その人のこと、少しだけ_追憶のジョナス・メカス
佐伯 誠
ジョナス・メカスって、ずっと死なないんじゃないか。そう思ってたのは、最初に見たときにずいぶん老いていたからかもしれない。できたばかりの原美術館で、メカスの展示とトークショウをやるというので駆けつけた。原美術館の閉館がきまったというニュースで、40年の歴史に幕を降ろすとあったから40年前のことになる。あのとき、メカスは幾つだったのか?
メカスは、カゼをひいていたようで、よれっとしたコートを着たままで受け答えをしていた。おまけにティッシュだかハンケチで鼻水を拭き拭きで、声も弱々しくて、疲れ切っているように見える。トークの相手は詩人の佐々木幹郎で、普段どおりの関西弁でメカスにしゃべりかけるのがおかしかった。通訳が英語にするのだが、関西弁のままでも通じたような気がする。そもそも、詩人同士、言語をコミュニケーションの道具にしようとは思っていないだろうから、てんでに好きなことを話してくれれば足りる。メカスが言ったことで、心にのこっているのは、「あなたの好きなものを大切にしなさい」という助言めいたコトバで、どういう文脈で語られたのかは覚えていない。
そこで、急にフラッシュバックしてくるのが、ホセ・ルイス・ゲリンのことだ。スペインの映画作家のゲリンがメカスとの映像による往復書簡をこころみた『メカス×ゲリン 往復書簡』は、すばらしかった。とりわけ、メカスの自在さ奔放さ!、これまで知っていたメカスとは別人のような、いたずらな妖精がカメラをオモチャにして撮っているようなデタラメさが横溢していた。ちょっと古い形式とも思える往復書簡だが、パリのポンピドゥセンターでの公開討議で、ホセ・ルイスはこんな風に語っているー
時間は必要です。時間をかけるということは、現在の社会において大きなタブーになっていると感じます。時間をかけることは、最も大きな挑戦なのです。何事かを為すために時間を必要とすること。もし私が古いのなら、それでも構いません。
メカスはナチの収容所に収監されいたことがある。そのことを知っていると、メカスが「約束しない」ことを守っているということの意味が分かる。さらに、原美術館で鼻水をすすりながら、「あなたの好きものを大切にしなさい」とやんわりと諭したことも。
ニューヨーク州のキャッツキルへ行ったときに、小雨が降りしきるクリークに立ち込んでフライ竿をしならせてて、次々と虹鱒を釣り上げる釣り人に目が釘付けになったけれど、いったん林に入ると、『リトアニアへの旅の追憶』でキャッツキルの山中を歩きながら、たどたどしさののこる英語で、故郷リトアニアを回想する場面を思い浮かべずにはいられなかった。
メカスは日本にも来ていて、友人も多かったようだから、哀悼の念は控えめにしておこうと思う。一つ、思い出すのは、小さなギャラリーでメカスの写真展(映像から複写したものだろう)を開催したときに、ある人がその一点をプレゼントしてくれたことだ。写っているのは、真紅の上着をはおったピーター・ビアードの横顔で、片手で本を開いたままでこちらに向けている。ジョン・レノンのパーティを撮影したprivate filmの一部のような気もするけれどハッキリしない。
メカスの顔、さらに、その向こうにメカスの母親の顔、そうしたものが途切れないで連想される。まるで、過ぎ去った時間はちゃんと映画としてずっと撮影されていたかのようだ。
(さえき まこと)
ジョナス・メカス Jonas MEKAS
「モントークのピーター・ビアード 1974」
1983年 シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
37.5×51.0cm
Ed.75 サインあり

1983年12月1日 品川・原美術館にて
「アメリカ現代版画と写真展ージョナス・メカスと26人の仲間たちー」オープニング
左から、綿貫不二夫、靉嘔、木下哲夫、ジョナス・メカス
ジョナス・メカス
「エルズビエータ・メカス、わたしの母、リトアニア、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆追悼 ジョナス・メカス トークイベント「メカスさんを語る」
去る1月23日NYの自宅で、ジョナス・メカスさんが亡くなられました(96歳)。9日に予定していたトークイベントは雪で中止(延期)しましたが、あらためて下記日程で開催します。
日時:2月21日(木)18時~
会場:ときの忘れもの2階図書室
講師:飯村昭子(フリージャーナリスト、『メカスの映画日記』『メカスの難民日記』の翻訳者)
木下哲夫(メカス日本日記の会、『ジョナス・メカス―ノート、対話、映画』の翻訳者)
植田実(住まいの図書館編集長、『メカスの映画日記』の装丁者)
要予約:既に満席で、キャンセル待ちの方も多数おり、受付は終了しました。
参加費:1,000円は皆さんのメッセージとともに香典として全額をNYのアンソロジー・フィルム・アーカイブスに送金します。
*写真は2005年10月ときの忘れもの(青山)にて、吉増剛造さんとメカスさん。
・2月13日 「メカスさんの版画制作」
・2月6日 井戸沼紀美「メカスさんに会った時のこと」
・2月4日 植田実『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源1959―1971』
・2月2日 初めてのカタログ
・1月28日 木下哲夫さんとメカスさん
●今日17日(日)と明日18日(月)は休廊です。
また19日(火)の営業時間は17時までとさせていただきます。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

佐伯 誠
ジョナス・メカスって、ずっと死なないんじゃないか。そう思ってたのは、最初に見たときにずいぶん老いていたからかもしれない。できたばかりの原美術館で、メカスの展示とトークショウをやるというので駆けつけた。原美術館の閉館がきまったというニュースで、40年の歴史に幕を降ろすとあったから40年前のことになる。あのとき、メカスは幾つだったのか?
メカスは、カゼをひいていたようで、よれっとしたコートを着たままで受け答えをしていた。おまけにティッシュだかハンケチで鼻水を拭き拭きで、声も弱々しくて、疲れ切っているように見える。トークの相手は詩人の佐々木幹郎で、普段どおりの関西弁でメカスにしゃべりかけるのがおかしかった。通訳が英語にするのだが、関西弁のままでも通じたような気がする。そもそも、詩人同士、言語をコミュニケーションの道具にしようとは思っていないだろうから、てんでに好きなことを話してくれれば足りる。メカスが言ったことで、心にのこっているのは、「あなたの好きなものを大切にしなさい」という助言めいたコトバで、どういう文脈で語られたのかは覚えていない。
そこで、急にフラッシュバックしてくるのが、ホセ・ルイス・ゲリンのことだ。スペインの映画作家のゲリンがメカスとの映像による往復書簡をこころみた『メカス×ゲリン 往復書簡』は、すばらしかった。とりわけ、メカスの自在さ奔放さ!、これまで知っていたメカスとは別人のような、いたずらな妖精がカメラをオモチャにして撮っているようなデタラメさが横溢していた。ちょっと古い形式とも思える往復書簡だが、パリのポンピドゥセンターでの公開討議で、ホセ・ルイスはこんな風に語っているー
時間は必要です。時間をかけるということは、現在の社会において大きなタブーになっていると感じます。時間をかけることは、最も大きな挑戦なのです。何事かを為すために時間を必要とすること。もし私が古いのなら、それでも構いません。
メカスはナチの収容所に収監されいたことがある。そのことを知っていると、メカスが「約束しない」ことを守っているということの意味が分かる。さらに、原美術館で鼻水をすすりながら、「あなたの好きものを大切にしなさい」とやんわりと諭したことも。
ニューヨーク州のキャッツキルへ行ったときに、小雨が降りしきるクリークに立ち込んでフライ竿をしならせてて、次々と虹鱒を釣り上げる釣り人に目が釘付けになったけれど、いったん林に入ると、『リトアニアへの旅の追憶』でキャッツキルの山中を歩きながら、たどたどしさののこる英語で、故郷リトアニアを回想する場面を思い浮かべずにはいられなかった。
メカスは日本にも来ていて、友人も多かったようだから、哀悼の念は控えめにしておこうと思う。一つ、思い出すのは、小さなギャラリーでメカスの写真展(映像から複写したものだろう)を開催したときに、ある人がその一点をプレゼントしてくれたことだ。写っているのは、真紅の上着をはおったピーター・ビアードの横顔で、片手で本を開いたままでこちらに向けている。ジョン・レノンのパーティを撮影したprivate filmの一部のような気もするけれどハッキリしない。
メカスの顔、さらに、その向こうにメカスの母親の顔、そうしたものが途切れないで連想される。まるで、過ぎ去った時間はちゃんと映画としてずっと撮影されていたかのようだ。
(さえき まこと)
ジョナス・メカス Jonas MEKAS「モントークのピーター・ビアード 1974」
1983年 シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
37.5×51.0cm
Ed.75 サインあり

1983年12月1日 品川・原美術館にて
「アメリカ現代版画と写真展ージョナス・メカスと26人の仲間たちー」オープニング
左から、綿貫不二夫、靉嘔、木下哲夫、ジョナス・メカス
ジョナス・メカス「エルズビエータ・メカス、わたしの母、リトアニア、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆追悼 ジョナス・メカス トークイベント「メカスさんを語る」
去る1月23日NYの自宅で、ジョナス・メカスさんが亡くなられました(96歳)。9日に予定していたトークイベントは雪で中止(延期)しましたが、あらためて下記日程で開催します。
日時:2月21日(木)18時~会場:ときの忘れもの2階図書室
講師:飯村昭子(フリージャーナリスト、『メカスの映画日記』『メカスの難民日記』の翻訳者)
木下哲夫(メカス日本日記の会、『ジョナス・メカス―ノート、対話、映画』の翻訳者)
植田実(住まいの図書館編集長、『メカスの映画日記』の装丁者)
要予約:既に満席で、キャンセル待ちの方も多数おり、受付は終了しました。
参加費:1,000円は皆さんのメッセージとともに香典として全額をNYのアンソロジー・フィルム・アーカイブスに送金します。
*写真は2005年10月ときの忘れもの(青山)にて、吉増剛造さんとメカスさん。
・2月13日 「メカスさんの版画制作」
・2月6日 井戸沼紀美「メカスさんに会った時のこと」
・2月4日 植田実『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源1959―1971』
・2月2日 初めてのカタログ
・1月28日 木下哲夫さんとメカスさん
●今日17日(日)と明日18日(月)は休廊です。
また19日(火)の営業時間は17時までとさせていただきます。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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