ときの忘れもの・拾遺 第10回ギャラリーコンサートに寄せて 

大野 幸


「絶対音感」という言葉が時々話題になり、それを持っているという人が誉めそやされたりします。ある音を聞いた時、その音高(ピッチ)が分かる能力、というのが絶対音感の大雑把な定義だと思います。その音は「ド」だとか、「ソ」だとか、が分かってしまう能力。ですが、基準になる音高が時代によって、地域によって随分違うことを、私は古楽器の演奏をする人たちの仲間に入れてもらってから知る事になりました。基準音、つまりオーケストラの演奏を始める前に、オーボエの人が鳴らすA(=ラ)の音のことです。そのピッチは、20世紀に入ってから国際会議で周波数440Hzとされました。これは、国や楽器の種類によってピッチが違うと合奏がしにくい、という事に対しての現実的な対応だったと思いますが、それまでは、国や時代、使っている楽器によって基準音のピッチは随分幅があったようです。現在広まってきているバロック楽器の演奏では、A=415Hz(440に比べ半音低い)に調律するのが一般的なようです。また、時にはA=392Hz(さらに半音低い)やA=465Hz(半音高い)なども使われています。このように、基準音そのものの音高が変わってしまう場合「絶対音感を持つ人」の耳にはどう聞こえているのでしょうか?

この疑問を、古楽を演奏する「絶対音感」を持つ音楽家に訊いてみたところ、彼らの感覚は「絶対音感というよりは、無数の相対音感を持っていると云った方が近い」とのことでした。基準音が高かろうが低かろうが、その調を瞬時に判断して「ハモる音」を探り当てる事ができる能力。

チェンバロや古い時代のピアノを演奏する鍵盤奏者は、楽器の音程が狂いやすいので常に自分で調弦しながら演奏しなければなりません。モダンピアノの場合、音程は長時間安定していて、日常的には頻繁に調弦する必要はありませんが、古いタイプの楽器の場合は、ステージ上でも曲の合間に調弦しながら演奏したりします。ですから、このタイプの楽器の演奏家は、自分で調弦できる「絶対音感」「相対音感」を持つことが必要です。当たり前の話ですが。

ここで、今回武久さんがプログラムに組み込んでくださった、バッハの「あの曲」のことを考えてみます。武久さんが「適正律鍵盤曲集」と呼んでいるあの曲は、一般には「バッハの平均律」と呼び習わされています。「平均律」というのは、オクターブを12の半音に均等に分割した調律法のことで、バッハの曲の原題「Das Wohltemperirte Clavier」の訳としては正確ではありません。字義通り翻訳すると武久さんのように「適正律鍵盤曲集」「良く調律された鍵盤楽器のための曲集」となります。「平均律」が必ずしも「良い」調律法ではない理由は、平均律で調律した鍵盤楽器では、ユニゾン(同音)とオクターブ以外はハモらない、きれいな和音にならない、ということです。バッハの曲のように和声を重要視する音楽を「平均律」で調律した楽器で演奏しても、その本来の姿が立ち現れてこない、とも言えるかもしれません。

大人になって知った事ですが、私たちの子供の頃、小学校や中学校に備え付けてあったピアノの調律は、大概平均律だったようです。今でも状況は変わっていないかもしれません。正確な平均律ならまだしも、平均律で調律したピアノが放置され、おそらく長年調律もされずに、音が狂ってしまっていた。そのピアノを使って音楽の授業で合唱の練習などしていたわけです。歌がいつまでたってもうまくならない、それどころか歌が気持ち悪い、好きになれない(さらに私の場合ヴァイオリンを弾いても音程が悪い)など、絶望的な症状は、残念ながらピアノの調律の不備が原因だったのかもしれません。

武久源造が自ら調律したジルバーマンピアノで、バッハの「適正律鍵盤曲集」を聴くことは無上の歓びです。歓びによって、子供の頃学校で味わった気持ち悪い和音の思い出を吹き飛ばせますように。
(おおの こう・20190319)

ときの忘れもの・拾遺 第10回ギャラリーコンサートの予約受付を開始しました。
大野コンサート
「武久源造コンサート」のご案内

日時:2019年4月10日(水)18:00~
会場:ときの忘れもの
出演:武久源造
プロデュース:大野幸

プログラム
《適正律鍵盤曲集》より
前奏曲とフーガ ハ長調(第1巻第1番)
同 ハ長調(第2巻第1番)
同 ニ長調(第1巻第5番) 他
《半音階的幻想曲とフーガ》ニ短調
《シャコンヌ》(武久源造 編曲)
*要予約=料金:1,000円
予約:必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
この画像は、バッハの「Das Wohltemperirte Clavier」第一巻 自筆譜の表紙。武久さんによれば、文字のまわりにクルクル書いてある模様は、バッハが考えた調律方法を表しているのではなかろうか、とのこと。

武久源造さんからのメッセージ
 今回のコンサートでは、ジルバーマン・ピアノを使って、バッハの作品を聴いていただこうと思います。
このピアノ、私の楽器はもちろんレプリカですが、これはもっとも有力な最初期のピアノです。その製作段階からバッハが深く関わったことが分かっています。バッハの助言によって、ジルバーマンは、いわゆるピアノをチェンバロに取って代わるだけの有力な楽器にまで高めることができました。
それと同時に、バッハもこのピアノの中に大いなる可能性を感じ取り、いわば未来予見的な作品を創り得た、と私は考えています。
今回聴いていただく作品は、主にバッハの30代に書かれた物です。
バッハが契約上の問題を起こして投獄されたのが32歳の1717年。その後、転職、妻との死別、再婚……と、この頃はバッハの人生における波瀾の時期でした。そしてその時期、彼の創る音楽もまた、大きく様変わりしたのでした。
私が《適正律鍵盤曲集》と訳している、通常は《平均律》と呼ばれている曲集があります。その第1巻は、まさにこの時期に、数年に渡って作られました。また、《半音階的幻想曲とフーガ》、および《シャコンヌ》は、彼が妻と死別した1720年に作られたものと考えられます。
たけひさ げんぞう
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■武久 源造 Genzoh Takehisa
武久源造1957年生まれ。1984年東京芸術大学大学院音楽研究科修了。以後、国内外で活発に演奏活動を行う。チェンバロ、ピアノ、オルガンを中心に各種鍵盤楽器を駆使して中世から現代まで幅広いジャンルにわたり様々なレパートリーを持つ。また、作曲、編曲作品を発表し好評を得ている。
91年よりプロデュースも含め30数作品のCDをALM RECORDSよりリリース。中でも「鍵盤音楽の領域」(Vol.1~9)、チェンバロによる「ゴールトベルク変奏曲」、「J.S.バッハオルガン作品集 Vol.1」、オルガン作品集「最愛のイエスよ」、ほか多数の作品が、「レコード芸術」誌の特選盤となる快挙を成し遂げている。著書「新しい人は新しい音楽をする」(アルク出版企画・2002年)。1998~2010年3月フェリス女学院大学音楽学部及び同大学院講師。


■大野 幸 Ko OONO
20160130_oono本籍広島。1987年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1989年同修士課程修了、同年「磯崎新アトリエ」に参加。「Arata Isozaki 1960/1990 Architecture(世界巡回展)」「エジプト文明史博物館展示計画」「有時庵」「奈義町現代美術館」「シェイク・サウド邸」などを担当。2001年「大野幸空間研究所」設立後、「テサロニキ・メガロン・コンサートホール」を磯崎新と協働。2012年「設計対話」設立メンバーとなり、中国を起点としアジア全域に業務を拡大。現在「イソザキ・アオキ アンド アソシエイツ」に参加し「エジプト日本科学技術大学(アレキサンドリア)」が進行中。ピリオド楽器でバッハのカンタータ演奏などに参加しているヴァイオリニスト。


*画廊亭主敬白
建築家の大野幸さんとは彼が磯崎新アトリエに入った1989年頃にさかのぼる長い付き合いですが、プロデュースをお願いしているギャラリーコンサートも10回を迎えました。青山の木造空間から駒込の鉄筋コンクリート空間へと変わり、音響が心配だったのですが、幸い皆さんには好評です。
今回は重量級のジルバーマンピアノを運び込むらしい、果たして二階まで持ち上げられるのでしょうか、心配です。
今回、武久源造さんが演奏されるのはバッハ! 
昔、雨の軽井沢で大井浩明さんが古楽器クラヴィコードで演奏したバッハを思い出します。

ところで本日は3月19日、魔の24日が迫ってきました。
横浜美術館「イサムノグチと長谷川三郎
神奈川県立近代美術館葉山「堀内正和展
大川美術館「松本竣介 読書の時間
茅ヶ崎市美術館「創作版画の系譜
埼玉県立近代美術館「インポッシブル・アーキテクチャー
アーツ前橋「闇に刻む光 アジアの木版画運動
東京オペラシティ「石川直樹 この星の光の地図を写す
来る客、来る客に「必見です」とお勧めしている展覧会、ぜ~んぶ3月24日(日)が最終日です。
日本中の学芸員さんたち年度末で忙しいだろうに、どれを優先すべきか悩んでいるでしょうね。
そういう亭主はどうなんだ、といわれると・・・・

●本日のお勧め作品は磯崎新が古今の建築家十二人が手がけた「栖(すみか)」を描いた連作の中から、ル・コルビュジエの「母の小さい家」(レマン湖畔)です。
磯崎新母の小さい家磯崎新 Arata ISOZAKI
栖 十二 挿画5
1998年 銅版・手彩色・アルシュ紙
イメージサイズ:10.0×15.0cm
シートサイズ:28.5×38.0cm
Ed.8(E.A.2部) サインあり
*磯崎新銅版画集「栖 十二」(すみかじゅうに)の中の1点。手彩色のA版と、単色刷りのB版があります。

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●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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