瓢箪(ひょうたん)からキューバ-偶然の賜物(たまもの)だったドイツ個展と写真集出版
<第1回>悪夢のような食中毒から生まれたキューバ写真


「一見偶然のようにみえるものも、実は必然に導かれている」―2017年7月にパリで急逝されたシュルレアリスムの画家で瀧口修造や寺山修司らと深い交流のあった平沢淑子さんがよくおっしゃっていた言葉だ。まったく予期もしなかったドイツなどでの写真展や写真集出版…後から考えてみるとまさに「偶然の必然」だったような気がする。

◇悪夢のような食中毒から生まれたキューバ写真-残された時間はわずか3日

2013年8月、カナダ・トロントからハバナ空港に降り立ったとき、もう夜も更けていた。人家もまばらな暗い夜道を通り過ぎながら、いつか訪れようと願っていた国キューバへの思いを募らせていた。一夜明けると、中心部のハバナの街は観光客らで賑わっていた。
最初に目に飛び込んできたのは目の覚めるような原色やパステル調のキューバカラーだ。

1<写真1>目の覚めるような色のハバナの街


最初の宿泊先は中心部の古いホテル。界隈のみやげもの店や、キューバ音楽を演奏するレストラン、大道芸などの見世物は観光気分を盛り上げる。この時点で、のちに写真展をするとか写真集をつくるとかの考えはまったくなく、ツーリストとして、この異国の気分を楽しんでいた。
その数日後、旧市街の民宿に移った後。悪夢のような食中毒に。衛生状態はよくないと聞いていたので、水や生ものには気を付けていたが、体調急変はおそらく地元の人が行くレストランのシーフードが原因だったかもしれない。10日間の滞在のうち5日間近く家から一歩も外へ出られずベッドに。目をつぶるとありとあらゆる悪魔の顔が頭の周りをぐるぐる回る。ひどい腹痛の末、最後は病院へ。残すところキューバ滞在日数はわずか三日間。この「地獄落ち」体験が影響したのか、「もう二度とこの場所に来ることはないかもしれない」と思うと居てもたってもいられず、日の出から深夜まで中心街からはずれたハバナの裏町を奥深くまで、小さなコンパクトデジタルカメラを片手にさまよい歩いた。三日間で2000枚近く、数十本のムービーを撮り収めた。観光気分のマインドが完全にリセットされた。悪夢のような食中毒のあと、心の中でハバナの街から「色」が消えた。
さ迷い歩いた場所はハバナ中心部から離れた旧市街と呼ばれる、歴史の時間を感じさせるスペイン風の古色蒼然とした建物群が並ぶエリアを中心にした裏町の住宅街。奥のほうに行くと観光客の姿はない。日々の暮らしを続けるハバナの人々の生活が目の前にある。


<動画1>ハバナの裏町風景

2<写真2>ハバナの街かど(1)悪夢のような食中毒のあと、心の中でハバナの街から「色」が消えた(写真集『CUBA monochrome』から)


4<写真3>ハバナの街かど(2)-(写真集『CUBA monochrome』から)


3<写真4>ハバナの街かど(3)飲食のメニューは限られているようだ。ケースの中にはハンバーガーらしきものが一種類だけ(写真集『CUBA monochrome』から)


◇珈琲談義から京都国際写真祭KYOTO GRAPHIEへ
「動機は自然とそのときの身体に宿っている」(大辻清司)-。そのとき(2013年夏)は「キューバでずいぶん写真やムービーを撮ったな」という程度で、しばらく記憶から遠ざかっていた。2011年の大地震と原発事故以来ほぼ3年間、東京を出てパリを中心にカナダ、モロッコ、ドイツ、スペイン、イギリスなど海外のあちこちを転々とする三年間の生活に区切りをつけ、縁もゆかりもない京都に居を構え、一年ぐらいたったころだろうか。ある縁がきっかけで、精神的支柱のシュルレアリスムにかかわりのある人たちと出会い、本来のフィールドに立ち返った。そんなとき知り合ったマンレイストのI氏と家が近かったこともあり、2014年の暮れも押し迫った12月のある日、珈琲を飲みながら京町屋の我が家で歓談していた際、「『KYOTO GRAPHIE』という国際写真祭が毎年京都でやっているので、夜野さんも出してみたら」というのがきっかけになった。これがこの先から始まるキューバにまつわるストーリーのトリガーだった。「やってみましょう」と宣言した以上もう後にはひけなかった。1週間後にドイツへ行く予定があり、12月中の国際写真祭の締め切り直前に、まず出品の条件となる会期中の場所確保をと、ネットでリーズナブルな価格で場所のよいギャラリーを探した後、写真展の内容もほとんど決めないままドイツへ。国際写真展なので、よくある額縁での写真展より、すこしひねりを加えた展示をと、思いついたのが長大な写真布幕とムービー、キューバの詩で構成されたインスタレーション。これで行こうと決めた。色彩と音を排除した、モノクロームの写真とハバナの裏町を撮り歩いたモノクロムービーを主体に、『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』というタイトルで。帰国後は作品の主体となる大きな写真布幕をプリントできる印刷会社を探した。奈良に美術館などに使われる写真スクリーンのプリント実績のある会社を見つけ、奈良通いが始まった。大きなスクリーンを印刷する若い担当技術者とともに、緑や赤っぽい黒など色転びしてむずかしいモノクロームの印刷に一緒に取り組んだ。3回フル校正が失敗したので三倍費用がかかってしまった。2015年5月1日から7日に京都市中心部の市役所近くのギャラリー「Take two」という場所で、この空間を最大限生かすべくインスタレーションのアイデアづくりに頭を絞った。場所がよかったこともあり、短期間ながら多くの来場者があり、ほぼイメージ通りの展示ができた。


<動画2>京都国際写真祭KYOTO GRAPHIE KG+の個展展示風景

5<写真5>京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』での展示風景。2015年5月


6<写真6>京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』での展示風景


7<写真7>京都国際写真祭『KYOTO GRAPHIE KG+』のインスタレーション用に作成した手作りの写真集


よるの ゆう

25■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』、2016年年12月の同展『記憶論Ⅳ』では写真とシュルレアリスムをモチーフにした写真インスタレーション『路上のVOLIERE(鳥かご)―路傍に佇む女神たち』を展示。2017年11月9日から12月3日までドイツ・ミュンヘンで写真展『CUBA monochrome』を開催。併せて写真集も出版。同年12月、京都写真展で『廃墟の時間-旧東ベルリン』を展示。2016年4月から2017年3月まで、ギャラリー『ときの忘れもの』の公式ブログにエッセイ『書斎の漂流物』を12回にわたって連載。


*画廊亭主敬白
夜野悠さんには<異国の古書店で遭遇した稀少本や、蚤の市で見つけた珍奇ながらくた、ノイズだらけの古レコード、旅先の道端で拾った小石まで、果てしない時間の海と、さまざまな人たちの人生を漂流し、わが書斎にたどり着いた知の漂着物の数々>を2016年4月から2017年3月まで全12回にわたり「書斎の漂流物」で綴っていただきました。
一年以上にわたる長期連載の際は必ずご本人にお目にかかってから開始するのですが、老兵のフットワークも鈍くなりとうとう夜野さんには一度もお目にかからぬ間に終了してしまいました(涙)。
facebook等でそのご活躍は存じていたものの何となく消化不良でしたが、遂に昨年末、念願の初対面を果たすことができ、今回のドイツ個展と写真集出版についてお書きいただきました。本日から全4回を集中連載いたします(本日と11日、13日、14日に掲載)。ときの忘れものブログ・エッセイでは初の動画まで登場します。ご愛読ください。

●本日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20180109_takiguchi2014_III_14瀧口修造
"Ⅲ-14"
デカルコマニー、紙
18.5×13.9cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
02駒込外観ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。