中村茉貴「美術館に瑛九を観に行く」第26回(後半)

埼玉県立近代美術館
「2019 MOMASコレクション 第4期 瑛九と光春―イメージの版/層」

会期:2019年1月12日~4月14日


埼玉県立近代美術館で行われているMOMASコレクション「特別展示:瑛九の部屋」では、《田園》の所蔵者加藤南枝氏から提案を受けた方法で展示が行われている。
埼玉県立近代美術館15《田園》の展示のために設えたという「瑛九の部屋」の入口。こちらは、鑑賞者の好みの明るさで作品鑑賞に集中するための特別な部屋である。暗幕で仕切られた部屋に入ると、《田園》1点のみが展示されている。

室内の手前には、光量を調整できるコントローラーが設置され、LED照明が4灯取り付けられている。集中して《田園》を鑑賞できるよう、壁面には光の反射が少ない黒い布がはられ、黒い仮縁に作品がはめ込まれている。
『埼玉県立近代美術館ニュースZOCALO』#93(2018年12月-2019年1月号)にも書かれているように、梅津学芸員は加藤氏が《田園》と対峙している様子を東京国立近代美術館で目の当たりにして、近寄り難さ——「凄み」に圧倒されたようである。その経験から本展の展示へ向けた調整が重ねられ、「瑛九の部屋」の展示が実現した。この大掛かりな装置は、所蔵者の加藤氏が8年間に渡って昼夜《田園》を見続けた鑑賞体験を、美術館で疑似体験するための装置なのである。

思い起こせば、去る2007年5月26日「第18回 瑛九展」に併せて行われた「ときの忘れもの」主催のギャラリートークに東京国立近代美術館学芸員大谷省吾氏が講師として招かれ、そのとき加藤氏もお見えになった。大谷学芸員は、「瑛九」と名乗る前後の作品を比較し、山田光春の著書『瑛九—評伝と作品』を丁寧に読み込む必要性を説いた。瑛九を直接知らない世代が関心を持って調査されていることを加藤氏は喜ばしく思っているようだった。

画廊を出た扉のところで加藤氏とお話する機会を得た。加藤氏が初めて瑛九のアトリエで《田園》を見たときの驚き、さらには過去に行った《田園》に特殊なライトを当てて作品を鑑賞する方法を話し、「また《田園》を皆さんにお見せしたいけれども…」と、再び特殊な鑑賞方法を披露する機会を伺っている様子であった。このとき、加藤氏の脳裏には、《田園》が焼付いているようで、遠くの一点を見つめながら話していた。加藤氏の澄んだ瞳が印象的で、どのような《田園》が見えているのか、興味深く感じたことを覚えている。もし、加藤氏の手元に《田園》がなく、美術館で複数点所蔵された中の一点であったら、ここまで大掛かりな展示にはならなかったと想像する。

【参考:加藤南枝「ギャラリートークはおもしろかった/瑛九展~コレクターの声第13回」2007年6月20日、ときの忘れものブログ

埼玉県立近代美術館16_瑛九《田園》1959年 加藤南枝氏蔵瑛九《田園》
1959年、油彩、カンヴァス、
加藤南枝氏蔵、
右下に「QEi 59」のサインあり

「瑛九の部屋」に入ると、前方に《田園》が展示されている。手元の台に設置されたコントローラーを回すと照明の光量を変えることが出来て、《田園》の見え方がみるみる変化する。照明が暗い状態では、青い色点が画面を覆い尽くす静かな景色で、中心部の赤い斑点が不気味に浮き上がって見える。夕暮れから朝方にみるような穏やかな田園風景である。次に照明のコントローラーを時計回りに動かし、明るくしてゆくと、青や赤の部分が弱くなり、変わって黄の色点が煌々と輝きはじめる。画面の下半分には、黄緑色の帯状の層が浮かび上がり、朝方の澄み渡った光あるいは真昼の直射日光の元で観るような田園風景が広がる。照明の光量を変えるだけで、作品の画面上に現れるイメージがこれほどまで変化するとは、口頭で加藤氏から話を伺ったときには想像すら出来なかった。

ユーチューブには9本の《田園》の動画が掲載されている。そのうちの3本を転載するので、「瑛九の部屋」の雰囲気を感じていただきたい。
●カノン「田園」の光と影~「瑛九の部屋」へ行こう #1.1


●Shotgun Q-Ei Method


●Rorschach Q-Ei


《田園》のモチーフは、瑛九の出身地宮崎の田園風景であると言われている。しかし、次の瑛九の文章を読むと、晩年を過ごした浦和(現さいたま市)の「田園」に思い入れがあるように感じる。

----------(以下引用)
 「僕のいる所は浦和駅から徒歩で十五分ぐらいの所ですが、市の中心の街の裏側に当るような所ですから緑にかこまれています。写真があいにく手元にないものですからスケッチしましたのを入れておきます。
(中略)
 このスケッチに見える手前の方は僕の家から北になるのですが、ごらんの通り畑です。南の方は隣家の庭になっていて、緑にかこまれているといってもよいでしょう。僕の家にも大きなクヌギが何本も茂っていました。あまり森の中のようなので一本だけ残してあとはきりたおしてしまったのですが隣家の庭にクヌギが七、八本植っているので田園趣味はくずれません。
(中略)
 僕は宮崎に帰ると久し振りに都会生活に身を投じたといった気持ちになるのです。それは父母や兄のいる実家がいまや宮崎の中心地に近くなっていたりするからです。今年の春は郡司君のところにとまったのですが、ねているわきをたえず自動車が通っていたり、街に出かける時は郡司君のスクーターのうしろにのっかていたので、僕は僕なりの都会生活をとり返した気持になるから不思議です。
 上野まで電車で三十分しかかからないので東京には毎月四、五回はきまって出るのですが、たいてい絵を見るか友人に会うかしてはさっさと帰ってくるので、そしてそれはいつもあまりにきまりきった調子に終るので、僕は僕の田園気分の中にいるようです。僕も東京に出てそこに幾日かねとまりすれば、そこで僕の都会生活を思いだすのかも知れませんが、そのような機会もありません。静かな生活というものを僕は初めて経験しているような気がします。宮崎にいた時は丸島住宅の青物市場のある角にいましたからね。
 宮崎の丸島住宅時代の友Y・K君が、「瑛九は浦和になまったちゃねか。」といっているような気がします」

(瑛九「緑にかこまれて」1955年9月3日、日向日日新聞)
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瑛九が過ごしたとされる宮崎市の橘通り附近は昭和戦前期~戦後の写真や戦前の市街図を見ると、上記に書かれているとおり、当時から大通り沿いに商店街が並ぶ「都会」という印象を受けた。一方で1950年代に移住した埼玉県の旧浦和市というと、田んぼや畑ばかりで、牧場まであった土地である。1980年代くらいまでは、見沼用水を引き込んだ田んぼが大宮・浦和・川口の一部をまたがるように広がり、その「見沼田んぼ」の総面積は約1260ヘクタールという、都心から一番近い広大な田園地帯であった。(出典:「埼玉の見沼田んぼ、保全正念場に」日本経済新聞、1983年9月2日)
現在では一部地域にしか田んぼが見られなくなったが、瑛九が浦和に住んでいた頃は、確かに田園風景が広がっていたのである。とすれば、瑛九は、浦和の「田園」の中で生活を重ねて、《田園》のイメージを膨らませていったことが予想される。
なお、《田園》には故郷宮崎の田園風景も重ねていた可能性もある。1953年に瑛九の個展が延岡中央公民館で開かれたとき、瑛九は宮崎の内田耕平宛の書簡に喜びを伝え、確かな手応えを得たようであった。(山田光春『瑛九 評伝と作品』青龍洞、1976年) 宮崎県の延岡は、日本でも有数の田園地帯で、宮崎市から高千穂方面へ向かう途中にも見える景色である。黄緑色の帯は層(レイヤー)のように見え、延岡の棚田の風景と重なってみえる。この個展の開催時には、病気の妻都の看病で瑛九は延岡の地を踏むことはなかったものの、遠い故郷での個展の成功は、次回作への取り組みに少なからず影響していたと考えられる。

【5.「特別展示:瑛九の部屋」関連展示――《田園》】

埼玉県立近代美術館17「田園」展ポスター
(会場:紀伊國屋画廊/会期:1975年8月21日-8月26日)
発行:1975年8月10日
制作:加藤南枝
印刷所:半七写真印刷工業株式会社
発行所:エディション由(鎌倉市御成町)

このポスターは44年前に加藤さんが自らつくられた大変貴重なものである。

裏面には、加藤氏の言葉が次のように添えられている。

瑛九は神に選ばれ、神に代って「田園」を描き上げた。
幾百幾千年の時間の中で、この絵の謎は解きあかされ、幾多の人々をニルバーナにみちびくであろう。


梅津学芸員によると、埼玉県立近代美術館の初代館長本間正義(1916-2001)は東京国立近代美術館に在職した当時から瑛九に注目し、没後すぐの「四人の作家」展など度々展覧会に出品していた。埼玉においても、瑛九の作品は大久保静雄氏による「瑛九とその周辺」展、「デモクラート展」、梅津氏の「光の化石」展、さらに両氏による「生誕100年記念 瑛九展」のように何度も展示を行う機会が設けられてきた。度々展示されてきた経緯がここ埼玉にあるからこそ、今回のように《田園》の特別出品や作品の寄贈に繋がったと話す。

会場で掲示されていた加藤氏が「田園」展ポスターの裏面に書かれた「幾百幾千年の時間の中で、この絵の謎は解きあかされ、幾多の人々をニルバーナにみちびくであろう」という言葉を頭の中で復唱すると、会場ではドラマティックに感じた言葉が現実味を帯びてきた。

***

ちょっと寄道…
埼玉県立近代美術館の友の会「fam.s」の存在はご存知だろうか。
「fam.s」は「friend of art museum, saitama」の略称であり、より親しみを持って美術活動に参加・協力を促すことを目的とした、美術館とはまた別の組織である。
具体的には、個人や団体から集めた会費を元手に、会報の発行、美術館見学会、作家のアトリエ訪問、ミュージアムコンサート等を行っている。なぜこの「fam.s」に注目したのかというと、会報である「ファムス通信」の表紙に近年、瑛九の作品が使用されているためである。

『ファムス通信』No.31~34 2013年5月-2015年11月、埼玉県立近代美術館フレンド
埼玉県立近代美術館18左から右にNo.31表紙:《希望》1951年、ゼラチン・シルバー・プリント
No.32表紙:《花》1956年、油彩、板
No.33表紙:《雲》1959年、油彩、カンヴァス
No.34表紙:《風が吹きはじめる》(部分)1957年、リトグラフ、紙

『ファムス通信』No.35~38 2016年5月-2017年11月、埼玉県立近代美術館フレンド
埼玉県立近代美術館19左から右にNo.35表紙:《オペラグラス》1953年、エッチング、紙
No.36表紙:《コンポジションA》(部分)1948年、水彩、紙
No.37表紙:《子どものプロフィール》(部分)1957年、油彩、カンヴァス
No.38表紙:《出発》(部分)1949年、油彩、カンヴァス

『ファムス通信』No.39~40 2018年5月-2018年11月、埼玉県立近代美術館フレンド
埼玉県立近代美術館20左から右にNo.39表紙:《作品名不詳》(部分)水彩、鉛筆、紙
No.40表紙:《ピエロ》(部分)1957年、リトグラフ、紙

「ファムス通信」は1995年に創刊され、年2回(5月・11月)の発行で、現在は上図のようにNo.40を数える。以前は、美術館の作品や建物および椅子のコレクションが表紙を飾り、2015年のリニューアルオープン後は瑛九の所蔵作品が使用されている。デザインは木村昭司による。

埼玉県立近代美術館21『ファムス通信』創刊号~No.9
1995年1月-2001年10月
埼玉県立近代美術館フレンド

創刊号には、創刊記念特別インタビューとして、「池田満寿夫に聞く」が掲載されている。池田満寿夫が瑛九の影響を受けていることが見てとれる記述があるため、次に紹介したい。

----------(以下引用)
僕は一番やってないのは油絵なんですよ。本格的に主張するだけの作品がまだ出来てなくて。まあ僕はご存じのように油絵から出発してますが、瑛九の奨めもあって銅版画に入ってそれで成功したもんですから、何時の間にか版画家ってレッテル貼られちゃって。僕はそれが嫌いでね。小説を書いたり映画を撮ったり、それに陶芸もやったりすると、“ 池田さんはもともと何ですか? 本業は? ”なんて言われたりして。陶芸をやるとどうしても彫刻の方にいっちゃうし、もうブロンズも随分作ってます。結局モノを作ることなんですよ。紙とか土とか、素材は何だっていいんです。造形するためには技術が必要で、そしてアイデアね。素材と技術とアイデア、この三つを持っていれば何でもできるんですよね。〔中略〕ただ難しいのは、そういう技術なり自分のアイデアなりを、如何に持続させるかということなんですね。
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池田満寿夫は、瑛九と同様に様々な素材を使って「アイデア」を形にしてきた。池田は、瑛九に感化されながらも、新たな独自の芸術表現の道を探すよう、様々なジャンルの作品を制作している。

近年では、福田美蘭氏へのインタビュー(「ファムス通信」No.38)が掲載されている。当時注目される新進気鋭の現代作家に焦点をあてることは、相互にとって意義深いことであり、後に資料的価値も高まる活動である。

なお、取材にご協力いただいた事務局の野口恵子氏によると、改修工事に入る前は、約700名の会員がいて、リニューアルオープン後の現在、会員は約520名ほどに減少してしまったという。美術館見学はスペイン、フランス、イギリス、イタリア、オランダ、ベルギーなど、旅行代金を20万くらいに設定しても参加者が集まったが、近年は安価で日帰りできる場所を設定することが多くなった。また、時代のニーズに合わせた、ペア会員(本人と恋人または友人など)という会員枠も作ったと語る野口氏。景気の変動に影響を受けることから、時代に応じたサービスを柔軟に考えているよう。

会員特典は充実している。MOMASコレクションおよび企画展の観覧券が無料になる他、会員限定のギャラリートークもある。また、美術館に併設するレストランの食事代は10%OFFで、ミュージアムショップでも買物額が5%OFFになる特典などがあり、会費額に応じたサービスを取り揃えている。
展示を会期中に何度も鑑賞したい美術ファンにとっては入会するとお得だという。私も生活に余裕が出来たらぜひ入会し、美術鑑賞三昧といきたい。

埼玉県立近代美術館フレンド
なかむら まき

平成30年度MOMASコレクション第4期
「瑛九と光春―イメージの版/層」
「特別展示:瑛九の部屋」

会期:2019年1月12日[土]~2019年4月14日[日]
会場:埼玉県立近代美術館 1階展示室
休館:月曜日(ただし、1月14日、2月11日は開館)
時間:10:00~17:30 (入場は17:00まで)
チラシ
「瑛九と光春―イメージの版/層」
瑛九(1911-1960)と山田光春(1912-1981)における「版」や「層」に注目し、「イメージの搬送」の過程を探ります。近年収集した瑛九の油彩、フォト・デッサン、コラージュ、山田光春のガラス絵、素描を中心に構成します。

「特別展示:瑛九の部屋」
瑛九《田園》(特別出品・加藤南枝氏蔵)を暗室に展示します。見る人が光をコントロールできます。「絵を感じる」ための特別展示です。(埼玉県立近代美術館HPより転載)

●出品リスト
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●本日のお勧め作品は瑛九です。
qei_140_work瑛九 Q Ei
《作品》
フォトデッサン
40.8×31.9cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


『第28回 瑛九展』カタログのご案内
第28回カタログ表『第28回 瑛九展』(アートバーゼル香港)図録
2019年 ときの忘れもの
B5版 36頁 作品17点、参考図版27点掲載
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館)
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:Polly Barton、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:800円 *送料250円

●瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。

●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
駒込外観1TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。