柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第8回
驚嘆!の復刻版~デュシャンのトランクの箱
毎月、月初めは、どの本を紹介しようか色々と悩みながら、書棚に並んだ本の背を追っていきます。先月の東京ビエンナーレ、1970年のカタログに続き、コンセプチュアル・アートの超稀覯本、ゼロックス・ブックにしようかな・・・と考えていたとき、ときの忘れものの綿貫さんから嬉しいお知らせのメールが届きました。
デュシャン、マン・レイ、そしてニューヨーク・ダダの研究家、ニューヨークのフランシス・ナウマン氏との会食のお誘いでした。80年代の前半、氏の「ダダとシュールレアリスム」の講義を受けたことがあり、また、西武美術館編集の雑誌、アールヴィヴァンのニューヨーク・ダダ特集の編集を手伝った時には、ナウマン氏に何度か連絡をいれました。
そんな氏に再会できるのは嬉しい限りで、私の心は、80年代中頃にタイムスリップしてしまい、連載のテーマもデュシャンかマン・レイ、あるいはピカビア関係の本かな・・・と心変わりしてしまいました。
このニューヨーク・ダダの三羽ガラスに関する書籍は山ほどあります。でも、京都のI先輩と違い、普通の作品集やカタログなどが中心で、あえて紹介するほどのものはないな、とがっかりしていた時に思い出したのが、数年前に出版された一つの復刻版でした。
その復刻版について教えてくれたのは、デュシャンに関する著作もある研究者のN氏でした。しかも、かなりの廉価で発売されるとのこと、その言葉に正直、耳を疑いました。
なぜかと言えば、それが単純な本ではなく、デュシャン自身が作った携帯美術館、「トランクの箱」だったからです。新たな作品を制作する代わりに、それまでの創作を、自らの手で縮小複製して纏めたもので、計68作品の縮小が箱の中に収められた「作品」です。
まず1935年から41年にかけて、20部が制作され、その後、50年代、60年代にも若干ことなったバージョンが制作されましたが、総数は300部程度だったようです。最初のバージョンが、持ち手のついた革製のトランクに収納されていたことから、このタイトルが付けられたと思われますが、50年代、60年代のものは、布張りの箱に収められています。
N氏の話では、アマゾンでの注文が可能とのこと。早々に複数冊を注文しました。ただ、発行予定日になっても音沙汰無し・・・、暫くすると発行延期の通知が届きました。出版取り消しになってしまうかもなと思っていると、数ヶ月後に、発送完了にメールが。翌日には現物が手元に届きました。
段ボール箱から取り出し、プチプチを開くと、出版元の保護段ボールが出てきます。de ou per MARCEL DUCHAMP ou RROSE SELAVYと書かれたそれを開けると、緑色の箱が現れました。布張りのように見えるのですが、実は布のテクスチャーが印刷された厚紙です。印刷のクオリティーは高いのですが、触れた時のツルッとした感触はちょっと残念と感じてしまいました。ちなみに、復刻に際しての元版はG版、1968年に47部制作された最後のバージョンとなっています。



箱の上に載せられた説明書に従って注意深く、箱を前後に開いていくと、「大ガラス」が直立します。その後ろには、「階段を降りる裸婦」「花嫁」「7つの雄の鋳型」などの縮小複製入っています。オリジナルは布張りのパネルに、写真と別紙に刷られたキャプションが貼られていますが、復刻では、布、写真、キャプションの全てが、一緒に厚紙にされています。といっても、そこそこの厚みがあり、オリジナル同様、立たせることは可能です。
さて、一番の目玉は、先にふれた、箱を開けると直立する「大ガラス」でしょう。このデュシャンの代表作は、厚手のセルロイドにプリントされ、厚紙のフレームに固定されています。その横には、デュシャンの創作のもう一つの代表、レディメイドが3点固定されています。「パリの空気50cc」(アンプル容器)、「泉」(便器)、「旅行用折りたたみ品」(タイプライターのカバー)ですが、プラスティックと紙で再現されています。オリジナルは、それぞれガラス製、布製、陶器製だったようですが、贅沢は言えません。



箱の手前側の蓋付き内箱(?)には、黒い台紙に貼られたように見える縮小複製類が収められています。 初期の肖像画類や「汽車の中の悲しめる青年」や「ときめくハート」のように、キャプションと共に普通に印刷されたものもありますが、「モンテカルロ債権」など幾つかの作品は別刷りが綺麗に折りたたまれ貼られています。さらに、ガラス窓を素材にした「オステルリッツの喧嘩」は、紙に穴が切り取られ、印刷されたセルロイドが貼り込んであり、また「瓶乾燥機」の複写は、立体感が出る印刷が用いられるなど、デュシャンの凝りに凝ったデザイン、手法を再現しています。


大ガラスのフレームや、パネル支えなど、オリジナルでは角材などで作られている部分も、厚紙で作られ、ネジも印刷で再現されているなど、質感が今一つであることは否定できません。しかし、20世紀美術の最も重要な作家が、自ら手がけた「回顧展」を手元に置くことができるこの復刻版は、デュシャンに関連した出版物としては、最も重要なものの一つになることは間違いないでしょう。
残念なのは、出版時は数万円程度だったのですが、直ぐに完売となり、現在はかなり高値で取引されていることでしょう。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

驚嘆!の復刻版~デュシャンのトランクの箱
毎月、月初めは、どの本を紹介しようか色々と悩みながら、書棚に並んだ本の背を追っていきます。先月の東京ビエンナーレ、1970年のカタログに続き、コンセプチュアル・アートの超稀覯本、ゼロックス・ブックにしようかな・・・と考えていたとき、ときの忘れものの綿貫さんから嬉しいお知らせのメールが届きました。
デュシャン、マン・レイ、そしてニューヨーク・ダダの研究家、ニューヨークのフランシス・ナウマン氏との会食のお誘いでした。80年代の前半、氏の「ダダとシュールレアリスム」の講義を受けたことがあり、また、西武美術館編集の雑誌、アールヴィヴァンのニューヨーク・ダダ特集の編集を手伝った時には、ナウマン氏に何度か連絡をいれました。
そんな氏に再会できるのは嬉しい限りで、私の心は、80年代中頃にタイムスリップしてしまい、連載のテーマもデュシャンかマン・レイ、あるいはピカビア関係の本かな・・・と心変わりしてしまいました。
このニューヨーク・ダダの三羽ガラスに関する書籍は山ほどあります。でも、京都のI先輩と違い、普通の作品集やカタログなどが中心で、あえて紹介するほどのものはないな、とがっかりしていた時に思い出したのが、数年前に出版された一つの復刻版でした。
その復刻版について教えてくれたのは、デュシャンに関する著作もある研究者のN氏でした。しかも、かなりの廉価で発売されるとのこと、その言葉に正直、耳を疑いました。
なぜかと言えば、それが単純な本ではなく、デュシャン自身が作った携帯美術館、「トランクの箱」だったからです。新たな作品を制作する代わりに、それまでの創作を、自らの手で縮小複製して纏めたもので、計68作品の縮小が箱の中に収められた「作品」です。
まず1935年から41年にかけて、20部が制作され、その後、50年代、60年代にも若干ことなったバージョンが制作されましたが、総数は300部程度だったようです。最初のバージョンが、持ち手のついた革製のトランクに収納されていたことから、このタイトルが付けられたと思われますが、50年代、60年代のものは、布張りの箱に収められています。
N氏の話では、アマゾンでの注文が可能とのこと。早々に複数冊を注文しました。ただ、発行予定日になっても音沙汰無し・・・、暫くすると発行延期の通知が届きました。出版取り消しになってしまうかもなと思っていると、数ヶ月後に、発送完了にメールが。翌日には現物が手元に届きました。
段ボール箱から取り出し、プチプチを開くと、出版元の保護段ボールが出てきます。de ou per MARCEL DUCHAMP ou RROSE SELAVYと書かれたそれを開けると、緑色の箱が現れました。布張りのように見えるのですが、実は布のテクスチャーが印刷された厚紙です。印刷のクオリティーは高いのですが、触れた時のツルッとした感触はちょっと残念と感じてしまいました。ちなみに、復刻に際しての元版はG版、1968年に47部制作された最後のバージョンとなっています。



箱の上に載せられた説明書に従って注意深く、箱を前後に開いていくと、「大ガラス」が直立します。その後ろには、「階段を降りる裸婦」「花嫁」「7つの雄の鋳型」などの縮小複製入っています。オリジナルは布張りのパネルに、写真と別紙に刷られたキャプションが貼られていますが、復刻では、布、写真、キャプションの全てが、一緒に厚紙にされています。といっても、そこそこの厚みがあり、オリジナル同様、立たせることは可能です。
さて、一番の目玉は、先にふれた、箱を開けると直立する「大ガラス」でしょう。このデュシャンの代表作は、厚手のセルロイドにプリントされ、厚紙のフレームに固定されています。その横には、デュシャンの創作のもう一つの代表、レディメイドが3点固定されています。「パリの空気50cc」(アンプル容器)、「泉」(便器)、「旅行用折りたたみ品」(タイプライターのカバー)ですが、プラスティックと紙で再現されています。オリジナルは、それぞれガラス製、布製、陶器製だったようですが、贅沢は言えません。



箱の手前側の蓋付き内箱(?)には、黒い台紙に貼られたように見える縮小複製類が収められています。 初期の肖像画類や「汽車の中の悲しめる青年」や「ときめくハート」のように、キャプションと共に普通に印刷されたものもありますが、「モンテカルロ債権」など幾つかの作品は別刷りが綺麗に折りたたまれ貼られています。さらに、ガラス窓を素材にした「オステルリッツの喧嘩」は、紙に穴が切り取られ、印刷されたセルロイドが貼り込んであり、また「瓶乾燥機」の複写は、立体感が出る印刷が用いられるなど、デュシャンの凝りに凝ったデザイン、手法を再現しています。


大ガラスのフレームや、パネル支えなど、オリジナルでは角材などで作られている部分も、厚紙で作られ、ネジも印刷で再現されているなど、質感が今一つであることは否定できません。しかし、20世紀美術の最も重要な作家が、自ら手がけた「回顧展」を手元に置くことができるこの復刻版は、デュシャンに関連した出版物としては、最も重要なものの一つになることは間違いないでしょう。
残念なのは、出版時は数万円程度だったのですが、直ぐに完売となり、現在はかなり高値で取引されていることでしょう。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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