数々のスターが主演するハリウッド映画のメイキング・シーンを撮影してきた「スペシャル」フォトグラファー、ボブ・ウィロビー。
ときの忘れもので5年ぶり2回目となる写真展を開催します。
「ボブ・ウィロビー~オードリー&マリリン展」
会期:2018年4月10日[火]~4月28日[土]
11:00~19:00 ※日・月・祝日休廊
1950-60年代に撮影したオードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローのポートレート約15点をご覧いただきます。
今回焦点を当てるのは、ハリウッドを代表する女優二人です。
ほぼ同じ時期に活躍しながらもタイプの異なる二人ですが、それぞれが強烈な印象を残し、今もなお多くの映画ファンを魅了しています。
二階図書室では10万冊を所蔵する雑誌図書館六月社の協力を得て、映画専門誌以外のオードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローのゴシップ記事などを掲載した30年ほど前の雑誌60種類を図書室で公開しています。ぜひ手にとってご覧になってください。


"Audrey Hepburn on the phone at Paramount during her first trip to Hollywood after filming Roman Holiday, Paramount Studios, 1953" (A004)
1953年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.25
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり
オードリー・ヘプバーンは、1929年ベルギーで英国人の父とオランダ人の母のもとに生まれました。両親の離婚後10歳のときに祖父のいるオランダへ移住。そこで6年間バレエの特訓を受け、バレリーナになります。
第二次世界大戦中、ドイツのオランダ占領に対する抵抗運動に参加。資金集めのために秘密裏にバレエを踊っていました。ドイツへの抵抗者だった叔父と従兄弟が目の前で銃殺され、自身も重度の栄養失調になるなど、戦争は彼女に暗い影を落とします。ヘプバーンが少女時代に受けたこれらの戦争体験が、後年のユニセフへの献身につながったといえるでしょう。
終戦後、母と共にロンドンに移住。オードリーは、生活を支えるために舞台や映画の端役の仕事を始めます。1951年、撮影で訪れたフランスで、当時自身が書いたブロードウェイ戯曲『ジジ』の主役を演じる女優を探していたフランス人女流作家コレットに見出され抜擢。オードリーはこのジジ役で、ブロードウェイ、オフ・ブロードウェイで初舞台を踏んだ優れた舞台俳優に贈られるシアター・ワールド・アワードを受賞しています。
そして1953年、映画『ローマの休日』のアン王女役を演じ、評論家からも大衆からも絶賛されその人気は不動のものとなります。
1989年に女優業を引退後はユニセフ親善大使に就任。1993年に亡くなった後も、20世紀を代表する女優であるとともに時代を越えたファッションアイコンとしても愛され続けています。
代表作:「ローマの休日」(1953)、「麗わしのサブリナ」(1954)、「ティファニーで朝食を」(1961)、「マイ・フェア・レディ」(1964)など。
~~~~~
"Marilyn Monroe at a party thrown in her honor by 20th Century Fox Studios. A bit of a publicity stunt, she arrived by helicopter with bandleader Ray Anthony. Beverly Hills, 1952" (1)
1952年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.50
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり
マリリン・モンローは、1926年にアメリカロサンゼルスに生まれます。本名はノーマ・ジーン・モーテンソン。1928年に両親が離婚。幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごします。第二次世界大戦末期、工場で働いていた時に、陸軍から派遣された報道部員に撮られた写真が、陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことを機にハリウッドへの道をたどることになります。1946年、20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し「マリリン・モンロー」という芸名で契約。その後コロムビア映画に移籍するものの、生活のためにヌードモデルなどをしながら演技の勉強を続けました。
1951年『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演し注目されはじめ、1952年の『ノックは無用』で準主役を演じるなどキャリアを重ねます。1953年『ナイアガラ』では腰を振って歩く仕草(モンロー・ウォーク)で世の男性の注目を集め、続く『紳士は金髪がお好き』、や『七年目の浮気』が大ヒットして一躍トップスターとなりました。しかし1962年に36歳の若さで亡くなります。スキャンダルも多かったモンローですが、映画史に残した強烈な印象は、人々の記憶に今なお刻まれています。
代表作:「ナイアガラ」(1953)、「紳士は金髪がお好き」(1953)、「七年目の浮気」(1955)、「お熱いのがお好き」(1959)、「恋をしましょう」(1960)など。
■ボブ・ウィロビー Bob WILLOUGHBY(1927-2009)
1927年アメリカ・ロサンゼルスで生まれる。12歳のときに父からもらったカメラで写真を撮り始める。高校卒業後、ハリウッドのカメラマンたちの助手として修業し、かたわらジャズを対象に写真修業をした。南カリフォルニア大学の夜間部で写真を学び、専門学校でデザインを学習。やがて演劇や文化イベントを手がけるようになり、雑誌のために映画関連の撮影が増えた。
オードリー・ヘプバーン出演作のほか、「地上より永遠に」「スタア誕生」「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「卒業」など30年あまりの間に120本ほどの映画でスチル写真を撮り、『ライフ』『ヴォーグ』など世界的な雑誌に提供している。写真集として、『プラチナの時代』(1974)、『ロサンゼルスのジャズ』(1990)、『ハリウッド・スペシャル』(1993)などがある。彼の写真は、数多くの国の美術館に展示されている。2009年12月フランス・ヴァンスに永逝(享年82)。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

ときの忘れもので5年ぶり2回目となる写真展を開催します。
「ボブ・ウィロビー~オードリー&マリリン展」
会期:2018年4月10日[火]~4月28日[土]
11:00~19:00 ※日・月・祝日休廊
1950-60年代に撮影したオードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローのポートレート約15点をご覧いただきます。
今回焦点を当てるのは、ハリウッドを代表する女優二人です。
ほぼ同じ時期に活躍しながらもタイプの異なる二人ですが、それぞれが強烈な印象を残し、今もなお多くの映画ファンを魅了しています。
二階図書室では10万冊を所蔵する雑誌図書館六月社の協力を得て、映画専門誌以外のオードリー・ヘプバーンとマリリン・モンローのゴシップ記事などを掲載した30年ほど前の雑誌60種類を図書室で公開しています。ぜひ手にとってご覧になってください。


"Audrey Hepburn on the phone at Paramount during her first trip to Hollywood after filming Roman Holiday, Paramount Studios, 1953" (A004)
1953年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.25
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり
オードリー・ヘプバーンは、1929年ベルギーで英国人の父とオランダ人の母のもとに生まれました。両親の離婚後10歳のときに祖父のいるオランダへ移住。そこで6年間バレエの特訓を受け、バレリーナになります。
第二次世界大戦中、ドイツのオランダ占領に対する抵抗運動に参加。資金集めのために秘密裏にバレエを踊っていました。ドイツへの抵抗者だった叔父と従兄弟が目の前で銃殺され、自身も重度の栄養失調になるなど、戦争は彼女に暗い影を落とします。ヘプバーンが少女時代に受けたこれらの戦争体験が、後年のユニセフへの献身につながったといえるでしょう。
終戦後、母と共にロンドンに移住。オードリーは、生活を支えるために舞台や映画の端役の仕事を始めます。1951年、撮影で訪れたフランスで、当時自身が書いたブロードウェイ戯曲『ジジ』の主役を演じる女優を探していたフランス人女流作家コレットに見出され抜擢。オードリーはこのジジ役で、ブロードウェイ、オフ・ブロードウェイで初舞台を踏んだ優れた舞台俳優に贈られるシアター・ワールド・アワードを受賞しています。
そして1953年、映画『ローマの休日』のアン王女役を演じ、評論家からも大衆からも絶賛されその人気は不動のものとなります。
1989年に女優業を引退後はユニセフ親善大使に就任。1993年に亡くなった後も、20世紀を代表する女優であるとともに時代を越えたファッションアイコンとしても愛され続けています。
代表作:「ローマの休日」(1953)、「麗わしのサブリナ」(1954)、「ティファニーで朝食を」(1961)、「マイ・フェア・レディ」(1964)など。
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"Marilyn Monroe at a party thrown in her honor by 20th Century Fox Studios. A bit of a publicity stunt, she arrived by helicopter with bandleader Ray Anthony. Beverly Hills, 1952" (1)1952年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.50
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり
マリリン・モンローは、1926年にアメリカロサンゼルスに生まれます。本名はノーマ・ジーン・モーテンソン。1928年に両親が離婚。幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごします。第二次世界大戦末期、工場で働いていた時に、陸軍から派遣された報道部員に撮られた写真が、陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことを機にハリウッドへの道をたどることになります。1946年、20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し「マリリン・モンロー」という芸名で契約。その後コロムビア映画に移籍するものの、生活のためにヌードモデルなどをしながら演技の勉強を続けました。
1951年『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演し注目されはじめ、1952年の『ノックは無用』で準主役を演じるなどキャリアを重ねます。1953年『ナイアガラ』では腰を振って歩く仕草(モンロー・ウォーク)で世の男性の注目を集め、続く『紳士は金髪がお好き』、や『七年目の浮気』が大ヒットして一躍トップスターとなりました。しかし1962年に36歳の若さで亡くなります。スキャンダルも多かったモンローですが、映画史に残した強烈な印象は、人々の記憶に今なお刻まれています。
代表作:「ナイアガラ」(1953)、「紳士は金髪がお好き」(1953)、「七年目の浮気」(1955)、「お熱いのがお好き」(1959)、「恋をしましょう」(1960)など。
■ボブ・ウィロビー Bob WILLOUGHBY(1927-2009)
1927年アメリカ・ロサンゼルスで生まれる。12歳のときに父からもらったカメラで写真を撮り始める。高校卒業後、ハリウッドのカメラマンたちの助手として修業し、かたわらジャズを対象に写真修業をした。南カリフォルニア大学の夜間部で写真を学び、専門学校でデザインを学習。やがて演劇や文化イベントを手がけるようになり、雑誌のために映画関連の撮影が増えた。
オードリー・ヘプバーン出演作のほか、「地上より永遠に」「スタア誕生」「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「卒業」など30年あまりの間に120本ほどの映画でスチル写真を撮り、『ライフ』『ヴォーグ』など世界的な雑誌に提供している。写真集として、『プラチナの時代』(1974)、『ロサンゼルスのジャズ』(1990)、『ハリウッド・スペシャル』(1993)などがある。彼の写真は、数多くの国の美術館に展示されている。2009年12月フランス・ヴァンスに永逝(享年82)。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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