小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第11回

『遠い渚』小松透 (Place M、2016)

16128299_10212051691831334_1941197541_n(図1)
『遠い渚 a distant shore』表紙 


DS-001(図2)
#宮城 #気仙沼 #祝崎 2016/4(表紙)


DS-042(図3)
#宮城 #気仙沼 #祝崎 2016/4(裏表紙)


今回紹介するのは、東京を拠点に活動する写真家小松透(1969-)の写真集『遠い渚 a distant shore』(Place M、2016)です。小松は、1992年から静物をテーマに写真や映像作品を制作しており、この写真集には2011年の東日本大震災以降、津波や地震の被害があった場所の木々を撮ったモノクロームの写真で構成されています(収録作品は2012年から2016年にかけて撮影)。写真集の判型は正方形で、表紙と裏表紙には丸くくり抜かれた白いボード紙が被せられており、オーバーマットのように写真を円形にトリミングするような役割を果たしています。(図1)丸くくり抜かれた写真の中では、画面の中心にある木々と左右両側から打ち寄せる波に囲まれた岩山の形が際立ち、表紙をめくって矩形の状態の写真と比べながら見ていると、画面の奥と手前の距離感が変化するのを感じ取ることができます。題名の「遠い渚」が示唆するように、この写真集の主題は、眼前の光景を写真に撮ることや写真を見ることに関わる「距離」であり、そのことはこのような装丁の仕方にも明確に反映されています。裏表紙(図3)には、表紙の写真(図2) と同じ場所で撮影された別の写真が使われており、波しぶきや光の状態の違いによって、時間の経過が表されています。
写真集の冒頭で、小松は幼少期を回想するモノローグのような文章を綴っています。

山育ちなので海は子供のころの憧れだった。
初めて海を見たのはいつだったかな?
野蒜に海水浴に連れて行ってもらった時か、遠足で松島に行った時かな?
大きくなったら海の近くに住もうと。
今は山も海も見えないところにすんでいるけど、いつもあの海を思っている。

このような語り口から浮かび上がらされているように、「遠い渚」とは海辺の光景を眺める時の物理的な距離だけではなく、幼少期と現在の間の時間的な隔たり、現在居住している都市と海辺の地域との距離など、心理的に感じられ、測られるさまざまな意味での「遠さ」を含み持つ場所だと言えるでしょう。東日本大震災と津波により甚大な被害を被った沿岸地域の光景は、小松にとって幼少期の記憶の中の光景と重なりつつも、震災によって大きく変容した風景の様相は、過ぎ去った時間の隔たりを強く感じさせるものでもあったのであろう、と想像されます。
写真集には円形にトリミングをほどこされた写真のシークエンスに時折、矩形の写真が挟み込まれ、矩形の写真の前には円形にくり抜かれた白いページが挿入されています。表紙や裏表紙と同様に、白いページを写真の上に重ねたり捲ったりしながら繰り返し見てゆくと、ディテールや構図のあり方に意識が誘われていきます。写真は、写された光景の地平線や水平線がちょうど円の直径に重なるように切り取られており、画面の縁は少し暗くなっているために、筒を通して覗き込んでいるような効果が生み出されています。矩形の画面の場合では、縦横の比率や四方の角を基準にして構図が形作られますが、円形の画面の場合は径が基準となり、中心と周辺との関係が強く意識されます。

DS-010(図4)
#福島 #小高 2016/6


DS-012(図5)
#宮城 #七ヶ浜 #黒崎 2015/12


そのために画面の中心近くにあるものやその形――たとえば、木々の幹や枝、木の生い茂る岩山、断崖、小さな島、家屋や建造物、塀など――が際立ち、とくに、岩山や島は円形の画面の中で、△や□の形としてその姿を浮き上がらせてきます。(図 4、5)このように、せまい湾が複雑に入り組み、小さな島が沿岸に点在する三陸海岸周辺地域に固有の景色のなかに岩山や島を抽出された形として意識すると、その側面に見える断層や褶曲、傾斜などの地層の断面に眼が惹きつけられていきます。地殻変動や地震、気候変動など、遥か太古から自然の力が形作ってきた地形の形状と、過去数十年の間に建造されていった道路や建造物、造成地、堤防、消波ブロック、ブロック塀、法面(図6、7、8)のような人工物の組合わさった景色は、その土地に経過していった時間のさまざまな痕跡をとどめています。たとえば、(図8)のように、造成地に残る岩山と、その脇のブロック塀の端や塀の後ろから僅かにのぞく屋根が組合わさっている様子は、人間の生活の営みも、自然の力や経年変化など様々な要因によって姿を変え、やがては朽ちていくものであることを示唆しているようにも思われます。

DS-037(図6)
#宮城 #宮戸 2014/8


DS-041(図7)
#宮城 #宮戸 2015/8


DS-026(図8)
#福島 #鹿島 #柚木 2015/12


小松は、(図4、6、8)のように陸地にある岩山を(図2、3、5、7)に捉えられているような海に浮かぶ島に対して、「陸に浮かぶ島」と呼び、写真集のあとがきの締めくくりで、「陸に浮かぶ島は、海から遠く隔てられた今でも、海に浮かんでいたときを忘れていないのだろうと想像する。」と述べています。つまり、「遠い渚」とは、写真を撮る小松自身から距離だけではなく、かつては周辺を海に囲まれた島だった岩山からの、時間的、空間的に隔たったところにある地点であることが示唆されています。このように、距離を自分自身が測るものとしてだけではなく、島という被写体から測られるものとしても捉えるような見方は、小松が写真を撮影するにあたって、被写体になる光景と相互に交感する感覚に根ざしているように思われます。津波や地震の被害があった場所の木々を撮り続けるなかで意識するようになったという「陸に浮かぶ島」は、写真が円形に切り取られているがゆえに、景色との関係の中ではスケール感が測り難くなっています。しかし、その島の上に育っている木々や植物が島のスケールを手立てとなり、また小さな島それぞれの存在を静かに語りかける声を秘めて佇んでいるようにも見えるのです。

本作品は、2016年11月にTokyo Art Book Fairの企画により開催されたSteidl Book Award Japanに出品され、ファイナリストに選出されました。2017年秋にドイツのSteidl社から写真集が刊行される予定です。
こばやし みか

●今日のお勧め作品は、オリビア・パーカーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第24回をご覧ください。
20161125_parker_01_hane-compositionオリビア・パーカー
「羽のあるコンポジション」
1981年 カラー・ダイ・トランスファー
33.7×39.4cm
Ed.75 Signed


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本日の瑛九情報!
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昨日からご紹介している福井県大野の堀栄治さんの功績の一つとして忘れてはならないのは『福井創美の歩み』(1990年10月初版、2007年5月第5版発行)という手作りの記録集を残されたことです。
福井における創造美育運動、ひいては小コレクター運動の詳細な日録です。
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たとえば、1954(昭和29)11月2日3日の項目をそのまま引用してみましょう。

<11月2日 久保コレクション「西洋版画展」(だるま屋)(ポスター制作 渡辺)
・前売り券を競争して売る 純利益金四万六千円(入場七千人)
・純益が久保氏の予想を大きく上回ったので、堀、久保氏との賭けに勝ちピカソのリトグラフを金三万円で入手する
・久保氏、瑛九来福 山内旅館泊 会期中仲間が交替で展覧会場で不寝番をする
谷口、自転車盗難に遭う
11月3日 久保、瑛九、繊協ビルで座談会 席上、堀の提唱により希望者に瑛九のエッチングを特別安く頒けて貰うことになる(75点)
これが福井に瑛九の作品が入るさきがけとなる。瑛九が初めて訪れた福井で同志的愛情に触れたと言っている意味は深く、その友情は生涯変わることなく益々大きく発展していった>


次に瑛九の亡くなった1960年3月10日からの項目を引用します。

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1960年3月10日
瑛九 午前8時30分 急性心不全で永眠

3月15日
午後2時から自宅で無宗教による告別式が行なわれる
池田満寿夫自作の[鎮魂歌―心から瑛九に捧げる―]を静かに読みあげる

3月19日
坂井ブロック 児童美術普及のため絵の見方についての会合を持つ

3月28日~29日
瑛九宅を訪問して、瑛九の遺作を整理する
・木水・谷口・堀・藤本・中村 6名


瑛九 遺作
・エッチング 605点
・リトグラフ 1,567点
・フォトデッサン705点(*)
・吹付デッサン66点
・コラージュ 27点
・カット 32点
・デッサン 427点
・油絵吹付 11点
・油絵リアリズム 32点
・スケッチブック 30点
・油絵30号まで 175点
・水彩 247点
・毛筆 6点
・ガラス絵 9点
(*引用した第5版にはフォトデッサンの項目が脱落しており、この項だけ初版の記述を再録しました。亭主記)

・堀、瑛九の絶筆の詩「ヒミツ」を謹写して福井瑛九の会、会員に渡す

(「読売新聞に『花ひらく瑛九氏の遺作』12人の教員グループ」という記事がのる。

 超現実主義派の草分けの一人として特異な作風で知られた画家、清和市本太五の四四、瑛九氏(四八)(本名杉田秀夫氏)は、
 さる十日慢性ジン炎がもとで東京神田の病院でなくなったが、生前九年間も同氏を支持し続けて来た福井県小、中学の若い先生たちのグループ六人が春休みを待って二十八日、浦和の瑛九氏宅に集まった。
 都未亡人を慰め、遺作の整理をするとともに、瑛九氏の遺志をくんで五月のはじめ福井市内で初の遺作展を開くことになった。)
   

3月26日
福井小コレクター例会 福井市三上ビル
・撲九後援会のこと、遺作展のことについて話し合う

5月1日
瑛九遺作展の準備 福井市三上ビル

5月3日
瑛九遺作展のために資金カンパをする
・北川民次のリト8点(中間は58年の12月に入手した「子供を抱く二人の裸婦」を1点宛拠出する)泉のリト5点集まる

5月7日
「瑛九遺作展」が福井繊協ビルで福井瑛九の会主催によって開かれ
・遺作80余点が陳列される
・浦和市より 瑛九夫人、岩瀬久江女史、宇佐美兼吉
・大阪より 福野正義・松本弘駆けつける(福野「故瑛九に捧げる詩」を500部持参する)

5月29日
国立近代美術館「物故作家四人展」4月27日より(菱田春草・高村光太郎・瑛九・上阪雅人)を見るために上京 堀・福野

5月30日
堀・福野、瑛九宅訪問(瑛九宅で中西末治と合う)
・福井の瑛九の会 仲間に頒布するために次の作品を預かる
エッチング 特大 13点、リトグラフ 征版13点、ミノ版 13点、水彩 13点、
油10号 1点、8号 3点、3号 1点、ガラス絵6号 1点
福野 水彩 リト大 油10号 各1点
中西個人で油20号 8号 4号 2号 各1点、10号 2点、デッサン 3点 購入する>
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瑛九が亡くなって僅か二週間後の3月末、木水育男さんや堀栄治さんら福井の教師たち6人が春休みをつかって瑛九のアトリエに入り、遺された作品を整理、カウントしたことは特筆にあたいします。
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瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(2016年11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。