1968年 激動の時代の芸術

堀 浩哉


会場に入ると、隙間なくびっしりと展示されたポスターや写真、雑誌、書籍、ビラ類など、当時街頭に溢れていた「情報」の渦にいきなり巻き込まれてしまう。大量に、そして優劣なく雑多に混在している情報の渦は、だからこそ、あの時代そのものの空気を巧みに再現していて、展覧会としてはみごとに成立している。
それに比べれば、そんな情報の間に点在する「美術作品」はいささか存在感が薄く、なにやらマケットのようにしか見えない。だけれどそれがまた、あの時代の美術作品の本質を期せずして露呈している、と思える。
「あの時代」というのは、世界のいくつもの国で反体制運動が同時多発した1968年という年を象徴に、大阪万博と東京ビエンナーレ「人間と物質」展の1970年に至る、60年代末の数年間のことだ。
会場を巡ると、あのポスターが指し示すアングラ芝居、あるいは実験映画やピンク映画、舞踏や展覧会の多くを実見し、雑誌や書籍を購入して貪るように読み、時には写真の被写体の側となり、ビラを書く側でもあったぼくとしては、ここにあふれている情報の一つ一つが、あの時代の自分の実感を生々しく想い起こさせてくれるのだった。
とはいえしかし、あの時代を同時代的に体験していないはずの多くの観客にとっては、はたしてこの展覧会はどう見えるのだろう?若い人たちがこの展覧会をどう受け止めているのか、機会を作って聞いてみたいし話し合ってもみたいと思う。

この展覧会があの時代を想起させてくれたことは確かだが、しかしそれは懐かしいという感情とは少し異なっている。ここにある多くのものとぼくは時代を共にし、観客として多くを学んだけれど、同時にぼくはそれらに対してひりひりするような痛みを伴った拒否感を抱いてもいたのだ。
ぼくは1947年生まれで、団塊の世代の先陣であり、戦争からようやく帰還して結婚した男たちが授かった、最初の子供たちの一人だ。田舎育ちだけれど、中学、高校時代には様々な情報や知識の断片が「東京」から流れてきた。大江健三郎、吉本隆明、岡本太郎、丹下健三、大島渚、アンフォルメル、具体、読売アンパン、小劇場運動、アングラ、モダンジャズ、、、
1960年代は豊穣な「前衛」の時代だった。戦後の復興と経済成長を背景に、次々と前衛は更新された。前衛という「はねっかえり」の後ろに控えた「本隊」でもある「近代」というパラダイム自体が、まだかろうじて健在であり、その健在な本隊を支えにして、前衛があらゆるジャンルで思いっきり羽を伸ばし、さまざまな表現の可能性を探ってきた時代だった
1966年に上京して、ぼくはその憧れの情報の渦の中に飛び込んだ。そして、しかし、やがて、少しずつ学んでいった。
例えばーー上京して間もなくの1966年春、東京地裁で行われた「千円札裁判」の第一回公判を傍聴した。主任弁護人による冒頭陳述の華麗な前衛アート講義はまさに生きた大学だった。繰り出される証拠物件である作品群にも興奮し、酔い痺れた。しかし「これは芸術である。だから無罪だ」という一貫した被告側の主張には、しだいに違和感を覚えていった。日常という自明性のなかに挟まれた名付けようのない異物としての「千円札」。だからこそ、あの作品行為は喚起力を持ち得た(かもしれない)のであり、それを「芸術」と名付けて無害化し、だから「無罪」だ、というのは自己矛盾なのではないか?確信犯として、裁判という土俵自体を無視すべきだったのではないのか?と、いうように。
そんなことが少しずつ、しかし急激に増えていった。
そして68-69年の政治の季節。大学改革、日米安全保障条約改定、沖縄返還、ベトナム戦争、さらには万博開催。近代という価値観の制度疲労が急速に露わになってきた。同時に前衛という、近代的価値観の手のひらの端っこを飛び跳ねることの薄っぺらい甘さもまた、露わになったのではなかったか。
政治の季節に翻弄されながらぼくらは「今、美術家と呼ばれているなら、そこが戦場だ」と宣言し「美術家共闘会議(美共闘)」を結成した。それは、政治も美術も、この地上で負わされたものからは逃げないという、ささやかな宣言だった。そして美術の制度性を問うと同時に「文化的廃墟を創出せよ」とも唱った。それは、近代的価値観がもはや文化的廃墟でしかないことを明言し、近代と断絶しようという意志だった。
ぼくらは確かにあの1968年という「激動の時代」を生きていたけれど、あの時代の「芸術」はぼくらの芸術ではなかった。ぼくらはあの時代の芸術と断絶し、それをリスペクトしながらも批判するところから、ぼくらの芸術を見出そうとしてきたのだった。
そんなことを、改めて想い起こさせてくれたのも、この展覧会の充実した熱度のおかげだった。
ほり こうさい

堀 浩哉(Kosai HORI)
美術家。1947年富山県高岡市生まれ。1957年多摩美術大学入学。在学中に反権力運動「美術家共闘会議(美共闘)」を結成し議長。
1970年多摩美大中退。2002年多摩美大教授(2015年まで)。絵画、ドローイング、版画の他、妻の堀えりぜとのユニットでパフォーマンスやインスタレーション作品も。

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1968年 激動の時代の芸術
会期、会場 2018年9月19日~2018年11月11日 千葉市美術館
2018年12月1日~2019年1月27日 北九州市立美術館分館
2019年2月10日~2019年3月24日 静岡県立美術館

 50年前の芸術はこんなにも熱く激しかった
 世界中で近代的な価値がゆらぎはじめ、各地で騒乱が頻発した1968年は、20世紀の転換点ともいうべき激動の年でした。日本でも、全共闘運動やベトナム反戦運動などで社会が騒然とするなか、カウンターカルチャーやアングラのような過激でエキセントリックな動向が隆盛を極めました。近年、この時期に起こった文化現象が様々な分野で注目を集めており、「1968」は国内外で文化史のキーワードとして定着したと言えるでしょう。

 1968年前後は、日本の現代美術にとっても重要な時期になりました。多くの芸術家が日本万国博覧会(大阪万博)の準備に協力する一方で、万博に参加しなかった作家や評論家の多くが、この動きを批判しました。また現代美術のみならず、演劇・舞踏・映画・建築・デザイン・漫画などの周辺領域の作家たちも、既存のスタイルを打ち破るような先鋭的な試みを次々とおこない、またジャンルを越えて協力し合ったのです。

 さらにこの年には、「もの派」の嚆矢ともいうべき関根伸夫の《位相-大地》が発表され、写真同人誌『プロヴォーク』も創刊されるなど、新たな世代が一気に台頭しました。学生運動やヒッピームーヴメントに代表されるような、既成の価値や体制に異議申し立てをおこなう時代の空気は、芸術家のあいだでも共有されていたのです。

 本展は、1968年からちょうど半世紀が経過した2018年の視点から、この興味深い時代の芸術状況を、現代美術を中心に回顧しようとする試みです。この時代の芸術を輪切りにして展観することで、新たに見えてくるものがあるのではないでしょうか。磯崎新赤瀬川原平高松次郎、0次元、横尾忠則、宇野亜喜良、寺山修司、唐十郎、シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、土方巽、林静一、森山大道、関根伸夫ら個性的な顔ぶれが縦横無尽に活躍した時代の熱い雰囲気を、この展覧会で感じ取っていただければと思います。(同館プレス資料より)

■講演会とパフォーマンス
「し・C・4- ガリバー1968を語る」
【講師】シュウゾウ・アヅチ・ガリバー(美術家)
【パフォーマー】シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、荒木悠、Lily Shu
9月29日(土)終了しています。
1968年ころ、エクスパンデッド・シネマ、パフォーマンスなど、分野を越えて活躍したシュウゾウ・アヅチ・ガリバー。当時の活動について紹介するとともに、1968年初演のパフォーマンス《し・C・4》を上演。

■講演会
「1968年前衛の終焉-美共闘 廃墟からの出発」
【講師】堀浩哉(美術家)
10月6日(土)終了しています。
美術大学における全共闘運動として、多摩美術大学の学生によって結成された美術家共闘会議(美共闘)。美共闘議長だった堀浩哉が、当時の運動の意味と60年代末から展開した制作活動について語る。

■講演会
「サイケのHAMANO、サイケとその後の世界を語る」
【講師】浜野安宏(ライフスタイルプロデューサー)
10月20日(土)14:00より(13:30開場予定)/11階講堂にて/聴講無料
先着150名(当日12:00より11階にて整理券配布)
11階講堂にて/聴講無料/先着150名(当日12:00より11階にて整理券配布)
1968年当時、「MUGEN」、「アストロメカニクール」などのサイケデリック系
ディスコや、サイケデリック・ショップ「ジ・アップル」をプロデュースし、草月会館ホールで横尾忠則らと「サイコデリシャス」というショーを行った浜野安宏。
日本のサイケの第一人者が半世紀前を振り返る。

■映画上映会「略称 連続射殺魔」
【監督】足立正生(1969年、86分)
10月27日(土)14:00より(13:30開場予定)/11階講堂にて/参加無料
先着150名(当日12:00より11階にて整理券配布)
19歳の連続射殺犯永山則夫が見たであろう1968年ころの日本の風景を追った映画。

■映画上映会「新宿泥棒日記」
【監督】大島渚(1969年、94分)
11月4日(日)14:00より(13:30開場予定)/11階講堂にて/参加無料
先着150名(当日12:00より11階にて整理券配布)
1968年の新宿を舞台に、主演の横尾忠則、唐十郎、俳優、学者、会社社長らが実名で登場するドキュメンタリータッチの映画。

■市民美術講座
「環境芸術とミニマル・アート」
【講師】水沼啓和(当館主任学芸員)
10月13日(土)14:00より(13:30開場予定)/11階講堂にて/聴講無料
先着150名 

「アンダーグラウンドとサイケデリック」
【講師】水沼啓和(当館主任学芸員)
11月10日(土)14:00より(13:30開場予定)/11階講堂にて/聴講無料
先着150名 
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●本日のお勧め作品は、上掲「1968年 激動の時代の芸術」展に出品している、西村多美子関根伸夫堀浩哉です。
20161021_Nishimura20150401_01西村多美子
「腰巻お仙 振袖火事の巻 1969.02.22 トラック劇場・新宿駅西口駐車場》」(1)
1969年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
24.7x19.6cm
Ed.1   サインあり


sekine_obj-11 600関根伸夫 Nobuo SEKINE
《位相ー大地》
1989年
ブロンズ
W84.0xH33.5xD56.5cm
サイン、タイトル、年記あり


堀浩哉《熱風1》堀浩哉
熱風1
1984年
シルクスクリーン(刷り:美学校研修科)
イメージサイズ:76.0×56.0cm
シートサイズ:76.0×57.3cm
Ed.150 サインあり


堀浩哉《熱風2》堀浩哉
熱風2
1984年
シルクスクリーン(刷り:美学校研修科)
イメージサイズ:76.0×56.0cm
シートサイズ:76.0×57.3cm
Ed.150 サインあり

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ときの忘れものは倉俣史朗 小展示を開催しています。
会期:2018年10月9日[火]―10月31日[水]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
倉俣史朗(1934-1991)の 美意識に貫かれた代表作Cabinet de Curiosite(カビネ・ド・キュリオジテ)」はじめ立体、版画、オブジェ、ポスター他を展示。 同時代に倉俣と協働した磯崎新安藤忠雄の作品も合わせて ご覧いただきます。
ブログでは橋本啓子さんの連載エッセイ「倉俣史朗の宇宙」がスタートしました。ぜひお読みください。
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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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