小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第19回

『アライバル』ショーン・タン(2011)

01(図1)
ショーン・タン
『アライバル』表紙


今回紹介するのは、オーストラリアの絵本作家ショーン・タン(Shaun Tan, 1974-)の絵本『アライバル』(河出書房新社、2011年 原著はThe Arrival,2006年刊行)です。物語は、家族を残して船に乗って異国に渡った男性が仮住まいを得て、自分と同様にさまざまな経緯を経て移民してきた人たちに巡り会ってその人達の体験談を聞き、徐々に生活の基盤を築き、最後には家族を呼び寄せる過程を描いています。日本語のタイトルを『アライバル』とカタカナのままにしているのは、到着、出現、誕生、新参者という複数の意味合いを持つ「arrival」という言葉を一つの意味に限定しないような意図が含まれています。古い革張りの写真アルバムを彷彿させるような装丁で、タイトル以外にはまったく文章はなく、ページがコマ割りで分割され、そのシークエンスによって物語が綴られており、絵本というよりも、グラフィック・ノベルと呼ぶべきスタイルをとっています。
セピア色がかったモノクロームのイラストレーションは、細部にいたるまで緻密に描かれており、一つ一つの画面が写真や映画、絵画に描かれてきた場面を連想させます。ページによっては、写真がアルバムに貼りつけられ、その写真に折れ目が入ったり、汚れていたり、しみがついているように描かれている箇所もあります。そのために、描かれている光景やさまざまなもの――建造物や乗物、動物など――は実在しないものでありながら、ファンタジーの中にのみ存在するものというよりも、現実の世界で実際に起きた事柄とどこかでつながっているようなリアリティを帯びています。
ショーン・タンは、マレーシアから移住してきた父親を持ち、「移民」というテーマは自らの出自に深く関わっており、『アライバル』は彼自身のルーツに関わる歴史への探求と想像力が結実した作品と言えます。およそ4年間を要したこの作品の制作期間において、実際に構想を練って描くという段階に先立ち、また並行する形で入念に行われたリサーチ――美術館や図書館、博物館での資料調査、実際に移民の人々の体験談を聴くこと――が重要な位置を占めています。あとがきのなかでも言及されていることですが、移民を乗せた船の情景を描いた場面(図2)は、オーストラリアに移民する人たちを乗せた蒸気船のデッキの光景を描いたトム・ロバーツの絵画作品「Coming South」(図3)への敬意を込めて描かれています。また、主人公の男性が知り合った移民の女性が、劣悪な環境の工場で労働を強いられた過去を振り返る場面(図4)は、ギュスターヴ・ドレの『ロンドン巡礼(Over London by Rail)』(1872)(図5)が参照されています。

02(図2)
『アライバル』より
移民達を乗せた船


03(図3)
トム・ロバーツ
「Coming South」(1886)


04(図4)
『アライバル』より
女性が工場で働く場面


05(図5)
ギュスターヴ・ドレ
『ロンドン巡礼(Over London by Rail)』(1872)


このように、ショーン・タンはさまざまな歴史的な絵画作品を参照することで、物語のなかに厚みのある時空をたくし込み、移民の歴史を具体的に、一つの地域に限定されることのない普遍的な営みとして描き出しています。
先ほどにも述べたように『アライバル』は、古い革張りのアルバムを模した装丁が施されており、描かれている場面がページに貼られた写真のように描かれているものもあります。また、ストーリーを構成する軸として二種類の写真が重要なモチーフとして扱われています。その一つは、主人公の家族写真です。彼は、家族の元を離れる際に、小さな額に収まった家族写真をトランクの中に仕舞い込み(図6)、長い船旅の船室の中で眺め、入国審査の際にはその係員にその写真を見せ、辿り着いた仮住まいの部屋の壁に写真をかけて眺めます(図7)。新天地に渡り、そこで生きることになった男性の心のよりどころとして家族写真は繰り返しストーリーの中に繰り返し登場します。ストーリーの終盤では男性が妻子を呼び寄せて、家族揃って暮らすようになった部屋の飾り棚に家族写真が飾られ、家族としての再出発を印象づけています(図8)。

06(図6)
『アライバル』より
旅立ちのための荷造り


07(図7)
『アライバル』より
家族写真を眺める


08(図8)
『アライバル』より
家族の団欒


主人公がストーリーの最初から最後まで携え、大事にしている家族写真に加えて、途中で手に入れるのが証明写真です。彼は、入国審査で身体検査を受け、面接を経て、身分証明書を手にします(図9)。彼が見知らぬ街を歩く中で巡り会った女性に身分証明書を差し出して自己紹介をすると、彼女もまた自分の身分証明書を取り出して、移民してくるまでの身の上話を語り出します。(図10)彼らの身分証明書に貼られた証明写真を元にして、絵本の見返しには、年齢や性別、国籍や人種もさまざまな人物の顔が並べられるように描かれています(図11)。描かれている顔(図12) (図14)の中には、20世紀初頭にアメリカ合衆国移民局があったエリス島で写真家のルイス・W・ハインが撮影した写真(図13)(図15)を元にして描かれたと思しき人物を見て取ることができます。

09(図9)
『アライバル』より
入国審査


10(図10)
『アライバル』より
身分証明書を見せ合う


11(図11)
『アライバル』見返し


12(図12)
『アライバル』見返し 部分


13(図13)
ルイス・W・ハイン
「ロシア系ユダヤ人の女性 エリス島」(1905)


14(図14)
『アライバル』見返し 部分


15(図15)
ルイス・W・ハイン
「イタリアから来た少女 エリス島」


ショーン・タンは歴史的な絵画作品のみならず、このような記録写真をも参照しながらアレンジを加えることによって、史実をファンタジーの時空に融合させるような試みをしており、彼の紡ぎ出す物語の中で、過去にさまざまな画家が描いた絵画や、写真家の捉えた場面がモンタージュのように相互につながり合い、新たに解釈が加えられているのです。また、家族写真や証明写真のように、人々の生活の記録やアイデンティティに結びついた写真が軸になることによって、ストーリーが普遍性を獲得しているとも言えるでしょう。移民や難民が、政治や社会に密接に結びついた問題として取り上げられることが多い昨今こそ、歴史と芸術、記録が詩的な方法で結びついて出来上がった本作は、訴求力を持った意義深いものだと言えるでしょう。
こばやし みか

■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。

◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。

●今日のお勧め作品は、ジャン=ウジェーヌ・アジェです。
20170925_atget_02ジャン=ウジェーヌ・アジェ
《サント・フォア通り24-26番地》
ゼラチンシルバープリント
Image size: 17.5x23.0cm
Sheet size: 17.5x23.0cm
*ピエール・ガスマンによるプリント


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