小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第10回

『While Leaves Are Falling』金山貴宏 (赤々舎 2016)

cover1(図1)
写真集『While Leaves Are Falling…』表紙1
写真「京都のホテルにて、2010」


cover2(図2)
『While Leaves Are Falling…』表紙2
写真「大磯にて、2008」


今回紹介するのは、金山貴宏(1971-)の写真集『While Leaves Are Falling…』(赤々舎、2016)です。この写真集はニューヨークに拠点を置いて活動する金山が、1999年から2016年にかけて日本に帰国する折に彼の家族――彼の母親と二人のおば(母親の姉と妹)――を撮影した写真をまとめたものです。「木の葉が落ちる間に」というタイトルは、落葉する晩秋の季節、淡々と過ぎゆく時間の流れの中での心模様を連想させるとともに、撮影された期間に50代、60代から70代、80代へと年齢を重ねていった三姉妹の「人生の晩秋期」にも重なります。写真集は、金山の母親の写真(図1)と、三姉妹の写真(図2)の二種類の表紙で装丁されています。
金山が自分の母親とその姉妹を撮り続けてきた動機は、彼自身の生い立ちに遡ります。彼は両親の離婚後、母方の実家で、母親、祖母、ふたりのおばという4人の女性に育てられますが、1991年に金山が20歳になって間もない頃に、母親が統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていました)を発症します。意味不明で支離滅裂な言動を繰り返すようになった母親は実家から精神病院に居場所を移すことになり、その後、金山は写真を学ぶためにニューヨークに渡ります。「1999年春、4人の長である祖母が死んだ。家族は自分の記憶の中にあるまま永遠に不変だ、と道理なく思っていた私にとって、祖母の死は過ぎ去って行った時間を鋭く意識させる出来事だった。そこで、祖母の死後、私はニューヨークから東京に里帰りするたびにそれまで撮影することがなかった家族を撮影した。ここから普遍的なテーマである家族、老い、そして時間の経過を主題に、家族と共有する時間と場所の記録が始まった。」(写真集あとがきより抜粋)

03(図3)
家族 母の病院にて、1999


04(図4)
家族 日光にて、2000


05(図5)
家族 自宅にて、2007


06(図6)
家族 箱根のホテルにて、2015


写真集のページを捲っていて感じられる一連の写真に共通する特徴は、被写体との独特の距離感です。金山は実家や病院にいる母親を撮る際も、姉妹三人揃った写真を撮る際にも、それぞれがいる空間の広がりや建物の構造、窓や柱のような空間的な要素を構図の枠組とした上で、それぞれの姿を空間との関係の中で捉えています。まず、三姉妹が一緒に写っている写真をいくつか見てみましょう。写真集の冒頭の方の三人が近寄ってしゃがんで写っている(図3 左から、伯母(母の姉)、叔母(母の妹)、母)は、三人の容姿から血縁のつながりが見て取れるとともに、それぞれの微妙にずれた顔や視線の向きが、三人の間の関係性と、それを見る金山との距離を強く印象づけます。旅行先の日光で撮影された(図4)では、水辺のテラスのような場所で三人がそれぞれに別々のベンチに腰掛けており、三人の姿がお互いの距離、二本の円柱、遠景に霞む稜線によって囲まれた空間の広がりと奥行きの中に捉えられています。家族で営む不動産屋の店舗と2階の住居部分の外観を正面からとらえた(図3)では、向かって右の部屋で金山の母が、左側の部屋で伯母と飼い犬のケリーを抱いた叔母が窓から外を見下ろしており、三姉妹の存在が、彼女達が生まれ育ち、生活を営んできた環境のなかに描き出されています。三姉妹の写真は、思い出づくりのためにでかける家族揃って出かける旅行先で撮影されたものが多く、とくに箱根のような何度も繰り返し訪れている場所で撮影された写真は、より広い空間を画面の中に取り入れるために遠くから撮影されることも多くなり、(図6)のように滞在先のホテルのバルコニーに佇む三人を建物の外で階下から見上げるように撮られたものもあります。このような周辺の環境を画面の中に取り込むような撮影の仕方は、家族にとっての旅行が互いに共有できる思い出を作るためだけではなく、「旅行先で家族全員が揃っている」ということを証立てる一種の儀式のような性格を帯びてきていることを物語っています。
金山が家族を撮り続ける過程で、周辺の環境や家族との距離そのものを意図的に指し示すような手法を用いるのには、自らから切り離され得ない存在として家族を見つめる覚悟がより強固になっていったことが根底にあるように思われます。このような覚悟の証左として、金山はニューヨークに留学した要因の一つとして、母親が統合失調症になり、それ以前とは全く別人のようになってしまったという事実を受け入れることができなかったことを理由として挙げ、「いくら自分を母のいる場所から遠ざけても、実際は母の事を頭の中から分離することはできなかった」と語っています。

07(図7)
母と祖母が最後に家にいた日のままの祖母の日めくりカレンダー、2009


08(図8)
病院の隔離室にて 1、2016


三姉妹ではさまざまな場所で撮影されているのに対して、母親が一人で写っている写真の殆どは、実家の室内や病院のような室内で捉えられており、窓や襖、扉のような枠組が、母親を取り囲む空間と、母親と金山との間の距離を示す手立てになっていて、そのような枠組が存在することで、母親が金山に向ける眼差しの力がいっそう強められています(図7、8)。また、見開きで母親の写真と、屋外の情景――旅先や実家周辺の景色や、季節の移ろいを感じさせる植物の様相――を捉えた写真が組み合わせられることで、屋外と室内の対比が作り出され、病によって母親が外の世界から隔離されている状態が示されるとともに、金山が家族と共有する時間の経過が重層的に表わされています。(図9、10)

09(図9)
(左)無題、2005
(右)母とケリー、2008


10(図10)
(左)金髪の母 2014
(右)ホテルから展望 箱根、2014


このような被写体との距離のとりかたや、見開きでの写真の組み合わせ方、シークエンスの構成は、家族や老い、時間の経過という作品のテーマを、抑揚を控えたトーンで描き出すための手法として周到に練り上げられたものだと言えるでしょう。金山がアメリカからの帰国の都度に、統合失調症という病とともに年齢を重ねる母親が幻覚や妄想、水中毒(過剰の水分摂取によって生じる中毒症状)などのさまざまな病態を呈する様を目の当たりにしたり、病院に見舞いや面会に行ったりすることは、息子として心の重くなるような辛い体験であることは想像に難くありません。しかし、そういった体験を通したその時々の心の動きや感情を直裁に表すのではなく、客観的に冷静な態度で見つめ直そうとする「距離をとる」金山の姿勢があってこそ、個人的な経験をとらえた写真が作品として成り立ち、家族の病や老いという誰にとっても避け難い事象を語る普遍性を獲得しています。

11(図11)
(左)母 (左から1971、1971、1978)
(右)母、1976 祖母と私とおば、1974


12(図12)
(左)病院の面会室にて 1 2016
(右)病院の面会室にて 2 2016


写真集の後半には、1970年代に撮影されたスナップ写真―――金山が生まれて間もない頃に母親と一緒に撮影されたものや、母や叔母、祖母の写っているもの―――で構成された見開きがあります(図11)。古いアルバムの中から選ばれた写真は、金山が幼い頃の母親や家族の記憶の縁(よすが)であり、母親が病気を発症し、金山が祖母の死後に1999年から写真を撮り始めた時期との時間の隔たりを強く印象づけます。(右ページの左側に掲載されている、母親が犬を抱いてソファーに座っている写真に写っている壁掛け鏡が、(図7)で母親の背後の壁掛け鏡と同じものであることは、経過した時間と家との関係を物語るものとして興味深いところです。)写真集の終盤では、母親が入院する病院で2016年に撮影された写真が続き、面会室の中で対面した際に撮影された写真が見開きで組み合わせられています(図12)。白い壁を背景にテーブルの前にして椅子に座る母親は、左側のページでは金山の方を向き、右側のページでは視線を下に落としています。面会時間の中で撮影された二枚の写真の組み合わせは、老いて弱った母親と向き合う一時を記憶にとどめるものとして静謐な強度を湛えています。アルバムのスナップ写真を通して家族の過去に向き合あうこと(図11)と、面会室のテーブルを隔てて母親に向き合うこと(図12)は、家族との時間的、空間的な隔たりを示す手法であり、そのような「隔たり」のなかに金山は自身の姿を見定めようとしているのではないでしょうか。
こばやし みか

本日の瑛九情報!
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瑛九のもとに集まった若い作家たちの中で最も華々しい活躍を示したのは池田満寿夫でしょう。1960年の東京国際版画ビエンナーレで色彩銅版画が高く評価され文部大臣賞を受賞して脚光を浴びます。池田にモノトーンではなく着色することを薦めたのが瑛九でした。
瑛九自身は1951年から1958年までの僅か足掛け8年の間に350点もの銅版画を制作していますが、ただの一点も着色したものはありません。池田の才能が色彩にあることを見抜いた瑛九の慧眼というべきでしょう。
ikeda_01[1]池田満寿夫 Masuo IKEDA
作品集〈今日の問題点〉より 《この空の上》
1969年
エッチング、ルーレット
イメージサイズ:16.1×14.2cm
シートサイズ :20.0×20.0cm
signed

池田の快進撃は続きます。1965年ニューヨーク近代美術館で日本人として初の個展を開催、翌1966年ヴェネツイア・ビエンナー展日本代表に選ばれ、版画部門の国際大賞を受賞し一躍世界の第一線に躍り出ます。このとき呼ばれもしないのに会場に乗り込みゲリラ参加したのが草間彌生でした。
あれから50年、「マスオ」の名を知る人は減り、片や草間彌生は文化勲章を授章し名実ともに日本を代表する作家になりました。二人の評価はこれからどうなるのでしょうか・・・・・~~~
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

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