本日の瑛九情報!は、
スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。
読者の皆様こんにちは。相変わらず寒い日々が続く中、今日から丁度一ヵ月後のArt on Paperへの準備に天手古舞なスタッフSこと新澤です。ここしばらくの記事の出だしはずっとこのような感じですが、来月以降はもう少し落ち着けるハズ…だといいですね。
先日同じくスタッフの松下さんもレポートされた<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>、ときの忘れものが開廊当時から注力してきた作家とあり、自分も展覧会を見てきました。


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]~2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館
画廊に勤めて早6年目の自分ですが、体系立てて美術を学んだ経験はなく、瑛九を知ったのもときの忘れものに勤めてからです。中でも紙の上に型紙やレース生地を置いて感光させ、切り抜きをせずに制作するコラージュであるフォトデッサンは、自分が最初に出会った瑛九の作品であり、晩年の点描よりも「これぞ瑛九」と感じる作品群でもあります。
フォトデッサンの代表作「眠りの理由」シリーズ全10点
ときの忘れもの所有の作品は1点欠けているので(9点)、全10点をご覧になりたい方は是非おでかけを。
手前の展示テーブルには、「眠りの理由」のタトウ、展覧会の冊子や当時瑛九が山田光春に宛てた書簡が展示されています。
今回の展覧会ではそんなフォトデッサンの代表作にしてデビュー作「眠りの理由」とその他フォトデッサン、そして無数のスケッチ画と少数の油彩画で構成されていますが、それ以上に自分が面白いと思ったのは、瑛九が年下の友人、山田光春に長年にわたり送った手紙の数々です。
誠に勝手な話ながら、今まで自分は瑛九をステレオタイプな、「才能溢れながらも早逝した画家」として見ていました。線は細く、物静かで、周囲の雑音には耳を貸さずにただ一心に作品制作に取り組み続け、若くして燃え尽きた悲運の作家、等といった印象です。
実際に書き出すとどこの漫画の登場人物かと言いたくなる人物像ですが、当然のように山田光春に宛てた手紙から見て取れた印象は大きく違いました。
文中で瑛九は自らを「オレ」と称し、世間の自作品への無理解を嘆き、日本美術界の現状を憂い、明け透けに同時期の海外作家と比較されることに憤っていました。筆跡は流麗とは言い難く、ものによっては文字通り書き殴ったかのような物もありました。時代に寄る言葉の使い方の違いはあれど、まるで酔っ払いの愚痴を聞かされているようだ…という感想は、自分の語彙の貧弱さを差し引いてもそう的外れではないと思っています。今回一般に公開されているとはいえ、元々は私的なやり取りなワケですしね。
瑛九から山田光春に宛てた書簡や展覧会の冊子を展示したテーブルを囲むように当時制作されたドローイング作品が展示されています。
そんな書簡を展示したテーブルの周りを、山田光春旧蔵のドローイングが囲んでいるのですが、こちらもこちらで妙に刺々しい印象が。ときの忘れものでも瑛九のドローイングやエッチング作品は多数取り扱っていますが、主に50年代のそれらの作品に比べ、30年代後半に描かれた展覧会の作品群は、当時の瑛九の苦悩が反映されているように見えました。
総じて、日本前衛美術の父としてではなく、そこに至る過程、その更に裏側を垣間見える展覧会だと感じました。作品を通してばかりではなく、限定的ではあるものの、作家の一面を手紙という媒体を通して垣間見ることができる貴重な機会です。
展覧会は来週の週末まで開催されておりますので、まだご覧になっていない方は是非お出かけ下さい。
(しんざわ ゆう)
瑛九「作品」
1954年 水彩 19.0×14.0cm
画面右下に鉛筆サインと年記
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スタッフSの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。
読者の皆様こんにちは。相変わらず寒い日々が続く中、今日から丁度一ヵ月後のArt on Paperへの準備に天手古舞なスタッフSこと新澤です。ここしばらくの記事の出だしはずっとこのような感じですが、来月以降はもう少し落ち着けるハズ…だといいですね。
先日同じくスタッフの松下さんもレポートされた<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>、ときの忘れものが開廊当時から注力してきた作家とあり、自分も展覧会を見てきました。


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]~2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館
画廊に勤めて早6年目の自分ですが、体系立てて美術を学んだ経験はなく、瑛九を知ったのもときの忘れものに勤めてからです。中でも紙の上に型紙やレース生地を置いて感光させ、切り抜きをせずに制作するコラージュであるフォトデッサンは、自分が最初に出会った瑛九の作品であり、晩年の点描よりも「これぞ瑛九」と感じる作品群でもあります。
フォトデッサンの代表作「眠りの理由」シリーズ全10点ときの忘れもの所有の作品は1点欠けているので(9点)、全10点をご覧になりたい方は是非おでかけを。
手前の展示テーブルには、「眠りの理由」のタトウ、展覧会の冊子や当時瑛九が山田光春に宛てた書簡が展示されています。
今回の展覧会ではそんなフォトデッサンの代表作にしてデビュー作「眠りの理由」とその他フォトデッサン、そして無数のスケッチ画と少数の油彩画で構成されていますが、それ以上に自分が面白いと思ったのは、瑛九が年下の友人、山田光春に長年にわたり送った手紙の数々です。
誠に勝手な話ながら、今まで自分は瑛九をステレオタイプな、「才能溢れながらも早逝した画家」として見ていました。線は細く、物静かで、周囲の雑音には耳を貸さずにただ一心に作品制作に取り組み続け、若くして燃え尽きた悲運の作家、等といった印象です。
実際に書き出すとどこの漫画の登場人物かと言いたくなる人物像ですが、当然のように山田光春に宛てた手紙から見て取れた印象は大きく違いました。
文中で瑛九は自らを「オレ」と称し、世間の自作品への無理解を嘆き、日本美術界の現状を憂い、明け透けに同時期の海外作家と比較されることに憤っていました。筆跡は流麗とは言い難く、ものによっては文字通り書き殴ったかのような物もありました。時代に寄る言葉の使い方の違いはあれど、まるで酔っ払いの愚痴を聞かされているようだ…という感想は、自分の語彙の貧弱さを差し引いてもそう的外れではないと思っています。今回一般に公開されているとはいえ、元々は私的なやり取りなワケですしね。
瑛九から山田光春に宛てた書簡や展覧会の冊子を展示したテーブルを囲むように当時制作されたドローイング作品が展示されています。そんな書簡を展示したテーブルの周りを、山田光春旧蔵のドローイングが囲んでいるのですが、こちらもこちらで妙に刺々しい印象が。ときの忘れものでも瑛九のドローイングやエッチング作品は多数取り扱っていますが、主に50年代のそれらの作品に比べ、30年代後半に描かれた展覧会の作品群は、当時の瑛九の苦悩が反映されているように見えました。
総じて、日本前衛美術の父としてではなく、そこに至る過程、その更に裏側を垣間見える展覧会だと感じました。作品を通してばかりではなく、限定的ではあるものの、作家の一面を手紙という媒体を通して垣間見ることができる貴重な機会です。
展覧会は来週の週末まで開催されておりますので、まだご覧になっていない方は是非お出かけ下さい。
(しんざわ ゆう)
瑛九「作品」1954年 水彩 19.0×14.0cm
画面右下に鉛筆サインと年記
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