柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第4回
クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードのブックワーク
連載スタート早々、2回続けて休載をお願いしてしまいました。一度はプライベート理由でしたが、一度はクリストとジャンヌ=クロードの新作、「ロンドンのマスタバ」の報告会とスケジュールが重なってしまったためでした。

その報告会でも少しふれたのですが、クリスト(クリストとジャンヌ=クロード)は、自らの創作活動の一部分として本作りにも取り組んできています。今回と次回は、それらについて書かせていただきます。
公共の空間を一時的に変貌させるクリストとジャンヌ=クロードのアートでは、実現までに長い時間が必要なことでも知られています。 最低でも数ヶ月から1、2年、1995年にドイツで実現した「包まれたライヒスターク(旧ドイツ帝国議会議事堂」は24年、2005年にニューヨークのセントラルパークで実現した「ゲート」は26年が必要でした。
長い時間を費やし、自治体や官民双方の組織、政治家、行政関係者、エンジニア、一般の人々などなど、無数の人々を巻き込んでゆく実現へのプロセス自体を、クリストとジャンヌ=クロードは作品の一部と考えています。といっても、完成した作品=プロジェクトを訪れても、実現に至るまでの過程を見たり感じたりすることはできません。
そのため、二人は、プロジェクトが実現し、その撤去が終わった後は、プロジェクトをアーカイブする作業に取り組んできています。その一つは、プロジェクトのドキュメント展です。ちょうど2年前、水戸芸術館で「アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-95」の展覧会が開かれました。それをご覧になった方はご存じのように、展覧会といってもクリストによるドローイング、実現したプロジェクトを捉えた100枚を超える写真といったプロジェクトの姿を伝える作品だけではなく、交渉過程の記録写真、スタッフ間で送られたファックス、計画書、図面などが壁面を埋め尽くしました。さらには傘本体、台座、固定用アンカーなどの現物も並べられ、展示品の総数は400点を超えていました。
「アンブレラ」に限らず、クリストとジャンヌ=クロードは大規模なプロジェクトの終了後、ドキュメント展が構成してきています。その中で、「囲まれた島々」展、「ヴァレー・カーテン」展そして「覆われた遊歩道」展は、日本でも原美術館他で展示されました。また、「ランニング・フェンス」展は、アメリカとヨーロッパで展示された後、ワシントンのスミソニアン財団が買い取り、その収蔵品となりました。また、「包まれたライヒスターク」展は、数年前にドイツの財団が買い取り、現在はライヒスターク内、つまりドイツの議会議事堂内に常設展示されています。
展覧会について延々と書いてしまいましたが、これは、はい、本についての文章です。
クリストとジャンヌ=クロードが、プロジェクト、つまり短期間しか存在しない環境芸術作品をアーカイブするために選んだもう一つの方法が、本の制作です。
60年以上に及ぶ創作活動のあいだに二人が実現したプロジェクトは23になりますが、その内、13のプロジェクトでは独立した書籍がつくられています。その全てが、クリスト自身によって編集され、レイアウトされたものです。そういった意味では、プロジェクトの詳細記録であると同時に、それ自体がアーティストの作品としての本、アーティスト・ブックと見なしてもよいでしょう。

プロジェクトの記録としての本の最初に一冊は、二人にとって最初の野外作品、1961年にドイツで実現した「積まれたドラム缶と埠頭のパッケージ」に関するものでした。といっても、これは本格的な書籍ではなく、1枚のシートを三つ折り折りにした、合計6ページのリーフレットでした。プロジェクトの白黒写真が4枚掲載されているだけですが、このプロジェクトを知るための貴重な資料となっています。
ちなみに、私の手元の一冊は、ニューヨークの古書ディーラー、ジャン・ノエル・エルランから入手したものです。ワールド・トレード・センター近くの高層アパートの一室をオフィスにしていた彼は、展覧会の案内状やチラシ、ポスターといったエファメラ(紙モノ)を驚くほどの量在庫していました。現在、私の手元にある、クリストやヌボーレアリスム、ポップアートなどに関連した紙モノ資料の大半はこのエルランから入手したものです。というか、紙モノ収集の面白さを教えてくれたのが、彼でした。フランス生まれの超ユニークなキャラクター、エルラン氏に関しても、別の機会に書かせて貰えればと考えています。




話を戻します。本格的な書籍として刊行された、最初のプロジェクトの記録集は、1968年にカッセル・ドキュメンタで実現した「5600立方メートルのパッケージ」に関するものでした。高さ約85メートルの円柱状の風船を直立させたこのプロジェクトは、技術、工事面で悪戦苦闘した難産の作品でした。完成までの過程が苦労に満ちたことから、それを本として纏めようと考えたのかもしれません。ジャンヌ=クロードがかつて、「この本を一番喜んだのは、プロジェクトのエンジニアだった、ミツコ・ザガロフだった」と語ってくれたように、全136ページの内、14ページは図面や書類、100ページ以上が工事過程の記録写真で、実現したプロジェクトを捉えた写真は、9ページ分掲載されているだけです。この配分は、最終的な物体としての作品からは見えない、創作のプレセスを知ってもらいたいというアーティストの意向を如実に反映したものでしょう。




カッセルの翌年にオーストラリアで実現した「覆われた海岸線」でも、記録集は出版されました。水平方向に拡がるプロジェクトであったことを反映してか、縦22センチ、横28センチと横開きの本になっています。この本も、やはり過程を紹介することに主眼を置いたものでした。約120頁の内、20数頁が書類や手紙、図面類、70余頁が工事中の写真、完成したプロジェクトの写真は、20頁のみです。さらに、クリストが描いたドローイングに関しては、1点が掲載されているだけです。
マイナーな出版社から少部数出版されたこの本について知ったのは、70年代中頃でしたが、中々みつからず、80年代半ばに、ようやく前述のエルランのところで入手することができました。当時、「さすがにニューヨーク、探しているものは、どんな本でも見つかるな~」感激したことを覚えています。(インターネット以前の本探しは、運とタイミング次第でした・・・。)



「覆われた海岸線」の記録集が出された翌年の1970年、世界最大の美術書出版社である、ニューヨークのエブラムスから、28x30センチと大判で、厚さも3センチを超える本格的なクリストの作品集が刊行されました。初期の「包まれたオブジェ」や「パッケージ」から、当時スタートしたばかりの「ヴァレー・カーテン」のドローイングまでが収録されています。注目したいのは、前述した「5600立方メートルのパッケージ」と「覆われた海岸線」が、それぞれ30頁、64頁を使って紹介されている点でしょう。ここでも、それぞれのドローイングや実現したプロジェクトの写真に加えて、準備段階の写真が多数含まれています。
この本も、かつては入手困難でしたが、インターネットのおかげで近年は比較的容易にみつけることができるようになりました。ネット上で比較的廉価なものを見つけると、直ぐにオーダーしてしまい、今では5冊が書棚に並んでいます。その中に一冊、スペシャルなものがあります。カバーも無く、製本が壊れ、頁がバラバラになってしまっていますが、実はジャンヌ=クロードが資料として使っていたものです。私が、二人に関する文章を展覧会カタログなどに書き始めた頃に、プレゼントされたものですが、いくつかの頁には懐かしいジャンヌ=クロードの手書き文字でサイズの直しなどが書き込まれています。




70年の作品集の縁もあってか、「覆われた海岸線」に続いた実現した大規模なプロジェクト、「ヴァレー・カーテン」の記録集はエブラムスの出版になりました。縦31センチ、横25センチ、厚さも3センチ弱ある「立派」な一冊です。このプロジェクトでは、州当局との交渉や、エンジニアリング会社との調整などにも多くの時間が費やされたことから、前の2冊を遙かに凌ぐ数のドキュメント類と交渉過程、工事中の写真が収録され、全351頁の内の約300頁を占めています。もちろん、完成したプロジェクトを様々なアングルで捉えた写真も50頁近く掲載されています。
興味深いのは、クリストによるドローイング作品は、僅か数点しか収録されていないことでしょう。その代わりなのか、プロジェクトのために特注され、オレンジ色に染められた布地が綴じ込まれています。


「ヴァレー・カーテン」の4年後に実現した「ランニング・フェンス」の記録集も同じエブラムスから出版されました。
この本に関しても、特別な思い出があります。
694頁あるこの1冊を、おそらく世界中で一番先に購入した一人が私だったということです。当時、エブラムスの出版物の多くは、日本で印刷、製本されていました。そのためのオフィスが東京にあり、国内配本も行っていたことから、一部の本に関しては、本国での配本よりも日本での配本が早くなることもありました。
さて、「ランニング・フェンス」の出版予定の予定を知り、すぐにアール・ヴィヴァンに注文を入れたところ、予定日よりも早くに入荷の連絡がありました。定価200ドル、当時のレートで5万円以上、学生の私にとっては世紀の買い物でした。そこでショッキングな問題が発生しました。重い本を持ち帰り、早速に開いてみると、クリストの直筆サインと限定ナンバーは入った頁が見つからないのです。出版カタログには、サイン、ナンバー入りと明記してあったのにです。
慌てて、アール・ヴィヴァンのTさんに伝えたところ、エブラムスの東京事務所に問い合わせてくれました。判明した事情は、サインとナンバーは、ニューヨークで独立したシートに入れて東京に送り、それを貼り込んで本が完成となるということでした。その辺の事情の行き違いから、サイン・ナンバーの頁がない1冊を、東京事務所が国内向けに出荷してしまったわけです。世界で最初に購入した一人と考えているのは、そういった理由からです。
「ランニング・フェンス」は、それ以降のプロジェクトに関する書籍のひな形になりました。その詳細に関しては、来月に書かせていただきます。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードのブックワーク
連載スタート早々、2回続けて休載をお願いしてしまいました。一度はプライベート理由でしたが、一度はクリストとジャンヌ=クロードの新作、「ロンドンのマスタバ」の報告会とスケジュールが重なってしまったためでした。

その報告会でも少しふれたのですが、クリスト(クリストとジャンヌ=クロード)は、自らの創作活動の一部分として本作りにも取り組んできています。今回と次回は、それらについて書かせていただきます。
公共の空間を一時的に変貌させるクリストとジャンヌ=クロードのアートでは、実現までに長い時間が必要なことでも知られています。 最低でも数ヶ月から1、2年、1995年にドイツで実現した「包まれたライヒスターク(旧ドイツ帝国議会議事堂」は24年、2005年にニューヨークのセントラルパークで実現した「ゲート」は26年が必要でした。
長い時間を費やし、自治体や官民双方の組織、政治家、行政関係者、エンジニア、一般の人々などなど、無数の人々を巻き込んでゆく実現へのプロセス自体を、クリストとジャンヌ=クロードは作品の一部と考えています。といっても、完成した作品=プロジェクトを訪れても、実現に至るまでの過程を見たり感じたりすることはできません。
そのため、二人は、プロジェクトが実現し、その撤去が終わった後は、プロジェクトをアーカイブする作業に取り組んできています。その一つは、プロジェクトのドキュメント展です。ちょうど2年前、水戸芸術館で「アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-95」の展覧会が開かれました。それをご覧になった方はご存じのように、展覧会といってもクリストによるドローイング、実現したプロジェクトを捉えた100枚を超える写真といったプロジェクトの姿を伝える作品だけではなく、交渉過程の記録写真、スタッフ間で送られたファックス、計画書、図面などが壁面を埋め尽くしました。さらには傘本体、台座、固定用アンカーなどの現物も並べられ、展示品の総数は400点を超えていました。
「アンブレラ」に限らず、クリストとジャンヌ=クロードは大規模なプロジェクトの終了後、ドキュメント展が構成してきています。その中で、「囲まれた島々」展、「ヴァレー・カーテン」展そして「覆われた遊歩道」展は、日本でも原美術館他で展示されました。また、「ランニング・フェンス」展は、アメリカとヨーロッパで展示された後、ワシントンのスミソニアン財団が買い取り、その収蔵品となりました。また、「包まれたライヒスターク」展は、数年前にドイツの財団が買い取り、現在はライヒスターク内、つまりドイツの議会議事堂内に常設展示されています。
展覧会について延々と書いてしまいましたが、これは、はい、本についての文章です。
クリストとジャンヌ=クロードが、プロジェクト、つまり短期間しか存在しない環境芸術作品をアーカイブするために選んだもう一つの方法が、本の制作です。
60年以上に及ぶ創作活動のあいだに二人が実現したプロジェクトは23になりますが、その内、13のプロジェクトでは独立した書籍がつくられています。その全てが、クリスト自身によって編集され、レイアウトされたものです。そういった意味では、プロジェクトの詳細記録であると同時に、それ自体がアーティストの作品としての本、アーティスト・ブックと見なしてもよいでしょう。

プロジェクトの記録としての本の最初に一冊は、二人にとって最初の野外作品、1961年にドイツで実現した「積まれたドラム缶と埠頭のパッケージ」に関するものでした。といっても、これは本格的な書籍ではなく、1枚のシートを三つ折り折りにした、合計6ページのリーフレットでした。プロジェクトの白黒写真が4枚掲載されているだけですが、このプロジェクトを知るための貴重な資料となっています。
ちなみに、私の手元の一冊は、ニューヨークの古書ディーラー、ジャン・ノエル・エルランから入手したものです。ワールド・トレード・センター近くの高層アパートの一室をオフィスにしていた彼は、展覧会の案内状やチラシ、ポスターといったエファメラ(紙モノ)を驚くほどの量在庫していました。現在、私の手元にある、クリストやヌボーレアリスム、ポップアートなどに関連した紙モノ資料の大半はこのエルランから入手したものです。というか、紙モノ収集の面白さを教えてくれたのが、彼でした。フランス生まれの超ユニークなキャラクター、エルラン氏に関しても、別の機会に書かせて貰えればと考えています。




話を戻します。本格的な書籍として刊行された、最初のプロジェクトの記録集は、1968年にカッセル・ドキュメンタで実現した「5600立方メートルのパッケージ」に関するものでした。高さ約85メートルの円柱状の風船を直立させたこのプロジェクトは、技術、工事面で悪戦苦闘した難産の作品でした。完成までの過程が苦労に満ちたことから、それを本として纏めようと考えたのかもしれません。ジャンヌ=クロードがかつて、「この本を一番喜んだのは、プロジェクトのエンジニアだった、ミツコ・ザガロフだった」と語ってくれたように、全136ページの内、14ページは図面や書類、100ページ以上が工事過程の記録写真で、実現したプロジェクトを捉えた写真は、9ページ分掲載されているだけです。この配分は、最終的な物体としての作品からは見えない、創作のプレセスを知ってもらいたいというアーティストの意向を如実に反映したものでしょう。




カッセルの翌年にオーストラリアで実現した「覆われた海岸線」でも、記録集は出版されました。水平方向に拡がるプロジェクトであったことを反映してか、縦22センチ、横28センチと横開きの本になっています。この本も、やはり過程を紹介することに主眼を置いたものでした。約120頁の内、20数頁が書類や手紙、図面類、70余頁が工事中の写真、完成したプロジェクトの写真は、20頁のみです。さらに、クリストが描いたドローイングに関しては、1点が掲載されているだけです。
マイナーな出版社から少部数出版されたこの本について知ったのは、70年代中頃でしたが、中々みつからず、80年代半ばに、ようやく前述のエルランのところで入手することができました。当時、「さすがにニューヨーク、探しているものは、どんな本でも見つかるな~」感激したことを覚えています。(インターネット以前の本探しは、運とタイミング次第でした・・・。)



「覆われた海岸線」の記録集が出された翌年の1970年、世界最大の美術書出版社である、ニューヨークのエブラムスから、28x30センチと大判で、厚さも3センチを超える本格的なクリストの作品集が刊行されました。初期の「包まれたオブジェ」や「パッケージ」から、当時スタートしたばかりの「ヴァレー・カーテン」のドローイングまでが収録されています。注目したいのは、前述した「5600立方メートルのパッケージ」と「覆われた海岸線」が、それぞれ30頁、64頁を使って紹介されている点でしょう。ここでも、それぞれのドローイングや実現したプロジェクトの写真に加えて、準備段階の写真が多数含まれています。
この本も、かつては入手困難でしたが、インターネットのおかげで近年は比較的容易にみつけることができるようになりました。ネット上で比較的廉価なものを見つけると、直ぐにオーダーしてしまい、今では5冊が書棚に並んでいます。その中に一冊、スペシャルなものがあります。カバーも無く、製本が壊れ、頁がバラバラになってしまっていますが、実はジャンヌ=クロードが資料として使っていたものです。私が、二人に関する文章を展覧会カタログなどに書き始めた頃に、プレゼントされたものですが、いくつかの頁には懐かしいジャンヌ=クロードの手書き文字でサイズの直しなどが書き込まれています。




70年の作品集の縁もあってか、「覆われた海岸線」に続いた実現した大規模なプロジェクト、「ヴァレー・カーテン」の記録集はエブラムスの出版になりました。縦31センチ、横25センチ、厚さも3センチ弱ある「立派」な一冊です。このプロジェクトでは、州当局との交渉や、エンジニアリング会社との調整などにも多くの時間が費やされたことから、前の2冊を遙かに凌ぐ数のドキュメント類と交渉過程、工事中の写真が収録され、全351頁の内の約300頁を占めています。もちろん、完成したプロジェクトを様々なアングルで捉えた写真も50頁近く掲載されています。
興味深いのは、クリストによるドローイング作品は、僅か数点しか収録されていないことでしょう。その代わりなのか、プロジェクトのために特注され、オレンジ色に染められた布地が綴じ込まれています。


「ヴァレー・カーテン」の4年後に実現した「ランニング・フェンス」の記録集も同じエブラムスから出版されました。
この本に関しても、特別な思い出があります。
694頁あるこの1冊を、おそらく世界中で一番先に購入した一人が私だったということです。当時、エブラムスの出版物の多くは、日本で印刷、製本されていました。そのためのオフィスが東京にあり、国内配本も行っていたことから、一部の本に関しては、本国での配本よりも日本での配本が早くなることもありました。
さて、「ランニング・フェンス」の出版予定の予定を知り、すぐにアール・ヴィヴァンに注文を入れたところ、予定日よりも早くに入荷の連絡がありました。定価200ドル、当時のレートで5万円以上、学生の私にとっては世紀の買い物でした。そこでショッキングな問題が発生しました。重い本を持ち帰り、早速に開いてみると、クリストの直筆サインと限定ナンバーは入った頁が見つからないのです。出版カタログには、サイン、ナンバー入りと明記してあったのにです。
慌てて、アール・ヴィヴァンのTさんに伝えたところ、エブラムスの東京事務所に問い合わせてくれました。判明した事情は、サインとナンバーは、ニューヨークで独立したシートに入れて東京に送り、それを貼り込んで本が完成となるということでした。その辺の事情の行き違いから、サイン・ナンバーの頁がない1冊を、東京事務所が国内向けに出荷してしまったわけです。世界で最初に購入した一人と考えているのは、そういった理由からです。
「ランニング・フェンス」は、それ以降のプロジェクトに関する書籍のひな形になりました。その詳細に関しては、来月に書かせていただきます。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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