石原輝雄のエッセイ「マルセル、きみは寂しそうだ。」─6

エロティックな左腕

展覧会 マルセル・デュシャンと日本美術
    東京国立博物館 平成館 特別第1・2室
    2018年10月2日(火)~2018年12月9日(日)

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MD6-1『階段を降りる裸体 No.2』(1912)

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14年ぶり三度目の来日となるマルセル・デュシャンの油彩『階段を降りる裸体 No.2』(1912)と再会するべく、上野公園の東博に向かった。10月1日は台風24号の影響で京都からの新幹線は75分遅れ、午前中に用事を済ませ、午後2時からの開会式に出席。東近美でも国立新美でもなく、東博でのデュシャン展。広告チラシのキャッチコピーで「なに、これ」と戸惑いを隠しきれない、国内のデュシャンピアンを横目に---、いやいや、今回、そんな解釈や立ち位置の問題ではなくて、旧アレンズバーグ・コレクションを中心とした油彩16点が東京に現れていると云う驚きに感謝したい。フィラデルフィアの留守部隊も困っているだろうと、強風で落下した銀杏の匂いがむせる上野公園を進んだ。開会式は『京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ』展と合同、会場に顔見知りの専門家や近・現代美術ファンはわずか。でも、テープカットを待って二階に上がると上七軒の芸舞妓の出迎えでセレモニーは華やか、千本釈迦堂ですから上七軒は御町内です。デュシャン目当ての参加者は一割もいないだろうか、わたし一番乗りでした。
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MD6-2合同特別内覧会・レセプション招待状

MD6-3テープカット、右端にフィラデルフィア美術館館長ティモシー・ラブ

MD6-4会場入口

MD6-5『自転車の車輪』(1913/1964)




 1981年の軽井沢、池袋、2004年の大阪と観てきたデュシャンの油彩。今回、初来日が7点あり(事前にホームページのリストで確認)、期待MAX。15歳のマルセル少年が描いた『ブランヴィルの庭の礼拝堂』(1902)なんて、印象派のモネによる光の表現が見事に消化されていて嬉しくなった。クリーニングをしたかもしれないが、絵肌が輝き美しいのです。印刷物からでは伝わらない臨場感、オリジナルだけが持つアウラ…… 反感を買うかもしれないが、「油彩の一点主義、網膜の喜びを求めて、何が悪い」と言いたくなった。
 27歳までに描かれた油彩、特に初期作品に見られる「若い緑色」は、最高の技術、最高の個性。これだけの事が出来てしまうと、描く情熱は失せる。テレピン中毒となって人生を間違えなかったのだから、マルセルは偉いよな。

 デュシャンピアンのKさんが、「早熟な天才画家のこうした油彩を観てしまったから、アレンズバーグは、以降の如何なる作品も支持し、どうしても欲しいと思ったはずだ」と語られる、同感です。芸術場における問題提起の後日談には、いろいろな意見があるけれど、デュシャンが素晴らしい油彩を描ける人でなかったとしたら『泉』(1917)も評価されません。二流ではダメなのです。油彩の美しさに圧倒されて会場を巡った。品の良い濃紺の壁面にキュビスムの絵画が並ぶ、それぞれの画面を報告するのは別の機会として、アレンズバーグのサロンで、これらを視たとき、マン・レイは「マルセル、君は上手いな」と言ったに違いなく、二流の絵描きを自覚した。だから、油彩から離れ、写真やアエログラフなどの機械的表現にシフトした。マルセルが油彩をやめてしまっていたのも幸いしたのだろう…。補足するけど、マン・レイの持った複雑な感情の中で、自己を見つめ直し独自性を求めた表現に、二流故の悲しさのようなものを感じて、わたしウルウルするのです。なので、マルセルよりもマン・レイを愛します。Kさんのコレクターとしての実績に接しながら、二流のコレクターとして、わたしも悲しさの中で人生を送っています。


MD6-6『ブランヴィルの庭と礼拝堂』(1902) 『ブランヴィルの教会』(1902) 左から(以下同)

MD6-7『チェス・ゲーム』(1910) 『デュムシェル博士の肖像』(1910) 『叢』(1910-11)

MD6-8『ギュスターヴ・カンデルの母親の肖像』(1911-12) 『ソナタ』(1911)

MD6-9『肖像(デュルシネア)』(1911) 『階段を降りる裸体 No.2』(1912)

MD6-10『階段を降りる裸体 No.2』(1912) 『急速な裸体たちに囲まれるキングとクイーン』(1912)『急速な裸体たちに横切られるキングとクイーン』(1912)『チェス・プレイヤーの肖像』(1911)

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 デュシャンの生涯をめぐりながらの作品展示は、会場のドラマティックな構成(施工: 株式会社マルモ)もあって、観客を引き入れてくれる。さすがに光による演出にたけた博物館の展示技術だと感心した。唐突に『泉』が持ち込まれた訳ではない実感があり『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)東京版』(1915-23/1980)から離れ、会場端のケースを覗き込むと便器の汚れ具合(ラベルなどの劣化ですが)など、極めてよろしい。そして、さすがにアレンズバーグのコレクション、『ザ・ブラインド・マン』第2号のキャプションの無いスティーグリッツ撮影の「便器」の校正刷りは、迫力があります。幸い、今回の会場は一部作品(マン・レイの写真)を除き写真撮影が許されている。必要なのでスナップを沢山撮らせていただいた。オリジナルの文献資料も多く、デュシャンの人生と連れ立って歩いている感覚、友人(マン・レイ)としてはこたえられません。
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MD6-11(大ガラス)東京版他

MD6-12『泉』(1917/1950)

MD6-13『ザ・ブラインド・マン』第1号・第2号、校正刷り

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 秘密を持って人生を終わるのは、未来を生きること。マルセルの「わたし大好き」感も相当なものだと思う。第1部会場構成の最終部分に遺作『与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス』(1946-66)を紹介する映像が流されている。諸般の事情からフィラデルフィア詣でを実行できないままのわたしは、体験者の話を聞きながら視姦者にならず、扉の匂いも嗅がなくてよかったと、捻くれてきたのだけど、今回の上映室手前のガラスケースで、エロティックな左腕(1959)を観てしまい、ギョットした。何か手淫を連想させる手の握り具合、手首の様子。デュシャンの性表現の極みです。遺作を東京まで運ぶことは出来ないけど、これは、制作途中の遺作の一部、未亡人となったティニーが美術館に寄贈したもの。ペニスのような「照明用ガス」灯を握る手が、手だけになって飛んできたなんて詩的すぎて卒倒します。どうすればこの質感を得られるのだろう。カタログには1958年の「猛暑で左手が損傷した」とあり、取り替えるさいのモデルをティニーがされたと云う。とすれば、飛来したのはマリアの左腕。60年が経過した今夏の日本、全国を襲った酷暑は誰の左手を損傷させたのだろう。連想がよくないけどデュシャンの「遺作」を「ブラック・ダリア事件」と関連付けたくなった。だから、デュシャンに嵌まるのは怖い、デュシャンピアンにはなりたくないな。
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MD6-14『無題(左腕)』(1959) 石膏、絵具、シェラックスワニス、鉛筆、鉄製ピン

MD6-15「遺作」展示映像(2018)

MD6-16『無題(左腕)』(1959) 「遺作」展示映像(2018) 上段写真は85歳を演出するデュシャン(1945)からの引用


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 尚、展覧会は2部構成でデュシャンと日本美術に別れ、カタログもグリーン・ボックスを連想させる東博編の『マルセル・デュシャンと日本美術 デュシャンの向こうに日本がみえる。』とフィラデルフィア美術館編、マシュー・アフロン著による国際出版の『デュシャン 人と作品』の二種が用意されている。ただし、どちらにも第1部デュシャン展示のリストは付されなく、会場で配布されるA3シート(二つ折り、作品の形状、材質・技法等の記載なし)、及び展覧会ホームページの参照が必要となる。国際出版での作品図版は展覧会出品番号との関連がなく、参考図版も多いので要注意。
 展覧会は東京の後、ソウルの国立現代美術館、シドニーのニューサウスウェールズ州立美術館へと巡回される。デュシャンの作品たちがフィラデルフィア美術館にもどるのは来年の秋頃、道中の無事をほとけさまに祈りたい。合掌。
(いしはら・てるお)

*画廊亭主敬白
事前の広報資料(チラシ他)の評判はさんざんでしたが、さすがトーハク、いやさすがなのはフィレデルフィア美術館でしょうね。国際巡回展のトップをきって開催されたデュシャン展のオープニングに名だたるコレクター三人の後ろについて行ってまいりましたが、感動しました! この秋というか人生必見の展覧会です。お手配してくださった某美術館館長のSさんには心より感謝いたします。
マン・レイになってしまった人・石原さんのブログも合わせてお読みください。
今回の評、「マルセル、きみは寂しそうだ。」第6回となっていますが、第1回~第5回は以下の通りです。

石原輝雄「マルセル、きみは寂しそうだ。」
第1回(2017年6月9日)『「271」って何んなのよ』

第2回(2017年7月18日)『鏡の前のリチャード』

第3回(2017年9月21日)『ベアトリスの手紙』

第4回(2017年11月22日)『読むと赤い。』

第5回(2018年2月11日)『精子たちの道連れ』

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●今日のお勧め作品は、マルセル・デュシャンです。
RIMG1350_600瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI『マルセル・デュシャン語録
1968年 A版(限定50部)
各作家のサインあり
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


●書籍のご案内
TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料250円


ときの忘れものは倉俣史朗 小展示を開催します。
会期:2018年10月9日[火]―10月31日[水]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
倉俣史朗(1934-1991)の 美意識に貫かれた代表作Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」はじめ立体、版画、オブジェ、ポスター他を展示。 同時代に倉俣と協働した磯崎新安藤忠雄の作品も合わせて ご覧いただきます。
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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