追悼 ジョナス・メカス
初めてのカタログ
<自分の作品カタログに序言を書いたことはこれまでに一度もない。
これはわたしの作品について制作される初めてのカタログである。
新しい経験になると思う。
ジョナス・メカス>
メカスさんを初めて日本にお招きしたのは1983年秋でした。
メカスさんのアンソロジー・フィルム・アーカイヴス(個人映画、実験的映画のフィルムの保存、上映、研究、制作援助を目的とする)を応援しよう(もちろん金銭的に)とジョナス・メカス展実行委員会(代表:木下哲夫)をつくり、原美術館はじめいくつかの会場で展覧会を開き、メカスさんの友人たち(ウォーホルやボイス、セラ、ラウシェンバーグ、ピーター・ビアード、ヘレン・レヴィット他26人)が寄贈した版画と写真のエディション作品を展示販売しました。
メカスさんは「フィルムはあるが金がない」というし、助っ人の私たちは「情熱はあるが金がない」状況でしたが、たくさんの写真を持参してくれたメカスさんのおかげで『ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画 オリジナル版画入りカタログ』を短時間のうちに制作できました。中に挿入する版画(靉嘔、大沢昌助、ジョナス・メカス)の制作と編集は現代版画センターが担当しました。
カタログの冒頭にはメカスさん自筆(タイプ)の「メッセージ」と「(自)伝記的ノート」が掲載されています。






続いて掲載したメカスさん自身による略歴/(自)伝記的ノートがいま読み返してもひしひしと迫るものがあります。
<言葉 リトアニア語(バルト語系、ロシア語とは関わりなし>なんてメカスさんの故郷への熱い思いとソ連への静かな意思を感じます。
最初の部分だけテキスト化し、あとはカタログをスキャンしたので、お読みください。
●ジョナス・メカス (自)伝記的ノート
誕生 1922年12月24日 夜明け寸前 日曜日
星座 カプリコーン(山羊座)
生地 リトアニアのセメニスキアイ(20家族、約100人の住む村ラトビアとの国境まで20マイル、人口5000の町ビルザイから15マイル)
言葉 リトアニア語(バルト語系、ロシア語とは関わりなし)
両親 エルズビエータ・メカス
婚前の姓/ヤシンスカス
1887年3月19日生、1983年2月12日歿。
ポヴィラス・メカス
1869年生、1951年歿。農夫、大工
兄弟 エルズビエータ 1911年12月19日生、農婦
ポヴィラス 1914年1月14日生、死亡 獣医
ぺトラス 1915年5月15日生 農夫
アドルファス 1925年9月30日生 映画作家/作家
1928-32 野や森で家畜の世話をする。
1932 ラウザディスキスの小学校入学。(4マイルを徒歩で通う)
1933 夏の間、牧童として働く。
冬、ラウザディスキスの小学校に通学。
1934 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校3年。
1935 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校4年。
1936 5月、小学校(4年制)卒業。
夏~秋、近隣の村ネシウナイにて雇人として働く。初めての映画を観る(ディズニー、パットとパタション、そしてメロドラマ)初めて詩を出版。
1937 夏、野良仕事。
冬、パピリスの学校で5学年目に就学(5マイルの距離を専ら自転車で通う)、学校新聞を編集する。






この「(自)伝記的ノート」は1981年12月7日のセバスチャン誕生で終わっていますが、亭主が1983年春に初めてNYに渡り、ウォーホルとの契約を済ませた後、メカスさんのアパートを訪ねたときにいたのがまだ幼いセバスチャンでした。
まさかあのときピーピー泣いていた赤ん坊が2009年9月新作展に父親の代理で来日するとは思いもしませんでした。

2009年9月ときの忘れもの(青山)にて、
左から綿貫不二夫、セバスチャン、綿貫令子、尾立麗子
いまや稀少本となってしまったメカスさんの初めてのカタログの概要を記しておきます。
ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画
オリジナル版画入りカタログ表紙
本カタログはA版及びB版の二種、合計1,000部製作した。
A版:限定500部
ジョナス・メカス、靉嘔、大沢昌助の3作家によるオリジナル・シルクスクリーン3点を挿入。(内、ジョナス・メカス作品のみはB版と共通、従ってメカス作品の限定は1,000部である。)
ジョナス・メカス「Oona Mekas」
靉嘔「Crashed Rainbow」
大沢昌助「茶色」
B版:限定500部
ジョナス・メカスによるオリジナル・シルクスクリーン1点を挿入。(作品はA版と共通)
企画:ジョナス・メカス展実行委員会
編集:ジョナス・メカス展カタログ編集室(現代版画センター企画室内)
執筆:ジョナス・メカス、鈴木志郎康、山口勝弘
翻訳:木下哲夫
デザイン:古谷卓
写真:酒井猛、田中誠一
オリジナル版画制作:ジョナス・メカス/靉嘔/大沢昌助
シルクスクリーン刷り:岡部徳三
印刷:クリキ企画印刷株式会社
発行日:1983年12月1日
発行人:木下哲夫
発行:ジョナス・メカス展実行委員会
編集協力:イッカン・アート・インターナショナル
ジョナス・メカス展実行委員会:呼びかけ人:
磯崎新(建築家)
かわなかのぶひろ(映像作家)
谷川俊太郎(詩人)
松本俊夫(映像作家)
山口勝弘(造形作家)
事務局長:木下哲夫
協力:R.Y.U. 現代版画センター イメージフォーラム
-------------------
2005年10月
ときの忘れもので、版画掌誌第5号挿入の写真作品にサインを入れるジョナス・メカスさん
●ジョナス・メカスの写真作品から
ジョナス・メカス
「ジョナス・メカス」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「ピクニック」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「エルズビエータ・メカス、わたしの母、リトアニア、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「ひまわり」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●1月23日に亡くなったメカスさんを偲びジョナス・メカス上映会(DVD)を開催します。

会期:2019年2月5日[火]―2月9日[土]
代表作「リトアニアへの旅の追憶」は毎日上映するほか、「ショート・フィルム・ワークス」、「営倉」、「ロスト・ロスト・ロスト」、「ウォルデン」の4本を日替わりで上映します。
上映時間他、詳しくはホームページをご覧ください。
2月9日夜のトーク「メカスさんを語る」(ゲスト:飯村昭子さん、木下哲夫さん)は既に満席となり受付を終了しました。
◆「第27回瑛九展 」は1月26日に終了しましたが、3月末のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れもののブログは年中無休です。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

初めてのカタログ
<自分の作品カタログに序言を書いたことはこれまでに一度もない。
これはわたしの作品について制作される初めてのカタログである。
新しい経験になると思う。
ジョナス・メカス>
メカスさんを初めて日本にお招きしたのは1983年秋でした。
メカスさんのアンソロジー・フィルム・アーカイヴス(個人映画、実験的映画のフィルムの保存、上映、研究、制作援助を目的とする)を応援しよう(もちろん金銭的に)とジョナス・メカス展実行委員会(代表:木下哲夫)をつくり、原美術館はじめいくつかの会場で展覧会を開き、メカスさんの友人たち(ウォーホルやボイス、セラ、ラウシェンバーグ、ピーター・ビアード、ヘレン・レヴィット他26人)が寄贈した版画と写真のエディション作品を展示販売しました。
メカスさんは「フィルムはあるが金がない」というし、助っ人の私たちは「情熱はあるが金がない」状況でしたが、たくさんの写真を持参してくれたメカスさんのおかげで『ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画 オリジナル版画入りカタログ』を短時間のうちに制作できました。中に挿入する版画(靉嘔、大沢昌助、ジョナス・メカス)の制作と編集は現代版画センターが担当しました。
カタログの冒頭にはメカスさん自筆(タイプ)の「メッセージ」と「(自)伝記的ノート」が掲載されています。






続いて掲載したメカスさん自身による略歴/(自)伝記的ノートがいま読み返してもひしひしと迫るものがあります。
<言葉 リトアニア語(バルト語系、ロシア語とは関わりなし>なんてメカスさんの故郷への熱い思いとソ連への静かな意思を感じます。
最初の部分だけテキスト化し、あとはカタログをスキャンしたので、お読みください。
●ジョナス・メカス (自)伝記的ノート
誕生 1922年12月24日 夜明け寸前 日曜日
星座 カプリコーン(山羊座)
生地 リトアニアのセメニスキアイ(20家族、約100人の住む村ラトビアとの国境まで20マイル、人口5000の町ビルザイから15マイル)
言葉 リトアニア語(バルト語系、ロシア語とは関わりなし)
両親 エルズビエータ・メカス
婚前の姓/ヤシンスカス
1887年3月19日生、1983年2月12日歿。
ポヴィラス・メカス
1869年生、1951年歿。農夫、大工
兄弟 エルズビエータ 1911年12月19日生、農婦
ポヴィラス 1914年1月14日生、死亡 獣医
ぺトラス 1915年5月15日生 農夫
アドルファス 1925年9月30日生 映画作家/作家
1928-32 野や森で家畜の世話をする。
1932 ラウザディスキスの小学校入学。(4マイルを徒歩で通う)
1933 夏の間、牧童として働く。
冬、ラウザディスキスの小学校に通学。
1934 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校3年。
1935 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校4年。
1936 5月、小学校(4年制)卒業。
夏~秋、近隣の村ネシウナイにて雇人として働く。初めての映画を観る(ディズニー、パットとパタション、そしてメロドラマ)初めて詩を出版。
1937 夏、野良仕事。
冬、パピリスの学校で5学年目に就学(5マイルの距離を専ら自転車で通う)、学校新聞を編集する。






この「(自)伝記的ノート」は1981年12月7日のセバスチャン誕生で終わっていますが、亭主が1983年春に初めてNYに渡り、ウォーホルとの契約を済ませた後、メカスさんのアパートを訪ねたときにいたのがまだ幼いセバスチャンでした。
まさかあのときピーピー泣いていた赤ん坊が2009年9月新作展に父親の代理で来日するとは思いもしませんでした。

2009年9月ときの忘れもの(青山)にて、
左から綿貫不二夫、セバスチャン、綿貫令子、尾立麗子
いまや稀少本となってしまったメカスさんの初めてのカタログの概要を記しておきます。
ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画オリジナル版画入りカタログ表紙
本カタログはA版及びB版の二種、合計1,000部製作した。
A版:限定500部
ジョナス・メカス、靉嘔、大沢昌助の3作家によるオリジナル・シルクスクリーン3点を挿入。(内、ジョナス・メカス作品のみはB版と共通、従ってメカス作品の限定は1,000部である。)
ジョナス・メカス「Oona Mekas」
靉嘔「Crashed Rainbow」
大沢昌助「茶色」
B版:限定500部
ジョナス・メカスによるオリジナル・シルクスクリーン1点を挿入。(作品はA版と共通)
企画:ジョナス・メカス展実行委員会
編集:ジョナス・メカス展カタログ編集室(現代版画センター企画室内)
執筆:ジョナス・メカス、鈴木志郎康、山口勝弘
翻訳:木下哲夫
デザイン:古谷卓
写真:酒井猛、田中誠一
オリジナル版画制作:ジョナス・メカス/靉嘔/大沢昌助
シルクスクリーン刷り:岡部徳三
印刷:クリキ企画印刷株式会社
発行日:1983年12月1日
発行人:木下哲夫
発行:ジョナス・メカス展実行委員会
編集協力:イッカン・アート・インターナショナル
ジョナス・メカス展実行委員会:呼びかけ人:
磯崎新(建築家)
かわなかのぶひろ(映像作家)
谷川俊太郎(詩人)
松本俊夫(映像作家)
山口勝弘(造形作家)
事務局長:木下哲夫
協力:R.Y.U. 現代版画センター イメージフォーラム
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2005年10月ときの忘れもので、版画掌誌第5号挿入の写真作品にサインを入れるジョナス・メカスさん
●ジョナス・メカスの写真作品から
ジョナス・メカス「ジョナス・メカス」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「ピクニック」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「エルズビエータ・メカス、わたしの母、リトアニア、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「ひまわり」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●1月23日に亡くなったメカスさんを偲びジョナス・メカス上映会(DVD)を開催します。

会期:2019年2月5日[火]―2月9日[土]
代表作「リトアニアへの旅の追憶」は毎日上映するほか、「ショート・フィルム・ワークス」、「営倉」、「ロスト・ロスト・ロスト」、「ウォルデン」の4本を日替わりで上映します。
上映時間他、詳しくはホームページをご覧ください。
2月9日夜のトーク「メカスさんを語る」(ゲスト:飯村昭子さん、木下哲夫さん)は既に満席となり受付を終了しました。
◆「第27回瑛九展 」は1月26日に終了しましたが、3月末のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れもののブログは年中無休です。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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