「瀧口修造をもっと知るための五夜」第4夜レポート
土渕信彦
(*土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は今月は休載します。再開は11月から)
東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の、第4夜(9月7日)と第5夜(9月21日)を聴講してきました。第4夜のテーマは「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」、第5夜は「瀧口修造と福沢一郎」、講師は引き続き同館の大谷美術課長です。本日(第4夜)と、10月31日(第5夜)の二回にわけてレポートします。
第4夜「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」(9月7日)のレポート
1.帝国美術学校の画学生と小グループ
帝国美術学校は1929年に吉祥寺の地に開校された私立の美術学校で、現在の武蔵野美術大学の前身にあたります。レクチャーでは詳しく触れられませんでしたが、各種学校への昇格や上野毛への移転などをめぐって、1935年にストライキ騒動「同盟休校事件」が起こり、新たに上野毛に開校した多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)と、元の吉祥寺に留まった帝国美術学校との、2つに分裂しました。以下、レクチャーの報告に戻ります。
図1 第4夜 レクチャー風景
帝国美術学校の画学生たちには、独自の小グループを作り、銀座などの画廊でグループ展を開催するものが多く存在しました。以下のようなものです。
JAN(1934年結成)
アニマ(1935年1月第1回展)
表現(1936年1月第1回展)
動向(1936年9月第1回展)
ジュンヌ・オム(1938年1月第1回展)
絵画(1938年12月第1回展)
彼らは多かれ少なかれシュルレアリスムに関心を寄せ、瀧口修造にも敬意を払っていました。彼らの作品に多く見られるのは、地平線・水平線を背景に幻想的な光景を描いた一種の風景画です。こうした絵画は、ダリの亜流として否定的に見られることが多かったわけですが、逆に彼らのモチベーションがこうした絵画に現れていると前向きに評価する、つまり自分が描きたい主題・モチーフを定着するために、彼らは地平線が描かれたダリの絵画を参考にしたとも考えることができるのではないでしょうか。こうして実現したのが、2003年の企画展「地平線の夢」でした、と解説されました。
続いて、今夜のレクチャーでは、彼らのなかから浅原清隆、浜田浜雄、森尭之、矢崎博信、大塚耕二の5名が採り上げられました。5名とも地方出身で、しかも浜田浜雄を除く4人は戦死しており、作品はあまり残っていませんが、近年相次いで出身地の美術館で彼らに焦点を当てた展覧会が開催され、次第に注目を集め始めています。下記のとおりです。
熊本県立美術館の「画家たちの上京物語」展(2014年7月)
茅野市美術館「矢崎博信展 幻想の彼方へ」(2014年7月)
米沢市上杉博物館「造形の遊戯場 浜田浜雄展」(2015年12月)
など。
図2 配布資料
2.浅原清隆(1915~1945)兵庫出身
大谷さんが東京国立近代美術館に就職した1994年に、浅原清隆の遺族から「郷愁」「多感な地上」の2点と関連資料が寄贈され、いろいろな話も聞くことができたそうで、これが2003年の「地平線の夢」展の伏線となったようです。今夜のレクチャーでも、会場に展示されている「多感な地上」についての解説にかなり時間をかけられました。会場の展示ケース内に陳列されている「浅原清隆個人展目録」(1939年)には瀧口修造や深沢一郎、北園克衛が短い文章を寄せていることも紹介されました。
図3 浅原清隆「郷愁」1938年
図4 浅原清隆「多感な地上」1939年
図5 「浅原清隆個人展目録」
図6 「地平線の夢」展図録
3.浜田浜雄(1915~1994)山形出身
浜田浜雄は5人のなかでは唯一人、戦後まで生き延びた画家で、戦後は写真やデザインの仕事にも携わっています。展示作品の題名の「ユバス」とは東南アジアに生息する毒を持った植物のことで、この絵は緊迫する時局への不吉な予感が描かれているのかもしれません、と解説されました。
図7 浜田浜雄「ユパス」1939年
図8 浜田浜雄「予感」1937年(米沢市上杉博物館)
4.森尭之(1915~1944)徳島出身
森尭之は絵画だけでなく写真も手掛けており、瀧口修造の「前衛写真協会」や名取洋之助のNIPPONにも参加したことが、紹介されました。フォトグラムなども製作したそうです。
図9 森尭之「風景」
5.矢崎博信(1914~1944)長野出身
矢崎博信はシュルレアリスムを理論的に追求しようとする姿勢が最も強かった画家で、「アトリヱ」誌(1937年1月号)に掲載されたシュルレアリストたちの集団制作「優美な死体」と日本の俳諧の比較した考察なども行ったことなども、紹介されました。
図10 矢崎博信「江東工場地帯」1936年(茅野市美術館)
図11 矢崎博信「街角(B)」1938年頃(茅野市美術館)
図12 「優美な死体」(「アトリヱ」誌1937年1月号掲載)
6.大塚耕二(1914~1945)熊本出身
大塚耕二の「トリリート」(図13)は「シュルレアリスム簡約辞典」(図14)にも掲載されています。銀座紀伊國屋で開催された第5回「表現」展に出品された「海の見える丘と木の枝」は、風景画のようなタイトルが付されていますが、明らかに女性の下半身のヌードを描いたものでしょう。こういう絵を展示するというのは、なかなかの反骨精神を持っていたようで、後に警察官とトラブルを起こして、留置場に送致されたこともありましたが、ちょうど特高に拘束されていた瀧口も同じ留置場に居た、というエピソードも紹介されました。
図13 大塚耕二「トリリート」1937年(熊本県立美術館)
図14 「シュルレアリスム簡約辞典」(下が「トリリート」)
7.まとめ
帝国美術学校の学生たちにはシュルレアリスムに刺激を受けながらユニークな絵を描いた画家がたくさんいた。彼らの絵は一見するとダリの絵をパクったように見えるが、よく見ていくと、それぞれが切実なテーマとメッセージをもっている。彼らの多くは戦死した。私たちは彼らの存在と作品を忘れてはいけない、とまとめられ、レクチャーは終了しました。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
●「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日~9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。
●連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30-19:00
場所 地下1階講堂
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●土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は11月23日から再開し、毎月23日に更新します。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"Ⅱ-3"
デカルコマニー、水彩、紙
イメージサイズ: 14.2×5.1cm
シートサイズ : 14.2×5.1cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

土渕信彦
(*土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は今月は休載します。再開は11月から)
東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の、第4夜(9月7日)と第5夜(9月21日)を聴講してきました。第4夜のテーマは「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」、第5夜は「瀧口修造と福沢一郎」、講師は引き続き同館の大谷美術課長です。本日(第4夜)と、10月31日(第5夜)の二回にわけてレポートします。
第4夜「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」(9月7日)のレポート
1.帝国美術学校の画学生と小グループ
帝国美術学校は1929年に吉祥寺の地に開校された私立の美術学校で、現在の武蔵野美術大学の前身にあたります。レクチャーでは詳しく触れられませんでしたが、各種学校への昇格や上野毛への移転などをめぐって、1935年にストライキ騒動「同盟休校事件」が起こり、新たに上野毛に開校した多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)と、元の吉祥寺に留まった帝国美術学校との、2つに分裂しました。以下、レクチャーの報告に戻ります。
図1 第4夜 レクチャー風景帝国美術学校の画学生たちには、独自の小グループを作り、銀座などの画廊でグループ展を開催するものが多く存在しました。以下のようなものです。
JAN(1934年結成)
アニマ(1935年1月第1回展)
表現(1936年1月第1回展)
動向(1936年9月第1回展)
ジュンヌ・オム(1938年1月第1回展)
絵画(1938年12月第1回展)
彼らは多かれ少なかれシュルレアリスムに関心を寄せ、瀧口修造にも敬意を払っていました。彼らの作品に多く見られるのは、地平線・水平線を背景に幻想的な光景を描いた一種の風景画です。こうした絵画は、ダリの亜流として否定的に見られることが多かったわけですが、逆に彼らのモチベーションがこうした絵画に現れていると前向きに評価する、つまり自分が描きたい主題・モチーフを定着するために、彼らは地平線が描かれたダリの絵画を参考にしたとも考えることができるのではないでしょうか。こうして実現したのが、2003年の企画展「地平線の夢」でした、と解説されました。
続いて、今夜のレクチャーでは、彼らのなかから浅原清隆、浜田浜雄、森尭之、矢崎博信、大塚耕二の5名が採り上げられました。5名とも地方出身で、しかも浜田浜雄を除く4人は戦死しており、作品はあまり残っていませんが、近年相次いで出身地の美術館で彼らに焦点を当てた展覧会が開催され、次第に注目を集め始めています。下記のとおりです。
熊本県立美術館の「画家たちの上京物語」展(2014年7月)
茅野市美術館「矢崎博信展 幻想の彼方へ」(2014年7月)
米沢市上杉博物館「造形の遊戯場 浜田浜雄展」(2015年12月)
など。
図2 配布資料2.浅原清隆(1915~1945)兵庫出身
大谷さんが東京国立近代美術館に就職した1994年に、浅原清隆の遺族から「郷愁」「多感な地上」の2点と関連資料が寄贈され、いろいろな話も聞くことができたそうで、これが2003年の「地平線の夢」展の伏線となったようです。今夜のレクチャーでも、会場に展示されている「多感な地上」についての解説にかなり時間をかけられました。会場の展示ケース内に陳列されている「浅原清隆個人展目録」(1939年)には瀧口修造や深沢一郎、北園克衛が短い文章を寄せていることも紹介されました。
図3 浅原清隆「郷愁」1938年
図4 浅原清隆「多感な地上」1939年
図5 「浅原清隆個人展目録」
図6 「地平線の夢」展図録3.浜田浜雄(1915~1994)山形出身
浜田浜雄は5人のなかでは唯一人、戦後まで生き延びた画家で、戦後は写真やデザインの仕事にも携わっています。展示作品の題名の「ユバス」とは東南アジアに生息する毒を持った植物のことで、この絵は緊迫する時局への不吉な予感が描かれているのかもしれません、と解説されました。
図7 浜田浜雄「ユパス」1939年
図8 浜田浜雄「予感」1937年(米沢市上杉博物館)4.森尭之(1915~1944)徳島出身
森尭之は絵画だけでなく写真も手掛けており、瀧口修造の「前衛写真協会」や名取洋之助のNIPPONにも参加したことが、紹介されました。フォトグラムなども製作したそうです。
図9 森尭之「風景」5.矢崎博信(1914~1944)長野出身
矢崎博信はシュルレアリスムを理論的に追求しようとする姿勢が最も強かった画家で、「アトリヱ」誌(1937年1月号)に掲載されたシュルレアリストたちの集団制作「優美な死体」と日本の俳諧の比較した考察なども行ったことなども、紹介されました。
図10 矢崎博信「江東工場地帯」1936年(茅野市美術館)
図11 矢崎博信「街角(B)」1938年頃(茅野市美術館)
図12 「優美な死体」(「アトリヱ」誌1937年1月号掲載)6.大塚耕二(1914~1945)熊本出身
大塚耕二の「トリリート」(図13)は「シュルレアリスム簡約辞典」(図14)にも掲載されています。銀座紀伊國屋で開催された第5回「表現」展に出品された「海の見える丘と木の枝」は、風景画のようなタイトルが付されていますが、明らかに女性の下半身のヌードを描いたものでしょう。こういう絵を展示するというのは、なかなかの反骨精神を持っていたようで、後に警察官とトラブルを起こして、留置場に送致されたこともありましたが、ちょうど特高に拘束されていた瀧口も同じ留置場に居た、というエピソードも紹介されました。
図13 大塚耕二「トリリート」1937年(熊本県立美術館)
図14 「シュルレアリスム簡約辞典」(下が「トリリート」)7.まとめ
帝国美術学校の学生たちにはシュルレアリスムに刺激を受けながらユニークな絵を描いた画家がたくさんいた。彼らの絵は一見するとダリの絵をパクったように見えるが、よく見ていくと、それぞれが切実なテーマとメッセージをもっている。彼らの多くは戦死した。私たちは彼らの存在と作品を忘れてはいけない、とまとめられ、レクチャーは終了しました。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
●「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日~9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。
●連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30-19:00
場所 地下1階講堂
=======
●土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は11月23日から再開し、毎月23日に更新します。
●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI"Ⅱ-3"
デカルコマニー、水彩、紙
イメージサイズ: 14.2×5.1cm
シートサイズ : 14.2×5.1cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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