63靉嘔 Ay-O
"move by rainbow an animale!" #13
1963年
ミクスドメディア
47.2×47.9×17.2cm
signed
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。