中村惠一「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」第7回
松本竣介
松本竣介の絵は以前から好きだった。落合に越してきて初めてJR高田馬場駅まで歩いた時に興味をもった建物があった。それは東京電力の目白変電所であった。この大正期に建設された建物を竣介が描いているのをすぐに知ることになった。竣介が描いていることを知って、私の中で目白変電所がますます気になる建物になったのだった。
「ごみ捨て場付近」
「ごみ捨て場付近」に描かれたのは下落合から高田馬場駅方面に向かう道と周囲の情景である。道は神田川にかかる田島橋にいたるが、橋の向かい側には目白変電所が描かれている。その独特の様式ですぐにわかった。竣介の画面にあった建物、その現物が目の前にある。とたんに竣介をひどく身近に感じたのをはっきりと覚えている。実は「ときの忘れもの」で開催された松本竣介展に展示されたデッサンを見たとき、田島橋を渡った先にある栄通を描いたに違いないと感じた。聞いてみると実際にそうであり、「よくわかったね」と驚かれたことがあった。地元の風景なので、みなれた場所がもつ特有の雰囲気を感じたのに違いなかった。この田島橋と目白変電所の情景を竣介は気にいったのか「立てる像」にも背景に使っている。「立てる像」を見ると、戦時体制に傾斜してゆく中で軍部が企図した「国防国家と美術」(『みづゑ』1941年1月号掲載)という座談会の意見に反応し、「生きてゐる画家」を書きあげた竣介の決意がみなぎっているようで、大好きな作品である。「立てる像」は昭和17(1942)年に描かれている。

そもそも竣介が落合地域に住むことになるのは松本禎子との結婚が契機であった。昭和11(1936)年に竣介は松本家の養子となる。やがて松本家は中井四の坂上に建てられた借家に越してきた。ここが竣介のついの住家になる。この場所でその後の画業は行われ、昭和11(1936)年10月に創刊された雑誌『雑記帳』通巻14号も発行された。
最寄りの駅は西武新宿線の中井駅である。中井駅から西に向かい四の坂の登り口までは幅広な車道を歩く。四の坂の登り口には林芙美子記念館の看板がある。今はマンションになってしまったが、四の坂道を隔てた中井駅よりには画家・刑部人のアトリエがあった。建築家・吉武東里の設計によるスペイン瓦が葺かれた洋館であった。私が越してきた20年ほど前には刑部アトリエも健在であった。急な四の坂を登ると坂の上に竣介のアトリエはあった。
丸印の場所が松本竣介アトリエの場所
竣介には「N駅近く」とタイトルされた作品がある。竣介は都市や町を描くときに異なる場所のイメージをコラージュするケースも多いので、中井駅として特定するのが正しいのかはわからないが、勝手に中井駅だと思い親しんできた。

松本竣介の作品は新宿区にはない。一昨年には念願の竣介が育った場所、盛岡市を訪ね岩手県立美術館で数多くの作品を見ることができた。また昨年、群馬県桐生市にある大川美術館で「竣介のアトリエ再見プロジェクト」によって再現された下落合の竣介アトリエを見ることができた。展示室内にアトリエを再現展示することによってアトリエ内部の様子や蔵書、コレクションされた品々を当時のままに見ることがかなった。竣介の展示されたコレクション作品とともに画家の息吹きを感じることができる展示で感動した。

竣介アトリエは「綜合工房」と命名され、絵画だけに限定しない竣介の表現への態度が感じられる。『雑記帳』には宮澤賢治の遺稿が掲載されたほか、落合近隣に住居した多くの執筆者が掲載されている。作家の武田麟太郎、林芙美子、尾崎一雄、平林たい子、中條百合子、矢田津世子、詩人で美術評論家の川路柳虹、画家の曽宮一念、川口軌外、野間仁根、村山知義、佐伯米子、藤川榮子といったメンバーが掲載された。自宅近隣でこれだけの執筆陣がみつかる環境もあまりないのではないかと思う。


大川美術館には多くの人物画がコレクションされている。松本竣介というと都市風景を思い浮かべてしまうが、人物画も魅力的だ。やはり落合地域の住人である画家の柳瀬正夢が編集著作した『無産階級の画家 ゲオルゲ・グロッス』(1929年 鉄塔書院)を愛読し、そのなかの人物像を模写し、研究したことが知られている。竣介の絵にはグロッスのような直接的な社会性、批判性はないが、線描の画法はグロッスの影響を感じさせるものがある。昭和13(1938)年のことである。
「女」
昭和18(1943)年には井上長三郎、靉光、鶴岡政男、麻生三郎、寺田政明といったメンバーと新人画会を結成し、活動する。会の事務所は下落合の竣介自宅に置かれた。
戦後、結核を患った竣介は無理して作品制作をつづけたが昭和23(1948)年6月8日、36歳の若さでこの世を去った。短い人生を走り切って燃え尽きた松本竣介は、現在もわれわれの魂を激しく揺さぶり続けている。
(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
◆中村惠一のエッセイ「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」は毎月22日更新です。
●今日のお勧め作品は松本竣介です。
松本竣介
《人物像》(裏面にも作品あり)
1946年頃
紙にインク
Image size: 24.0x13.0cm
Sheet size: 27.2x19.0cm
※『松本竣介没後50年展―人と街の風景―』(1997年、南天子画廊)p.16所収 No.39
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

松本竣介
松本竣介の絵は以前から好きだった。落合に越してきて初めてJR高田馬場駅まで歩いた時に興味をもった建物があった。それは東京電力の目白変電所であった。この大正期に建設された建物を竣介が描いているのをすぐに知ることになった。竣介が描いていることを知って、私の中で目白変電所がますます気になる建物になったのだった。
「ごみ捨て場付近」「ごみ捨て場付近」に描かれたのは下落合から高田馬場駅方面に向かう道と周囲の情景である。道は神田川にかかる田島橋にいたるが、橋の向かい側には目白変電所が描かれている。その独特の様式ですぐにわかった。竣介の画面にあった建物、その現物が目の前にある。とたんに竣介をひどく身近に感じたのをはっきりと覚えている。実は「ときの忘れもの」で開催された松本竣介展に展示されたデッサンを見たとき、田島橋を渡った先にある栄通を描いたに違いないと感じた。聞いてみると実際にそうであり、「よくわかったね」と驚かれたことがあった。地元の風景なので、みなれた場所がもつ特有の雰囲気を感じたのに違いなかった。この田島橋と目白変電所の情景を竣介は気にいったのか「立てる像」にも背景に使っている。「立てる像」を見ると、戦時体制に傾斜してゆく中で軍部が企図した「国防国家と美術」(『みづゑ』1941年1月号掲載)という座談会の意見に反応し、「生きてゐる画家」を書きあげた竣介の決意がみなぎっているようで、大好きな作品である。「立てる像」は昭和17(1942)年に描かれている。

そもそも竣介が落合地域に住むことになるのは松本禎子との結婚が契機であった。昭和11(1936)年に竣介は松本家の養子となる。やがて松本家は中井四の坂上に建てられた借家に越してきた。ここが竣介のついの住家になる。この場所でその後の画業は行われ、昭和11(1936)年10月に創刊された雑誌『雑記帳』通巻14号も発行された。
最寄りの駅は西武新宿線の中井駅である。中井駅から西に向かい四の坂の登り口までは幅広な車道を歩く。四の坂の登り口には林芙美子記念館の看板がある。今はマンションになってしまったが、四の坂道を隔てた中井駅よりには画家・刑部人のアトリエがあった。建築家・吉武東里の設計によるスペイン瓦が葺かれた洋館であった。私が越してきた20年ほど前には刑部アトリエも健在であった。急な四の坂を登ると坂の上に竣介のアトリエはあった。
丸印の場所が松本竣介アトリエの場所竣介には「N駅近く」とタイトルされた作品がある。竣介は都市や町を描くときに異なる場所のイメージをコラージュするケースも多いので、中井駅として特定するのが正しいのかはわからないが、勝手に中井駅だと思い親しんできた。

松本竣介の作品は新宿区にはない。一昨年には念願の竣介が育った場所、盛岡市を訪ね岩手県立美術館で数多くの作品を見ることができた。また昨年、群馬県桐生市にある大川美術館で「竣介のアトリエ再見プロジェクト」によって再現された下落合の竣介アトリエを見ることができた。展示室内にアトリエを再現展示することによってアトリエ内部の様子や蔵書、コレクションされた品々を当時のままに見ることがかなった。竣介の展示されたコレクション作品とともに画家の息吹きを感じることができる展示で感動した。

竣介アトリエは「綜合工房」と命名され、絵画だけに限定しない竣介の表現への態度が感じられる。『雑記帳』には宮澤賢治の遺稿が掲載されたほか、落合近隣に住居した多くの執筆者が掲載されている。作家の武田麟太郎、林芙美子、尾崎一雄、平林たい子、中條百合子、矢田津世子、詩人で美術評論家の川路柳虹、画家の曽宮一念、川口軌外、野間仁根、村山知義、佐伯米子、藤川榮子といったメンバーが掲載された。自宅近隣でこれだけの執筆陣がみつかる環境もあまりないのではないかと思う。


大川美術館には多くの人物画がコレクションされている。松本竣介というと都市風景を思い浮かべてしまうが、人物画も魅力的だ。やはり落合地域の住人である画家の柳瀬正夢が編集著作した『無産階級の画家 ゲオルゲ・グロッス』(1929年 鉄塔書院)を愛読し、そのなかの人物像を模写し、研究したことが知られている。竣介の絵にはグロッスのような直接的な社会性、批判性はないが、線描の画法はグロッスの影響を感じさせるものがある。昭和13(1938)年のことである。
「女」昭和18(1943)年には井上長三郎、靉光、鶴岡政男、麻生三郎、寺田政明といったメンバーと新人画会を結成し、活動する。会の事務所は下落合の竣介自宅に置かれた。
戦後、結核を患った竣介は無理して作品制作をつづけたが昭和23(1948)年6月8日、36歳の若さでこの世を去った。短い人生を走り切って燃え尽きた松本竣介は、現在もわれわれの魂を激しく揺さぶり続けている。
(なかむら けいいち)
■中村惠一(なかむら けいいち)
北海道大学生時代に札幌NDA画廊で一原有徳に出会い美術に興味をもつ。一原のモノタイプ版画作品を購入しコレクションが始まった。元具体の嶋本昭三の著書によりメールアートというムーブメントを知り、ネットワークに参加。コラージュ作品、視覚詩作品、海外のアーティストとのコラボレーション作品を主に制作する。一方、新宿・落合地域の主に戦前の文化史に興味をもち研究を続け、それをエッセイにして発表している。また最近では新興写真や主観主義写真の研究を行っている。
・略歴
1960年 愛知県岡崎市生まれ
1978年 菱川善夫と出会い短歌雑誌『陰画誌』に創刊同人として参加
1982年 札幌ギャラリー・ユリイカで個展を開催
1994年 メールアートを開始
1997年 “Visual Poesy of Japan”展参加(ドイツ・ハンブルグほか)
1999年 「日独ビジュアルポエトリー展」参加(北上市・現代詩歌文学館)
2000年 フランスのPierre Garnierとの日仏共作詩”Hai-Kai,un cahier D’ecolier”刊行
2002年 “JAPANESE VISUAL POETRY”展に参加(オーストリア大使館)
2008年 “Mapping Correspondence”展参加(ニューヨークThe Center for Book Arts)
2009年 “5th International Artist’s Book Triennial Vilnius2009”展に参加(リトアニア)
2012年 “The Future” Mail Art展企画開催(藤沢市 アトリエ・キリギリス)
◆中村惠一のエッセイ「新宿・落合に住んだ画家たち(中村式落合散歩)」は毎月22日更新です。
●今日のお勧め作品は松本竣介です。
松本竣介《人物像》(裏面にも作品あり)
1946年頃
紙にインク
Image size: 24.0x13.0cm
Sheet size: 27.2x19.0cm
※『松本竣介没後50年展―人と街の風景―』(1997年、南天子画廊)p.16所収 No.39
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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