西岡文彦「現代版画センターという景色」(全3回)
第2回 エディションの革新性
現代版画センターで私が関わった忘れられないエディションのひとつに、島州一先生の『筒』(1974)という作品がある。ただし、この作品への関わりは当時修業していた刷師としてではなく、いわば「貼師」としてのものであった。『筒』という作品名そのままに、梱包材の紙筒に巻き付けられたこの作品を貼ったのが私だったからである。
この作品は、CMCという特殊な糊を微妙な濃度で用いているため、紙面はしっかりと紙筒に貼られているにもかかわらず、剝がしても破れることはない。型絵染め等の制作に際し和紙を板に貼るのに用いるのがこのCMCで、濃度の調整さえ誤らなければ、強度の貼付力と容易な剥離性が共存する不思議な糊である。したがって『筒』というこの作品も、島州一流のオブジェ感覚を楽しみたい場合はそのまま鑑賞し、平面として額装したい場合は紙面を筒から容易に剝がすことができるという、立体性と平面性の共存する作品に仕上がっている。
限定部数は八百。森義利の工房で日々和紙を貼り続けていた当時の私にすれば、さほど脅威を覚える数字でなく、円筒の曲面に紙を貼る作業にしても、修業で身につけた手技の見せどころということで、喜び勇んで取り組ませて頂いた。なにより、それまで美術雑誌や国際展でしか見たことのなかった作家の作品に、文字通りの手仕事を介して関われる喜びは、それこそ筆舌に尽しがたいものがあった。
紙筒を両足に挟んで固定し、染色で地色染めに用いる大刷毛で糊を塗布した紙面を巻き付け、乾いた別の大刷毛でこすりつけて貼付するのだが、股間の筒を刷毛でこすり続ける私のあまりに嬉しそうな顔にあきれたカメラマンの友人が、写真を撮ってくれたことがある。見てみると、なるほど人様にはあまり見せられないような喜悦の顔となんとも微妙な姿勢の組み合わせには、我ながら苦笑を禁じ得なかった。
思えば、ずいぶんと冒険的な作品ではあった。エディションNo.は062。同年開催の版画センター主催の島州一個展のパンフを兼ねた作品で、貼付された紙面には解説文や作家画歴が印刷のゲラの状態で転写されている。紙筒という梱包材を作品に昇華させている点においても、まさにセンターの面目躍如たる作品といえるだろう。前後して神楽坂の「憂陀」というスナックで開催された島先生を囲むパーティなども、会費領収印として「島」の字のシャチハタネームを来場者の額に赤く押印するという、これまた七〇年代ならではの冒険的な趣向であった。
とはいえ、やはり現代版画センターの最大の冒険性は、エディションという版画作品の発表形式そのものに発揮されていたといえよう。画廊や画商として以上に、「版元」として作家に関わろうとするその姿勢は、版画の歴史からすれば王道以外のなにものでもないのだが、当時の日本の美術状況からすれば、まさに革命的としかいいようのない試みであった。
加えてセンターの革新性は、エディションという形式による版画作品の「刊行」にあたって、その資金を広く愛好者から募った点にあった。作家を経済的に支援する機会としてのエディションの資金を、画商等のプロの業者の投機的な性格の資金から、愛好者に向けて開かれた公共性の高い資金へと移行させた点において、センターの提案は圧倒的な革新性を誇っていたのである。
それは、今日のクラウド・ファウンディングに先駆する理念共鳴型の作家支援の試みであったといえるだろう。
センターのオークションが私にとって、美術が愛好者の購入に支えられているという現実の原風景であったことは前回の原稿でも書いた通り。その光景は、作家の側以上に購入者の側に希望をもたらすものとして私に映っていた。
購入という行為が、選挙で票を投じるのと同じような意味で、作家に対する支持の表明となることを目の当たりにできたからある。それも巨額ではない、数千円、数万円のお金が、作家の生活を支えるものになり得るという現実、言葉を換えるならば、購入が直接民主主義的な作家の支援に他ならないという、希望に満ちた現実がそこには展開されていたからである。センターが提唱した会員制のエディションは、この直接民主主義的な支援をシステム化したものに他ならない。
美術史において、このことを意識的に実現したのは、ドイツ・ルネッサンスの巨匠デューラーとされている。多くの画家彫刻家がパトロンである王侯貴族の専横や無理解に苦しんでいる時に、版画作品を刊行することで多数の市民顧客を獲得し、経済的なリスクを分散させた最初の画家がデューラーだったからである。
美術史というものは、なぜかこうした作家の生活の経済面からの研究をタブー視する傾向が強いのだが、時代は下って、印象派の育ての親とされる画商デュラン=リュエルなども、画家の生活の面倒を見ることによって近代美術を開いている。新進画家の生活を保証することで未知の才能に投資するという今日の画商のビジネス・モデルは、彼がひとりで確立したものであり、モネもルノワールも彼がいなければ才能を開花させずに終ったことは確実である。デュラン=リュエルは、再三にわたって深刻な破産の危機に直面しながらも、当時いかなる画商も取引しようとしなかった冒険的な画家集団「印象派」の生活を支え、作品を買い支え続けたからである。
現代版画センターのエディションは、この印象派の恩人デュラン=リュエルの果たした貢献を、万人が果たし得る機会として人々に向けて開く試みだったのである。
(にしおか ふみひこ)

『版画センターニュースNo.1』(1975年2月20日発行)、島州一「筒」を巻頭で紹介、頒価:500円でした。

左から、関根伸夫「落ちるリンゴ」、島州一「筒」、島州一「ジーンズ」、島州一「ゲバラ」
於・埼玉県立近代美術館 撮影:タケミアートフォトス
■西岡文彦(にしおかふみひこ)
1952(昭和27)年生まれ。多摩美術大学教授/伝統版画家
柳宗悦門下の版画家森義利に入門、伝統技法「合羽刷」を徒弟制にて修得。雑誌『遊』(工作舎)の表紙絵担当を機に、出版・広告の分野でも活躍。ジャパネスクというコンセプトの提唱者として知られる。
美術書の編集を経て、著書『絵画の読み方』(宝島社)で内外に先駆け名画の謎解きブームをひらく。
『謎解きゴッホ』(河出書房新社)、『名画の暗号』(角川書店)、『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮社)、『恋愛美術館』(朝日出版社)、『絶頂美術館』(マガジンハウス)等、著書多数。「日曜美術館」、「世界一受けたい授業」、「笑っていいとも!」、「芸術に恋して」、「たけしの誰でもピカソ」、「タモリ倶楽部」等々、テレビ番組の企画出演も多い。日本版画協会新人賞(’77)、国展新人賞(’78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ50周年記念展(’05)招待出品。

機関誌『画譜』第2号(1974年9月1日発行)
表紙は合羽刷を制作中の西岡文彦さん
*画廊亭主敬白
現代版画センターの草創期を担ってくれた西岡文彦さんによる「現代版画センターという景色」の第二回目を掲載します。
第1回 オークションの先駆性(1月24日掲載)
第2回 エディションの革新性(本日掲載)
第3回 道標milestoneとしての画譜(3月14日掲載予定)
現代版画センターは「エディション制」を確立するために多くの刷り師たちの協力を求めました。カタログのテキストブックには46名の刷り師・版画工房の名が記載されています。
しかし、本稿にある「貼師」の名はありません。思えば優れた版画の誕生には多くの人たちが関わっていたのだといまさらながら想起する亭主です。
◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ときの忘れもので扱っています。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
現代版画センターは会員制による共同版元として1974年~1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。
○西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色」が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半~トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。
○光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について」(1月28日ブログ)
○荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て」(1月31日ブログ)
○スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)
○毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。
○倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)
○嶋﨑吉信さんのエッセイ~「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)
○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号で1983年のウォーホル全国展が紹介されています。
○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。
○現代版画センターエディションNo.62 島州一「筒」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
島州一
「筒」
1974年
ゼロックス、シルクスクリーン
8.0(直径)×45.0(長さ)
Ed.800 サインあり

出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
第2回 エディションの革新性
現代版画センターで私が関わった忘れられないエディションのひとつに、島州一先生の『筒』(1974)という作品がある。ただし、この作品への関わりは当時修業していた刷師としてではなく、いわば「貼師」としてのものであった。『筒』という作品名そのままに、梱包材の紙筒に巻き付けられたこの作品を貼ったのが私だったからである。
この作品は、CMCという特殊な糊を微妙な濃度で用いているため、紙面はしっかりと紙筒に貼られているにもかかわらず、剝がしても破れることはない。型絵染め等の制作に際し和紙を板に貼るのに用いるのがこのCMCで、濃度の調整さえ誤らなければ、強度の貼付力と容易な剥離性が共存する不思議な糊である。したがって『筒』というこの作品も、島州一流のオブジェ感覚を楽しみたい場合はそのまま鑑賞し、平面として額装したい場合は紙面を筒から容易に剝がすことができるという、立体性と平面性の共存する作品に仕上がっている。
限定部数は八百。森義利の工房で日々和紙を貼り続けていた当時の私にすれば、さほど脅威を覚える数字でなく、円筒の曲面に紙を貼る作業にしても、修業で身につけた手技の見せどころということで、喜び勇んで取り組ませて頂いた。なにより、それまで美術雑誌や国際展でしか見たことのなかった作家の作品に、文字通りの手仕事を介して関われる喜びは、それこそ筆舌に尽しがたいものがあった。
紙筒を両足に挟んで固定し、染色で地色染めに用いる大刷毛で糊を塗布した紙面を巻き付け、乾いた別の大刷毛でこすりつけて貼付するのだが、股間の筒を刷毛でこすり続ける私のあまりに嬉しそうな顔にあきれたカメラマンの友人が、写真を撮ってくれたことがある。見てみると、なるほど人様にはあまり見せられないような喜悦の顔となんとも微妙な姿勢の組み合わせには、我ながら苦笑を禁じ得なかった。
思えば、ずいぶんと冒険的な作品ではあった。エディションNo.は062。同年開催の版画センター主催の島州一個展のパンフを兼ねた作品で、貼付された紙面には解説文や作家画歴が印刷のゲラの状態で転写されている。紙筒という梱包材を作品に昇華させている点においても、まさにセンターの面目躍如たる作品といえるだろう。前後して神楽坂の「憂陀」というスナックで開催された島先生を囲むパーティなども、会費領収印として「島」の字のシャチハタネームを来場者の額に赤く押印するという、これまた七〇年代ならではの冒険的な趣向であった。
とはいえ、やはり現代版画センターの最大の冒険性は、エディションという版画作品の発表形式そのものに発揮されていたといえよう。画廊や画商として以上に、「版元」として作家に関わろうとするその姿勢は、版画の歴史からすれば王道以外のなにものでもないのだが、当時の日本の美術状況からすれば、まさに革命的としかいいようのない試みであった。
加えてセンターの革新性は、エディションという形式による版画作品の「刊行」にあたって、その資金を広く愛好者から募った点にあった。作家を経済的に支援する機会としてのエディションの資金を、画商等のプロの業者の投機的な性格の資金から、愛好者に向けて開かれた公共性の高い資金へと移行させた点において、センターの提案は圧倒的な革新性を誇っていたのである。
それは、今日のクラウド・ファウンディングに先駆する理念共鳴型の作家支援の試みであったといえるだろう。
センターのオークションが私にとって、美術が愛好者の購入に支えられているという現実の原風景であったことは前回の原稿でも書いた通り。その光景は、作家の側以上に購入者の側に希望をもたらすものとして私に映っていた。
購入という行為が、選挙で票を投じるのと同じような意味で、作家に対する支持の表明となることを目の当たりにできたからある。それも巨額ではない、数千円、数万円のお金が、作家の生活を支えるものになり得るという現実、言葉を換えるならば、購入が直接民主主義的な作家の支援に他ならないという、希望に満ちた現実がそこには展開されていたからである。センターが提唱した会員制のエディションは、この直接民主主義的な支援をシステム化したものに他ならない。
美術史において、このことを意識的に実現したのは、ドイツ・ルネッサンスの巨匠デューラーとされている。多くの画家彫刻家がパトロンである王侯貴族の専横や無理解に苦しんでいる時に、版画作品を刊行することで多数の市民顧客を獲得し、経済的なリスクを分散させた最初の画家がデューラーだったからである。
美術史というものは、なぜかこうした作家の生活の経済面からの研究をタブー視する傾向が強いのだが、時代は下って、印象派の育ての親とされる画商デュラン=リュエルなども、画家の生活の面倒を見ることによって近代美術を開いている。新進画家の生活を保証することで未知の才能に投資するという今日の画商のビジネス・モデルは、彼がひとりで確立したものであり、モネもルノワールも彼がいなければ才能を開花させずに終ったことは確実である。デュラン=リュエルは、再三にわたって深刻な破産の危機に直面しながらも、当時いかなる画商も取引しようとしなかった冒険的な画家集団「印象派」の生活を支え、作品を買い支え続けたからである。
現代版画センターのエディションは、この印象派の恩人デュラン=リュエルの果たした貢献を、万人が果たし得る機会として人々に向けて開く試みだったのである。
(にしおか ふみひこ)

『版画センターニュースNo.1』(1975年2月20日発行)、島州一「筒」を巻頭で紹介、頒価:500円でした。

左から、関根伸夫「落ちるリンゴ」、島州一「筒」、島州一「ジーンズ」、島州一「ゲバラ」
於・埼玉県立近代美術館 撮影:タケミアートフォトス
■西岡文彦(にしおかふみひこ)
1952(昭和27)年生まれ。多摩美術大学教授/伝統版画家
柳宗悦門下の版画家森義利に入門、伝統技法「合羽刷」を徒弟制にて修得。雑誌『遊』(工作舎)の表紙絵担当を機に、出版・広告の分野でも活躍。ジャパネスクというコンセプトの提唱者として知られる。
美術書の編集を経て、著書『絵画の読み方』(宝島社)で内外に先駆け名画の謎解きブームをひらく。
『謎解きゴッホ』(河出書房新社)、『名画の暗号』(角川書店)、『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮社)、『恋愛美術館』(朝日出版社)、『絶頂美術館』(マガジンハウス)等、著書多数。「日曜美術館」、「世界一受けたい授業」、「笑っていいとも!」、「芸術に恋して」、「たけしの誰でもピカソ」、「タモリ倶楽部」等々、テレビ番組の企画出演も多い。日本版画協会新人賞(’77)、国展新人賞(’78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ50周年記念展(’05)招待出品。

機関誌『画譜』第2号(1974年9月1日発行)
表紙は合羽刷を制作中の西岡文彦さん
*画廊亭主敬白
現代版画センターの草創期を担ってくれた西岡文彦さんによる「現代版画センターという景色」の第二回目を掲載します。
第1回 オークションの先駆性(1月24日掲載)
第2回 エディションの革新性(本日掲載)
第3回 道標milestoneとしての画譜(3月14日掲載予定)
現代版画センターは「エディション制」を確立するために多くの刷り師たちの協力を求めました。カタログのテキストブックには46名の刷り師・版画工房の名が記載されています。
しかし、本稿にある「貼師」の名はありません。思えば優れた版画の誕生には多くの人たちが関わっていたのだといまさらながら想起する亭主です。
◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
詳細な記録を収録した4分冊からなるカタログはお勧めです。ときの忘れもので扱っています。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
現代版画センターは会員制による共同版元として1974年~1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、280点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。○西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色」が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。草創期の現代版画センターに参加された西岡さんが3月18日14時半~トークイベント「ウォーホルの版画ができるまでーー現代版画センターの軌跡」に講師として登壇されます。
○光嶋裕介さんのエッセイ「身近な芸術としての版画について」(1月28日ブログ)
○荒井由泰さんのエッセイ「版画の景色―現代版画センターの軌跡展を見て」(1月31日ブログ)
○スタッフたちが見た「版画の景色」(2月4日ブログ)
○毎日新聞2月7日夕刊の美術覧で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が紹介されました。執筆は永田晶子さん、見出しに<「志」追った運動体>とあります。
○倉垣光孝さんと浪漫堂のポスター(2月8日ブログ)
○嶋﨑吉信さんのエッセイ~「紙にインクがのっている」その先のこと(2月12日ブログ)
○埼玉県立近代美術館の広報誌 ソカロ87号で1983年のウォーホル全国展が紹介されています。
○同じく、同館の広報誌ソカロ88号には栗原敦さん(実践女子大学名誉教授)の特別寄稿「現代版画センター運動の傍らでー運動のはるかな精神について」が掲載されています。
○現代版画センターエディションNo.62 島州一「筒」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
島州一「筒」
1974年
ゼロックス、シルクスクリーン
8.0(直径)×45.0(長さ)
Ed.800 サインあり

出品作家45名:靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島州一/菅井汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林芳史/藤江民/舟越保武/堀浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531

新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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