小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第13回
アフリカ系アメリカ人写真家の伝記絵本『ゴードン・パークス』
(図1)
『ゴードン・パークス』(光村教育図書、2016)表紙
今回紹介するのは、伝記絵本『ゴードン・パークス』(光村教育図書、2016)です。ゴードン・パークス(Gordon Parks、1912-2006)はアフリカ系アメリカ人の写真家で、1940年代初頭からフォトジャーナリズム、ファッション写真などの分野で活躍し、『ライフ』誌でアフリカ系アメリカ人初の専属写真家兼記者として活躍し、公民権運動、貧困問題に関するフォトエッセイを発表したことで知られています。また、写真家としてのみならず、小説や詩、作曲、映画の制作も手がけ、映画『黒いジャガー』(1971)の監督としても知られています。絵本の著者、キャロル・ボストン・ウェザーフォードも、アフリカ系アメリカ人の著述家で、歴史や芸術家に関するテーマで児童文学作品を手がけており、最近では、写真家ドロシア・ラングの伝記絵本『Dorothea Lange The Photographer Who Found the Faces of the Depression』(2017)を発表しました。絵はイラストレーターのジェイミー・クリストが手がけており、登場人物の表情とともに、20世紀前半のアメリカの街の光景を情感豊かに描いています。
絵本では、黒人に対する差別が厳しかった時代にカンザス州の貧しい家庭に生まれたゴードン・パークスがさまざまな仕事をしながら生計を立て、25歳の時に中古のカメラを7ドル50セントで買い求め、写真家としての才能を開花させて、人生を切り拓いていった過程が描かれています。物語の中では、ゴードン・パークス自身の記憶や、彼の眼に捉えられた光景、心情を表す文章として、当時の黒人に対する差別の厳しさが語られています。(図2、3、4)
(図2)
(少年時代)「ところが、黒人ばかりのクラスで、白人の先生が言いはなった。「あなたたち黒人は、どうせ荷物運びか、ウェイターになるしかないのよ。」 どうしてそんなことがわかるんだろう。」
(図3)
(写真家になり、ワシントンD.C.に移住)「さらに歩くと、建国の精神を伝える大理石の像や記念碑がたくさんあった。白人たちをたたえるものばかりだ。 そんなものを撮った写真は、めずらしくもなんともないだろう。」
(図4)
(ワシントンD.C.の街中)「あちこちの店の窓に「白人専用!」の看板が出ている。あんな看板がない場所でも、どうせ黒人はまともにあつかってもらえるはずがない。「白人専用!」
(図5)
ゴードン・パークス「アメリカン・ゴシック」(1942)
(図6)
グラント・ウッド「アメリカン・ゴシック」(1930)
(図7)
(「アメリカン・ゴシック」を撮影する場面)「しかし、いちばん有名な作品といえば、「アメリカン・ゴシック」だろう。新聞にのったその写真は、人種差別のきびしさをアメリカじゅうに訴えた。 星条旗の前に、エラ・ワトソンが立っている。手にしたほうきは、エラの日常を、そして、孫たちの未来を物語ってもいる。」
物語の終盤のハイライトになっているのが、ゴードン・パークスの代表作「アメリカン・ゴシック」(1942)(図5)にまつわるエピソードを描いた部分です。この写真は、ゴードン・パークスがFSA(Farm Security Administration 農業保障局:世界恐後のアメリカの農村の惨状およびその復興を記録するプロジェクトを行った政府機関)からの奨学金を得て、人種差別の状況を写真に撮ろうと考え、FSAの事務所のあるビルで掃除婦として働く黒人女性エラ・ワトソンを何週間にも渡って撮り続けたものの中の一点です。タイトルの「アメリカン・ゴシック」は、グラント・ウッドによる同名の絵画作品(図6)に由来します。ウッドの作品では、アメリカの農村部に見られるゴシック様式の一軒家の前に、ピッチフォークを右手に持つ年老いた農夫のような男性と、その脇に佇む妻か娘と思しき女性の姿が描かれており、二人の険しく神妙な表情と視線が謎めいた印象を残します。ゴードン・パークスは、FSAの事務所内に掲げられた星条旗を背景に、右手に帚を持って立つエラ・ワトソンの姿を捉えています。(星条旗にはモップのようなものが立てかけられています)家の前に立つ白人の男女の姿を、アメリカの家族や社会の価値観を映し出すものとして描いたのであろう「アメリカン・ゴシック」を参照しつつ、家族を養うために低賃金で身を粉にして働く黒人の女性を星条旗の前で捉えることで、社会の中での黒人が置かれている立場を明るみに出しています。絵本の中では、なぜこの写真が「アメリカン・ゴシック」というタイトルで発表されたのか、グラント・ウッドの「アメリカン・ゴシック」との関連性は説明されていませんが(アメリカでは、この絵画作品が説明を要することのないほど有名なものだということもありますが)、一点の写真が何故どのように撮影されたのか、その写真がどのような反響を巻き起こしたのかを、丁寧に描き出しています。ゴードン・パークスがエラ・ワトソンを撮影する場面(図7)は、彼女の右側の窓から光が差し込む室内の空間を下から見上げるような角度で描かれており、読者が撮影の現場に立ち会っているかのような臨場感が作り出されています。
本書の原書は、「Gordon Parks: How the Photographer Captured Black and White America(ゴードン・パークス:写真家がいかにして黒人と白人のアメリカをとらえたのか)」という題名で2015年に刊行されました。近年、近年、写真家、美術家の伝記絵本が欧米の出版社から相次いで出版されており、この本はその流れに位置づけられるものでもあります。世界規模の政治的な動乱が続き、移民排斥や人種差別の問題がクローズアップされている状況で、そういった問題の歴史的な背景を、子どもたちや若い世代にどのように伝えるのか、ということが大きな課題になっていることの証左と言えるでしょう。
人種差別や公民権運動など社会的問題を伝える上で、芸術家や写真家がどのような役割を果たしてきたのかということを、子どもたちに視覚的に伝える手段として絵本の果たす役割は大きいのではないでしょうか。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
●今日のお勧め作品は、ヘルベルト・バイヤーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回をご覧ください。
ヘルベルト・バイヤー
「Untitled」
1930年代(1970年代プリント)
Gelatin Silver Print on baryta paper
37.7×29.0cm
Ed.40(18/40)
裏面にサインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
アフリカ系アメリカ人写真家の伝記絵本『ゴードン・パークス』
(図1)『ゴードン・パークス』(光村教育図書、2016)表紙
今回紹介するのは、伝記絵本『ゴードン・パークス』(光村教育図書、2016)です。ゴードン・パークス(Gordon Parks、1912-2006)はアフリカ系アメリカ人の写真家で、1940年代初頭からフォトジャーナリズム、ファッション写真などの分野で活躍し、『ライフ』誌でアフリカ系アメリカ人初の専属写真家兼記者として活躍し、公民権運動、貧困問題に関するフォトエッセイを発表したことで知られています。また、写真家としてのみならず、小説や詩、作曲、映画の制作も手がけ、映画『黒いジャガー』(1971)の監督としても知られています。絵本の著者、キャロル・ボストン・ウェザーフォードも、アフリカ系アメリカ人の著述家で、歴史や芸術家に関するテーマで児童文学作品を手がけており、最近では、写真家ドロシア・ラングの伝記絵本『Dorothea Lange The Photographer Who Found the Faces of the Depression』(2017)を発表しました。絵はイラストレーターのジェイミー・クリストが手がけており、登場人物の表情とともに、20世紀前半のアメリカの街の光景を情感豊かに描いています。
絵本では、黒人に対する差別が厳しかった時代にカンザス州の貧しい家庭に生まれたゴードン・パークスがさまざまな仕事をしながら生計を立て、25歳の時に中古のカメラを7ドル50セントで買い求め、写真家としての才能を開花させて、人生を切り拓いていった過程が描かれています。物語の中では、ゴードン・パークス自身の記憶や、彼の眼に捉えられた光景、心情を表す文章として、当時の黒人に対する差別の厳しさが語られています。(図2、3、4)
(図2)(少年時代)「ところが、黒人ばかりのクラスで、白人の先生が言いはなった。「あなたたち黒人は、どうせ荷物運びか、ウェイターになるしかないのよ。」 どうしてそんなことがわかるんだろう。」
(図3)(写真家になり、ワシントンD.C.に移住)「さらに歩くと、建国の精神を伝える大理石の像や記念碑がたくさんあった。白人たちをたたえるものばかりだ。 そんなものを撮った写真は、めずらしくもなんともないだろう。」
(図4)(ワシントンD.C.の街中)「あちこちの店の窓に「白人専用!」の看板が出ている。あんな看板がない場所でも、どうせ黒人はまともにあつかってもらえるはずがない。「白人専用!」
(図5)ゴードン・パークス「アメリカン・ゴシック」(1942)
(図6)グラント・ウッド「アメリカン・ゴシック」(1930)
(図7)(「アメリカン・ゴシック」を撮影する場面)「しかし、いちばん有名な作品といえば、「アメリカン・ゴシック」だろう。新聞にのったその写真は、人種差別のきびしさをアメリカじゅうに訴えた。 星条旗の前に、エラ・ワトソンが立っている。手にしたほうきは、エラの日常を、そして、孫たちの未来を物語ってもいる。」
物語の終盤のハイライトになっているのが、ゴードン・パークスの代表作「アメリカン・ゴシック」(1942)(図5)にまつわるエピソードを描いた部分です。この写真は、ゴードン・パークスがFSA(Farm Security Administration 農業保障局:世界恐後のアメリカの農村の惨状およびその復興を記録するプロジェクトを行った政府機関)からの奨学金を得て、人種差別の状況を写真に撮ろうと考え、FSAの事務所のあるビルで掃除婦として働く黒人女性エラ・ワトソンを何週間にも渡って撮り続けたものの中の一点です。タイトルの「アメリカン・ゴシック」は、グラント・ウッドによる同名の絵画作品(図6)に由来します。ウッドの作品では、アメリカの農村部に見られるゴシック様式の一軒家の前に、ピッチフォークを右手に持つ年老いた農夫のような男性と、その脇に佇む妻か娘と思しき女性の姿が描かれており、二人の険しく神妙な表情と視線が謎めいた印象を残します。ゴードン・パークスは、FSAの事務所内に掲げられた星条旗を背景に、右手に帚を持って立つエラ・ワトソンの姿を捉えています。(星条旗にはモップのようなものが立てかけられています)家の前に立つ白人の男女の姿を、アメリカの家族や社会の価値観を映し出すものとして描いたのであろう「アメリカン・ゴシック」を参照しつつ、家族を養うために低賃金で身を粉にして働く黒人の女性を星条旗の前で捉えることで、社会の中での黒人が置かれている立場を明るみに出しています。絵本の中では、なぜこの写真が「アメリカン・ゴシック」というタイトルで発表されたのか、グラント・ウッドの「アメリカン・ゴシック」との関連性は説明されていませんが(アメリカでは、この絵画作品が説明を要することのないほど有名なものだということもありますが)、一点の写真が何故どのように撮影されたのか、その写真がどのような反響を巻き起こしたのかを、丁寧に描き出しています。ゴードン・パークスがエラ・ワトソンを撮影する場面(図7)は、彼女の右側の窓から光が差し込む室内の空間を下から見上げるような角度で描かれており、読者が撮影の現場に立ち会っているかのような臨場感が作り出されています。
本書の原書は、「Gordon Parks: How the Photographer Captured Black and White America(ゴードン・パークス:写真家がいかにして黒人と白人のアメリカをとらえたのか)」という題名で2015年に刊行されました。近年、近年、写真家、美術家の伝記絵本が欧米の出版社から相次いで出版されており、この本はその流れに位置づけられるものでもあります。世界規模の政治的な動乱が続き、移民排斥や人種差別の問題がクローズアップされている状況で、そういった問題の歴史的な背景を、子どもたちや若い世代にどのように伝えるのか、ということが大きな課題になっていることの証左と言えるでしょう。
人種差別や公民権運動など社会的問題を伝える上で、芸術家や写真家がどのような役割を果たしてきたのかということを、子どもたちに視覚的に伝える手段として絵本の果たす役割は大きいのではないでしょうか。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
●今日のお勧め作品は、ヘルベルト・バイヤーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回をご覧ください。
ヘルベルト・バイヤー「Untitled」
1930年代(1970年代プリント)
Gelatin Silver Print on baryta paper
37.7×29.0cm
Ed.40(18/40)
裏面にサインあり
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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
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