佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」

第8回 インドの先住民Santal-Kheladangaの人々の家づくりについて-脱線2の1

第6回目の投稿(「脱線1」)の冒頭で、インドへの再訪が年末に延期となってしまったと書いたが、それは現地でいま進めている住宅建設(家づくり)のプロジェクトに遅れが出てしまったからである。今回はそのプロジェクトについて書いてみる。第6回目投稿と同じく脱線であるが、Kheladanga村の外に出て、南東へおよそ10kmほど離れたところの話であるので、6回目よりも大きく脱線する。といってもKheladangaがそもそも森の中にあるのに対し、プロジェクトの敷地はシャンティニケタンの中心部、Visva-Bharati大学と地続きにある住宅地域の一区画である。

そもそも、シャンティニケタンをはじめて訪れたのは2016年の春である。詩人ラビンドラナート・タゴールが一世紀前に創設した学校を見てみたいという素朴な動機からであった。また岡倉天心や横山大観をはじめとする幾人かの日本の表現者がベンガル地方を訪れていたことにも興味があった。そして大学を訪問し、日本語学科や芸術学科の教授らに面会して、その日に何かやろうと思い立ち、In-Field Studioという短期学校(ワークショップ)の開校を提案した。その後何回か足を運んで調整をし、2017年3月にIn-Field Studioを開催した(http://infieldstudio.net/)。その記録は少々遅滞してしまっているが、もうじき公開する予定である。

一方、住宅建設のプロジェクトは、そのIn-Field Studioの活動とは全く別に、けれども同じ町で同じ時期に始まった。先述のシャンティニケタン初訪問の2016年春に、その報告をインターネットにあげたところ、それをどこかで見たのか、知らぬインド人からメールが届いた。彼はシャンティニケタンに住み暮らしており、新しい家を地に作りたいと言う。そして、「日本の家」を作りたいとメールで書いてきた。すでに土地を購入し鬱蒼とした庭を作り続けており、設計図も現地建築家と相談して作成をしていた。その設計図について意見をもらいたいと言う。ほうほうと同封のファイルを開いてみると、「日本の家」とは決して形容できない、中華風の窓が取り付き、給水タンクを内包する煙突状のレンガ造りの塔屋も備えた、少々不思議な姿形をした家の設計図であった。ぜひやらせてほしいと、半ば勝手にこちらからも図面を作って返事を出した。自分が「日本の家」を設計できるという確信はなかったし、ましてや「日本の家」とは何かを考えても記号的なイメージだけが頭をよぎるだけで、その皮相な感触にそもそも自分が納得することができない。けれども、ともかく主にメールでスケッチや言葉を送りあい、途中2回ほど現地に模型を持って行っての打ち合わせを重ね、計画案を修練させていき、2017年春から現地で建設がスタートした。

1模型を眺める施主のNilanjan氏と現地建築家のMilon氏。


2施主がコツコツと拵えてきた庭。夏みかんや柿の木など、日本にも馴染みの深い草木が育っている。


こうして進んでいった家づくりであるが、実はもう一つの背景がある。シャンティニケタンは、詩人ラビンドラナート・タゴールが20世紀初頭に学校を創設した場所であることは先述の通りである。その学校には国外からも多くの指導者が集まり、日本からは仏教家、柔道家、そして芸術家といった様々な人間がその地を訪れた。岡倉天心もまさにそのころ都市カルカッタに滞在して『The Ideas of the East(東洋の理想)』を執筆し、シャンティニケタンでタゴールにも会っている。そしてシャンティニケタンを訪れた日本人の中に、カサハラ・キンタローという一人の大工がいた。彼の目的は、釈迦の悟りの地として知られるインド北東部の聖地ブッダガヤの修復とその調査であったが、道中のシャンティニケタンに立ち寄った。当時タゴールは周辺農村の自立復興のため農村の人々に木工技術を教えることのできる人間を探しており、カサハラが抜擢された。彼は木工だけでなく日本の庭作りも教え、タゴールの家にはカサハラによる内部造作と日本庭園が残されている。また郊外の森の中には瞑想のためのツリーハウスが建設されている。

3カサハラ・キンタローについて。なかなかネットや書籍などで探しても情報が無かったのだが、シャンティニケタンに”KASAHARA”というカフェが最近オープンし、そのレジカウンターの後ろに貼ってあった。


4シャンティニケタン郊外の森の中にカサハラが建設したツリーハウス。タゴールがしばしば瞑想の場所として使っていたという。ぼやけた写真であるがよく見ると幾つかの木組みの工夫がなされている。(写真:『Architecture of Santiniketan』より抜粋)


およそ一世紀前のこんな出来事、日本とインドをつなぐ先人の動きをまずはなぞってみようと考えた。たとえ近代化のフレームの中にあろうとも、「日本」とは何か、「日本」をどうするかを求めた彼らの行動は、確実にこのプロジェクトの創作の原点になるだろうとも直観した。

「日本の家」を求めるにあたって、行動と意志が先行した当時の彼らのように、自分自身が日本とインドの間を行き来する移動の軌跡(経験)自体を建築として具現化できないか。岡倉天心が「Asia is one」と高らかに宣言し、中国やインドに実際に彼自身が赴き現地の人々と思想を交わすことで、「アジア」と いうフィクショナルな領域を仮構したように、「日本」という幻影まがいの存在を幻影のままに、シャンティニケタンのこの計画で日本とインドの間を 巡る自分自身の旅を一つの物語として建築の中に架構してみようと考えた。

続く。

5プロジェクトの模型。


(このインドの家づくりのプロジェクトについて、SDレビュー2017(東京展:9月13日-24日、京都展:10月2日-29日)の展覧会に出展する予定です。http://www.kajima-publishing.co.jp/sd2017/

さとう けんご

■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。

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