「そこまでやるか、壮大なプロジェクト展」までの一年間
クリストとジャンヌ=クロード展示を担当して(Part-1)
柳 正彦
ちょっと変わったタイトルの展覧会が、現在、六本木、東京ミッドタウン内の21_21 Design Sightで開かれている。クリストとジャンヌ=クロード、石上純也、淺井裕介、ダニ・カラヴァン、ジョルジュ・ルース、西野 達など、異なった分野で活躍する作家を集めたこの企画は、実は一冊の本がきっかで生まれたものだ。
その本とは、クリストとジャンヌ=クロードの新プロジェクト、イタリア・ミラノ郊外のイゼオ湖を舞台にした『フローティング・ピアーズ』の準備活動を纏めた一冊。それが21_21のディレクターの一人、三宅一生さんの元に届けられたのは、昨年の5月末だった。
数日後、私の「そこまでやるか」への関与が始まった。6月初旬に21_21のスタッフから、「送られてきた本を見た三宅が、新プロジェクトを 21_21 Design Sight で紹介したいと考え、まずは僕に連絡するようにと指示された」といった内容のメールが届いたのだった。ちなみに、クリスト、ジャンヌ=クロードとイッセイさんとは70年代からの親しい友人で、2009年のジャンヌ=クロードの死去の後、最初に追悼の展覧会を提案してくれたのもイッセイさんだった。
具体化への第一歩は、6月7日だったと記憶している。イタリアでの『フローティング・ピアーズ』の完成、公開まで2週間を切り、私も数日後には現地へ向かうことになっていた時期だった。その場で伝えられたのは2つの私にとっての“難題”だった。一つは開催予定が2017年6月頃、つまり正味一年しか準備期間がないこと、もう一つは、やはり21_21で2010年に開催されたクリストとジャンヌ=クロードの展覧会とは、“異なった感じ”の展示としたい点だった。その時点で、私が答えられたのは、「私個人としては、できる限りの協力をするが、クリスト本人へ連絡し意向を確認するのは『ピアーズ』の展示期間が終わる7月中旬まで待って貰いたい。」程度のことだった。
7月になり、クリストから、「21_21での再度の展覧会はとても嬉しいことだ。でも、『フローティング・ピアーズ』のドキュメント的な展覧会を17年の夏に開催するのは、時間的に無理がある。」といった返事が届いた。
クリストからのこの回答、そして21_21が、個展ではなく、テーマを決め複数の作家を招いての展覧会を中心に行ってきていることもあり、今回もグループ展と決まったのは8月だったと思う。同時期に展覧会ディレクターとして、アートだけでなく、建築、デザインにも精通された、青野尚子さんが決まった。
クリストとジャンヌ=クロード以外の作家の選定には、この頃までは私も参加させて貰った。当時名前が挙がったのは、イサム・ノグチ、安藤忠雄、ジェームズ・タレルなど物理的なスケールの面でクリスト達と共通点をもつ作家が中心だったと記憶している。その後、私自身は、9月末に水戸芸術館でスタートする「アンブレラ・ドキュメント展」の準備に没頭することになり、「そこまでやるか」の作家選定や、展覧会タイトルの検討などに係わることはなくなった。そのため、残念ながら今回のユニークな人選、そしてタイトルの決定がなされたかをお伝えすることはできない。
フローティング・ピアーズ、イタリア・イゼオ湖、2014-2016
写真:ウルフガング・フォルツ(c) Christo, 2016
フローティング・ピアーズ作業拠点でのクリストと柳正彦、2016年6月
一方、クリストとジャンヌ=クロードの展示に関しては、私が、一人で100%担当させて貰うことになった。これは、クリストからのリクエストでもあった。そして一つの展示室をフルに使えること、また、ロビーの壁面を利用できることなどを、早い段階で決めて貰えた。その時点では他の出品内容が固まっていなかったからかもしれない。
21_21側からの「(ドローイング作品を中心にした)2010年とは異なった感じ」の展示というリクエストの元で、クリストとジャンヌ=クロードの仕事の流れを見せる。また、『フローティング・ピアーズ』を紹介するという、展覧会の発端も忘れることはできない。
これらの条件を満たす展示とは?スタッフとの打ち合わせのなかで浮かんできたのは、3つの壁面を使ったプロジェクションだった。一つの理由は、この美術館での様々な展覧会で、壁面のプロジェクションが大きな効果を生み出していたからだろう。
私自身が最初にイメージしたのは、床から天井までのスケールで、『フローティング・ピアーズ』を中心に、様々なプロジェクトの画像をプロジェクトするものだった。正直なところ、それだけではかなり退屈な展示になっていたと思う。助けとなったのは、21_21関係者からでた、クリストへのインタビュー映像のアイデアだった。多分、9月に水戸芸術館や原美術館で行われた講演会でのクリストのトークの面白さ、そして自作について語るクリストのエネルギッシュな表情が印象的だったからだろう。
17年2月末に行われたニューヨークでのインタビューは、2時間を越えるものだった。ソーホーの自宅ビルの、レセプションのための部屋だけではなく、殆ど人を入れることのない、最上階のスタジオでの収録も行えた。
また、当初は写真のプロジェクションを考えていた『フローティング・ピアーズ』は、記録映画のスタッフが撮影したドキュメント映像を提供して貰えることになった。しかも、ドローイングを仕上げるクリストの姿の映像というオマケまでついてきた。これらライブ感溢れる公式画像は、展示を格段に充実させてくれた。床から天井までの大きさに投影された、ゆっくりと揺れる『ピアーズ』のイメージは、実際のプロジェクトを体験した私にとっても、迫力満点のものとなった。
2時間を越えるインタビュー映像と、『フローティング・ピアーズ』の公式ドキュメント映像、2時間半以上のマテリアルは、最終的には56分に纏めたが、編集、翻訳、字幕等の作業には3ヵ月半が必要だった。(続く → 8月23日ブログ)
(やなぎ まさひこ)

2016年10月1日
於・水戸芸術館
クリスト(右)と柳正彦さん。
◆ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>
日時:2017年9月2日(土)16時~
企画に携わった者として、このような発言は良くないかもしれないが「そこまでやるか」というタイトルには未だに違和感をもっている。というか、クリストとジャンヌ=クロードの作品は言うに及ばず、21_21に並べられた作品を見て回っても、少なくとも私自身は、「そこまでやるか」と思うことはなかった。
30年以上にわたって、クリストとジャンヌ=クロードのプロジェクトや展覧会に携わったせいで、感覚が鈍ってしまっているのかもしれないが・・・、少なくともアーティスト本人にとっては、「そこまでやる」のは当然なのではないだろうか。
そのように思い、また展覧会に興味をもってくれた人にも、そのようなコメントをしてきた。だがつい最近になって、クリストとジャンヌ=クロードの仕事にも「そこまでやるか」と思わせるものがあることに気がついた。
展覧会がオープンした後、インタビュー映像の使用しなかった部分に目を通していた時のことだった。クリストが数ヶ月をかけて編集、レイアウトをした、「オーバー・ザ・リバー」の記録集について語っているシーンを見た時、これこそ「そこまでやるか」ではないか、と気がついたのだ。
プロジェクトが実現すると、クリストとジャンヌ=クロードは、3つの方法で、プロジェクトの記録を纏めてきている。記録映画、記録書籍、ドキュメント展覧会だ。そのなかでも、書籍と展覧会は、例えば1500ページになったり、400点以上の作品資料を並べたりと、ヘビー級の内容になっている。プロジェクトのファクシミリとも呼べる、書籍と展覧会だが、内容の選定からレイアウト細部まで、その作業の大半を外部のデザイナーやキュレイターに託すことなく、クリストとジャンヌ=クロード自身が手がけてきている。
クリストとジャンヌの、この姿勢は、まさに「そこまでやるか」だろう。
9月2日のトークでは、クリストとジャンヌ=クロードが、いかに自作を記録してきたか、その姿勢と作業の実際について参考映像を交えてお伝えしたい。
*要予約/参加費1,000円
参加ご希望の方は、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
8月29(火)~9月9日(土)「クリストとジャンヌ=クロード展」を開催します。
■柳 正彦(やなぎ まさひこ)
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
昨年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
クリストとジャンヌ=クロード展示を担当して(Part-1)
柳 正彦
ちょっと変わったタイトルの展覧会が、現在、六本木、東京ミッドタウン内の21_21 Design Sightで開かれている。クリストとジャンヌ=クロード、石上純也、淺井裕介、ダニ・カラヴァン、ジョルジュ・ルース、西野 達など、異なった分野で活躍する作家を集めたこの企画は、実は一冊の本がきっかで生まれたものだ。
その本とは、クリストとジャンヌ=クロードの新プロジェクト、イタリア・ミラノ郊外のイゼオ湖を舞台にした『フローティング・ピアーズ』の準備活動を纏めた一冊。それが21_21のディレクターの一人、三宅一生さんの元に届けられたのは、昨年の5月末だった。
数日後、私の「そこまでやるか」への関与が始まった。6月初旬に21_21のスタッフから、「送られてきた本を見た三宅が、新プロジェクトを 21_21 Design Sight で紹介したいと考え、まずは僕に連絡するようにと指示された」といった内容のメールが届いたのだった。ちなみに、クリスト、ジャンヌ=クロードとイッセイさんとは70年代からの親しい友人で、2009年のジャンヌ=クロードの死去の後、最初に追悼の展覧会を提案してくれたのもイッセイさんだった。
具体化への第一歩は、6月7日だったと記憶している。イタリアでの『フローティング・ピアーズ』の完成、公開まで2週間を切り、私も数日後には現地へ向かうことになっていた時期だった。その場で伝えられたのは2つの私にとっての“難題”だった。一つは開催予定が2017年6月頃、つまり正味一年しか準備期間がないこと、もう一つは、やはり21_21で2010年に開催されたクリストとジャンヌ=クロードの展覧会とは、“異なった感じ”の展示としたい点だった。その時点で、私が答えられたのは、「私個人としては、できる限りの協力をするが、クリスト本人へ連絡し意向を確認するのは『ピアーズ』の展示期間が終わる7月中旬まで待って貰いたい。」程度のことだった。
7月になり、クリストから、「21_21での再度の展覧会はとても嬉しいことだ。でも、『フローティング・ピアーズ』のドキュメント的な展覧会を17年の夏に開催するのは、時間的に無理がある。」といった返事が届いた。
クリストからのこの回答、そして21_21が、個展ではなく、テーマを決め複数の作家を招いての展覧会を中心に行ってきていることもあり、今回もグループ展と決まったのは8月だったと思う。同時期に展覧会ディレクターとして、アートだけでなく、建築、デザインにも精通された、青野尚子さんが決まった。
クリストとジャンヌ=クロード以外の作家の選定には、この頃までは私も参加させて貰った。当時名前が挙がったのは、イサム・ノグチ、安藤忠雄、ジェームズ・タレルなど物理的なスケールの面でクリスト達と共通点をもつ作家が中心だったと記憶している。その後、私自身は、9月末に水戸芸術館でスタートする「アンブレラ・ドキュメント展」の準備に没頭することになり、「そこまでやるか」の作家選定や、展覧会タイトルの検討などに係わることはなくなった。そのため、残念ながら今回のユニークな人選、そしてタイトルの決定がなされたかをお伝えすることはできない。
フローティング・ピアーズ、イタリア・イゼオ湖、2014-2016写真:ウルフガング・フォルツ(c) Christo, 2016
フローティング・ピアーズ作業拠点でのクリストと柳正彦、2016年6月一方、クリストとジャンヌ=クロードの展示に関しては、私が、一人で100%担当させて貰うことになった。これは、クリストからのリクエストでもあった。そして一つの展示室をフルに使えること、また、ロビーの壁面を利用できることなどを、早い段階で決めて貰えた。その時点では他の出品内容が固まっていなかったからかもしれない。
21_21側からの「(ドローイング作品を中心にした)2010年とは異なった感じ」の展示というリクエストの元で、クリストとジャンヌ=クロードの仕事の流れを見せる。また、『フローティング・ピアーズ』を紹介するという、展覧会の発端も忘れることはできない。
これらの条件を満たす展示とは?スタッフとの打ち合わせのなかで浮かんできたのは、3つの壁面を使ったプロジェクションだった。一つの理由は、この美術館での様々な展覧会で、壁面のプロジェクションが大きな効果を生み出していたからだろう。
私自身が最初にイメージしたのは、床から天井までのスケールで、『フローティング・ピアーズ』を中心に、様々なプロジェクトの画像をプロジェクトするものだった。正直なところ、それだけではかなり退屈な展示になっていたと思う。助けとなったのは、21_21関係者からでた、クリストへのインタビュー映像のアイデアだった。多分、9月に水戸芸術館や原美術館で行われた講演会でのクリストのトークの面白さ、そして自作について語るクリストのエネルギッシュな表情が印象的だったからだろう。
17年2月末に行われたニューヨークでのインタビューは、2時間を越えるものだった。ソーホーの自宅ビルの、レセプションのための部屋だけではなく、殆ど人を入れることのない、最上階のスタジオでの収録も行えた。
また、当初は写真のプロジェクションを考えていた『フローティング・ピアーズ』は、記録映画のスタッフが撮影したドキュメント映像を提供して貰えることになった。しかも、ドローイングを仕上げるクリストの姿の映像というオマケまでついてきた。これらライブ感溢れる公式画像は、展示を格段に充実させてくれた。床から天井までの大きさに投影された、ゆっくりと揺れる『ピアーズ』のイメージは、実際のプロジェクトを体験した私にとっても、迫力満点のものとなった。
2時間を越えるインタビュー映像と、『フローティング・ピアーズ』の公式ドキュメント映像、2時間半以上のマテリアルは、最終的には56分に纏めたが、編集、翻訳、字幕等の作業には3ヵ月半が必要だった。(続く → 8月23日ブログ)
(やなぎ まさひこ)

2016年10月1日
於・水戸芸術館
クリスト(右)と柳正彦さん。
◆ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>
日時:2017年9月2日(土)16時~
企画に携わった者として、このような発言は良くないかもしれないが「そこまでやるか」というタイトルには未だに違和感をもっている。というか、クリストとジャンヌ=クロードの作品は言うに及ばず、21_21に並べられた作品を見て回っても、少なくとも私自身は、「そこまでやるか」と思うことはなかった。
30年以上にわたって、クリストとジャンヌ=クロードのプロジェクトや展覧会に携わったせいで、感覚が鈍ってしまっているのかもしれないが・・・、少なくともアーティスト本人にとっては、「そこまでやる」のは当然なのではないだろうか。
そのように思い、また展覧会に興味をもってくれた人にも、そのようなコメントをしてきた。だがつい最近になって、クリストとジャンヌ=クロードの仕事にも「そこまでやるか」と思わせるものがあることに気がついた。
展覧会がオープンした後、インタビュー映像の使用しなかった部分に目を通していた時のことだった。クリストが数ヶ月をかけて編集、レイアウトをした、「オーバー・ザ・リバー」の記録集について語っているシーンを見た時、これこそ「そこまでやるか」ではないか、と気がついたのだ。
プロジェクトが実現すると、クリストとジャンヌ=クロードは、3つの方法で、プロジェクトの記録を纏めてきている。記録映画、記録書籍、ドキュメント展覧会だ。そのなかでも、書籍と展覧会は、例えば1500ページになったり、400点以上の作品資料を並べたりと、ヘビー級の内容になっている。プロジェクトのファクシミリとも呼べる、書籍と展覧会だが、内容の選定からレイアウト細部まで、その作業の大半を外部のデザイナーやキュレイターに託すことなく、クリストとジャンヌ=クロード自身が手がけてきている。
クリストとジャンヌの、この姿勢は、まさに「そこまでやるか」だろう。
9月2日のトークでは、クリストとジャンヌ=クロードが、いかに自作を記録してきたか、その姿勢と作業の実際について参考映像を交えてお伝えしたい。
*要予約/参加費1,000円
参加ご希望の方は、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
8月29(火)~9月9日(土)「クリストとジャンヌ=クロード展」を開催します。
■柳 正彦(やなぎ まさひこ)
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
昨年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
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