高田馬場に六月社という私立雑誌専門図書館がありました。
ありましたと過去形で書くのは、先月6月10日をもって閉館したからです。
2018年6月5日(火)朝日新聞・夕刊 8面

2018年6月5日(火)読売新聞・朝刊 14面

35年間、孤軍奮闘した主宰者の橋本凌一は半世紀前に既に伝説の男でした。
大学が政治の季節だった時代、
中学、高校でならした橋本が、
早稲田大学に入る前から「あの橋本が入ってくる」といわれたらしい。
亭主が毎日新聞社に在籍していたとき、当時の社の事情で定期採用を見合わせた年がありました。いびつな年齢構成は将来に禍根を残すと子会社でかなりまとまった人数を採用しました。
通常なら入ってこないような(優秀な)人材が子会社に入り、その新人教育を亭主がたまたま在籍していた販売局販売調査課が担当しました。
子会社に入社した橋本凌一と出会ったのは亭主にとって生涯の幸運でした。
課長は三宅秀三さんといい、新聞産業の将来を憂うる実に優れた人で、1960年代に既に新聞の斜陽を予見し、生き残るための建策を続けていました。
(そのことは以前、少し書きました/2015年8月16日ブログ「誰も新聞を読まなくなる日」)
やがて亭主は現代版画センターを企画立案し、部長の山本栄蔵さんの理解を得て、当初は毎日新聞の事業として発足するはずだったのですが、社内合意が得られず、仕方なく(奇策ですが)毎日新聞の別の子会社に亭主の身柄を移し、「金は出すから、とにかく事業を立ち上げよ」ということになりました。
そのとき橋本凌一は既に退職し、友人と「コラボレーション」という制作会社をつくり、渋谷区桜ヶ丘のマンションで始動していました。
亭主は版画の普及事業の企画書と毎月本社の経理から渡される運転資金をもって橋本の会社に間借りしたわけです。
1974年春、法人格を持たない任意団体として「全国版画コレクターの会(仮称)準備会」を、代表・西本董(毎日新聞開発株式会社代表取締役)、顧問・久保貞次郎、事務局長・尾崎正教、事務局次長・綿貫不二夫、橋本凌一という体制でスタートしました。

現代版画センター旗揚げ「第一回東京オークション」
1974年3月31日
会場:東京・高輪プリンスホテル
主催:全国版画コレクターの会(仮称)準備会
中央演壇に立つのが尾崎正教事務局長、左から二人目が橋本凌一事務局次長

全国から参加者が集まり、高輪プリンスホテルの大広間を埋め尽くしました。

当日の進行役のスタッフたち
左から有沢小百合、橋本凌一、北條恵子、実川暢宏(自由が丘画廊)、藤本義一(サントリー宣伝部)、後列のベレー帽は高森俊(創美)
1974年5月「もし、普遍的な運動を目指すのなら名称は限りなく普通名詞で行きましょう」と橋本が提案し、「現代版画センター」という名称が決まりました。
あのとき、私たちは版画というメディアをつかってアートの多様性を訴え、誰にでも手にすることのできる美術品を生み出したいという思いにかられて走り出しました。
実際中学生だった顧客(柳正彦さん)が出現し、その後の版画センターの活動を支えてくれました。
学生運動で鍛えられた橋本の戦略、実務能力がなければ、短期間での全国展開は難しかった。メールはもちろん、ヤマト便などという便利なシステムはまだなかった時代です。初期の会員への通信はすべて橋本のガリ版でした。
現代版画センターの志の根底には、アートが私たちの社会に多様性をもたらすものであり、なおかつ真に優れたアートは直ぐには理解されない(少数者のもの)という意識がありました。
学生時代に聞いた日高六郎先生の「前衛はたくさんあっていい」という言葉が支えでした。
やはり学生時代の法哲学の授業で聞いた「人間の尊厳を多数決で決めてはならない」というナチスドイツへの反省をこめた言葉も常に頭の隅にありました。
1985年2月(株)現代版画センター(代表取締役・綿貫不二夫)は倒産しました。
それから33年後の2018年1月、「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が埼玉県立近代美術館で開催されました。
あらためて当時を支えてくれた支部、会員の皆さん、そして橋本凌一はじめ歴代スタッフの皆さんに感謝する次第です。
六月社に話を戻しますが、新聞で報じられるや多くの支援の申し出があったようです。
一番危惧した10万冊を超える雑誌は、何とか廃棄処分を免れ、某企業のもとに引き取られました。
橋本さん、ご苦労さまでした。
●本日のお勧め作品は、靉嘔です。
靉嘔 Ay-O「I love you」
1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
53.0x34.0cm
Ed.11,111 サインあり
*現代版画センターの第1号エディション
発表当時1,000円で頒布した。
*レゾネ(叢文社)267番では「Love letter(s)」となっている。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
現代版画センターの創立の理念を具体化した上掲の靉嘔「I love you」の制作の経緯については、作家自身が詳しく書いています。以下同レゾネより再録します。
<‘74年の或る日、岡部君と一緒に綿貫不二夫さんと若い人々5,6人が清瀬にやって来た。若者の層を対象として若い作家の版画を出版販売したいと(現代版画センター)。大賛成の私は更に若者向にたくさんのエディションナンバーを安く売るこころみをすすめた。そのためには作家の名前で作品を売るのでなく、作品の内容で買う人々を引きつけねばならぬと説いた。そして話はどんどん拡がりついに2,3週間後には一万一千百拾一のエディションナンバーにしようということになった。値段は千円か2千円を目ざした。私はノーバスコーシアで作ったリトグラフのNo.247「Love letter」を示し話を進めた。皆賛成してくれて岡部君の刷りでNo.267「Love letter(s)」のシルクスクリーンが生まれた。
11111の数を誰が云いだしたか今ではミステリーになってしまった。私は世界中まだ誰も1万以上の版画を作っていないと思うので、1万をちょっとこえた数にしたいと提案したのをおぼえている。そしてそれを伝え聞いた久保さんが、このゴロのいい数を云い出したと誰かが云ったような気もするがたしかではない。しかしこの数は瞬間に私をキャッチした。ロマンティックなウィットかもしれないが人々に生きる力をあたえてくれるファンタジーでもある。私は考えた。出来ればぶっつづけにサインをしてこのナンバーを1日で完成できないものだろうかと。ニューヨークへ行く2,3日前、女性1人と男性2人の協力をえて指にバンソーコーをはり、この行動は開始された。約16時間後、私たち4人はその完成を喜び合って握手をし、だきあっていた。
『虹 靉嘔版画全作品集 増補版 1954-1982』146ページ(1982年 叢文社)より>
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

ありましたと過去形で書くのは、先月6月10日をもって閉館したからです。
2018年6月5日(火)朝日新聞・夕刊 8面

2018年6月5日(火)読売新聞・朝刊 14面

35年間、孤軍奮闘した主宰者の橋本凌一は半世紀前に既に伝説の男でした。
大学が政治の季節だった時代、
中学、高校でならした橋本が、
早稲田大学に入る前から「あの橋本が入ってくる」といわれたらしい。
亭主が毎日新聞社に在籍していたとき、当時の社の事情で定期採用を見合わせた年がありました。いびつな年齢構成は将来に禍根を残すと子会社でかなりまとまった人数を採用しました。
通常なら入ってこないような(優秀な)人材が子会社に入り、その新人教育を亭主がたまたま在籍していた販売局販売調査課が担当しました。
子会社に入社した橋本凌一と出会ったのは亭主にとって生涯の幸運でした。
課長は三宅秀三さんといい、新聞産業の将来を憂うる実に優れた人で、1960年代に既に新聞の斜陽を予見し、生き残るための建策を続けていました。
(そのことは以前、少し書きました/2015年8月16日ブログ「誰も新聞を読まなくなる日」)
やがて亭主は現代版画センターを企画立案し、部長の山本栄蔵さんの理解を得て、当初は毎日新聞の事業として発足するはずだったのですが、社内合意が得られず、仕方なく(奇策ですが)毎日新聞の別の子会社に亭主の身柄を移し、「金は出すから、とにかく事業を立ち上げよ」ということになりました。
そのとき橋本凌一は既に退職し、友人と「コラボレーション」という制作会社をつくり、渋谷区桜ヶ丘のマンションで始動していました。
亭主は版画の普及事業の企画書と毎月本社の経理から渡される運転資金をもって橋本の会社に間借りしたわけです。
1974年春、法人格を持たない任意団体として「全国版画コレクターの会(仮称)準備会」を、代表・西本董(毎日新聞開発株式会社代表取締役)、顧問・久保貞次郎、事務局長・尾崎正教、事務局次長・綿貫不二夫、橋本凌一という体制でスタートしました。

現代版画センター旗揚げ「第一回東京オークション」
1974年3月31日
会場:東京・高輪プリンスホテル
主催:全国版画コレクターの会(仮称)準備会
中央演壇に立つのが尾崎正教事務局長、左から二人目が橋本凌一事務局次長

全国から参加者が集まり、高輪プリンスホテルの大広間を埋め尽くしました。

当日の進行役のスタッフたち
左から有沢小百合、橋本凌一、北條恵子、実川暢宏(自由が丘画廊)、藤本義一(サントリー宣伝部)、後列のベレー帽は高森俊(創美)
1974年5月「もし、普遍的な運動を目指すのなら名称は限りなく普通名詞で行きましょう」と橋本が提案し、「現代版画センター」という名称が決まりました。
あのとき、私たちは版画というメディアをつかってアートの多様性を訴え、誰にでも手にすることのできる美術品を生み出したいという思いにかられて走り出しました。
実際中学生だった顧客(柳正彦さん)が出現し、その後の版画センターの活動を支えてくれました。
学生運動で鍛えられた橋本の戦略、実務能力がなければ、短期間での全国展開は難しかった。メールはもちろん、ヤマト便などという便利なシステムはまだなかった時代です。初期の会員への通信はすべて橋本のガリ版でした。
現代版画センターの志の根底には、アートが私たちの社会に多様性をもたらすものであり、なおかつ真に優れたアートは直ぐには理解されない(少数者のもの)という意識がありました。
学生時代に聞いた日高六郎先生の「前衛はたくさんあっていい」という言葉が支えでした。
やはり学生時代の法哲学の授業で聞いた「人間の尊厳を多数決で決めてはならない」というナチスドイツへの反省をこめた言葉も常に頭の隅にありました。
1985年2月(株)現代版画センター(代表取締役・綿貫不二夫)は倒産しました。
それから33年後の2018年1月、「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が埼玉県立近代美術館で開催されました。
あらためて当時を支えてくれた支部、会員の皆さん、そして橋本凌一はじめ歴代スタッフの皆さんに感謝する次第です。
六月社に話を戻しますが、新聞で報じられるや多くの支援の申し出があったようです。
一番危惧した10万冊を超える雑誌は、何とか廃棄処分を免れ、某企業のもとに引き取られました。
橋本さん、ご苦労さまでした。
●本日のお勧め作品は、靉嘔です。
靉嘔 Ay-O「I love you」1974年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
53.0x34.0cm
Ed.11,111 サインあり
*現代版画センターの第1号エディション
発表当時1,000円で頒布した。
*レゾネ(叢文社)267番では「Love letter(s)」となっている。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
現代版画センターの創立の理念を具体化した上掲の靉嘔「I love you」の制作の経緯については、作家自身が詳しく書いています。以下同レゾネより再録します。
<‘74年の或る日、岡部君と一緒に綿貫不二夫さんと若い人々5,6人が清瀬にやって来た。若者の層を対象として若い作家の版画を出版販売したいと(現代版画センター)。大賛成の私は更に若者向にたくさんのエディションナンバーを安く売るこころみをすすめた。そのためには作家の名前で作品を売るのでなく、作品の内容で買う人々を引きつけねばならぬと説いた。そして話はどんどん拡がりついに2,3週間後には一万一千百拾一のエディションナンバーにしようということになった。値段は千円か2千円を目ざした。私はノーバスコーシアで作ったリトグラフのNo.247「Love letter」を示し話を進めた。皆賛成してくれて岡部君の刷りでNo.267「Love letter(s)」のシルクスクリーンが生まれた。
11111の数を誰が云いだしたか今ではミステリーになってしまった。私は世界中まだ誰も1万以上の版画を作っていないと思うので、1万をちょっとこえた数にしたいと提案したのをおぼえている。そしてそれを伝え聞いた久保さんが、このゴロのいい数を云い出したと誰かが云ったような気もするがたしかではない。しかしこの数は瞬間に私をキャッチした。ロマンティックなウィットかもしれないが人々に生きる力をあたえてくれるファンタジーでもある。私は考えた。出来ればぶっつづけにサインをしてこのナンバーを1日で完成できないものだろうかと。ニューヨークへ行く2,3日前、女性1人と男性2人の協力をえて指にバンソーコーをはり、この行動は開始された。約16時間後、私たち4人はその完成を喜び合って握手をし、だきあっていた。
『虹 靉嘔版画全作品集 増補版 1954-1982』146ページ(1982年 叢文社)より>
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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