第63回連翹忌 高村光太郎と北川太一先生

詩人、彫刻家の高村光太郎は1956年(昭和31年)4月2日に73歳で亡くなりました。
アトリエの庭には連翹の花が咲いていたといいます。
以来、毎年4月2日に光太郎を慕う人々が集まり連翹忌という集まりをもっています。
当初は銀座・資生堂パーラーが会場でした。
パーラーが建て直しになったのを機に会場は日比谷公園内の松本楼に移り、途切れることなく今回で63回目の連翹忌が開催され、70数名が全国各地から参加しました。
高村家(光太郎、智恵子、豊周)と資生堂の繋がりを書き出すと長くなるので、ここでは触れませんが(いずれきちんと書きます)、亭主は縁あって1990年~1995年にかけて『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』の編集に携わっており、その過程で高村光太郎記念会の北川太一先生のご指導を受けることができました。
生涯を高村光太郎研究一筋にささげ、『高村光太郎全集』『選集』の編纂にあたってきた北川先生からお誘いを受け、連翹忌に初めて出席したのは今から20年ほど前でしょうか。
ちょうど桜の美しい日比谷公園

右から北川太一先生、社長、高村豊周のお孫さんの櫻井美佐さん

北川先生のお話を聞くことができてとてもうれしい会でした。
20年前、当時司会をはじめ一切を仕切っていた北川先生の言葉が忘れられません。
「優れたものはほっておいても必ず評価される、なんてのは嘘です。誰かが、これは美しい、大切なものなのだと言い続けなければ、あっという間に忘れ去られ、<なかった>ことになってしまいます。」
右端が北川先生の後を継いで連翹忌運営委員会の代表を務める小山弘明さん、小山さんの発信する高村光太郎連翹忌運営委員会のブログがなかなか面白いです。

高村家を代表して挨拶する高村達さん
女優で「劇団3○○」解散後は「宇宙堂」を結成した渡辺えりさん。お父様が山形で村長を努めていたころ、光太郎と親交があり、その縁でお父様(今回は欠席)とえりさんは連翹忌の常連です。
「智恵子抄」などの光太郎詩を披露した書家の菊地雪渓さんは青森からの参加です。
既に光太郎を直接知る人も少なくなりましたが(もちろん亭主も存じ上げません)、北川先生の公平で穏やかな人柄を慕い、毎年のように若い参加者が増えています。


『光太郎資料51』
北川先生は毎年のように発見される新資料や全集の遺漏を補う作業を営々と続けてこられ、最初はガリ版で、いまはパソコンでまとめたものを毎年の連翹忌で配布してきました。



●本日のお勧め作品は尾崎森平です。
尾崎森平
《苦闘するアポローン/愛の歌》
2019年
アクリル、キャンバス、パネル
サイズ:61.0×61.0×4.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ホームページのトップの誌面を刷新し、中央列最下段に「作品紹介」のコーナーを新設しました。
画面をスクロールすると全点をご覧いただけますし、ご興味のある画面をクリックすると当該作品のページ(詳細なデータ入り)にリンクします。
◆ときの忘れものでは「第310回企画◆Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展 」を開催しています。
会期:2019年4月12日[金]―4月27日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものが期待する1980年代生まれの若手作家の三人展を開催します。それぞれが選んだメディアは異なりますが、表現したいものをどのように創るかに、強いこだわりを持った三人です。
中村潤はトイレットペーパーを編んで造形したものや方眼紙を刺したオブジェ作品を京都で制作しています。
尾崎森平は環境心理学に触発され、生まれ育った東北の現代の風景を描いています。
谷川桐子は油彩という古典的材料を使いながら、緻密に描いた砂利や地面の上にハイヒールやブラジャーなどを配した作品を創り続けています。
今回の三人展では大作を含め、それぞれ数点を出品します。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。

詩人、彫刻家の高村光太郎は1956年(昭和31年)4月2日に73歳で亡くなりました。
アトリエの庭には連翹の花が咲いていたといいます。
以来、毎年4月2日に光太郎を慕う人々が集まり連翹忌という集まりをもっています。
当初は銀座・資生堂パーラーが会場でした。
パーラーが建て直しになったのを機に会場は日比谷公園内の松本楼に移り、途切れることなく今回で63回目の連翹忌が開催され、70数名が全国各地から参加しました。
高村家(光太郎、智恵子、豊周)と資生堂の繋がりを書き出すと長くなるので、ここでは触れませんが(いずれきちんと書きます)、亭主は縁あって1990年~1995年にかけて『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』の編集に携わっており、その過程で高村光太郎記念会の北川太一先生のご指導を受けることができました。
生涯を高村光太郎研究一筋にささげ、『高村光太郎全集』『選集』の編纂にあたってきた北川先生からお誘いを受け、連翹忌に初めて出席したのは今から20年ほど前でしょうか。
ちょうど桜の美しい日比谷公園
右から北川太一先生、社長、高村豊周のお孫さんの櫻井美佐さん

北川先生のお話を聞くことができてとてもうれしい会でした。
20年前、当時司会をはじめ一切を仕切っていた北川先生の言葉が忘れられません。
「優れたものはほっておいても必ず評価される、なんてのは嘘です。誰かが、これは美しい、大切なものなのだと言い続けなければ、あっという間に忘れ去られ、<なかった>ことになってしまいます。」
右端が北川先生の後を継いで連翹忌運営委員会の代表を務める小山弘明さん、小山さんの発信する高村光太郎連翹忌運営委員会のブログがなかなか面白いです。
高村家を代表して挨拶する高村達さん
女優で「劇団3○○」解散後は「宇宙堂」を結成した渡辺えりさん。お父様が山形で村長を努めていたころ、光太郎と親交があり、その縁でお父様(今回は欠席)とえりさんは連翹忌の常連です。
「智恵子抄」などの光太郎詩を披露した書家の菊地雪渓さんは青森からの参加です。
既に光太郎を直接知る人も少なくなりましたが(もちろん亭主も存じ上げません)、北川先生の公平で穏やかな人柄を慕い、毎年のように若い参加者が増えています。

『光太郎資料51』北川先生は毎年のように発見される新資料や全集の遺漏を補う作業を営々と続けてこられ、最初はガリ版で、いまはパソコンでまとめたものを毎年の連翹忌で配布してきました。



●本日のお勧め作品は尾崎森平です。
尾崎森平《苦闘するアポローン/愛の歌》
2019年
アクリル、キャンバス、パネル
サイズ:61.0×61.0×4.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ホームページのトップの誌面を刷新し、中央列最下段に「作品紹介」のコーナーを新設しました。
画面をスクロールすると全点をご覧いただけますし、ご興味のある画面をクリックすると当該作品のページ(詳細なデータ入り)にリンクします。
◆ときの忘れものでは「第310回企画◆Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展 」を開催しています。
会期:2019年4月12日[金]―4月27日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊

ときの忘れものが期待する1980年代生まれの若手作家の三人展を開催します。それぞれが選んだメディアは異なりますが、表現したいものをどのように創るかに、強いこだわりを持った三人です。
中村潤はトイレットペーパーを編んで造形したものや方眼紙を刺したオブジェ作品を京都で制作しています。
尾崎森平は環境心理学に触発され、生まれ育った東北の現代の風景を描いています。
谷川桐子は油彩という古典的材料を使いながら、緻密に描いた砂利や地面の上にハイヒールやブラジャーなどを配した作品を創り続けています。
今回の三人展では大作を含め、それぞれ数点を出品します。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。
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