本日の瑛九情報!は、
スタッフAの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]~2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館
冬の冷たい風が心地よい日、東京国立近代美術館で開催されている瑛九展を観に行ってきました。
「ときの忘れものといえば瑛九。」と言っても過言ではない作家さんですが、恥ずかしながらときの忘れものに勤めるまで、自分は瑛九のことをよく知りませんでした。
「えいきゅう」という名前を耳にしたことはあり、美術館のコレクションなどで作品を目にはしていましたが、どんな作家か深く掘り下げることはありませんでした。
それが日々の仕事で扱うようになり、次から次へと作品が出てくる。
しかも油彩や版画、ドローイングはもちろん、フォトデッサンというものまで技法も様々。その上48歳で亡くなっているということに、「えっ、じゃどのくらいのペースでこの作品たちを制作していたんだよ。」と内心驚くというか、面食らっていました。
でもその作品がどれもチャーミングなんですよね。
もう溢れて止まらないと言わんばかりで、イメージの洪水といった印象でした。
今回の展覧会は、瑛九としてのデビュー前後の24歳から26歳という時代に焦点をしぼり構成されています。
その中でも展示中盤に飾られているコラージュ作品に、惹かれました。
人間の体や顔の部位、果物やオブジェの写真が切り刻まれて、黒い背景の前に新たに組み立てられています。何者かとなったそれらは、まるで宇宙の果てにぽつんと浮かんでいるようでした。現実ではありえない形に変換された女性の体や、もうなんだか分からない塊になっているもの。その作品に「レアル」と名付けた瑛九の気持ちとは、一体どんなものだったのか。
コラージュ作品


又、紙に描きなぐったようなドローイングも、「こういうの分かるなあ」と勝手に思っていました。
自分もクロッキー帳にこういうことをよくやります。
そこには現実のルールなんか必要ない自由な世界を作りあげることができるのです。
今回作品と同じくらい重要な資料として展示されているのが、瑛九が山田光春に宛てた手紙でした。
人が書いた手紙を覗いてしまうのはちょっと気が引けるなあと思いつつ、瑛九の字が彼のドローイングと同じような線であることに、ふふふとなってしまったり。
絵描きさんには個性的な字を書く人が多いと常々思っていたのですが、それは、文字も紙の上のドローイングと同じだからなんだなあ、とふと思いました。
展示構成の最後は、瑛九の全体像をみる内容です。
中でも晩年の点描画は、光そのものを描いているようです。
右の「れいめい」がこんなに美しい作品だったのかと、改めて思いました。
この規模の展覧会としては珍しく立派なカタログも刊行されています。
広くないスペースの展示であるものの、それ故ひとつひとつの作品と向き合うことのできる見応えのある内容でした。
(あきば めぐみ)
『瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす』
2016年
東京国立近代美術館 発行
147ページ
23.8x16.7cm
税込1,300円、送料別途
*画廊亭主敬白
風の冷たい日が続いています。やわな亭主かはたまた栄養失調気味のスタッフMを気遣って信州のSさんが野沢菜、ヨーグルト、エリンギ、しめじ、りんご、えのきだけなどをどっさり宅急便で送ってくださいました。
竹橋の瑛九展の会期が残り一週間となりました。首都圏の美術館での瑛九展はしばらくはないでしょうから、ぜひお見逃しなく。
スタッフにも業務命令で展観を促し、それぞれにレポートを書かせました。皆、ときの忘れものに入社するまではほとんど知らなかったようですが、門前の小僧、習うよりなれろですね。
瑛九暦半世紀近い社長はもちろん、亭主も日々作品に触れながら、飽きることがない。新たな出会いがあるたびに、さてこの購入資金をどうやって工面するかと四苦八苦しつつ、「よくぞいらっしゃいました」と感謝せずにはいられません。作家の評価は市場に流通してこそ定着します。ありがたいことに今週も海外から瑛九を求めにお客が来日します。流通するだけのモノ(作品)を遺してくれた瑛九のエネルギーに脱帽です。
盟友オノサト・トシノブの作品を中心に企画した「Circles 円の終わりは円の始まり」展が一昨日終了しました。ご来場いただいた皆さん、お買い上げいただいたお客様たちに深く感謝する次第です。
ありがとうございました。
スタッフAの<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>レポートです。


「瑛九1935-1937 闇の中で『レアル』をさがす」
会期:2016年11月22日[火]~2017年2月12日[日]
会場:東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
主催:東京国立近代美術館
冬の冷たい風が心地よい日、東京国立近代美術館で開催されている瑛九展を観に行ってきました。
「ときの忘れものといえば瑛九。」と言っても過言ではない作家さんですが、恥ずかしながらときの忘れものに勤めるまで、自分は瑛九のことをよく知りませんでした。
「えいきゅう」という名前を耳にしたことはあり、美術館のコレクションなどで作品を目にはしていましたが、どんな作家か深く掘り下げることはありませんでした。
それが日々の仕事で扱うようになり、次から次へと作品が出てくる。
しかも油彩や版画、ドローイングはもちろん、フォトデッサンというものまで技法も様々。その上48歳で亡くなっているということに、「えっ、じゃどのくらいのペースでこの作品たちを制作していたんだよ。」と内心驚くというか、面食らっていました。
でもその作品がどれもチャーミングなんですよね。
もう溢れて止まらないと言わんばかりで、イメージの洪水といった印象でした。
今回の展覧会は、瑛九としてのデビュー前後の24歳から26歳という時代に焦点をしぼり構成されています。
その中でも展示中盤に飾られているコラージュ作品に、惹かれました。
人間の体や顔の部位、果物やオブジェの写真が切り刻まれて、黒い背景の前に新たに組み立てられています。何者かとなったそれらは、まるで宇宙の果てにぽつんと浮かんでいるようでした。現実ではありえない形に変換された女性の体や、もうなんだか分からない塊になっているもの。その作品に「レアル」と名付けた瑛九の気持ちとは、一体どんなものだったのか。
コラージュ作品

又、紙に描きなぐったようなドローイングも、「こういうの分かるなあ」と勝手に思っていました。
自分もクロッキー帳にこういうことをよくやります。
そこには現実のルールなんか必要ない自由な世界を作りあげることができるのです。
今回作品と同じくらい重要な資料として展示されているのが、瑛九が山田光春に宛てた手紙でした。
人が書いた手紙を覗いてしまうのはちょっと気が引けるなあと思いつつ、瑛九の字が彼のドローイングと同じような線であることに、ふふふとなってしまったり。
絵描きさんには個性的な字を書く人が多いと常々思っていたのですが、それは、文字も紙の上のドローイングと同じだからなんだなあ、とふと思いました。
展示構成の最後は、瑛九の全体像をみる内容です。
中でも晩年の点描画は、光そのものを描いているようです。
右の「れいめい」がこんなに美しい作品だったのかと、改めて思いました。この規模の展覧会としては珍しく立派なカタログも刊行されています。
広くないスペースの展示であるものの、それ故ひとつひとつの作品と向き合うことのできる見応えのある内容でした。
(あきば めぐみ)
『瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす』2016年
東京国立近代美術館 発行
147ページ
23.8x16.7cm
税込1,300円、送料別途
*画廊亭主敬白
風の冷たい日が続いています。やわな亭主かはたまた栄養失調気味のスタッフMを気遣って信州のSさんが野沢菜、ヨーグルト、エリンギ、しめじ、りんご、えのきだけなどをどっさり宅急便で送ってくださいました。
竹橋の瑛九展の会期が残り一週間となりました。首都圏の美術館での瑛九展はしばらくはないでしょうから、ぜひお見逃しなく。
スタッフにも業務命令で展観を促し、それぞれにレポートを書かせました。皆、ときの忘れものに入社するまではほとんど知らなかったようですが、門前の小僧、習うよりなれろですね。
瑛九暦半世紀近い社長はもちろん、亭主も日々作品に触れながら、飽きることがない。新たな出会いがあるたびに、さてこの購入資金をどうやって工面するかと四苦八苦しつつ、「よくぞいらっしゃいました」と感謝せずにはいられません。作家の評価は市場に流通してこそ定着します。ありがたいことに今週も海外から瑛九を求めにお客が来日します。流通するだけのモノ(作品)を遺してくれた瑛九のエネルギーに脱帽です。
盟友オノサト・トシノブの作品を中心に企画した「Circles 円の終わりは円の始まり」展が一昨日終了しました。ご来場いただいた皆さん、お買い上げいただいたお客様たちに深く感謝する次第です。
ありがとうございました。
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